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この手を離さない title

act.51

 オコネルは無事説得できたが、問題はまだあった。
 今回の件で結果を左右する唯一の鍵と言っても過言ではないのは、シシーに他ならなかった。
 だがシシーは、目の前で監督とカメラマンが汚い言葉で罵り合いながら自分のことを言い合っているのを目の前で聞いたことによって、完全に萎縮していた。
 まだ演技経験がほとんどない彼女にしてみれば、あのショーン・クーパーの新作PVの主役に大抜擢されたことですら緊張する出来事なのに、PVの出来が自分の演技にかかっているとなると、もう気絶寸前といった調子だった。
 定光は、滝川とオコネルが再度打ち合わせを行っている間に、シシーを彼女の控え室となっているトレーラーハウスに呼んだ。
 まずは彼女に落ち着いてもらうのが先決だった。
 定光はシシーをソファーに座らせると、「コーヒーでも飲むかい?」と片言英語で訊いた。シシーが定光を見上げたので、定光は苦笑いを浮かべ「下手くそな英語でゴメンね」と謝るとようやく彼女は小さな笑顔を浮かべた。
 シシーの前にコーヒーを置く定光に、彼女は小さな声でこう訊いてきた。
「あなたは日本人なの?」
 定光はシシーの斜め隣に座りながら、「ああ」と頷いた。
「リサが、このプロジェクトのトップディレクターはあなただと言っていたけど、本当?」
 定光は時々スマホの翻訳ソフトを使いながら、今回の仕事の流れをざっと説明した。
「正確には違うけど、僕のプランを元にPV自体が制作されるのは事実だ。だけど、このPVに君が必要だと判断したのは滝川だよ」
 シシーがそこで苦笑いをする。
「選んでもらえたことは嬉しいけど……。ミスター・タキガワの希望に応えられるかどうかはわからない」
 首を横に振りながら頼りなげにそう言うシシーに定光は微笑んで見せた。
「それでいいんだよ、シシー。このPVはショーンのお母さんがモチーフになっている。彼女はショーンを産む直前、ショーンの父親の抱えていた問題に振り回されて常に不安だった。今の君の心境にとてもよく似ている」
 シシーが大きな瞳をパチパチとさせる。
「例えて言うなら、滝川がショーンのお父さんみたいなものだ。人を振り回す才能については、あいつは誰にも負けないからね」
 翻訳ソフトを交えての会話だったので、一拍遅れてシシーが笑う。
「最初は不安だったショーンのママも、ショーンを身籠ることでやがて強くなっていく。そして、ショーンのためにも自分自身が自律しようと心に決めるんだ」
「 ── 母は強しってやつね」
「ああ、その通り」
 シシーはだいぶ緊張が解れてきたのか、定光と顔を見合わせて微笑み合う。
「君は何も取り繕う必要はない。その時感じた気持ちを素直に表現すればいいんだ。後は新がうまく料理をする。ああ見えて、ヤツの才能は凄いんだ。だから安心して」
「アラタ?」
「ああ、滝川の名前だよ。"新しい"って意味がある名前なんだ。彼は常に新しいことに挑戦し続けてきたし、結果も残してきた。そして今君は、その新しい挑戦の仲間として彼に選ばれたんだ。そのことだけは誇りに思っていい」
 それを聞いて、シシーはウンと頷いた。
 表情は不器用な少女だが、心の芯は強そうだ。滝川が彼女を選んだのは間違いじゃないと定光も感じる。
 シシーは両肩を引き上げてから大きく息を吐き出し、肩の力を抜くと、照れくさそうな笑顔を浮かべて、「あなたの言ってくれたことはよくわかったし、感謝するけど、アラタの前に立つと、まだ少し怖いかもしれない」と言った。
 定光は少し身を乗り出して、シシーの顔を覗き込む。
「さっきも言った通り、PVの序盤では君のその不安に揺れ動く様子が必要なんだ。それにそのうち、君も新に慣れてくる。そうすれば、君の本当の魅力が一気に溢れ出るだろう。 ── 大丈夫。これからは僕も立ち会うから、いよいよって時は僕が新と君の間に立つよ。君のことは僕が守る」
 シシーが再び頷いた。完全に納得できたのか、リラックスできた表情だった。
 コーヒーをひと啜りしてから、シシーは言う。
「まるであなたは猛獣使いのようね。さっきの場面を見てて、そう思ったの」
 それを聞いて、定光はため息をつき、明後日の方向を見遣った。
「それ、日本でもよく言われてるよ……」


 その後、定光が撮影に合流してからは驚くほどスムーズに撮影は進んだ。
 最初は不安げな表情を浮かべていたシシーも、次第に自信に満ちた表情を浮かべるようになり、三つ目のロケ地で撮影する頃には滝川とオコネルを交えて笑顔で冗談を言い合うようにもなった。
 エレナは二日間だけ撮影を見学して、NYに帰って行った。彼女は撮影について特に一言もコメントを発しなかったが、理沙が言うに、あれは安心したから何も言わずに帰って行ったのよ、とのことだった。
 そして4日後、滝川が宣言したように撮影は無事終了した。
 撮影監督のオコネルも納得の映像が過不足なく撮影でき、本格的な編集作業を前にして良作になる予感をプンプンと匂わせる内容となった。
 そしてオコネルを納得させたもう一つの要因は、滝川がその日撮影し終わった映像を手持ちのパソコンでざっと編集し、毎朝それをオコネルに見せていたからだ。
 滝川にとっては、神経を使う撮影の後、寝る時間を削って編集作業を行うことになり、精神的にも肉体的にも辛い毎日が続いたが、それが滝川なりのオコネルに対しての誠意の見せ方だった。オコネルもそこはきちんと理解してくれ、滝川の口先だけではない実力とディレクターとしての姿勢に敬意を表してくれるようになった。
 一方、定光はといえば、下手したら食事も摂らずに作業に没頭する滝川を抜かりなくサポートした。
 パソコンに向かいっきりの滝川の口に食べ物を突っ込み、定期的に無理やりトイレにも放り込んだ。風呂にも入りたがらなくなった滝川の身体を蒸しタオルで隅々まで吹き上げ、着替えもさせた。
 "例の問題"については、すぐにでも滝川の気持ちを問いただしたかったが、滝川の仕事が終わるまでは、と思いグッと我慢した。
 何より、また滝川を側で支えられるこの状況が嬉しくて、益々滝川に対しての想いがつのった。
 そして今夜……


 最後のシーンが終了となって、現場からは自然発生的に拍手の渦が沸き起こった。
 映画やテレビドラマとは違い、ごく短な撮影期間だったが、充実した濃いひと時でもあったと誰もが感じていたはずだ。
 最終日の夜はC市に戻り、ショーンの計らいでロドニーのパブを借り切ってのパーティーとなった。
「素晴らしい仕事をしてくれたシシーとジョシュに拍手!」
 ショーンがそう音頭を取ると、店中が歓声に包まれた。
 シシーが「こんなに素晴らしい経験をさせてもらえて、すごく幸せを感じています」とスピーチをして涙を浮かべると、オコネルが彼女をギュッと抱き締め、「必ずまた一緒に仕事をしよう」と言った。また拍手が起こる。
 シシーが席に座ると、今度はオコネルのスピーチの番だったが、彼は咳払いをすると「本当に賞賛されるべき男は私じゃない」と言い出した。
 少し離れたカウンター席でチビチビとコーヒーを啜っていた滝川を手で指し示し、「あの尊大なるイエローモンキーは、私の先入観を見事に破壊してくれた!」と叫んだ。再びワァッと歓声が上がる。
 滝川の隣に座っていた定光は、滝川に肘鉄をして、「ほら、ジョシュに呼ばれてるぞ」と囁いた。
 滝川はムクリと身体を起こし、オコネルと定光を交互に見る。
 定光がにっこり微笑みながら「ここで待ってるから、行ってこいよ」と言うと、滝川は残りのコーヒーを飲み干し、オコネルの元まで歩いて行った。
 まるでモーゼの十戒のように皆が滝川に道を開け、手招きをするオコネルの元まで滝川が行きやすいようにしてくれた。その間も、滝川を讃える歓声と拍手は絶えることがなかった。
「日本から来た天才に、賞賛のキスを」
 オコネルはそう言うと、顔を派手に顰める滝川の頬を掴んで、そこに熱烈なキスをした。
 皆が一斉に笑い声を上げる。
 そして、全員がテーブルの上を叩きながら、「スピーチ! スピーチ!」と滝川の言葉を促した。
 滝川は腑抜けた顔つきで「あー」と声をあげると、皆が動きを止め、シーンとする。
 滝川は腑抜けた表情のまま、こう言い放った。
「まだ完成もしてねぇのに、皆呑気だな」
 定光はギョッと顔を青くしたが、その場にいた誰もが滝川はそうしたものだとすっかり理解したらしい。滝川の隣にいたシシーが「ヘーイ」と笑顔と顰め面の間のような表情を浮かべて滝川の腰を叩くと、一同がドッと笑った。
「俺の天の邪鬼は、最後まで小憎たらしい」
 オコネルはそう言うと、再び滝川にキスをした。
 滝川はそのままオコネルとシシーの間の席に座らされ、飲めや食えやの攻撃を受けるようになってしまった。
 滝川がようやく苦笑いのような笑顔を浮かべただけで、その場がわっと盛り上がった。
 滝川新という男は不思議なもので、完全にウマの合わない人たちからは絶対に受け入れられることはないが、滝川の実力を一度でも認めた人間にとっては、目が離せないと思わせるほどの不思議な魅力を振りまく男だ。例え小憎たらしいことを言い続けても、それが受け入れられてしまう。
 滝川が撮影を共にした皆から愛されている幸せな光景を、定光自身幸せな気持ちで眺めた。
「でも、本当の功労者はあなたね、定光君」
 ふいに隣で声をかけられ、定光は声のした方を向いた。
 理沙がシャンパングラスを二つ持ってそこに立っていた。
「乾杯の時、飲みそびれてたでしょ?」
 理沙はそう言って、シャンパングラスを定光に手渡す。
「あれ? シャンパン、余ってたんですか?」
 最初の乾杯の時、人数に対してシャンパンの量が足りなさそうだから、定光は遠慮していたのだ。
 理沙は微笑みながら、先ほどまで滝川が座っていたスツールに腰掛けると、「一番の功労者に飲ませないなんて不義理、できるもんですか。アイリーンに言って、追加で買って来てもらったの」とウインクをした。
 そういうことなら、とシャンパンを飲んで「美味い」と言った定光に、理沙は言う。
「定光君が予定より早く帰って来てくれて本当によかった。あなたがいなかったら、この撮影は成功していなかったわ」
「そんな、大袈裟ですよ」
「いいえ。これは認めてもらわないといけないわ」
 理沙は定光の顔を指差す。
「ショーンだって昨日そう言ってた。"ミツが傍にいるのといないのでは、アラタのノビノビさが100倍違う"ってね」
「まぁ、僕は体のいい召使いみたいなものですからね」
「何を言ってるの!」
 理沙が定光の太腿を軽く叩く。
「安心感が違うのよ。あなたが傍にいることで、滝川君は自由になれる。それにシシーもあなたに対してそう感じていたはずよ。あなたは、窮地に立たされた人間に対して彼らを癒すことができる凄いパワーを持っている。彼らの才能を十二分に引き出せる魔法の言葉を持っているんだわ。もっと自分に自信を持つべきよ」
 定光はそう言われて、照れくささに顔を赤らめた。
 だが、世界を相手にして見事な仕事をこなしている理沙にそう言われて、純粋に嬉しかった。
「グラフィックデザインだけをしていた頃の僕は、そんなんじゃありませんでした。むしろ引っ込み思案で内向的だった。僕がこうなれたのも、実は新のお陰なんです。新が、僕を新しい世界に導いてくれた。あいつが僕にプロダクションマネージャーの仕事を持って来なければ、僕は僕のできることを一生知らずに過ごしていたように思います」
 それを聞いて、理沙は満面の笑みを浮かべ、少し目尻を指で拭った。
「素晴らしい関係だわ。あなたと滝川君は。あなたたちはずっと一緒にいるべきよ」
 定光は苦笑いをする。
「そうだといいんですけどね……。でも俺が一方的にそう思っていても、あいつがどう思っているかはわかりませんから……」
 定光がそう言うと、理沙は滝川と定光を見比べ、「そうなの?」と表情を曇らせた。
「私はてっきり、うまくいってるものだと思っていたわ」
 理沙も既に滝川と定光の本当の関係を知っている。
 定光は両肩を竦めて見せた。
「前回、こちらを発つ前の晩にケンカ別れしたままなんですよ。撮影期間中はそのことについて話をしてあいつを乱したくなかったし、第一その隙間もなかったですから、あいつが俺達の事をどう考えているのかはまだわからないんです」
 理沙は定光にとって一番立場上近しい関係で頼りになる人だったから、素直にそう話すことができた。考えてみれば、日本では皆に付き合っている事を隠しているので、まともに恋愛相談ができたのは、ショーンに引き続き理沙が二人目だ。これから滝川とその問題について向き合わなければならない不安感が、理沙に話せただけで少し軽くなったような気がした。
 理沙が優しく定光の腕を摩る。
「滝川君があなたから離れられるはずがないじゃない。大丈夫よ。あなたが彼を好きでいるうちはね」
 定光は頷きながら、シャンパンを飲み干す。
「明日はシンシアの都合が合わなくて奇しくもお休みになっちゃったから、ゆっくり彼と話をすればいいわ。いい機会よ」
「そうですね……。まぁでも今夜パーティーがお開きになったら話をしますよ。僕も曖昧なままじゃ嫌だし。明日の休日が天国になるか地獄になるかはその結果次第だと思いますけど、仕事に穴を開けるような真似は絶対にしませんから。約束します」
 定光がそう答えると、理沙は困り顔のような笑みを浮かべた。まるで母親が浮かべるような表情だった。
「あなたのことは信頼しているわ。明後日のジャケット素材の撮影は、シンシアがカメラマンだし、失敗は絶対にしないと私も確信してる。明後日のことは気にしないでいいから」
「わかりました。ありがとう」
 理沙は定光の皿を覗き込んで、「ところで何を食べているの?」と訊いてくる。
「ん? ああ、マッシュルームソテーのブルスケッタとグリーンサラダですけど」
「もっとお肉を食べなきゃダメよ! 大仕事の前に精をつけないと!!」
 彼女はそう言うと、カウンター越し厨房のロドニーに「もっと血肉になるメニューを彼に食べさせなさいよ!」と怒鳴ったのだった。

 

この手を離さない act.51 end.

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編集後記


今週は、一気にPV撮影が終了しました(笑)。
はしょれるところはどんどんはしょっていかないと、100話以内では終わらなくなっちゃう(笑)。

ちなみに、赤毛の駆け出し女優シシーちゃんのイメージは、こんな感じ。


ソバカス多めの透明感のある美女。
ショーンの赤毛より明るい髪色のイメージです。

ショーンはブラウンに限りなく近い赤毛だから、世に言う赤毛とは少し違う。
なので、ショーンはソバカスあんまりない設定。
でもシシーやショーンの母はソバカスさんです。

赤毛の人って、ソバカスさん多いですよね。
赤毛さんって色素が薄いらしく、紫外線の影響を受けやすいせいで、ソバカスができやすいんだそう。 世界ではそれに悩む人も多いみたいだけど、私は嫌いじゃないです。ソバカス。
まぁ、ソバカスの量や濃さもあると思いますが・・・。
でも赤毛って、イギリスとかではイジメの対象だと知って、びっくりしました。
イギリス王室のヘンリーもやや赤毛気味で、学校でからかわれたそう。
ロイヤルファミリーの血を持ってしても、そんな呪縛から逃れられないとは・・・。
赤毛が忌み嫌われる理由は諸説あるそうですが、キリストを裏切ったユダが赤毛設定だったそうですから、そのいうなんの脈絡もない(言ってしまえばくだらない)理由で偏見を受けてるんだとしたら、とんだ愚かなことですね。
赤毛、きれいなのにね。


さて、今週の撮影打ち上げシーンは、書いていて国沢も幸せを感じられる場面となりました。
頑張ってる人が報われるっていうシーンを書くのが好きなんですよね。
世の中、理不尽なことが多いから、せめて創作の世界の中ではフェアであってほしいと思うせいか、ついついそういう場面を書いてしまいます。

前々から、URLのご請求をいただく際に、「主人公二人の関係だけじゃなく、周囲の人との関係性や家族的な雰囲気がいいです」というコメントを寄せていただくこともあり、国沢にとってはとても嬉しいことと感じています。
人はどうしても一人では生きていけませんから、そういう周囲の環境の描写っていうのも必要だと思うんですよね。
それも含めて読者の方が楽しんでいただけたり、ほっこりしていただけたりしてもらえるのは、国沢にとって至福のひとときです。

次週はいよいよ、ミツさんが新の本心を暴く回となっております。
お楽しみに。

それではまた。

2017.5.13.

[国沢]

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