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この手を離さない title

act.17

 二人抱き合った後、先にシャワーを浴びた定光は、滝川が用意した着替えを身につけ、慌ただしく滝川の部屋を出て行った。
 クライミングジムのロッカーに、財布やら携帯やらをそのまま置きっぱなしにしたまま滝川の部屋に来ていたからだ。
 定光は、裸のまましどけなく定光を見送る滝川に、「お前、仕事抜け出してんだろ? 一刻も早く会社に戻れ!」と言い放って出て行った。
 その顔色は頬が上気して、若干ピンク色に染まっていた。
 すっかり正気に戻った定光は、休暇中の自分はともかく仕事中のはずの滝川とセックスをしてしまったことに少なからず罪悪感を感じている様子だった。
 いくら勢いで前後見境なくなってしまったといえども、定光のようなまともな職業人からすると、確かに仕事をサボってセックスしただなんてあるまじき行為に違いない。
 結局、滝川は定光と身体を繋ぐことはしなかったが、あれは確かに"セックス"だった。
 しかも、愛する人と初めてするセックス……。
 滝川は多くの女性達と逢瀬を重ねてきたが、好きな相手とのセックスは今回が初めてだったことに気がついた。
 滝川は思わずニヤニヤと顔がニヤけるのを感じながら、玄関先でくるりと身体をターンさせ、風呂場に向かったのだった。


 結局、滝川は定光に言われた通り、あの後会社に戻った。
 少しでも定光の罪悪感を少なくする為でもあった。
 何食わぬ顔をして会社に戻った滝川に、笠山が「定光は喜んでいたか?」と訊いてきたので、「泣いて喜んでたよ」と答えた。
「そうか。まぁ、嬉しいだろうな。本来アイツはグラフィックデザイナーとして働くことを希望してたし、現にその仕事をしてた訳だから」
 休憩フロアのベンチに座る滝川に、笠山はカップの自販機からコーヒーを買うと、ひとつを滝川に差し出してきた。
 滝川が小さく頭を下げて受け取ると、笠山は滝川の隣に腰掛けた。
「で、お前はどうするんだ?」
「あ?」
「定光がグラフィック制作部に戻るとなると、誰にお前の面倒を見てもらうつもりなんだ? 定光に両方の仕事は無理だぞ」
「 ── わぁってるよ……」
 滝川は口を尖らせて呟く。
「定光が抜けたからって、お前の仕事の質を落とす訳にはいかん。お前もいい加減、定光離れしなけりゃな。今がそういうタイミングなんじゃないか?」
 昼間、これ以上にないくらい定光を近くに感じることをしてきたのに、そう言われるとどんどん定光が遠くなっていく感覚に襲われる。
 滝川は少々複雑な気持ちになりつつ、コーヒーを啜った。
 確かに定光から、一時的とはいえ、グラフィックデザインの仕事を奪ったのは、自分だ。
 どうしてそんなことをしたかというと、アメリカで見た定光のアートワークはあんなに輝いていたのに、入社後グラフィック制作部の部長に頼み込んで見せてもらった定光の他の作品は、なぜかショーン・クーパーのアルバムジャケットとは違って、さほど輝いてはいなかったからだ。
 どれも無難な仕上がりで決して悪くはないのだが、クーパーのアルバムジャケットで感じた、心臓をドキリと鷲掴みされるような"濃さ"を感じることができなかった。
 そのことが滝川には信じられず、滝川は定光の過去の仕事の資料を片っ端から広げて、すべてに目を通した。
 当時の定光は、毎回ファーストラフをクライアントにひっくり返されては、無難なデザインで作り直し、それがそのまますんなりと採用される、という悪循環な仕事の仕方をしていた。
 滝川からすれば、ファーストラフこそどれも優れた出来で、なぜそれをひっくり返されているのかもわからない。つまりは、クライアント側が定光のよさをきちんと理解していない証拠のように感じた。
 滝川が部長にその理由を訊くと、日本の昨今のアーティストシーンが"濃さ"や"重さ"よりも"軽快さ"や"軽さ"、"親しみやすさ"を好む傾向にあることを教えられた。事実、日本のポップスシーンは、小刻みなリズムと軽やかなサウンドが席巻しており、どちらかというとウェットで手の込んだ重いテイストの定光のデザインは、あまり求められていなかった。
 つまり、彼の才能への需要は、日本国内にはなかったということだ。
 だからこそ滝川は、山岸に対して、定光の才能を打算的に使わさせるなと直談判した。
 はっきり言って、才能が腐ると思った。
 それならいっそ、滝川の仕事を手伝ってもらった方がいい。
 定光にグラフィックの仕事をさせず、映像制作部の仕事を手伝わせる滝川のやり方は確かに強引だったが、結局は入社したてのペーペーの言うことに山岸も納得したのだから、山岸自身すでにどこか滝川と同じ思いを抱いていたのかもしれない。
 定光によるロケ地候補の選定や、PVの仕上がりイメージに対する意見などは非凡なセンスがあり、やはり定光の才能は確かなものだと確信できたし、物理的にも随分助けられた。
 例え仕事の段取りをするのが少々下手でも、滝川にとっては客観的に自分の作品の出来を確かな審美眼で判断してくれる人間が側にいてくれる方が心強かった。
 はっきり言って滝川は、自分の実績の半分は定光の手柄だと思っている。
 そういう意味で滝川の中では、常に定光はクリエイターだった。
 決して単なるプロダクションマネージャーという訳ではなく。
 定光がグラフィックデザイナーとして仕事をすることを望んでいることは、今日の涙を見て痛感させられた。
 先日は、滝川がアメリカに帰ると誤解した定光だったが、突き詰めて考えていくと、定光に取り残されるのは、滝川の方かもしれないのだ。
 今回再びショーン・クーパーのアルバムを手がけることによって、定光の才能は再び脚光を浴びることになるだろう。
 もしまたそれ以後パトリック社では定光の才能を活かせるグラフィックの仕事なく、定光がそれを不満に思うのなら、彼がパトリック社を出て行くという選択肢だってあるのだ。
 今は英語が話せない定光だが、英語を話さねばならない環境に置かれれば、人は嫌でも順応していくことは、自分自身の経験で既にわかっていた。
 定光の目の前には、無限の可能性が広がっている。
 だが、その中に自分の姿があるようには思えなかった。
 定光の幸せを思うなら、それでも定光を手放すべきだとわかってはいるけれど、それに踏ん切りをつけるには、今日の定光とのひと時は"素晴らしすぎた"。
 人間、一度幸福を味わってしまうと、それを手放すのは、途轍もない力が必要になる。
  ── 今の自分に、そんな強さはない……
 ぼんやりとそんなことを考えている滝川に、笠山がさっきまでの真剣な声とはまるで違ったひょうきんな声で、こう言った。
「ところで滝川。お前、定光に知らせに行った帰り、風呂に入ってきたか?」
 滝川は、コーヒーカップの縁を齧りながら、無言で首を横に振る。
「え、でもお前、髪の毛湿ってるじゃん」
 笠山が滝川を指差してくる。
 滝川は目だけ上に向けて、確かに湿っている自分の前髪を見た。
 そして笠山と顔を見合わせ、ハハハと笑い合う。
「お前それ、自由過ぎない?」
「途中、いい雰囲気の銭湯があって……」
「お前、腕に刺青してんのに、入れないだろ?」
「いや、実は下町の古い銭湯って、結構OKなんっすよ。今度、ロケに使おうとかって思ってぇ……」
「お前なぁ……曲がりなりにも会社員なんだからさぁ……」
 笠山はそう言ったが、ふいに周囲を見回すと、滝川の耳に顔を寄せて、
「今度その刺青OKな銭湯おせーて? 俺の彼女がワンポイントで刺青入れちゃってから、温泉とか行けなくなっちゃってんのよ」
 と囁いた。
 滝川は「はぁ」と答えながら、笠山の左手薬指に光る結婚指輪をジトッと眺めたのだった。


 定光の休暇が明けて2日後、定光はショーン・クーパーの所属レーベル『ノート』に呼び出された。
 新たなアルバムジャケットの制作に向けて、初回の打ち合わせをするためだ。
 定光はグラフィック制作部の一年後輩だった富岡が運転する車の助手席で、ぼんやりと車窓の外を流れていく景色を眺めていた。
「いやー、久々にミツさんがグラフィック制作部に戻ってくるの、チョー嬉しいっすよ、俺。しかも復帰一作目がショーン・クーパーだなんて、カッコよすぎっスよね」
 富岡が興奮気味にそういうセリフも何となく耳元を過ぎていって、「うん……」と生返事をする。
「ミツさんは、やっぱグラフィックデザイナーが向いてるんですよ。滝川さんの小間使いみたいな仕事をさせられるより。俺、ミツさんのデザイン、スゲェ好きだったんですから……」
 更に言葉の続きを捲し立てようとする富岡の声を遮って、「富岡、お前、プロダクションマネージャーのことを小間使いだなんて思ってるのか?」と呟いた。
「え?」
 戸惑った声を上げる富岡の横顔を定光はチラリと見ると、
「あの仕事は、映像制作の要だ。お前の言うことは、由井さんや藤岡さんに対して失礼だよ」
 と言った。
 先ほど定光が挙げた二人は、不器用な定光に一からプロダクションマネージャーの仕事を教えてくれた人達だ。
 彼らが日頃どれだけ細かくて終わりのない仕事をしているか、定光もその仕事に携わることになって初めて知った。
 富岡は、まさか自分が定光のことを褒めているのに、逆に責められると思っていなかったのだろう。
 彼はすっかり萎縮して首を竦め、「す、すみません」と呟いた。
 定光は再度、今度はじっと富岡を見つめる。
 丁度信号待ちにぶつかった富岡は、チラチラと定光の顔色を伺った。
 定光は少し笑顔を浮かべると、「でも、富岡が俺のデザイン好きだって言ってくれたのは嬉しいよ」と告げた。途端に富岡の表情が明るくなり、顔を綻ばせる。
「あ、ちゃんと前向いて、安全運転で行ってね」
 信号が青になったのに定光は気づくと、前を指差してそう言った。
 富岡は「はい!」と必要以上に大きな声で返事をして、前のめりになってハンドルを握った。
 定光は再び、窓の外に目をやる。
 富岡のテンションの高さと反比例して、定光の気分は重かった。
 もちろん、ショーン・クーパーの仕事がまたできるというのはとても嬉しかったが、今定光の頭の中を支配しているのは、滝川のことだった。
 正確に言うと、"滝川との関係"だ。


 一昨日、滝川と"そういう関係"になってから、表面上は一見なにも変わらなかったが、定光の中では激変していた。
 滝川のことを急に意識し過ぎて、妙にぎこちなく接してしまう。
 原因は、滝川が定光に対して"最後までしなかった"からだ。
 定光ははっきりと「してもいい」と伝えたが、滝川は一旦その素振りを見せたものの、結局は定光と身体繋ぐことなく、終わってしまった。
 ── やっぱ、男同士はその気にならなかったのかな……
 定光は朧げにそう思ったのだが、その時のことを思い返すと、滝川の方が積極的に定光に触れてきたし、一応は"イク"ところまでいったんだから、滝川が男性同士のセックスに対して抵抗がある風には見えなかった。
 むしろ定光自身が、男同士でセックスすることを自然に受け入れていることの方が驚いた。しかも受け身で。
 「してもいい」と言った時は、頭で考えるよりも先に口をついて出ていた。
 勝手に身体が動き、滝川のTシャツを脱がせて、身体にしがみついた。
 多分あの時自分は、滝川のことを心底欲しいと思ったんだと思う。
 ── だけどアイツは、そうしなかった……。
 定光はうーんと唸って、自分の身体を抱き込んだ。
 ── "男が"つまんないというより……やっぱ"俺が"つまんなかったのか。
 自分でセックスが下手だという自覚があるだけに、定光は益々落ち込んだ。
 定光にしてみれば、好きという気持ちがあれば、多少セックスの相性が合わなくったっていいだろうと考えているのだが、これまで定光とそういう関係になった女性達は決してそうではなかったのだから、やはりそこは関係を続けていく上で重要なポイントなのだろう。
 今回についても、定光は滝川のことが好きだとわかったからこそセックスをしたし、定光自身は滝川に触れられてとても気持ちよかった。最後までしなかったけれど、それでも滝川に抱きすくめられて、すごく満たされた気分になった。
 だが滝川は、そうでないかもしれない。
 過去の女性達と一緒で、"大したことない"と思ったのかもしれない。
 それに第一、滝川が自分のことをどういう意味でベッドに誘ったのかがわからない。
 なぜなら、「好き」も「愛している」も滝川から一切言われていないのだから。
 滝川が定光の才能を認めてくれていて、その才能に惹かれて日本に残ったことまではわかったが、才能に惚れるのと本人に惚れるのは若干意味合いが違うように思う。
 あの時、滝川が定光を部屋に誘ったのは、もしかして定光が大人気なく泣き出してしまったのを慰めるつもりでそう言ったんだとしたら……。
 滝川が、切れ目なく女性達とベッドを共にするのも、ああいう些細な出来事の延長線上にある自然の流れのひとつにセックスがあるんだとしたら、今回のこともそれと同じで、とするならば肝心のセックスがよくないと、むろんこの関係も続かない訳で……。
 定光の脳裏に、滝川が数々の女達を追い払う時の様子が浮かんでは消えた。
 自分もあの中の一人にされるかもしれないと思うと、耐えられなく感じた。
  ── 自分は、本当にそういうところまで器用にできてない……
 定光は、車の窓にごつりと頭をぶつけ、ため息をついた。
 ここ二日間、一応は定光の部屋に帰ってきた滝川だったが、定光の作った夕食を食べた後は二日とも飲みに出かけてしまい、定光が床に着いた後に帰ってきていた。
 どうやら、定光が醸し出す妙な強張り感を敏感に感じ取り、それを敬遠している節が見られる。
「あぁ、俺ってつくづく面倒臭い男……」
 定光はボソリと独り言を呟いた。
「ミツさん、久しぶりのグラフィックの仕事で緊張してるんっスか?」
 富岡は、ナーバスな様子の定光をそう捉えたらしい。
「大丈夫ですって、ミツさん。ブランクがあっても、ミツさんならやれますよ」
 富岡に言われ、定光は身体を起こした。
 滝川とのことを考え過ぎて、今度の仕事に対しての不安感など全く感じていなかったが、どんな理由にせよ、こんな気分や態度で仕事に取り組むべきではない。
 定光は咳払いをして、自分を戒めた。
 滝川が自分のグラフィックワークを評価してくれているのなら、最低限その期待には応えたい……。
 定光はそう思った。

 

この手を離さない act.17 end.

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編集後記


早くもミツさん、グルグルしてる。

先週はやっとステルス更新までこぎつけたというのに、早くもミツさんがお悩みモードでございます。
意外に心配性・・・。
新があんなにもベタ惚れなのが、なぜわからん。

あ、新がちゃんと言ってないからかwww


けど、あそこまで熱烈にキスされてんだから、それでわかれよwwwと思わずツッコむレベル。
でもま、そんなミツさん、嫌いじゃないんですけどね。
新も新で、上手く言ったかと思いきや、新しいお悩みを抱えたようですし・・・。

いやぁ、青春だなぁ〜♥(←ババアの発想w)
おばさんには、恋愛で悩みまくってる若者が眩しくてしかたないですわwww

一方、新と笠山さん。
両者ともに「仲が悪い」と公言しているお二人なんですが、この二人の会話シーンを書くの、実は国沢楽しみにしてます(笑)。
これまで国沢の書いてきたお話の中でも、あんまり腹黒キャラって書いてこなかったんですけど、この二人は割と腹黒いwww
特に笠山さんなんて、真っ黒くろwww
道徳的には、お世辞にも「見習え」とは言えない人格です。
でも、なんだか憎めないのよねぇ〜。
なんでだろ???
国沢も年を取ったってことかなwww(←本気で笑えないジョーク)

では最後に青春つながりで、昔ストテンが一つ屋根の下、共同生活を送っていた頃と思しき、楽しそうなお写真でお別れいたします。


アメリカのよくあるBBQシーンですが、なぜかウィンナーしかないっていうのは、ただ単に貧乏だったからでしょうか。それとも別の意味でもあるんでしょうかwww
あまり深く考えない方がよさそうな写真ですね(笑)。
てかこの写真。よく見るとお兄ちゃんの手、骨折してないか??? ギタリストなのにwwwww

ではまた〜。

2016.8.28.

[国沢]

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