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この手を離さない title

act.33

 ノートから正式に定光案でジャケット制作をするとの許可がおり、その日から定光は、自分の考えたプランに沿って、今度はプロダクションマネージャーの仕事に没頭した。
 効率的にロケ地を繋ぐコース取りとスケジュール、現地の情報収集、予算の試算などだ。
 特に現地情報の収集は、事細かに行った。
 ロケ地に向かう上でのガイドの選定や宿泊地、ロケ地周辺の飲食店、交通手段、果ては危険情報まで、隅々調べなくてはならなかった。
 特に道中の安全管理については、中には辿り着くまでに気象条件が厳しいところも多数あったので、念入りにリサーチした。
 あいにくと定光は英語ができないので、海外との問い合わせメールのやり取りは、由井に頼まなくてはならず、定光は今まで英語をきちんと勉強してこなかったことを非常に後悔した。
 定光の調べた資料は、すぐに膨大な数になり、助手の村上も久々のフル回転での書類整理に、四苦八苦の様子だった。
 一方、滝川は、「俺は出たとこ勝負でいくから」と訳のわからない宣言をして、相変わらずのらりくらりとしていた。
 定光が撮影の段取りをする間、撮影機材を準備するとか、他の簡単な仕事をこなすとかすればいいものを、ノートから……いや、正しくはショーン側から提示された報酬額が普段の仕事と一桁違っていたので、それに気を良くしていろんなところで油を売っているようだった。
 当然、連日残業の定光と比べ、いつも定時に……いや、時には早い時間に自宅に帰っている節が伺えた。


 「今日もおっせーなぁ」
 定光が疲れて重い身体で帰宅すると、定光が螺旋階段を上るなり、滝川の不服そうな声が定光を出迎えた。
「仕方ないだろう」
 定光はため息をつきながら、ダイニングチェアにどっかと腰を下ろすと、その向かいに滝川は座って、「早く食えよ」と温めたばかりの中華のテイクアウトを差し出した。
「ああ……買っといてくれたのか。サンキュー」
 定光の仕事が混み始めて始めてわかったことだが、滝川は意外に甲斐甲斐しく人の面倒をみれる一面もあるらしい。これまで定光は、まるでそんな風に滝川を見たことはなかったが、一緒に暮らし始めてからわかったことだ。
 そういえば、セックスした後もこまめに定光のお世話をしていることを考えると、元々そういう気質もあるのかもしれない。
 だが、定光が忙しくない時や、自分が仕事をしている時は、それとまったく真逆で何にも自分でしなくなるから、ひどく両極端であるといえる。
 ひょっとしたら、滝川の中で、オンオフのスイッチがあるのかもしれない。
 定光が黙々と食事をする間も、滝川は向かいのダイニングチェアに座って口を尖らせたまま定光を見つめていたから、定光は「なに?」と訊いた。
 滝川はおもむろに、ダイニングテーブルの脇のサイドラックから、何かのパンフレットを取り出し、定光の前にバチンと置いた。
「お前、これ、どういうこと?」
 まるで浮気を責め立てる女のような口振りに、定光は顔を顰めた。
 ショーンが泊まった晩に滝川が無理やり定光に手を出してきたことを定光が咎めて、"一週間接触禁止"の発令を定光が出してからというもの、滝川はすこぶる機嫌が悪い。
 定光が視線をテーブルの上に落とすと、そこには夜間に開講されているの英会話スクールのパンフレットが突きつけられていた。
 それは定光が駅前で貰ってきたものだ。
 滝川に見つからないように隠していたつもりだったが、目敏く見つけられてしまったらしい。
 定光は大きくため息をついた。
「やっぱり英語が話せないと不便だからさ……」
 定光がそう言うと、滝川の機嫌は益々悪くなる。
「はぁ? お前マジでこれに通う気なのか? これ以上俺からお前といる時間を奪おうっての?」
「朝だって、会社でだって、夜だっていっつも一緒じゃないか」
「一緒じゃない! 一緒なんかじゃなーいー!」
 滝川はまるで子供のように、テーブルの上を両手でバンバンと叩く。
「会社でなんか、いっこもイチャイチャさせてくんねぇくせに!」
 定光は、うーんと唸った。
 確かに会社ではもちろん、家でも例の"発令"をしてから、滝川のいう"イチャイチャ"はできてないから、ついに滝川も我慢の限界といったところだろうか。
 定光も、号令を出したのが自分自身なだけに自分から禁を破る訳にもいかず、平静を装ってはいるが、確かに少し物足りない気分ではある。
 元来、定光もスキンシップが嫌いじゃない方だから、それも見越して"一週間"としたのだが、やはり滝川は定光より堪え性がないらしい。
「会社でイチャイチャなんかできるわけないだろ? 会社は働くところだぞ」
「その理論、俺には通じん」
 滝川がなぜかドヤ顔で腕組みしながら、そう言う。
 確かに、普段の滝川の会社での振る舞いを見ていると、"働いている"という姿勢からは程遠い。滝川が興味を持って行ったことに対して、結果として金がくっついてきているというイメージだ。
 その点で言えば滝川も、画家や作曲家と同じような立派なアーティストだ。
 だが、会社という組織に属している以上、会社員としては甚だ失格である。
「お前ねぇ……。皆の前でそんなこと言ったら、さすがに怒られるぞ」
「怒られたって平気だもーん。イチャイチャしたい。俺はイチャイチャしたいんだ!」
 またもやバンバンとテーブルを叩く。
「英語だって、俺から教わればいいじゃん。俺が教えてやるよ」
 定光は訝しげに滝川を見る。
「お前、変なスラング教えてきそうで嫌なんだよ」
「スラングだって大事な文化だろうが。そんなクソ面白くもねぇ英会話スクールで習ったって、生きた英会話なんて身につかねぇぞ」
 滝川にそう言われ、定光はまたうーんと唸る。
 確かに滝川の言うことも一理あるからだ。
 実は大学時代に別の英会話教室に通ったこともあったが、結局は身にならずに二年で行くのを止めてしまった前科が定光にはある。
「じゃどうやって教えてくれるっていうんだよ?」
 定光がそう訊くと、滝川はニッコリと屈託のない笑顔を浮かべ、「ピロートークで……」などと言い出す。
 定光は目を細めて滝川を見つめると、パンフレットを引き寄せ、テーブルの上に置いてあったiPhoneを手に取った。
「待て待て待て! 今のは冗談!」
 滝川が半分笑いながらそう叫び、定光の手からiPhoneを取り上げる。
「取り敢えず、週一ぐらいで家の中だけでも英語しか喋っちゃいけない日を作ればいいんだよ。そのうちそういう日を増やしていけば、嫌でも話せるようになる。文法なんて最初は気にしなくってもいい。ようは使わなきゃ、話せない」
 滝川はそう早口で捲し立てる。
 確かに、滝川の言ったことは説得力があった。
「 ── わかった。じゃ、英会話スクールに行くのはやめる」
 定光がそう言うと、滝川は少し機嫌を取り戻した顔つきをした。
「でも会社でイチャイチャはなしだ。今日はマジでもう疲れたから、俺は先に風呂入って寝るからな」
 定光は席を立って、テイクアウトの器を片付けると、滝川を置いたまま階段を降りた。
 階段を降り際にチラリと滝川を見ると、滝川は口を尖らせたまま、何だか宙を眺めたままだった。
  ── 少し冷たかったかなぁ……
 シャワーを浴びながら定光はそう思ったが、しかしすぐに頭を左右に振って思い直した。
 ワガママな滝川には、少し厳しいくらいが丁度いい。
 同棲を始めたばかりで、今はどちらが主導権を握るかの引っ張り合いをしているところなのだ。このままいいように滝川の言いなりにはなれない。
 事実、定光が疲れ切っているのは間違いないし、ここ最近は泥のように眠ってしまうのが常だ。眠りが浅い滝川とは違って、定光は身体が丈夫なせいかぐっすり眠れるタチだ。
 ひょっとしたら定光が熟睡している間に滝川が自分に触れているのかもしれないが、およそ定光は反応しないのだから、滝川としては意味がないだろう。
 しかし、ある程度は予想していたが、滝川がこれほどまでに"甘えん坊"な態度を取ってくるとは……と定光は思った。
 定光が知る限り、以前滝川を取り巻く女性達に対しては、物凄くドライな態度を取っていた。どの女性とも遊びで付き合っていたとはいえ、定光の場合とは随分落差がある。
 それだけ滝川が定光に惚れてくれている証拠とも言えるが、家の中ではともかく、会社でもそんな調子だと、さすがにマズイなぁ……と定光は思った。
 風呂から上がって、寝室に向かっても、まだ滝川は寝室にいなかった。
  ── こりゃ完全にヘソを曲げたかな……。
 定光はそう思いながら、ベッドに横になったのだった。


 翌朝、定光が起きると、滝川は定光の隣で布団に潜り込み、完全に眠り込んでいた。
 どうやら昨夜は、観念して寝室に来たらしい。
「おい、朝だぞ。起きろ」
 定光がそう声をかけながら滝川を揺すったが、まったく起きる気配がない。
 滝川の寝起きが酷いことは毎度恒例のことだったが、その日は更に熟睡している様子で、単なる低血圧というよりは、完全にまだ眠りの中といった風情だった。
 定光は、天井を仰ぎ見て、ハァと息を吐き出すと、寝室を出た。
 顔を洗い、髭を剃り、トイレに行った後コーヒーとトーストを仕掛けて、また寝室に戻る。
 いまだ滝川は夢の中だ。
 布団からチラリと覗く滝川の寝顔は、日頃の暴君ぶりが鳴りを潜め、意外とあどけない顔つきになる。こうして黙っていると、可愛いものだ。
 定光はフッと笑うと、クローゼットを開け、服を着替えた。
 その際、何だか少し背中に違和感を感じて、疲れが溜まってるんだなぁと実感した。
 もうしばらくの間、クライミングジムにも行けてない。
 滝川とのセックスもお預けにしているから、脳みそばかりが疲労して、"運動"が足りてないのだ。
 定光のようなタイプの人間には、最も疲れが堪えるパターンである。
 定光は、ダイニングテーブルについて朝食を食べながら、壁に掛けられてあるカレンダーを見た。
 "禁"が解けるまで、あと三日か……。


 結局定光は、滝川をそのままにして、出勤した。
 滝川は定光が家を出るまで起きてくる気配がなかったから、午前中いっぱいは会社に出てこられないだろう。
 昨日定光が考えたように、そんなことでは会社員としては失格なわけだが、寝入り込んでいる滝川を無理やり起こして会社に引っ張っていっても、生きる屍状態で使い物にならないのは目に見えているし、現段階ではまだ滝川に差し迫った予定はないのだから、そのままにしておいた。
  ── しかしアイツ、昨夜遅くまで眠れなかったのかな……?
 定光はそう思いながら、満員電車に揺られて会社に向かった。
 電車に乗る時は今もマスクをして乗るようにしているので、不思議と痴漢にも合わなくなっていた。本来はTVGのCMを受けてのことだったが、意外にも痴漢予防に効果があったとは、嬉しい副産物だった。
 しかしその日は、痴漢に合わなかったものの、電車から出ると、背中に人々の視線をいやに感じた。
 季節はまだまだ初夏というには随分早い時期だったが、気温はそう言ってもおかしくないくらいに暖かかった。だから定光も白いTシャツにネイビーブルーのジーンズという出で立ちだったが、何か不審なものでも背中についているのだろうか、と後ろを振り返りながらTシャツを引っ張ってみたりもしたが、別に何かが張り付いているようなこともなかった。
 だが、人々が定光の背中を見ていた理由は、会社に着いてから、すぐに判明することとなる……。

 

この手を離さない act.33 end.

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編集後記


ミツさん、猛烈に駄々こねられてますwww
こういうワガママキャラを過去あまり書いてきたことがないので、なんだか新鮮。
イヤン・バカラン以来かなwww

ミツさんも、自分が拒絶しておいて、でもスキンシップがなくなって物足りなさを感じてるってうのがね。
なんだか素直でないというか。
まぁ、一人書いてる本人がニヤニヤしてるんですけれども(←変態)。
ミツさんは基本、身体を動かして物事を考えるタイプなんで、そういう意味ではセックスするのも実は好きなはず。
自分では、新に指摘されるまで自覚がなかったですけどね。
ウブなところがあるんだけど、好きな人とのセックスは大好きっていう。

ああ、本当に可愛らしい♥
萌えるわ〜。
新がミツさんを愛でることに最高の幸せを感じているのもわかる気がする。
ではまた。

2016.12.17.

[国沢]

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