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この手を離さない title

act.46

 翌朝、日課のジョギングをしていた羽柴は、向かいから走ってくるランナー達がとあるベンチに視線をやっては派手に顔を顰めていくのを怪訝に思った。
 女性二人で並んで走っているランナーは、走りながらヒソヒソ話をしている。
 羽柴は特に気にもとめずベンチをやり過ごそうとしたが、ベンチの上に見知った顔が寝っ転がっているのを発見して、一度通り過ぎたもののベンチの上を二度見して、立ち止まった。
 ベンチの上で蹲っていたのは、紛れもなく滝川新だった。
 昨夜はスタジオ奥のプライベートルームで寝たはずなのに、なぜ彼がここにいるのかまったくわからなかった。
 羽柴はベンチまでとって返すと、声をかけた。
「どうしたんだい!? まさか君、一晩中ここで寝てたの?」
 羽柴の問いかけに、滝川はゆっくりと目を開ける。
「 ── えー……ああ……。そうみたいっす……」
 滝川はそう呟きながら、のっそりと身体を起こした。
 羽柴から見ると、滝川の様子は爽やかな朝の光とはおよそ似つかわしくない"夜の匂い"がした。彼の夜は、まだ明けていないように思う。
 滝川の両目は赤く充血していて、目の下の皮膚の薄い部分を強く何度も擦ったのか、年齢とは似つかわしくないシワができていた。
 ようは、"ヨレヨレの状態"に見えた。
 羽柴は、滝川が身体を起こしたためできた空間に腰を下ろした。
「街の中心部は全米の中でも治安がいいところだが、夜になると日本ほど安全とはいえない。君が無傷で寝ていれたのはただ単にラッキーだっただけだ。何か盗られたものは?」
 羽柴は、ぼんやりとベンチに座る滝川の身体を、目でざっと確認した。ケガはしていないようだ。
 滝川は、のそのそと両手の平で自分の身体を撫でると、「ああ、あったあった」と呟いて、ライターとシガレットケースを腰のポケットから取り出した。
 滝川はニヤリとした笑顔を羽柴に向けると、シガレットケースを羽柴に向けて翳す。
 そのコミカルな表情に羽柴も苦笑いをする。
 どうやらこの滝川という青年は、随分気難しくて扱いにくいタイプの男ではあるが、同時に何となく目が離せなくなる雰囲気を持っている。
 口振りは尊大で生意気なのに、時折見せる子どものような素ぶりと、どこか破滅的な思考をしていそうな空気感が保護欲を駆り立てるのだ。
 羽柴にとって保護欲を駆り立てる一番の存在は間違いなくショーンだが、目の前の青年はまるでタイプが違う。
 ショーンの話では、あのエレナ・ラクロワが随分可愛がっているらしいが、彼を目の当たりにして、羽柴にも彼女の気持ちがよく理解できた。
「 ── これ、一服したら……エンジンかかるんで……ちょい待ち……」
 滝川はそうボソボソと呟きながら、最後の細巻きのシガレットと咥え、火をつける。
「いいモノ吸ってるね。趣味がいい」
 羽柴がそう言うと、滝川はハッと鼻で笑い、「もらったものだから」と答えた。
 その口振りは、まるでそれに自分が似つかわしくないとでも言わんばかりの雰囲気だった。事実、彼はそう思っているのだろう。
 だが、彼にそれをプレゼントした人間 ── おそらくエレナだろうが ── は、そんな風には思っていないだろう。羽柴でも、ゆっくりと煙を吐き出す滝川の横顔は、なかなか色気があると思ったのだから。
「定光君となんかあったのかい? 昨夜」
 羽柴がそう訊くと、滝川は羽柴の方に視線を寄越したが、にっこりと微笑んだ切り、何も答えなかった。
 その笑顔は、"答えるつもりはない"という返事と同じだと羽柴は理解する。
  ── やれやれ、なかなか手強い子だね……
 内心羽柴がため息をつくと、逆に滝川から質問をされた。
「羽柴さんって、どうやってショーンと知り合ったの?」
「え?」
「いや、だって年齢も全然違うし、生きてる世界もまるで違うじゃん。羽柴さん、ショーンの追っかけでもしてたの?」
 そう言われ、羽柴ははっはっはと笑った。
「まぁ確かにそう思われても仕方がないかもな。こんなオッサンと世界のスターが付き合ってるだなんて、世間一般では俄かに信じられないだろうからね」
「いや、まぁ、アナタもただのオッサンではないですけどね」
「ん? どういう意味かな?」
「女なら、アンタのフェロモン嗅ぐだけで子どもができちゃいそう」
 羽柴は顔を顰める。
「最近ではそこまでエロオヤジではなくなったと思ってるんだがね」
 滝川は「いやいやいや」と手を左右に振りながら、「無自覚なのが一番タチが悪りぃわ」と呟いている。
 そしてチラリと羽柴の方を見ると、こう言った。
「案外、ショーンの方がアンタの追っかけだったのかもね」
  ── ム。この子、鋭い。
 今ショーンと自分の身の回りで、ショーンの方が羽柴のことをひたすら追いかけていた事実を知っているのは、ごく少数しかいない。
「ショーンと出会ったのは偶然だったんだよ。NYのホテルでね」
「ひょっとして、アストライア?」
「そうだ。よくわかったね」
「エニグマが予約してくれたホテルだったから。ショーンの定宿だって言ってた。正しくは、アンタの定宿だったってわけか」
 羽柴は頷く。
「彼がパパラッチに追いかけられて困っている時に助けたんだよ。それが最初」
「それでショーンに惚れられちゃったんだ」
「まぁ最初はそうだったけれど。でも今は逆転してるかな」
 滝川は、羽柴の発言にオッ!とでもいうように目をまん丸にして羽柴を見てきた。
「意外。そんなこと、ペロリと言っちゃう人なんだ、羽柴さんって」
「日本人らしくないってよく言われるけどね」
 滝川は、ハハハと気弱な笑い声を立てながら笑うと、「いやぁ、スゴイわぁ」と呟く。
「いろんなものを超越しちゃってんだね、オタクら」
「君のところは違うのかい?」
 羽柴はそう声をかける。
「僕らもここまで来るにはそれなりに乗り越える必要がある壁が何枚もあった。君達だって、何かを乗り越えたからこそ、今一緒にいるんじゃないのかい?」
 滝川は再び川面に視線を戻すと、シガレットを一際長く吸って、ゆっくりと煙を吐き出した。
 そして頭を下げると、こう呟いた。
「 ── 俺んとこは、そう大層なもんじゃないっすよ…」


 結局一睡もできず、定光はエレベーターホールの窓際に椅子を運んで、下の街並みをずっと眺めていた。
 昨夜は滝川に言われた通り、一旦ベッドに入った定光だったが、眠ることはできなかった。
 滝川に言われた言葉が頭に浮かんでは消えた。
  ── 無理するな。
 滝川が、最後にそう言い残して出て行ったことが気にかかっていた。
「好きなヤツのために無理するのは、当たり前なんじゃないのか」
 定光はポツリと呟く。
 滝川と付き合うことになって悩みが増えたのは事実だし、一緒に暮らし始めて面倒なことも随分増えた。けれどそれは定光が望んで選んだことだし、無理をすることが苦痛ではない。
 でも、人と付き合った経験が定光よりずっと多い滝川からすれば、こういう"無理"を重ねることが、やがてダメになっていく原因になるとわかっているのだろうか。
 なんだか漠然とした不安を感じて、定光は滝川の帰りを待った。
 実のところ昨夜、一時間経っても滝川が帰ってこないことに心配になって、彼を探しに行くべく、定光は一階まで降りてみたのだが、結局はビルの入口に陣取っているイカつい警備員達に止められた。
 深夜過ぎてから出歩くのは危ないので、と言われた。
 一時間前に滝川は出たはずだ、と拙い英語で抵抗してみたものの、「彼はアメリカ生活に慣れているが、あなたは違う」と言い返された。どうも肌で感じる雰囲気からして、滝川に「後から定光が来ても外に出すな」と言い聞かされているようだ。
 仕方なく定光は、すごすごと部屋まで戻った。あの屈強な警備員を退けて外に出るなど、到底できそうになかったからだ。
 定光が眠い目を擦りながら欠伸を噛み殺した時、窓の下にジョギングウェア姿の羽柴と滝川が見えた。
 定光はハッと身体を起こし、慌ててエレベーターに乗り込んで一階に降りた。
 エレベーターから転げ出るようにビルの出入口まで走ると、そこで羽柴と警備員が和やかに挨拶を交わしているところだった。滝川は呑気に、シケモク状態になったタバコをチビチビと吸っている。
「 ── 新! 心配したんだぞ!」
 定光が日本語で怒鳴ると、その場にいた全員が定光を見た。
 肝心の滝川は、一番奥から定光の顔つきを見て、「お前、なにその顔」と言ってくる。
「え?」
「目の下真っ黒だぞ」
「そ、それは……」
 定光は言い淀んだ。昨夜心配で一睡もできなかったと言えば、「また無理しやがって」と滝川に責められる、と思った。
 だから定光は、「お前こそ、どこほっつき歩いてたんだよ」と言い返した。
 滝川はのらりくらりとした態度のまま、「飲んでたんだよ。羽柴さんと」と返す。
「羽柴さんと?」
 定光は羽柴に目をやる。
 羽柴は、全身爽やかなジョギングウェア姿だし、およそ一晩中飲んでいたように見えない。
 とうの羽柴も「え?」と声を上げて、自分の全身を見下ろしている。
 その間に一人ビルの奥に入っていく滝川の肩を定光は掴んだ。
 その肩はとてもヒンヤリとしていて、それが滝川の作った心の壁の温度のように思えた。
「お前、すぐバレるようなウソをつくなよ。俺にはウソをつくなって言ってるクセして」
 滝川は薄ら笑いを浮かべたまま定光を見ると、「俺ってやなヤツだろ?」と言い残して、そのままエレベーターに一人乗り込んで行ってしまった。
 一人残された定光がなんとも言えない気持ちでそこに立ち竦んでいると、その両肩に後ろから羽柴の温かい手が触れた。先程滝川に触れた時とは真逆の感触だった。
「ケンカなんて、付き合ってたらよくあることだ。真剣に付き合ってるほどね。朝食はうちで用意しておくから、食べにくるといい。お腹が満たされれば、彼の態度も和らぐかもしれないよ」
 羽柴にそう励まされて、一度はうんと頷いた定光だったが、漠然と感じる不安は拭えなかった。


 部屋に戻ると、滝川は昨夜の格好のままベッドに入ってスヤスヤと眠っていた。
 定光が溜め息をつくと、部屋の電話が鳴る。
 内線のランプが付いていた。
 電話に出ると、ショーンの「おはよう」と言う声が聞こえてきた。朝食を食べにおいでと言う。
 滝川は寝てしまったと返事をすると、ミツだけでもおいでよと言われ、定光はその誘いに甘えることにした。
 羽柴とショーンの家に行くと、羽柴は既に仕事に行く準備を整えていて、先程のジョガー姿とは一変したスーツ姿で新聞を複数紙読んでいた。その周囲でショーンが忙しなくテーブルの上にジャムの瓶やら、スクランブルエッグ、チーズトースト、カフェオレの入った大きなマグカップなどなどを手際よく並べていた。
 どうやら朝食の準備はショーンの係のようだ。
「あ、きたきた。座って」
 ショーンはそう言いながら定光を見たが、定光の顔色を見て、少し困ったように苦笑いした。
「昨夜眠れなかった?」
 定光がバツが悪そうに苦笑いで返すと、「温かい飲み物を飲みなよ」と夕べ余ったスープを温めなおして差し出してくれた。
 定光はショーンの向かいの席に座ると、礼を言ってスープを口に含んだ。
 胃袋がほっとする味だ。
 定光が笑顔を浮かべると、ショーンも同じように笑顔を浮かべた。
「まぁ大体はコウから聞いたよ。アラタは昨夜、遊歩道のベンチで一晩明かしたみたいだよ」
「飲みに行ってたんじゃなかったんだ……」
「彼が起きた時アルコールの臭いはしなかったから、多分違うだろうね」
 羽柴がそう言う。
「ケンカしたの?」
 ショーンにそう訊かれ、定光はうーんと唸った。
「 ── ケンカ……そうですね、多分ケンカですね、あれは」
 定光は凝り固まった両目を手の指先でグッと押し込んだ。
「あいつは複雑な育ちをしていて……」
「それって、虐待かなにか?」
 ショーンにそう訊かれ定光は一瞬返事に臆したが、正直に答えることにした。
「母親から」
 そこまで言って、定光は言い淀んだ。"過干渉"という単語がわからない。
「なんだい?」
 羽柴が日本語で話しかけてくれたので、定光は日本語で「物凄く過度な過干渉だったんです」と答えた。羽柴がショーンに通訳してくれる。
「 ── そうなんだ。なるほどね……」
 ショーンもメールなどのやり取りで何となく勘付いていたようだ。
「このことを知ったからと言って、どうか態度を変えないでください。それ、アイツ死ぬほど嫌がりますから」
 定光がそう言うと、ショーンも羽柴も「もちろんだよ」と返事をしてくれた。
 定光はほっとする。
「それで、そのことがケンカに関係してるの?」
 定光は小さく頷いた。
「俺がアイツのことを心配すればするほど、アイツの心が遠ざかって行くんです」
 ショーンが眉間にシワを寄せる。
「アラタの方から遠ざかる?」
 その口ぶりは、まるで信じられないといった雰囲気だった。
「そんなまさか。アラタは君のことを死ぬほど愛してるはずだよ」
 定光はショーンが使った言葉がわからなくて、怪訝そうな顔つきをした。羽柴がそれを見越して日本語に訳してくれる。
 今度は定光が顔を顰めた。
「そんな、死ぬほどなんて……」
「僕の言ってることは、大袈裟じゃないと思うけどね」
 ショーンがキツイ口調でそう返したので、羽柴がショーンを窘めた。「定光君を責めてどうする」と。
 ショーンはすぐさま、「ゴメン」と謝った。
 定光は目を赤くしながら、「好きな人のことを心配するのは当たり前だって、俺は思うのに……」と日本語で吐き出した。
「アイツのことを重く感じるのは、それだけ俺がアイツのこと好きな証拠だってわかってほしいけど、昨夜はそれも伝えられなくて……。苦しい。凄く」
「ミツ……」
 ショーンは、羽柴から訳されて定光が言ったことを理解すると、定光の元まで回ってきて、定光のことを抱きしめた。
 定光はショーンの腕を掴みながら、ギュッと目を閉じた。
「すみません、ショーン……。あなたは大切な仕事の相手なのに、こんなプライベートなことで迷惑をかけて……」
 ショーンが小さく笑う。
「ミツは本当に根っからの日本人なんだね。 ── 僕は君達のことをただの仕事上のパートナーとは思っていないよ。でなけりゃ、この部屋にだって招いてない。安心して」
 定光はショーンの腕の中で頷く。
「定光君、スープを食べたら、少し仮眠を取るといい。寝不足の頭じゃ、どうしてもネガティヴになる」
 羽柴が声をかけてくる。それを聞いて、ショーンが顔を起こした。
「そうだね。理沙が来るでまだまだ時間はあるから。僕達のベッドを使って」
「そ、そんな! それはさすがに気が引ける……」
 その返事に羽柴が笑った。
「まぁ、そうだろうね。リビングのソファーでも横になれるから、そうするといい。枕とブランケットを出してあげるから」
 定光が席から立ち上がった羽柴を見て口を開こうとすると、それを羽柴の声に遮られた。
「 ── すまない、とは言わないで。困った時はお互い様って、日本じゃよく言うじゃないか」
 定光が頷くと、ショーンが定光の前に跪いて、見上げてきた。
「今日、飛行機は何時?」
「15時です。一旦NYまで飛んで、そこから日本に」
「じゃ、理沙達と少し打ち合わせしたら直ぐに出るんだね」
「はい」
「荷造りは?」
「もう済んでます」
「そう、それなら少しは眠れるね」
 定光はショーン達に甘えて、リビングのソファーで眠らせてもらった。

 

この手を離さない act.46 end.

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編集後記


新、手強い・・・(汗)。

ひねくれ具合なら千春とそう変わりがないように思うのですが、何となく心情が理解できていた千春に比べ、新の場合は得体が知れないイメージがします。
ひねくれ具合も可愛げがないから、読者の皆様から反感を買いそうで、親としては怖いです(脂汗)。
羽柴さんの力を持ってしても、天岩戸状態とは・・・。

ミツさんがどこまで持つかというより、国沢がどこまで持つかといった方が正しいかもしれないwww

oh、アラタさん、ハヤク、スナオになろよ。(←なぜに片言?)

それではまた。

2017.3.25.

[国沢]

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