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この手を離さない title

act.92

 定光は、成澤千春の“表向きの仕事場”だという部屋に案内された。
 黒と白で統一されたモダンでシックな応接間……といった雰囲気で、如何にも澤清順らしい。
 だが千春は、「ここでは物を書く仕事はしてません」と言った。
 あくまで取材用に構えられた部屋らしい。
 そう言われると、大きなはめ殺しの窓から見える六本木の夜景も、このモノトーンの部屋も、今定光と話をしている千春とは、少し雰囲気が違う。
 ソファに座った定光にブイヨンスープが入ったマグカップを差し出す成澤千春は、予想していたよりも随分物腰が柔らかかった。
 滝川とはたまに会うだけの友人……とは聞いていたが、てっきり派手に遊び回っている友人関係かと思っていたが、それは飛んだ思い違いだったようだ。
「僕の顔に何か付いてますか?」
 定光の向かいに腰掛けた成澤千春は、そう言って少し微笑んだ。
 定光はドキリとして、思わず姿勢を正す。
 いくらテレビよりも柔和な雰囲気とはいえ、そうやって見つめられて微笑まれると、何とも言えない迫力がある。
「あっ………いえ………、す、すみません」
 定光が思わず謝ると、千春は少し眉毛を八の字にして「悪いことをしてもいないのに謝るんですか?」と返してきた。
 定光はパチパチと瞬きをして、また「すみません」と謝ってしまった。
「あ、そ、その………」
 定光はまたも犯してしまった失態に、カッカと顔を熱くした。
 千春はフフフと笑い声を上げる。
「何も採って食いはしませんよ」
「は、はぁ……」
「まぁ、僕と初めて会う人は大抵そういう反応なので、もう慣れましたけど」
「新も……そうだったんですか?」
「ああ。そう言えば、彼は全然違ってましたね。いきなり僕に殴りかかってこようとしましたから」
 それを聞いて、今度は、ざあっと血の気が引くような気がした。
「す、すみません! アイツったら……」
 千春は、さもおかしそうに笑いながら、「別にあなたが悪い訳じゃありませんよ。幸い彼の拳は随分な空振りでしたし、それに酒に酔っての暴挙なので、今は水に流してます。もっとも、二発ぐらいは殴りつけてやりましたけどね」と続ける。
 定光は、図体のデカい2人が殴り合っているのを想像して、背筋がゾワゾワとした。
 作家だと言うからナヨナヨしているのかと思いきや、あの滝川を殴りつけるだなんて、澤清順は、腕っ節もなかなかのものらしい。
「今では愉快な友ですよ。僕が本気で友人だと思う人は少ないんです。彼はその中の1人ですよ」
 千春がそう言ったので、定光はほっと胸を撫で下ろすと同時に、2人の関係性があまりに異次元のことのように思えて、改めて自分が凡人だと思い知らされたような気がした。
 しかしそこを千春に見透かされたようだ。
 千春は流し目で定光を見ながら、「気後れしないで。僕も滝川君も普通の人間ですよ。それに、滝川君のことは、あなたが一番ご存知なんでしょうし」と言われてしまった。
 どうやら作家の人を見る目は随分と鋭いらしい。
 定光は苦笑いした。
「そのつもりではいるんですけど。本当にそうかは、まだ自信がないんです」
 定光がそう返すと、千春は「ふむ」と吐息をついて、窓の外に視線をやった。
「まぁ、灯台下暗し、とも言いますからね」
 千春は定光にブイヨンスープを勧めながら、「率直な質問をしていいですか?」と訊いてきた。
 定光は、上品な味のブイヨンスープに目を見張りながらも、「は、はい。どうぞ」と返事をした。
 千春は少し頷いて、「あなたは彼のどこに惚れてるんですか?」と訊いてきた。
 本気で直球の質問に、定光はブイヨンを危うく吹き出しそうになって、ゴホゴホと咳き込んだ。
「ああ、ごめんなさい。質問のタイミングを計ればよかった」
 千春にティッシュを数枚手渡され、定光は頭を下げながらそれを口に当て、更に数回ゴホゴホと咳き込んだ。
「大丈夫?」
「は、はい……」
 定光は、喉をンンッと鳴らしていがらしさを取ると、「本当に直球ですね」と返した。
 千春は微笑み、「滝川君が少し悩んでたようだからね」と言う。
 定光は、前のめりに身体を起こした。
「新が悩んでた?」
「ダメですよ、定光さん。僕の質問に答えるのが先です」
「あ、そ、そうでした」
 定光は再びソファの背もたれに身体を預けると、少し躊躇った後、こう答えた。
「最初は、彼の才能に度肝を抜かれたんです。とても自由で色彩が豊かで、時間と空間の使い方が絶妙だというか……。とにかく、新にしか創り出せない世界を、どんな仕事でも確実に表現してくるんです。あれは誰にも真似できない」
「なるほど。でも、今は違う?」
「そりゃ、今もアイツの才能は凄いって思っていますよ。ただ今は麻痺の影響で思うように仕事ができてなくて、苛立ってるのを見てるのが辛いんですけど………。でも、それだけじゃないんです。一緒に暮らし始めて、仕事以外はハッキリ言ってダメなところばかりですけど、それが楽しいっていうか……。いつ、どの瞬間でもアイツを見ていたいっていうか……。目が離せないっていうか……。それにアイツ、ああ見えて、意外と身内に対して心配しぃなんです。天邪鬼だからストレートに表現はしないけど、心底俺のことを心配してくれてるし、大事に思ってくれてる。それが嬉しいんです」
「 ── なるほど。わかりました」
「わ、わかりました、かね……?」
 定光が不安そうに訊き返すと、千春は微笑みを浮かべながら、「ええ、わかりました。大体のことは」と頷いた。
「まず、これからの僕の不躾な発言に気を悪くされたら、ごめんなさい。先に謝っておきます」
 定光は両手を左右に振って、「いえ、そんな! 僕のために言ってくれることなんですから」と慌てて返事をすると、千春は益々微笑みを深くした。
「慌てなくていいです。まずは落ち着いて僕の話を聞いてください。深呼吸をして」
 定光は言われるがまま、深呼吸をする。
 定光の呼吸が落ち着いてくるのを見計らって、千春は口を開いた。
「あなたは、彼への愛し方をそろそろ変えた方がいいみたいですね」
「えっ!? ま、間違ってますか?」
「慌てないで。深呼吸」
 定光はハッとして深呼吸をする。
「あなたの愛し方が間違えていると言っているのではありません。あなたはとても純粋だし、素直で誠実だ。そこは絶対に変わるべきではないし、それが滝川君にとって心底安心できるものです。彼の帰る場所となる」
「は、はぁ……」
「つまり過保護過ぎるんですよ。あなたは彼を甘やかし過ぎだ」
 定光は内心ドキリとした。
 定光の呼吸が詰まったのを見て、千春は声を出さずに「し」と言いかける。定光はそれを見て、深呼吸をした。千春は頷く。
「あなたのこれまでの愛し方は、母親のそれです。一から十まで彼の面倒を見て、過度に心配する。彼が夜中に起き出したり、パニックを起こすと、さっきみたいに途端に慌てて、どうしようと騒ぎ立て、時には泣きもするでしょう。滝川君はご存知の通りとても感性が鋭いし、それにあの育ちのせいで、他人の反応に過敏です。あなたが慌てる様を見て、彼もパニックを増長させる。2人で慌ててしまっては、何も解決しません。冷静に物事を見れば、そんなに慌てなくて済むことかもしれないし、あなたが手を貸さずとも、滝川君は案外一人でどうにかできる術を見つけ出すかもしれない」
 定光は千春の話を聞きながら、前にも誰かにそんな話をされたような気がする……と思っていた。だがそれをうまく思い出せない。
「つまり……僕が彼に手を貸したことがアイツを弱くしたって……ことですか?」
「今はね」
「今は?」
「彼は黙っていてくれと言いましたが………。僕にとっては彼のみみっちいプライドなんてどうでもいいので話します」
 定光は千春の物言いに、思わず笑みを浮かべてしまった。
 物腰が柔らかいとはいえ、やはり毒舌には違いない。
「彼は今日、フラッシュバックを起こしました。途中の記憶が飛んでいるところをみると、かなり重度だと思います」
 定光は身体を起こして、「えっ」と驚きの声を上げようとしたが、じっと千春に見つめられ、大きく二回深呼吸をした。心臓の高鳴りが治まってくる。
 千春は再度頷くと、「でも彼は意外に冷静でした。パニックを起こしたことに対して、こちらが落ち着いて話を聞けば、彼も落ち着いて話ができる。問題はそこではありません」と続けた。
「問題?」
「そうです。彼は、あなたからの愛情を疑っている。 ── ああ、どうかこのことを聞いたからと言って、彼を責めたり、疑ったりしないでください。彼のその不安は、本能的に湧き上がってくるものです。彼は、あなたが自分の才能だけに惹かれていると思っています。今に手の麻痺が治って、元の彼に戻ることをあなたも期待しているし、周りも期待している。でももうあれ以上手が治らないと、彼は悟ったのです。完璧でない自分は、ダメ判定を食らって捨てられるんじゃないか、そう考えたのだと思います。それって、親の機嫌を伺う子どものような考え方だと思いませんか?」
 定光は視線を泳がせた後、無言で頷いた。
 自分も滝川の母親のようなことをしていたのか、と愕然とした。
 視線を下ろし、目尻に涙を浮かべる定光に、今度は千春が慌てたように「ああ、違うますよ、定光さん。あなたのこれまでの愛情は、決して間違ってはいないのです」と告げた。
 定光は顔を上げる。
 千春は優しげな笑みを浮かべ、「むしろ僕は、あなたのことを賞賛したいと思っているぐらいですから」と言う。
 定光が眉間に皺を寄せると、千春はフフフと笑って、「混乱してますね」と呟く。
「話す順番を僕の方が間違えてしまったかな? でもまぁいいでしょう。 ── 要するにあなたは、滝川君を立派に育て直したんですよ。彼が自分でない他の人のことを心配できるほど、“普通の人間”にまで育てたんです。母親の愛に勝るとも劣らないほどの無条件な愛でね」
「そ、そうでしょうか………」
「ええ。そうです。今時、それほどの自己犠牲を払える愛情を与えられる人なんて、滅多にいません。滝川君はラッキーだった。とてもね」
 定光は、千春からそう言われて、なんだか呼吸が楽になってきたような気がした。
 気分も大分落ち着いてくる。
「でも今は、それではダメなんですね」
 定光が落ち着いた声でそう返すと、千春は「多分ね」と笑った。
「ま、僕も専門家ではないから、正しいかどうかなんてわからないけど。でも子どもが成長してくれば、その成長に合わせた愛情が必要なんじゃないかと思うわけです。 ── 僕も何を隠そう、今のパートナーに“普通の人間”にまで育て直してもらったんですよ」
 定光は目を見開いた。
「そうなんですか?」
「ええ」
 千春がテレ臭そうに笑った。一気に彼との距離が近くなったような気がした。
「だからこそ、滝川君の気持ちがわかるんです。彼は独り立ちの時期が近づいてきている。あと何かのきっかけがあれば、彼は以前以上に羽ばたくことができると思いますよ。例え手に麻痺が残っていてもね」
 定光は、宙に視線を巡らせて、少し考え込んだ。
 そして穏やかな表情を浮かべると、千春にこう告げた。
「その足を僕が引っ張っているんですね」
「引っ張ってはいないけど……。でも自分が手を貸さなきゃ、とは思っているでしょ?」
 千春の言葉に、定光は素直に頷く。
 今度は千春が大きく息をすると、背もたれに身体を預けた。
「補助輪付きの自転車に乗らせてばかりでは、いつまでたっても自転車には乗れませんよ」
「では僕はどうしたらいいと思いますか?」
「何もしないことです。あなたは、自分の時間を大切にしてください」
「それって、一切手助けはしないってことですか?」
「“無駄な”手助けはしない、ということです。無関心になれと言っているのではありません。落ち着いた心で、見守ってあげてほしいのです。── 本当の助けが必要になったら、彼はそれこそ死にそうな顔をして言ってきますよ。それ以外は偽物のSOSです。見極めてください」
 千春はそう言い終わると、「少し待っていてください」と言って、部屋を出て行った。
 定光は、再び目尻に浮かんだ涙を腕で拭うと、最後に大きく息を吸い込んで吐いた。
 涙が浮かんで来たとはいえ、この部屋に最初に来た時から比べると、大分落ち着いている自分に気がついた。
 自分の気持ちの変化にきちんと向き合えているような。
 じきに千春が部屋に戻って来る。
 その手には、小さく平たいマットな黒の箱が握られていた。
 彼はそれを定光に手渡す。
「どうぞ、開けてみて」
 千春に促され定光が箱を開けると、中から濃いブラウンの本革の表面に細かい模様が彫り込まれた細身のブレスレットが現れた。
「フランスにいる僕の大切な友人が、僕に似合いそうだからと、誕生日でもなんでもないのに送って来てくれたものです。でも僕より、あなたに似合いそうだ」
「そ、そんな大切なもの、貰えません」
 定光は返そうとしたが、千春の手が、箱をグッと定光に向かって押してきた。
「これ、本当に今朝届いたばかりなんです。なんだか運命を感じませんか? これは、あなたに出逢うべくして送られてきたものですよ。これを見て、今日話したことを時折思い出してください」
 そう言われ、定光は箱を自分の膝の上に置いた。
 千春が定光の前に跪き、ブレスレットを定光の左腕につける。
「ほら。やっぱりよく似合う。あなたの髪の色や優しげな雰囲気に、ボヘミアン調のデザインはよく合っています」
 定光は千春を真っ直ぐ見つめると、「ありがとうございます。 ── 今日のこと、大切にします」と告げたのだった。

 

この手を離さない act.92 end.

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編集後記


お休みがちの合間の更新、なんとか次ぐことができました・・・。
お久しぶりです。国沢です。
ちょっと親が怪我をしまして、それにともなって家の中を片付けないといけない状況に陥りまして、これを気に思い切って断捨離をしようと励んでおりました。
まだ完全ではありませんが、ちょっと落ち着いてきたので、創作にも少しずつ時間を避けるようになってきました。
片付いた部屋って、空気がよく通るものなんですね(笑)。
こう書くと、明らかにガラクタだらけの”汚部屋”だったかがバレそうなんですけど(大汗)。

さて、千春とミツさんのシーンは、ほとんどが会話となってしまって、なんだかペタッぴな小説・・・というような仕上がりになってしまったんですけど、すみません。こうならざるを得ませんでした(汗)。
筆力が大分落ちたかもしれぬ・・・。
まぁ、元々そんな大したことない筆力なんですけども(お恥ずかしい)。
ミツさんと新の愛の物語も、そろそろ終盤に近づいてきたなぁと匂うような一場面となりました。
そういやもう92話だし(汗)。

それから、国沢的に嬉しいニュースがひとつ。

以前にも少し触れましたが、スコットとチェスターを失ったストテンが、また本格的に活動を再開しました!
新しいアルバム出た♥


ヴォーカルに新メンバー・ジェフさんを迎えて、再始動です。
youtubeにライブ動画がアップされてて、昨日はストテンワールドを満喫してきました。



いやぁ、年取ったなぁ皆www
思えば新メンバー以外は全員50過ぎwww
人間年取ると、体の幅が段々分厚くなっていくのよね。
それは自然の摂理なのよ。
ドラムのエリックしかり、ギターのディーン兄チャンしかり、ノーマン・リーダスしかり、国沢しかり!!
逆に分厚くなっていかない人の方がおかしいのよ!!

サウンドも更に「ねちゃこく」なっていて、オジサン達の粘り腰に胸が打ち震えた(笑)。
久しぶりにベースのロバートの”一度見ると癖になる縦引き奏法(笑)”もちょっとだけ見られたし!

ジェフさん、こんなおじさんバンドに加入してくれて、ありがとう。
こんなネバネバサウンドのロックにお付き合いしてくれて、本当にありがとう。

新しいボーカリストのジェフさんは、いたって健全な色気の持ち主なので、およそスコットの妖しげフラフラなステージアクションとは程遠いですが、あれだけサウンドがねちゃこいと、ろくに縦ノリもできず(笑)、自然と地面を這うようにグルリと回るしかないんだなって、実感しました(笑)。

スコットがタコみたいに(←酷い)グルグル回ってたのって、ディーンの納豆のようなギターに回されてたのねwwww
今になって気付かされましたwww

ライブ動画では、ジェフさんらしい歌い方も垣間見えて、おばさん、よかったなぁとほのぼのしちゃった。
そして改めて、スコットって身体ほそかったのに喉の使い方が大きかったというか深かったというか、物凄く効率的な肺の使い方をしていたんだろうか、と思ったりもしました。
今回のライブ動画ではあまりエコーがかかってなかったから余計そう思ったのかな?
それともスコットは、余裕で出せる音域が広かったのかも。
比べることはあまり良くないけど、スコットの方が厚みがあって、よく響く声だなぁと思ってしまった。
いや、まぁそれも、薬中毒でガリガリになってた頃は、全然カッサカサの声になってたけどさ・・・。

むろんジェフさんの声も素敵です。

ライブで印象的だったのは、ギターのディーン兄ィがジェフ君のことを凄く繊細に見守りながらギターを弾いてたこと。


ディーンは、普段冗談ばかり言って場を茶化すタイプの人なんだけど、ホントはとても気を使うんだよね。
なんだか胸熱になりました。

そしてエリックは、オジサンだけど今も可愛かったし素敵だった!!


さすがに年取ったせいか、Tシャツ脱がなかったよ・・・(遠い目)。
フェス系じゃないと脱がないのか・・・(更に遠い目)。
生え際後退は、国沢的に問題なし!!
てか、エリックは前から生え際大分後ろだったし(笑)。
未だにつぶらな瞳なのが可愛すぎる♥
ミツさんも、年取ったらこんな感じなんだと思う!

国沢にしかわからない萌えで盛り上がって申し訳ありませんが・・・。
本日はここまで!

ではまた。

2018.5.6.

[国沢]

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