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この手を離さない title

act.81

 母親がどうなったかと訊かれ、その場にいる誰もが一瞬口ごもった。
 だが、そこは経験豊かな吉岡が答えてくれた。
「残念だが、君のお母さんと使用人は亡くなったよ」
 滝川は吉岡を見つめてしばらく黙っていたが、やがて「ふ〜ん」と気の無い返事をして視線を外し、カレーがついているスプーンを舐めた。
「ま、そんな気はしてたんだ」
 そう呟く。
「大丈夫か?」
 定光が思わずそう訊くと、滝川は顔を派手に顰めて定光を見た。
「大丈夫に決まってんだろ。ザマァって感じだわ」
 荒っぽい口調でそう言う。
「それでババアは誰か引き取りに来たの?」
「ああ。お前の父親が」
「ふ〜ん。引き取りに来ただけマシだな。 ── で、俺んとこには来たの?」
 定光が苦々しく首を横に振ると、滝川はヘッと笑った。
「あの人らしいわ。ま、血の繋がらねぇ死に損ないのクソガキなんかに会いたかねぇわな」
「君のお父さんは、君の治療費や入院費を全て支払うと申し出ているよ」
吉岡がそう言ったので、定光は驚いて彼を見た。
「それ、本当ですか?」
「昨日向こうに調書を取りに行ってたんだ。確かにそう言っていた。今頃、君達の会社に連絡が入っているんじゃないかと思う」
「会社、ですか?」
 定光は気色ばんでそう訊いた。
 そういうことは、滝川自身に直接伝えるのが筋だと思ったからだ。
 定光の言わんとしていることは、吉岡にも伝わったらしい。
 吉岡はため息をつくと、「滝川君、君もなかなかの個性派のようだが、君のお父さんもかなり変わった人だ。そういう意味では、君達は親子だな」と言った。
 それを聞いて、滝川が声を上げて笑い出す。
「確かにそうだわ。アンタの言う通り」
 滝川は、さもおかしそうに笑う。定光はその姿を苦々しい思いで見つめた。
「そういうことなら、もっと高級な病室に引っ越そうぜ」
 そう言う滝川に「ここしか個室は空いてなかったんだよ」と定光は答えた。
 滝川は「なんだよ、大病院は流石に大儲けしてやがるなぁ」とグチた。
「お父さんは、事件のあったマンションの賠償にも応じると言っていたよ。言い値で引き取るそうだ」
 滝川の実家は、定光が想像しているよりかなりの大金持ちらしい。
 滝川は口笛を吹いて、「ラッキー。早々に事故物件が片付いたわ」と軽口を叩いた。
 この陽気さがやはり不気味だ。
 何というか捉えどころがない。
 聴取を終えた吉岡は、最後に今後の不起訴になるまでの流れを説明して、その際は検察官がもう一度同じことを尋ねに来るかもしれないと言って帰っていった。
 吉岡達を病室の外で見送って戻ってきた定光に、滝川はケロリとした顔つきでこう言ったのだった。
「晩飯は銀ダラにして」


 定光は一旦会社に戻って、由井に滝川の様子を報告した。
 そして滝川の父親について聞いてみると、確かに連絡があったらしい。
 それについては、笠山が対応しているとのことだった。
 笠山は法律にも詳しいから、適任のように思え、定光はほっとした。
 定光が病院食についての一幕を話すと、オフィスにいた全員が笑った。
「新さんらしいっすね」
 村上も苦笑いをしながら、そう言った。
「でも、思ったより元気そうでよかったです」
 スタイリストの有吉瀬奈がほっとした表情を浮かべた。定光の周囲にいた者達も口々にそう言う。
 よかったですね、と肩を叩かれ、定光は「ああ……」と答えたのだった。
 
 
 定食屋かねこが夕方再び開く時間を待って、定光は店を訪れた。
 夕方からの営業は、女将の息子さんとその奥さん、そして学生バイトの3人が店に出ていて、高齢の女将は近所の自宅に帰ってしまっていなかった。
 定光は女将の息子さんに事情を話すと、彼は心底心配してくれて、電話をくれればすぐに滝川君用のお弁当を構えるから、と言ってくれた。
「今日の銀ダラはみりんになるけどいいかい?」
「ええ、返ってその方がアイツ喜ぶと思います」
 できるまで座っててと言われ、定光はカウンター席の片隅に座った。
 店は、ぼちぼちと仕事終わりの独身サラリーマンがやってきていた。
 雑多な音の中にいるのが心地よくて、ぼんやりとしてしまう。
「大丈夫ですか?」
 定光にお茶を出しながら、奥さんがそう声をかけてくる。
「なんだかお疲れのようだから」
 定光は苦笑いを浮かべた。
「ここ数日、いろんなことがあり過ぎて」
「そうねぇ。まさか滝川君がそんな大事になっているとは知らずにお見舞いもしないでごめんなさいねぇ」
「いえいえ、そんな。こうして申し出を受けていただいただけで」
「定光さんもあまり無理しないようにね」
 そんな風に奥さんと話していたら、息子さんが折の入った袋を持ってきてくれた。
「これとこれは今日の夕食の分。下に入ってるのは、明日の朝の分。ただしそちらはおかずだけで、ご飯は入ってないからね」
「わかりました。……あれ? なんだか量が多いようですけど……」
「夕食はミツさんの分も入ってるから。滝川君と一緒に食べるといい」
 定光は思わず表情を緩ませた。
「すみません、助かります。おいくらですか?」
 定光がカバンから財布を取り出そうとすると、息子さんは「あー、お代はいいよ。今日は」と言う。
「え、そんな、困ります」
 定光はそう言ったが、息子さんはさっさと板場に戻ってしまって、「明日からはちゃんともらうから」と声が聞こえてきた。
 定光は困り顔のまま奥さんを見たが、奥さんも「いいから、いいから」と言って定光の背中を押し、店の外に押し出されてしまった。
 定光は何度も頭を下げて礼を言うと、病院に向かった。
 
 
 陽はもうとっぷり暮れて、外来が終わっている病院は閑散としていた。
 面会時間は夜の8時までだ。定光は病室に急いだ。
 エレベーターを降りてナースセンターの前を通ると、声をかけられる。
 今朝の食事の件について、担当医師から正式に許可が出たとのことで、今晩の夕食から滝川の分は出されていないという。
「お手数をおかけしました」
 定光が頭を下げると、なぜかナースセンターにいた看護師全員が「いいえぇ」と笑顔で返事をした。どうやら定光は、この病棟で既に有名人になっているようだ。
 定光が滝川の病室を覗くと、ぼうっとした顔でテレビを見ていた滝川が定光を見て「腹減った」と呟いた。
「かねこで作ってもらった。銀ダラみりんだぞ」
 滝川の表情が明るくなる。
 定光はテーブルを出して、袋の中の折を並べた。
 フォークを滝川に手渡す。
 右手が動かないため、箸は使えない。
 しばらくは和食と言えどもフォークやスプーンを左手に握って食事をするしかない。
 黙々と食べ始めた滝川を横目に見ながら、ポットでお湯を沸かす。
「お前の分もあるじゃん。食えよ」
「ああ」
 定光は急須に茶葉を入れつつ、ベッド横の椅子に座る。
 滝川が食べている姿にほっとしながらも、定光は気になることを訊いた。
「今日からリハビリ、始まった?」
 滝川がチラリと定光を見る。
「先生がそう言ってたからさ」
 定光が呟くと、滝川は「今日はマッサージだけされた」と答えた。
 滝川からいろいろ聞き出すと、かなり右手は凝り固まっていたらしく、肩から腕全体をマッサージされたらしい。右脚はまだ多少なりとも動くので、幾分かはマシだったようだ。
「明日には、系列のリハビリ病院に移れってよ」
 滝川はそう言った。
 ということは、一酸化炭素中毒の後遺症は右半身の麻痺のみと判断されたということだ。
 医者からは、後から深刻な症状が出てくることもあると言われていたので、なんとなくほっとしたが、とはいえ右半身の麻痺だけでも十分に重い症状だ。
  ── 何か少しでも回復の兆しが見られれば、希望も持てるのに……。
 定光はそう思ったが、口には出さなかった。
「そういや、ショーンはどうしてる?」
 食事を食べ終わり、行儀悪くげぷっと息を吐き出してから滝川がそう訊いてくる。
「ショーンは帰ったよ。アルバムの編曲作業中に来てくれていたんだ」
 滝川のマグカップにお茶を注ぎながら、定光は答えた。
 滝川は、へぇーと返事したきり、特に何も言葉を続けなかった。
 滝川にはノートで協議した内容は伝えていないから、特に何も思うところはないのかもしれない。
 定光は、今そのことを伝えていいか迷った。
 以前の定光なら、なんでも正直に話すのが一番と考えていたが、滝川の夢遊病のことを告げた時の苦々しい一件が頭の中に残っていた。
 今それを伝えることで返って滝川を追い詰める可能性があると思うと、言い出し辛かった。
 定光が滝川が食べ終わった後の折を手に取って夕食を食べ始めると、滝川はその様子をジッと見ていた。
 視線を感じた定光は、「ん? なんだ?」と訊ねる。
 滝川は、ゴムで縛られた定光の毛束の先に触れると、「結局切らなかったんだな」と呟いた。
「切るどころの騒ぎじゃなかったからな」
 定光がそう答えると、滝川はヒッヒッと引き笑いをしながら、「確かに」と言った。
 しばらくの沈黙の後、またポツリと滝川は言う。
「お前、ババアの死に顔見たか?」
 その質問にドキリとして、定光は滝川を見た。滝川は定光を探るように見ている。
「お前、どうせ現場に来たんだろ? それにババアもこの病院に担ぎ込まれたんだって、ボインのナースから聞いたぜ」
 定光は一つ深呼吸をすると、「ああ、見たよ。少し遠くからだったけど」と答えた。
「どうだった?」
「どうだったって……」
「苦しそうにしてたか?」
 定光は首を横に振った。
「意外に穏やかな顔つきだった。満足そうな」
 そう滝川に答えているうちに、またあの暗い怒りの感情が湧き上がってきた。
  ── お前と一緒に死ねたって思ったんだろうな。そうじゃなくてザマァみろだ。
 内心定光はそう思ったが、口には出さなかった。
 滝川が一緒、僅かだが表情を緩めたように見えたからだ。
 減らず口を叩いてはいるが、やはり血を分けた母親だ。心中は複雑なのだろう。
 滝川は、定光の答えに、「そうか」と返事しただけだった。

 

この手を離さない act.81 end.

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編集後記


皆様、2017年の年の瀬、いかがおすごしでしょうか。

「おてて」の二人は、全然年の瀬を平和に迎えられない様相を呈しております(汗)。
(いや、物語中の季節は秋だから、当たり前)

いろいろと困難なこの状況を、どう乗り越えていくのかがこの物語の肝となりそうです・・・。

こうしてお話を書いていると、書いている時のキャラの心情に気持ちも引っ張られていくから、国沢の頭の中も実はあんまりお祝いムードじゃないんだよね・・・・。
妄想魔神の弊害です。
ま、好きでやってることなんで、仕方ないですけど。

あ、そうだそうだ。
今日は、皆さんにおすすめのドラマをご紹介せねばと思っていたんだ。

それは、現在NHK総合で毎週日曜夜11時から放映されてる

「THIS IS US 36歳、これから」


本当は今日日曜日なんだけど、こんばんはさすがにお休みで、次回13話は1/7の23:15からだそうです。

「あら、途中から観たってわっかんないわ〜」とおっしゃる奥様方もご安心。
NHK様が、新春から再放送をしてくれます!!

1月3日(水)[(火)深夜] 午前0時15分~3時50分 第1~5回
1月4日(木)[(水)深夜] 午前0時05分~2時27分 第6~9回
1月5日(金)[(木)深夜] 午前0時15分~2時26分 第10~12回

すってき〜!

いやぁ、このドラマがなんだか泣けるのよ。
他のドラマみたいに殺人事件も大事故も起こらないけど、

とにかく泣けるのよ。

国沢の中の「いいドラマ」・「いい映画」の条件は、それを見ていたら”なんだか自分も創作意欲を掻き立てられる”ように感じるというもの。
このドラマが、久々にそう感じさせてくれました。
本当に久しぶり。この感覚。

それぞれの登場人物の日常を丁寧に描いているんだけど、脚本も場面のつなぎ方も、本当によく出来ているドラマだと思います。
キャラの設定も魅力的で、捨てキャラ一切なし。
脇役に至るまで、人生を感じさせてくれる神ドラマ。

物語の筋を話しちゃうと面白さがなくなっちゃうんで、ぜひとも観て感じてほしいと思います。
最初はいろんな人が出てきて訳がわからないだろうけど、それがやがてひとつの筋になって謎がどんどん解けていきます。
そしてその謎や人々の関係性がわかってきたら、またすぐ新たな謎や疑問が出てくる・・・と言った具合。
日本語吹き替えだから、字幕苦手な方でもOKですよ。

それではよいお年を。

2017.12.31.

[国沢]

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