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この手を離さない title

act.74

 僅かな休みの後、定光と滝川は、通常の仕事のサイクルに戻った。
 滝川は、ショーンの次のシングルカット曲に向けてのPV用画像素材を編集する作業に、定光は次の撮影旅行に向けての段取りと、アルバムジャケットのデザイン作りに、といった具合だ。
 滝川がショーンの仕事のみに絞ってくれているお陰で、他の雑事に追われることなくひとつの仕事に集中できるのは、定光に取っては本当にありがたかった。
 実は前回の撮影旅行の間に、次にシングルカットする曲は決定していた。
 長い時間制作スタッフが共に時間を過ごす中で、スタッフ全員で検討した結果だった。
 ショーンは、独断でいきなり大胆な行動を起こすことで有名だが、信頼できる人達とディスカッションをすることも意外に好きなようだ。
 夕食時に皆で1つのテーブルを囲む中で、彼は積極的に様々な人の意見を聞いたし、自分も饒舌に語った。
 時には意見がぶつかることもあって、一瞬険悪な雰囲気になることもあったのだが、"皆で1つの作品を作り上げている"という実感をスタッフ全員が感じていた。
 当初はショーンの個人的な意味合いの強かったアルバムが、旅を通じて、もはやスタッフ皆のものになったような感覚だった。
 誰もが、大なり小なり乗り越えなければならない壁を持っていて、それぞれがそれを克服したりチャレンジする気になったりと、これに関わるスタッフ全員が自分の生き方を見直す良いきっかけとなっていた。
 実際、定光自身ですら、この仕事を通じて、自分のアートディレクターとしての力量や滝川との関係に挑戦することになっているのから、アルバムの完成が一歩ずつ近づく度に自分自身の喜びのように感じられた。
 そしてなにより嬉しいのが、スタッフそれぞれがそう捉えていることをショーン自身が喜んでいることだ。
 アーティストの中には、自分の作品に対するこだわりが強く、他人を寄せ付けない形で制作を進めるタイプの人間もいる。もちろん、ショーン自身、自分の作った作品に強い思い入れがないわけではなかったが、それ以上に、この仕事に関わるスタッフ全員が個々に成長していく様を見ることができているのが、ショーンにはたまらなく嬉しいのだろう。その点から見てもショーン・クーパーはとても気さくだし、懐の深いアーティストだと言える。
 ショーンは定光と別れる朝に、空港のラウンジで眼下を行き交うたくさんの人の流れを見つめながら、こう言った。
「1作目はほとんど一人で作ったんだ。その時は手伝ってくれる人はごく限られていたし、複雑な事情が影を落としていたからね。でもその分気楽で、一人でなんでも決めることができた。2作目からは、ポツポツと他の人も絡んできて、自分一人の時みたいな自由さは半減した。けれど、他の人が関わることによって、僕の脳ミソの範疇を超えた新鮮なアイデアが生み出されていくのを目の当たりにすることができた。でもそれはほんのさわりで、何か手応えを感じたって訳じゃない。でも今回は……」
 ショーンは、ここで定光を見つめた。
「いろんな人のパワーを感じながら、今僕は仕事ができている。バンドとかじゃなくて、単身でアーティスト活動をしている者からすると、それはとても大切なことなんだ。一人で決められない苦しさや、いろんなことを言葉にしないといけない面倒
くささはあるけれど、不安に感じたことは一回もない。頼れる人間が幾人も目の前にいてくれていると知ったからだ。僕はもう一人じゃない」
 定光も胸が熱くって、うんと頷いた。
 ショーンはゆったりと微笑む。
「スタッフの皆が僕の作った作品を大切に思ってくれて、まるで自分事のように真剣に考えてくれている。そのことが誰かの新たな力を生んで、また別の人にそれが伝染していくんだ。その化学作用は、きっとこの作品がアルバムとして世に出ても、失われることなく、僕のファンの皆にも引き継がれていくことになるんじゃないかと、僕は期待している。最初はごく個人的で狭かった僕と僕の両親の世界が一気に解き放たれて、新しい世界が広がっていくんだ。こんな素敵なことって、なかなか経験できないよね」
 いい言葉だな、と定光は思った。
 いいことはどんどん世界中に伝染していけばいい、と思う。
 そのためにも自分は全力を尽くさなければ、と思った。
 
 
 次の南米方面に組まれる撮影旅行のスケジューリング調整のために定光が会社を出たのは、その日の朝早くのことだった。
 ノートで久保内らと午前中いっぱい打ち合わせをすることになっている。
 出際に編集室にいた滝川に「来るか?」と声をかけたが、「スケジューリングの話だけなんてつまんねぇ」と一蹴された。
 まぁ、らしいといえば、らしい。
 次のシングルカット曲は、ショーンの母の少女時代をテーマにした楽曲だ。
 不遇な家庭環境の中で殻に閉じこもって育った美しい少女が、ショーンの父との出会いで希望を見出していくという意味合いの歌詞で、とても幻想的な曲調の不思議な曲だった。
 奇しくも滝川の人生と重なるような歌詞で、定光は奇妙な縁を感じた。
 そのことについて滝川は何も言ってはいないが、意識はしているんだろうと同じ思う。
 次回のPVは、曲調の幻想的なイメージに合わせて、今回撮影した雄大な自然の風景の空撮を様々な繋いで行こうとアイデアを出したのは滝川だった。
 前回のシシーを使って具体的なシチュエーションを想像させる作り方もあるが、今回は歌詞もエキセントリックなので、抽象的な映像の方が見る人それぞれの立場で捉えることができるに違いないと、最終的には満場一致で決まった。
 そんな状態だから、滝川としても画像編集の現場から離れたくないのかもしれない。


 ノートに着くと、久保内自身が出迎えてくれた。
 打ち合わせの入る前に、ショーンの前回発売したシングルの売れ行き等についてのデータ的な報告を受けた。
 久保内は終始ご機嫌で ── ショーンの売り上げだけで、ノートの他の所属アーティスト全員の稼ぎを追い越してしまう規模だからだ ── 、定光の制作したアートワークや滝川のPVを手放しに賞賛した。
 ノートには、PVに対する反応もかなり返ってきているらしく、それがまとめられた資料にざっと目を通すと、大好評といった中身だった。それと似たようなことはエニグマ側からも聞かされていたので驚きはしなかったが、嬉しいことには変わりない。
 滝川の才能が世界的に認められて、定光としても誇らしかった。
「次のも期待してるよ」
 小柄で髭面の久保内がニコッと笑ってそう言う。
 久保内は愛想がいいように見えて、目の奥が笑っていないことが多々あるが、今回は本気で笑顔を浮かべている様子だった。
「今ちょうど滝川は、画像素材の選別をしてるところです。今回は前回以上に膨大な画像素材を撮影してきているので、時間はかかると思いますが」
「このスケジュールでは、9月末には1回目のプレゼンとなってるけど、それは可能なの?」
「間に合わせます。翌月の末には南米に向けて出発しますから、それまでに仕上げないと後のスケジュールが狂ってきますので」
 定光がそう言うのを聞いて、久保内は半分笑いながら口をへの字にした。
「定光君は見た目によらず随分スパルタだねぇ。滝川君も可哀想に」
「できそうにないことは僕も言いませんよ」
 定光は笑った。
「既にアイツの頭の中にはある程度の完成図ができているはずですから」
 定光がそう言うと、久保内は少し定光を見つめ、今度は穏やかな表情を浮かべた。
「信じているんだなぁ。彼を」
「はい」
 定光は、朗らかに微笑んだ。
 自分でも身体中に充実した自信がみなぎっているように感じた。
 
 
 その頃。
 滝川が籠っていた編集室のドアがドンドンとノックされた。
 それぐらい荒っぽく叩かないと、滝川が反応しないからだ。
 映像選びに没頭していた滝川は、チッと舌打ちをしてドアを開けた。そこには村上が立っていた。
「なんだよ」
 滝川が不機嫌な声でそう返すと、村上が「自分の電話に出ないからこうなるんじゃないっスか」と同じように不機嫌に返される。旅で長いこと生活を共にしたせいか、最近の村上は妙に強気になってきていた。
「新さんのマンションを管理してるとか言う不動産屋さんから、会社の代表番号にまでかかってきましたよ、電話」
 滝川はそれを聞いて、テーブルの上に置かれてあるスマホを見た。
 肝心の電源が入っていない。
 電源ボタンを押してもうんともすんとも言わないスマホを二人で見つめあった後、わははははと同時に笑い声を上げた。
 滝川は、床に転がっていた充電ケーブルを手近なコンセントに差し込み、スマホをつなぐ。暫くすると、無事スマホは起動した。
「で、掛け直したらいいのか?」
 滝川がスマホの電話帳を開きながらそう言うと、村上は「いいえ、伝言を伝えてくれればいいって」と答えた。
「今週末に予定していた内見を今日の午後1時半にしてほしいって」
 滝川は、ああ……と思い出した。
 そういえば、今週末に滝川のマンションを買いたいと言っている人が内見をすることになっていた。もし先方がそれで納得すれば、即日現金一括で買いたいとのことで、滝川も同席するよう求められていたのだ。
「でも、今日の午後だなんて急ですよね。平日なのに。普通の会社勤めの人なら、対応できないですもん。ま、新さんは普通じゃないですけど」
 村上のイヤミはサラリと聞き流す。
 滝川は不動産屋に電話をかけたが、担当者は外出していた。
 しかし、遊んでいたマンションの部屋が即金で売れるのは都合がいい。
 滝川は昼食後に一旦家に帰り、実印と印鑑証明書だけ掴んで家を出た。
 その他の売却に必要な書類は既に不動産屋に預けている。
 不動産屋から連絡が来た以上、必要書類は持参してくれるはずだ。
 滝川は、バイクを元住んでいたマンションまで走らせた。
 以前は慣れ親しんだ道も、しばらく走っていなかったので、若干新鮮に感じる。
  ── そういえばミツと暮らし始めてどれくらい経つんだろう……と滝川は思った。
 最初は軽いノリでそんなことになってしまったが、ここまでよく続いてきたと思う。
 幸い定光は、滝川が夜中に異常な行動をしていようとも、不気味がらずに一緒にいてくれている。むしろ積極的に定光の方から「一緒にいたい」と言ってくれるようにまでなった。
 定光は元来面倒見がいいから、虚勢を張ってるくせに頼りなげに生きている滝川のことが放っておけないんだろう。
 例えそれが同情心からくるものであっても。
 それでもいい、と滝川は思っていた。
 むろん、そんな格好悪い思いはお首にも出さない。
 だが、同情心に漬け込んでも、定光とは一緒にいたい、と思っていた。必死だった。
 定光がこの世界にいてくれているだけで滝川にとっては掛け替えのないことなのに、共に人生を歩んでくれると言うのだ。
 そのためになるんなら、少々手間のかかることだってやる。マンション売却の手続きだってそうだ。
 滝川は、久々に自分のマンションの駐車場にバイクを停め、部屋に向かった。
 部屋に着くとまだ不動産屋と買い手は到着していなかった。
 スマホで時間を見ると、一時を少し過ぎていたが、おそらく両者は一緒に来るだろう。
 滝川は、ドアの鍵を開け、中に入った。
 久しぶりに入る部屋は、出た時と全く変わらない様子だったが、空気は少し埃っぽかった。
 滝川が廊下の先のリビングに向かい、カーテンを開けて、窓を開けようとしたところで背後からドアの開閉する音が聞こえた。
 どうやら先方も到着したようだ。
 いつものハキハキとした不動産屋の声が聞こえてこないな、と思いつつ、リビングのドアが開く音に反応して、滝川は振り返った。
 そこに立っている人物を見て、滝川はふっと笑みを浮かべた。
「 ── なんだ、そう言うことか」
 滝川は一言、そう呟いた。

 

この手を離さない act.74 end.

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編集後記


ああ・・・・。
車で事故ってしまいました。
というか、車の横っ腹に当てられてしまいました・・・。
運転席側のドアがべっこりで、ドア全とっかえです(大汗)。
今年のはじめに買ったばかりの車だったのに・・・www

相手は駐車場から出てくるところで、一回止まったのが見えたから、直進優先と気を許したのがいけなかったのかなぁ〜。
横っ腹に当てられる直前、「なんでこの人、近づいてくるの?」って思って横を見たら、運転席の人、こちらの方を全く見ておらず、自分の曲る方向しか見てなかった(脂汗)。
その瞬間、全てを諦めました(涙)。
ブレーキかけても、すでに半分通り過ぎてるし、左側は護岸のコンクリ壁だったので、避けることもかなわず。
そのまま車が当たって、メコメコって音がしましたwww
幸い、私自身にはなにもなく、無事でした。
新しい車だったからかもしれないなぁ。車、丈夫だったw

とはいえ、私も動いていたので、事故処理ではおそらく自分もいくばくかのお金を支払わないといけなくなる模様です。 (相手の保険屋さんは、3:7から交渉スタートって言ってた)
自分も丁度車の保険の架け替え時期で、等級下がるのいやだから、なるだけ保険は使いたくない。
そして三割負担だなんて、そんな殺生な。
もうすぐ年越しだっていうのに、急な出費で寂しい年末となりそうです。

車を運転される皆様、くれぐれもお気をつけ下さい。

それではまた。

2017.11.11.

[国沢]

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