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この手を離さない title

act.58

 その日の夜、ロドニーの店での最後の晩餐となった。
 ショーンや理沙、今日の撮影スタッフ、そして後からシンシアもそのテーブルに加わった。愛娘のサラも連れて。
 定光と滝川はそこで初めて知ったのだが、ショーンのスタジオビルの3階に住んでいるのは、他ならぬシンシア夫妻だった。
「そうなんだ!」
 定光が目を丸くすると、「滞在中、サラの泣き声がうるさくなかったかしら? この子ったら、夜泣きをよくするの」と申し訳なさそうにそう言う。仕事から離れた彼女は随分柔らかい雰囲気で、いかにも若い新米ママさんといった具合だった。仕事中とは別人だった。
「赤ちゃんの泣き声なんか聞こえてはこなかったよ。大丈夫」
 定光がそう言うと、シンシアはホッとした表情を浮かべる。
 そんな彼女に、彼女の隣に座っていたショーンがこう言った。
「三階は徹底的に防音処理してるからね。全ての部屋において」
「そうか。思わぬ効果があってよかったわ」
 シンシアは、盛んに足を動かす愛娘を抱え直しながら、サラにマッシュポテトを食べさせる。サラは、大きなグリーンの瞳をキョロキョロさせながら、ウマウマと口を動かした。
 サラはシンシアによく似た愛らしい顔つきをしていたが、母よりは肌が褐色で、柔らかそうな髪も栗毛色だった。その点は父親の影響が強いのだろう。頬っぺたはピーチ色でまるでお人形さんのようだ。
「本当なら、他のカットもあなたに撮影をお願いしたところなんだけど……」
「本当だね」
 定光が言ったことにショーンがすぐさま賛同する。
 シンシアはにっこりと笑って、「そう言ってもらえることは嬉しいわ」と答えた。
「でも、この子がいるから」
「ルイはいつまで留守にしてるの?」
 ショーンがサラの汚れた口をナプキンで拭きながら、そう訊いた。
「ジェーンのワールドツアーが終わるのは来月だけど、ルイだけでサラの面倒を見るのは無理よ」
「ジェーンって……ジェーン・モリーンのこと?」
 滝川がコーヒーを啜りながら、口を挟んでくる。
「ええ、そうよ。主人は、サウンドディレクターとして全公演に帯同してるの」
 定光と滝川は、思わず顔を見合わせた。
 目の前のショーンもアーティストとして充分にビックネームだが、ジェーン・モリーンも女性ソロアーティストとしてかなり著名である。自分で作詞作曲をこなし、丈の短いワンピース姿でハードなギターを掻き鳴らす姿が幅広い層にウケている。
「ご主人もかなりお忙しい方なんですね」
 定光の言葉に、シンシアはサラにお水を飲ませつつ、苦笑いを浮かべた。
「そうなの。だから必然的に私が仕事をセーブしないと。でもそれを嫌だとは思っていないわ。私だって仕事よりこの子の方が大切だって思っているし。食べるのに困らない限り、なるだけ側にいてあげたいの」
 それに答えるように、サラが「うあうあ」と声を上げた。
 テーブルが一気にわっと微笑む。
「なんなら、その子を現場に連れてくりゃいいじゃん」
 そんなことを言い出したのは、意外にも滝川だった。
 皆の前視線が滝川に集まる。
 滝川は肩を竦めながら、「べっつに堅苦しい現場じゃねぇだろ?」と言う。
「音を録る訳じゃねぇんだから、少々その子が騒いだって、ママがシャッター切ってる間に誰かがその子を抱いてりゃいいじゃん」
「でも、中には長時間の移動が必要なロケ地もあるんだし、赤ちゃんには厳しい環境だってある」
 定光がそう言うと、滝川は顔を歪めながら、「全部の現場って言ってる訳じゃねぇよ。可能なところだけっつってんの」と言い返してきた。
「あんな写真は、彼女しか撮れない。色もそうだが、何よりショーンのあんな表情を引き出せるのは彼女だけだ」
 確かに滝川の指摘通りだった。
 シンシアはショーンと長い付き合いのようだが、その硬い信頼関係とシンシアの深い洞察力がショーンのスペシャルな表情を引き出している。
「ありゃ、俺だって無理だもん」
 滝川がラム肉のハムステーキにかぶりつきながら、そう言う。
「確かに、可能な現場だけでも頼めたらいいけれど……」
 定光がシンシアに目を向けると、シンシアは微笑みながらも困ったようにため息をついた。
「本当なら、私もぜひ参加させてもらいたいわ。でもこの子ったら、最近人見知りを覚えてきて、私以外の誰かに抱かれただけで泣き出すの。トイレに行くのも一苦労よ。さすがに現場でずっと子どもが泣いてるのはイヤでしょ?」
「え……サラって、そんなにきかん坊になっちゃってんの?」
 ショーンが、子ども用のスナックを齧りながら口をモグモグさせているサラを覗き込んで、そう訊く。
「僕が前に預かった時は、大丈夫だったけど」
 シンシアはニタリと笑うと、「見ててごらんなさいよ。丁度私、トイレに行きたくなってきたから」と言って、サラをショーンに預けた。
 そしてシンシアは、店の奥にあるレストルームに姿を消す。
 テーブル中がショーンの膝に乗ったサラに注目した。
 サラはきょときょとと周囲を見回し、自分の母親がおらず、別の人間に抱かれていることに気づくと、「うわぁ〜ん」と泣き始めた。
「うわっ!ショック!」
 ショーンがそう叫んで、隣に座っていた理沙にサラを渡す。
 理沙も頑張ってサラを泣き止まそうと必死にあやしたが無駄で、サラは次々とテーブルを囲む人間の間を、まるでバケツリレーのように回されてきた。
 当然サラは泣き止む気配がまるでなく、やがて滝川の元にサラが回ってくる。
「うわぁ〜、側で聞くと、ちょーうるせー」
 シボシボの顔つきをしながら滝川がサラを膝に乗せる。
 絶対に滝川には無理だと思った定光が慌てて両手を差し出したが、なんとそこでサラがふいに泣き止んだ。
「えっ!?」
 一同、同時に驚きの声を上げて、滝川と膝にちんと鎮座しているサラを見つめた。
 サラは、大きな瞳から大粒の名残涙を零しつつも、指を口に咥えながら、滝川のお腹にもう片方の手でしがみついている。やがて何かを訴えるように、滝川に向かって「うまぁ〜やぁ〜」と機嫌のよさそうな声を上げた。
「なんで……」
 ショーンがポツリと呟く。
 滝川自身も目をまん丸にしながらサラを見下ろし、両手を上げたまま、「そんなの、俺が聞きたい」と言う。
 定光は、横からその様子を見つめながら、心の中で思った。
  ── 女を虜にするフェロモンは、いまだ健在なのか、こいつ……
 その時丁度レストルームから帰ってきたシンシアが、サラの様子を見て、「ウソ!」と声を上げた。
「ルイでさえ、30秒と持たないのに」
 サラはシンシアが帰ってきても、ママの元に帰ろうともせず、滝川にしがみついたままスヤスヤと眠り始めた。
「奇跡的だわ」
 シンシアがそう呟いた後、ショーンが滝川を指して、「シンシアが撮影中のベビーシッターはアラタで決まりだね」と告げたのだった。

 

この手を離さない act.58 end.

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編集後記


国沢、またちょっとずつ書き始めました。
エンジンかかるのおっせーよ・・・と自分に突っ込みいれつつ(汗)。
ぐうたらな物書き風情ですみません。

さて、今週はシンシアのママさんぶりが垣間見える回でした。
ワンシーンだけだったので、ちょっと短かったですね。すみません。

いやぁ、それにしても感慨深いなぁ・・・。
初登場の頃はジムパパに対してあんなに跳ね返ってたあのシンシアが、今じゃしっかりしたお母さんに・・・。
ということで、ジムさんは自動的におじいちゃんになりました。

よく考えたら、主役級の主要キャラで孫ができたのって、初めてじゃなかろうか(笑)。
てか、BL・・ML?を扱ってる小説サイトで「孫ができる」って、あんまりないケースですよね、多分。
長いことサイトを続けていると、いろんなことが起こります(笑)。

ところで、全然関係のない話なんですけど、最近将棋界が盛り上がっていますね。
実は国沢、将棋も囲碁も打てないんですけど、NHKの囲碁・将棋番組を見るのが好きで、もう何年も前から日曜日の日課となっています。
今も、NHK囲碁トーナメントを見ながら更新作業をやってるっていう・・・。
親からは「全然わからないくせに、そんなの見て何が面白いの?」とよく訊かれますが、なんか面白いんですよね。
絵面は地味ですが、意外と人間ドラマというか。
あと、あの秒読みの声を聞いていると、落ち着いた気持ちになるし。
俗にいう、癒やし効果・・・?
棋士の個性を調べた上で見たりすると、なおいっそう面白いです。
解説で「あー、暴れてますねぇー」とかたまに入ったりするけど、画面上はどこらへんが荒ぶってるのかわからない感じがまた不思議で面白い。
「へぇ、涼しい顔して暴れてんのかぁ〜www」、みたいな(笑)。
解説者も、その人の個性が結構出てくるから、解説自体面白いですしね。表現が。
今も「彼は恐妻家なんで、ごめんなさいって感じでここらへんに・・・」とか解説者が解説してますwww
そんなことバラしちゃっていいの? 公共の電波でwww

将棋や囲碁を理解しようとは一切してないんで、一向に内容まではわかりませんが、こんな風にヘンテコな楽しみ方をしています。
こんな目線で番組見てる人、他にいるかな?www

それではまた。

2017.7.9.

[国沢]

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