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この手を離さない title

act.70

 翌朝は、ナミブ砂漠に向けて出発する日だったが、その穏やかな朝は、村上の悲鳴と共に始まった。
「ぎゃー! 俺のチン毛が半分ないー!」
 トイレから日本語でそんな下品極まりない悲鳴が上がり、定光は咄嗟に滝川を返り見たが、滝川は火のついてないタバコを口に咥えてプラプラさせながら、自分の荷物をまとめていた。
 ショーンから「彼はなんて叫んだの?」と訊かれたが、定光は適当に柔らかな表現に意訳して伝えた。まさかそのままの内容を伝える訳にはいかない。しかしショーンはそれでもおかしかったようで、「なんでそんなことになってるの?」と腹を抱えて笑っていた。
 おそらく……いや十中八九、滝川の仕業だろうが、村上が滝川のご機嫌を損ねた理由がわからないから、定光も答えようがなかった。
 定光は滝川に「なんであんなことしたんだ?」と滝川に訊いたが、「俺は知らねぇよ」とシラを切って、部屋の外に出て行った。
 定光は、ハァと溜め息をつく。
 また少し、滝川の捉えどころがなくなってきているような気がする。
 こういう時は、そのうちまた前のように何かを溜め込んで感情を爆発させてしまうかもしれないから要注意だ。
「 ── ミツ、大丈夫?」
 ふいにそうショーンから言われ、定光は「ん?」とショーンの方に向き直る。
 ショーンは少しだけ微笑むと、「アラタのこと、心配なんだね」と言った。
 定光は苦笑いする。
「なんか、仕事にプライベートを持ち込むのはダメだって思うんだけど。ごめん」
「謝らないでよ。僕なんか、曲作りなんてもろプライベートの塊だし。気になんかしてないよ。でも、僕はミツのことも心配だな。メンタル的な問題は、素人では歯が立たないこともあるし、家族や恋人がそれに引っ張られてもろともダメになることもある。よければ、いいお医者さんを探すこともできるよ。エレナはそういうの、詳しいはずだから」
 定光は首を横に振った。
「そこまでさせちゃ悪いよ。それに、今はアイツがそれを望んでいないだろうし。でも、どうしようもなくなったら、お言葉に甘えようかな」
 定光がそう言うと、ショーンは今度こそはっきりと笑顔を浮かべ、「いつでも、なんでも言って」と言ってくれた。
  ── ありがたい。
 自分と同じように、奇しくも同性を好きになってしまった者同士、こうして相談にのってもらえるのは、心強かった。
 数年前には雲の上の人のように感じていたショーンが、まさか今はこうして自分と滝川のことを心配してくれているだなんて、人生本当に何が起こるかわからないものだ。
 定光はそう思った。


 その日はまるまる移動日に費やし、ナミブ砂漠近郊のホテルに着いたのは、夜のことだった。アフリカの地方空港でのトラブルに巻き込まれ、プライベートジェットを定刻通り飛ばせなかったのが原因だった。
 だが、そこら辺は予め余裕をみてスケジュールを組んでいたので、助かった。
 元々ロケハンは明日に予定していたので、なんとか調整ができそうだった。
 ホテルは砂漠の中のロッジで、広大な敷地に平屋の客室が点在しているホテルだった。
 背の低い木々や暑さに強い低層の草が計画的に植えられ、茶色いコテージが規則正しく並んでいる。オフホワイトのテント生地製の庇がいたるところに張られていて、おそらく昼間は暑さを凌ぐ日陰を作ってくれるのだろう。洗練はされていなかったが、砂漠の中にあるホテルのわりに居心地はよかった。
 そのせいかホテルには様々な国からたくさんの宿泊客が来ていたが、定光達は一番奥まった場所にある一角を固めて予約した。今や世界中どこに行ってもショーンのファンはいる。
 夕食時にダイニングレストランにショーンが現れただけで、多数の客が色めき立ち、携帯で写真を撮るような仕草を見せ始めたので、ホテル側に配慮してもらえるよう交渉した。
 この交渉に意外な力量を見せたのは村上だった。
 最初はエニグマの若いスタッフが交渉に当たっていたが、相手はあまり融通が利かず、英語も若干不自由で、うまく交渉が進まない。
 そこで定光もそれに加わったのだが、今度は英語が不自由な者同士、さらにカオス状態になってしまった。
 そこに現れたのが村上だ。
 村上は定光より英語は堪能だったが、ベラベラな滝川や由井ほどではない。
 しかし村上は出身地の大阪弁を交えながら強引に交渉を進め、ほぼ勢いで話をまとめてしまった。
 まるでホテルのマネージャーと何年来の友人のように馴れ馴れしく話をして、時には「ケチくさいこと言うたらあかんがな」とオーバーに顔を歪めて見せた。
 そのオーバーさが相手の心を動かしたのか、ホテル側は衝立を用意してくれ、一般客と定光達のテーブルとを分けてくれた。
 村上の態度はまんまクレーマーのそれだったが、ショーンが無事ににわかファンに囲まれる危機は脱せた。
 それまで村上のことをただのお調子者と捉えていたエニグマ側のスタッフは、村上のことを少し見直したようだった。


 無事食事を終え、銘々がデザートやコーヒーを楽しみながら明日のロケハンについて話している最中、定光は皆に断りを入れて、席を立った。
 テーブルの端っこでぼんやりと座っている滝川の腕を取り、「タバコ吸いに行こう」と声をかける。
 滝川は、ぼんやり顔のまま定光を見、そして今尚ロケハンについての打ち合わせを行なっている一団を見つめた。
「今離れて大丈夫なのか?」
 滝川は不機嫌そうにそう言う。やはり、ぼうっとしているくせに、状況の把握はしっかりしている。
 定光は、「いいんだ」と答えた。
「タバコ、吸いに行きたいんだろ?」
 滝川は、再び定光を見上げた。
「お前は吸わねぇだろうが」
「お前は吸うだろ」
 定光は半ば強引に滝川を立ち上がらせ、レストランの外に滝川を連れ出した。
 定光は懐中電灯を片手に、ホテルの敷地外の少し離れた砂山まで滝川を引っ張って行った。
 滝川は砂山を登るのを嫌がったが、定光はそれでもグイグイと滝川を引っ張り、砂に足を取られつつも山の上まで上がった。
「お前にこの景色を見せたかったんだ」
 頂上について腰をかけながら定光がそう言うと、それまで文句を垂れていた滝川が息を飲んでその場に立ち尽くした。
 目の前には、遠くまで続く美しい砂丘のカーブと信じられないくらい小さな星まで見える夜空が広がっていた。定光と滝川の頭上から先に連なるのは、天の川だ。都会に住んでいる定光達には初めて肉眼で見る天の川だった。
 背後にはホテルの小さな灯りが点々と灯っていたが、それ以外は明かりらしきものはない。
 360度遮るものがなく、砂山と星空がただそこにあるだけだった。
「スゲェ……」
 まるで子どものように目をキラキラさせながら、滝川がそう呟く。
「こういうところでタバコを吸うの、格別なんじゃないかって思ってさ」
 定光がそう言うと、滝川は定光を見下ろし、気づいたように隣に腰掛けながら、「こんなとこでタバコなんか吸うかよ」と返してきた。
「明日からはカメラ越しに見る風景になるからさ。その前に肉眼で思い切り堪能しようと思ったんだ、この風景をお前と」
 定光がそう言うと、滝川は「ああ」と呟いた。
 カメラのレンズ越しと肉眼では、見える風景が違う。
 肉眼には肉眼でしか味わえない見え方があるのだ。とてもダイレクトで、強い印象を心に残すことができる。
 滝川がもっと夜空を見ようと寝っ転がったので、定光もそうした。そしてしばらく、2人は寝っ転がったまま、夜空を見つめた。
 幾筋もの流れ星がまるで自分達の上に降ってきそうだ。
 まさに天然のプラネタリウムだった。
 互いに無言だったが、穏やかな時間が流れる。
 砂漠は寒暖差が激しく、砂はまだ昼間の熱を少し保っていたが、空気自体は予想以上にひんやりしていた。比較的薄着だった滝川は ── 今日も御多分に洩れずオジーオズボーンのTシャツを着ている ── 、やがてぶるりと身体を震わせた。
「あ、上着持ってくるの忘れたな」
 しまったと定光は思いつつ背後のホテルを見たが、戻るには一旦この山を降りて、またこの山を上がって来なければならない。
「別にいいよ、上着なんて」
 滝川がそう言うので、定光は「そうはいくか」と身体を起こした。
 背中と髪についた砂を払いつつ、滝川の身体も起こして同じように砂を払い、座ったまま後ろから滝川を抱き締めた。
「おい、いいのか?」
 滝川が反射的にそう言うので、定光は「何が?」と訊いた。
「何がって、こんなの見られたら、バレるじゃねぇか」
「誰もいないじゃん」
 定光はすぐにそう返した。滝川が周囲を見回す。
 確かに自分達のほかに人影はいない。
「こうするとあったかいだろ?」
 定光が滝川の耳元で言うと、滝川は何も答えず、それでも定光の方に身体を預けてきた。
 思えば、こうして恋人同士の時間を持つのは久しぶりだ。
 撮影旅行に出てからは、常に身の回りに誰かがいて、それどころではなかった。
 定光もゆったりとした気分になって、滝川の腕をゆっくりと撫でた。
 滝川も大人しくしている。
 だが、ふいに定光は、滝川の手のひらに違和感を感じて、彼の左手を自分の目の前に引き寄せた。
「 ── なんだこれ?」
 それは丸く水膨れになった火傷の跡だった。

 

この手を離さない act.70 end.

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編集後記


本日は下品な入り方で、
申し訳ありませんでしたwww


村上のボキャブラリーに忠実に合わせていった結果が、このような表現になったことをお詫び申し上げます。
国沢が悪いんじゃないんです。
村上が悪いんですwww

そして中盤はせっかくロマンチックな雰囲気だったのに、ラストは再び不穏な感じ・・・。
一難去ってまた一難。
地味に右往左往しております、最近の「おてて」。

ちなみに、ミツさんと新が眺めたナミブ砂漠の星空は、このような感じ。


ほんまもんの天の川です!
すっごいロマンチック〜〜〜〜。
憧れるわ〜〜〜〜。
人工的な明かりが殆どないからなんでしょうね。
テントホテルの周辺でも、これぐらいの星空が見える模様。


素敵やわ〜。

こんな星空を目の前にすると、新もタバコいらないんだと思って、感心したことでした。
それではまた。

2017.10.15.

[国沢]

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