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この手を離さない title

act.09

 表向きテストと称した"本番"の撮影が始まった。
 近眼用のコンタクトを外し、カラーコンタクトを入れた定光は当然周囲がぼやけて見えなくなり、セットの間際までは滝川が腕を取って歩いた。
「ここから先はカメラを回す。立ち位置までは平坦だから、一人で歩けるよな?」
 定光は頷く。
 その手に、例の製品が持たされた。
「歩きながらイヤホンをつけろ。歩く速度は急がなくていい。いつもの通り、安全に、こけないように歩け」
「わかった」
「位置についたら、正面を向け。一カメの方だ。俺が撮ってる」
 定光は再度頷く。その緊張した表情に、頬をピタピタと滝川に叩かれる。
「緊張すんな。このスタジオにいるのは、皆お前の仲間だ。どんなことがあっても、皆がお前と一緒にいる」
 定光は、少し目線を上げて周囲を見たが、視界がぼやけてよくわからない。
「ミツ、お前はデモ機から流れる音だけに集中して、ただそれを聴けばいい。自然にあるがままに、自分が感じたまま動け。無理に格好つける必要は全くないからな。いつも通りのお前を見せろ」
「 ── わかった。で、これには一体何の音が入ってるんだ?」
「聴けばわかるさ。 ── さぁ、撮るぞ! お前ら、ビシッと決めろ!」
 ウッス!と男臭い返事がスタッフ全員から一斉に返ってくる。
「パトリックさんは、テストの時から気合が入ってますねぇ」
 滝川の背後で、TVG宮脇の呑気が声が聞こえた。


 定光は、ぼやけた視界のままでも何とか自然な足取りで立ち位置までたどり着くと、滝川に言われた通り、正面を向いた。
 イヤホンを歩きながら填めることをすっかり忘れていて少し焦ったが、正面を向いたままイヤホンをつけて、顔を上げる。
 耳を塞がれ、視界もぼんやりとしていると、まるでパーソナルな部屋で一人立っているような気分になった。目の前に滝川が構える一カメがあるはずだが、自分だけが明るく照らされているので、それすら見えない。
 定光は少し瞼を瞬かせると、デモ機の再生スイッチを入れた。
 そのイントロが流れてきただけで、ハッとする。
 それは、クィーンの「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」だった。
 その曲は、定光にとって生涯で一番大切な曲と断言できる曲だ。
  ── 私が旅立ったら、出棺の時にこの曲を流して欲しい。
 二年前、定光の母ヴィクトリアが亡くなった際、死を確信した彼女が唯一希望したリクエストだった。
 この『Teo Torriatte』は、定光が思春期になり、自分の外見とパーソナリティの乖離に深く悩み始めた時期に、母が定光によく聴かせていた曲だ。
 日本語と英語の歌詞が美しく融合したこの曲は、定光の存在そのものを象徴しているような歌で、ヴィクトリアは「この曲の美しさは、あなたそのものなのよ」といつも言い聞かせくれた。
「混血であることは恥ずかしいことではない。西洋と東洋が混ざり合うことで生まれる、美しく深い価値があなた自身の中にある。それは、パパにもママにもない、あなたと亜里沙が持つ新たな価値なの。その誇りを胸に抱いて、真っ直ぐ生きなさい・・・」
 母のその教えのお陰で、定光は思春期の難しい時期も、多少のコンプレックスに悩まされはしたものの、自分の人生を憂いてドロップアウトするようなことにはならなかった。
 そして何度も暗唱して歌ったその歌詞は、ヴィクトリアがあの世に旅立つ際に、息子に対する愛に満ち溢れたメッセージそのものとなった。
 式場には、歌詞の和訳も掲げられたため、更に参列者達の涙を誘った。
 むろん、定光も泣いた。
 涙が止まらなかった。
 もう言葉を紡ぐことができなくなった母からの最後の優しい叱咤に、強く心を揺さぶられた。
 出棺の時、堪えきれずとうとう泣き出してしまった定光にそっと寄り添って静かに肩を抱いてくれたのは、他でもない、滝川新だった。


 ぼんやりした視界に、その時のことが走馬灯のように浮かんだ。
 ブルーグレイに輝く美しい瞳に、涙の膜がすっと浮かぶ。
 スタジオ中がそんな定光の表情に魅入られ、ゆらりと空気を呑む気配が感じられた。
 あの印象的なサビのフレーズが始まって、定光は思わず口ずさむ。
 英語が話せない定光も、この曲だけは一字一句間違えるとことなく、歌詞が頭に入っている。
 そして日本語のパートを口ずさみ終わった時、定光は少し微笑みを浮かべ、瞳を閉じた。その瞬間、ぽろりとひとつ、涙の粒が頬に零れ落ちたのだった。
 

 白く濁った水がコポコポと音を立てながら、排水口に流れていく。
 定光がファンデーションをクレンジングフォームで落として顔を上げると、横からタオルが投げられた。
 それを受け取って水滴を拭うと、隣に立つ男の姿がぼんやりと見えた。
 その形でなんとなく滝川だとわかる。
 定光がカラーコンタクトを外し数回瞬きをすると、充血した目から再びじんわりと涙が滲み出た。元々定光はドライアイの気があるので、泣くとそちらは解消されていいのだが、代わりに目の奥やこめかみが痛くなってくる。
 現にもう瞼が腫れぼったい感じがした。
「そこに座れ」
 案の定滝川の声がして、定光は側の椅子を手で探り、腰をかけた。
「上を向け」
 言われた通り定光が顔を仰向けにすると、その目に蒸しタオルがのせられた。思わず定光はホッとため息をつく。
「大丈夫か?」
 そう声をかけられ、「頭が痛くなってきた」と愚痴た。
 滝川の指が、定光の両こめかみをゆっくりとマッサージする。
「まぁ、お前をハメたみたいな形になって悪いとは思ってるけどよ。お陰でいい画が撮れた」
 定光は文句のひとつも言ってやろうとタオルを取って、真上にある滝川の顔を見上げた。だが、当然ピントが合わないので目を細めると、目の奥がズキリと痛む。定光は思わず目を瞑って、目頭を指で摘んだ。
「まだタオルのせとけよ」
 手からタオルが取られ、バサリと顔に被せられる。
「 ── お前、一体どうするつもりだ?」
 定光はそのままの体勢で、そう訊ねた。
「どうって?」
「何を考えてるか知らないけど。俺でV撮ったって、皆に無駄骨折らせただけになったんじゃないのか? TVGの三人は最後までテストだって信じてたし。……まさかお前、先方の案では撮影しないつもりじゃないだろうな?」
「撮影はするよぉ。神重ルナが来たらね」
 滝川は、そう答えた。
 定光はそこに含みを感じて、口をへの字にする。
「 ── まさかお前、神重ルナになんかしたんじゃないだろうな?」
 滝川がその質問に答える前に出演者控え室のドアがノックされ、ドアが開く音が続き、村上の声がした。
「神重さん、入られました」
 定光はタオルを取って、顔を起こす。
「来たのか?」
 定光が半信半疑で村上に問うと、村上はハイ、と頷いた。
 滝川が、定光のデスクの引き出しにしまってあったはずの茶色がかったウェリントンメガネを彼にかけさせると、「な、来ただろ?」とでも言うように両肩を竦め、部屋を出て行った。


 確かに、神重ルナは来た。
 当初の予定より3時間遅れで。
 ただし来たと言っても……。
 スタジオに戻った定光は、神重ルナの顔を見て、呆れるを通り越して同情してしまった。
 髪の毛はボサボサで、メイクは崩れかけ。目の下には真っ青なクマができている。およそ、宣材資料の写真とはかけ離れた姿だった。
 明らかに、二日酔い。
 神重ルナの周囲には、プンと酒の臭いが漂っていた。
 ぼんやりと突っ立っている神重ルナの前では、マネージャーと思しき男が、ペコペコと何度も頭を下げていた。
 一方、TVG担当者の三人は、怒りを通り越して、引きつった顔つきをしていた。
 定光は、ハァとため息をつく。
 別に定光は、神重ルナのファンでもなく、神重の所属事務所にも縁がある訳でもなんでもなかったが、それでも気の毒に思ってしまった。
 定光の経験上、クライアントにあのような顔つきをさせてしまった場合、このミスを挽回するのはかなり難しい。まだ怒鳴りちらされたりする方が取りつく島がある。
 明らかにスタジオ内は異様な雰囲気だったが、不思議と滝川だけは、いつも通り……というより普段より落ち着いていて、淡々とスタッフに指示出しをしていた。その様子に、"いい加減さ"はない。
 その滝川にふいにTVGの西常務が近づいていったかと思うと、何か話を始めた。頭を突き合わせ、ヒソヒソと双方真剣な顔つきで話し合っていた。じきに西が、笠山と神重のマネージャーを呼ぶ。
「 ── こりゃ、神重ルナ、切られますね」
 定光の隣に立った村上が、そう呟いた。
 定光も口には出さなかったが、スタジオ内にいる全員がそう思っていることだろう。
「 ── 村上」
「はい?」
「神重ルナ、どこで見つけられたか、お前聞いたか?」
 定光が遅れてスタジオに来る前に、TVG側に神重ルナの事務所サイドから説明があったはずだ。
 村上はいろんな情報を集めるのがうまい。
 例え立場上蚊帳の外でも、上手に話の輪に近づいて、さり気なく話を聞いているはずだ。
 案の定村上は、定光にそう訊かれ、ニヤッと笑った。
「六本木のトラヴィアータで酔い潰れていたそうですよ」
「ラ・トラヴィアータ?」
「はい」
 定光は腕組みをして、滝川に目をやった。
 『椿姫』の異名があるラ・トラヴィアータは、滝川が女遊びをする際よく使っている店だ。
 高級志向のクラブハウスで、夜中から朝の十時くらいまで営業をしている。
 豪華な作りのVIPルームが人気で、各界の著名人や芸能人も数多く訪れる派手な店だ。
 定光も、過去幾度となく酔い潰れた滝川をピックアップしに行ったことがある。
  ── まさか、やっぱりアイツ……
 定光が目を細めて滝川を見た時、その滝川がタイミングよく顔を上げて、定光を見た。
「おい、ミツ! Teo Torriatteの楽曲使用許可を取れ」
 滝川は何食わぬ顔をしたまま、そう告げたのだった。

 

この手を離さない act.09 end.

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編集後記

えらい夏風邪ひいちゃったわ〜〜〜〜〜。
こんなに風邪をこじらせたの久しぶり・・・(汗)。
なんだか冴えたセリフのひとつも浮かんで来ないので、編集後記も何を書いていいんだか、というような感じ。

そういや今週の「おてて」では、QUEENの楽曲を取り上げました。



イギリス出身バンドのQUEENは大変有名なので、外国のロックバンドのことが詳しくない方でも、ボーカルのフ◯ディ・マーキュ◯ーの歌声は誰もが一度は聴いたことがあるはず(ビールとかのCMでよく使われてる)。
この世の中で天才ボーカリストといえば、国沢の中ではフ◯ディのことが一番に思い起こされます。
ストテンのスコットも十二分にステキなボーカリストだけど、万人に受け入れられる声質の良さや声量はフ◯ディにはかなわないと思ったりする・・・。
声量・声質ともに、オペラ歌手にも負けない力強さを持ち、同時にすごく繊細な歌声も出せるという稀有な存在とも言えます。
そしてそのルックスもwww


本気で全身タイツ着こなせるの、世界中でフ◯ディだけだよね。マジで。
フ◯ディの出っ歯気味な歯並びも、それがなけりゃあの声が出なかったと思うと、むしろ愛おしく思えてくるから不思議www。


しかも、フ◯ディはステージアクションも優れているから、動いているところもぜひ見た方がいい。胸毛ボウボウだけどwwwww

真のカリスマってこういうのを指すのよね、というお手本のような人だと思います。

そういや、ルックスといえば、QUEENもドラムスが一番美しい容姿をしているバンドですね。


上の写真の右端にいるののがドラムスのロ◯ャー。
一番小柄で軽快にドラムを叩く。そして高音のコーラスも難なくこなせるゴイスーのドラマー。
そして、イケメン★


ロ◯ャーの場合、「イケメン」というより「美しい顔」といった方がしっくりくる。
かなりの女顔で、女装も普通に似合います。


ストテンのエ◯ックも女装のかわいさでは全然負けてないけどね!!!



ちなみに、フ◯ディの女装はこんなん。↓



いろんな意味で
優勝www


またも変な方向に話が転がって行きましたが、本編で出てきた「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」は、歌詞の中に日本語が出てくる珍しい曲で、QUEENがいち早く自分達を認めてくれた日本のファンのためにと愛をこめて作ってくれた特別な曲です。
とっても美しい曲ですので、聴いたことのない方は一度聴いてみてください。youtubeとかにも転がってると思います。
歌詞も素晴らしいので、和訳をご覧になることも同時にオススメします。
ではまた〜。

2016.7.3.

[国沢]

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