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この手を離さない title

act.60

 定光専用のワークスペースが編集室内に構えられてから、滝川の様子がすっかり落ち着いた。と同時に、パトリック社内も無事平穏な日々を取り戻した。
 滝川の休憩問題が、定光が隣で作業をすることによって、自然に解決されてしまったからである。
 普段は編集作業に没頭すると何時間も意識が"潜りっぱなし"になる滝川だが、定光が制作をしていると、その様子が適度に気になるようで、自分の作業で切りのいいタイミングがきたら、定光の様子を覗き込んでくるようになったのだ。
「こんなに皆が穏やかに働けることになるんだったら、最初からこうすればよかったなぁ」
 週に一回の全社ミーティングで社長の山岸が呑気な声でそう言うと、定光以外の全員が ── むろん、滝川はミーティングに参加していない ── 朗らかにハッハッハと笑い声を上げた。
 滝川が荒れる悪影響は経理部門の職員まで及んでいたのか、経理部の部長・池上ですら、「投資対効果は絶大でしたねぇ」と微笑む始末だった。普段は、「経費節減!」と怒鳴り散らしながら、いろんな部屋の電気やエアコンを消しまくっている男が。
 最後は、「定光様〜」と神様を崇めるように皆から拝まれて、定光は頭を抱えた。
 まぁでも、皆が安心して働けるのなら、これも致し方ない。
 それに定光の作業中に滝川が横から覗き込んできても、珍しく定光の邪魔をするでもなく、実におとなしくしているので制作の邪魔にはならなかった。
 時折定光が滝川の意見を求めると、見るからに嬉しそうな顔つきで真剣にあれこれ意見を出してくるので、迂闊にも定光は内心"カワイイやつ"と思ってしまっていることもある。定光は、そう思う度、まるで自分が"親バカ"かなにかになったような気がして、少し自己嫌悪に陥ったりするのだった。


 「うーん……」
 その日の定光は、シンシアの撮影した写真素材を使ったシングルジャケットのデザイン作業を終えたところで、腕組みをして唸り声を上げた。
 あの滝川が自分の作業の途中で手を止め、定光の方を見てくる。
 定光は、滝川の編集画面を見て切りが悪い状況だと理解すると、「俺の方は気にするな」と言って、作業に戻るように手を振った。だが滝川は気になるようで、席を立つと定光の席の後ろに立って、画面を覗き込んでくる。
「 ── なんだよ。第1ラフとは思えないぐらい、完璧にできあがってるじゃねぇか」
 滝川がそう言う。
 定光はシンシアの撮影した最高の素材を壊さないように、細心の注意を払って、文字情報をレイアウトしていた。どうやら滝川が見ても、付け入る隙がないくらいの仕上がりだったようだ。
「もうこれでいいじゃん。なんで唸ってやがるんだ」
 定光は再び画面に向き直りながら、「何となくだけど」と前置きして、「この写真を公に出すのは、まだ早い気がしてきた」と言った。
「なんだかうまく説明できなんだけどさ……。この写真は、アルバムジャケットで使うべきものじゃないかって……。いや、最初の計画では、もちろんそっちにも使うつもりで元々撮影したんだから、それはそうなんだけど……。ショーンの実家の前の写真は中面に使う写真だから……。ああ、ごめん、なんだかシドロモドロでうまく言いたいことがまとまらない……」
 定光はそう言いながら、髪の毛を掻き乱し、ふと自分が髪を結わえていることに気づき、ため息をつくと、髪ゴムを外して変に乱れた髪を再び結わえ直した。
 その間滝川は画面を見たまま、仕切りと考え込んでいる様子だったが、ふいに「あー、そういうことか」と頷いた。
「ようは、この写真が、シングルジャケットで使うには意味が深過ぎるって言いたいんだな」
「そう!」
「アルバムジャケットの表に持ってくるのが相応しいってことか」
「そう!」
 定光が滝川の顔を指差す。
 滝川は、顎に手を当て、「うーん」と先ほどの定光のように唸った。
「まぁ、確かに言われてみれば、アルバム全体を象徴するような写真ではあるな。まさか普通の人ンチの前で撮った写真がここまでクオリティー高く仕上がるとは思ってなかったしな」
 滝川が自分の椅子を引っ張ってきて座る。彼も本腰を入れて議論をしなければ、と思ったらしい。
「最初の計画なんて単なる計画なんだから変えりゃいい。けど、こいつをアルバムジャケットの表に持っていったら、シングルの素材はどうするんだ?」
「 ── それなんだよなぁ……」
 定光が目に見えて項垂れる。
「いくらアルバムの方が大事だからって、シングルを疎かにするわけにはいかない。シングルの売り上げがアルバムの売り上げにも直結するんだし」
 自分でそう言っているうちに定光はどんどん気持ちが重くなる。
 シンシアの写真をアルバムジャケットに使う考えは固まっているが、だからといってシングルジャケットの素材をどうするかまでの妙案が浮かんでいるわけではない。
「ノートやエニグマ側に計画変更を伝えるにしろ、シングルジャケット代案がなけりゃ、言えねぇよなぁー」
 滝川に痛いところを突かれ、定光は更にムグッと口を噤んだ。
 しばしの沈黙が流れる。
 やがて滝川は呆れたようにため息をつき、「オコネルの撮った画像の中から探すっきゃねぇだろ。こうなったら」と呟く。
 それを聞いた定光は、ガタリと椅子から立ち上がった。
「その手があったか! なんでそのことに気づかなかったんだろう!」
 一気に元気を取り戻した定光を横目に見ながら、滝川はだらりと身体をテーブルの上に凭れさせ、定光を見上げた。
「でもお前、膨大な量の画像データからこれぞというやつを探さなきゃなんねぇぞ。それにスチールと違って映像データは画質がそこまで良くねぇから、そのままじゃ印刷に使えねぇからな。なにか知恵をシボらねぇと」
「それはわかってる」
「時間もそうねぇんだろうが。ラフ出しまでに」
「それもわかってる。 ── とにかく、頑張るしかない」
 硬く口を引き結び、決意を新たにする定光に、滝川は苦笑いしながら、「お前もよくやるよ」と呟いて、自分のパソコンに入っている画像データを定光のパソコンでも見られるように準備を始めたのだった。


 実際のところ、定光が数日徹夜する勢いで画像を探し出しても、デザイン案を提出する期日には間に合いそうにないことが次第に明らかになってくると、定光があたふたし出す前に動いたのは滝川だった。
 数日間家にも帰らず孤軍奮闘している定光に、「作業を続けてろ」と声をかけると、自分が編集していた画像データをディスクに書き出し、黙って出ていった。
 後から夕食を差し入れに来た村上に事情を聞くと、ああ見えて滝川はシングル曲のPVをいつものように下手に捏ねくり回すでもなく、いつの間にやらきっちりと仕上げていて、由井と笠山を引き連れてノートに行っていたらしい。
 PVの出来でノート側を黙らせると、「これをエニグマ側と検討している間、シングルジャケットのデザイン提出日をもう少し伸ばしてくれ」と交渉してきたのだそうだ。
 滝川は、彼を敵に回すと怖いと感じさせるが、それだけにこうして味方側でいてくれるとなんとも頼もしい。しかもその少々強引な交渉術はずる賢い笠山のそれとは違うが、笠山に引けを取らないくらい上手いともいえる。
 おかげで、定光は3日の猶予を与えられ、なんとか仕事を仕上げることができたのだった。


 定光が提案した企画変更案は、やはり当初はノートもエニグマも難色を示した。
 しかし、定光がシングル曲のジャケットデザイン案と同時にアルバムジャケットのデザイン案を揃えて提出すると、まずはエニグマ側 ── 正確にはラクロワが ── あっさりと了承した。
 定光が寝る間を惜しんで探し出したシングル曲用の画像素材は、シシーがショーンの実家にある玄関ポーチの階段を降り切って、手摺から手を離す寸前の場面を切り取ったものだった。
 これはPV本番用に撮影された画像ではなく、休憩中にたまたまカメラが回っていた時の画像だ。
 衣装を身にまとったままのシシーが誰かに呼ばれて、少し緊張気味の表情を浮かべながら、呼ばれた方向を見つつ画角から出て行こうとする姿が、シングル曲のテーマである"ショーンの母親の決別と旅立ち"を象徴しているようで、曲の内容を予感させる仕上がりとなっていた。
 色は鮮やかだが、わざと荒らしたような画質が、どこかノスタルジックなイメージも抱かせる。
 確かに、シンシアの写真とは完成度の質が全く違う、隙のある流動的なものだったが、その不安定感がショーンの母親の不安感や刹那的な感情をうまく表現していた。
 こうして"デザイナー定光"の最初の仕事は無事関係者全員の了承を受け、印刷とプレスの工程へと進めることができたのだった。


 滝川が帰宅をすると、一足先に午後から帰宅をしていた定光は、リビングのソファーの上で横になって眠りこけていた。
 彼にしては珍しくテレビもつけっぱなしで、短パンにTシャツ、首にタオルを引っ掛けたままの姿だったので、おそらく帰宅して食事をし、風呂に入った後テレビを見ていたら眠くなってしまったのだろう。
 会社に泊まり込みの最中でも、あまり眠っていなかったようなので、当然といえば当然だった。
 滝川はソファーの傍に荷物を降ろし、しばし定光の寝姿を眺める。
 髪の毛はまだ生乾きなのか、濃いブラウンのように見え、なんだか色っぽい。
 定光は知らないが、最近会社内でも定光が妙に色っぽくなってきたと特に女性社員を中心に噂になっていることを滝川は知っていた。
 長く伸びた髪を無造作に縛っていて、その後れ毛がセクシーだと言う者もいたし、表情に艶っぽさが出てきたと言う者もいた。
 定光はどちらかというとオシャレには無頓着で、いつもシンプルな格好をしているが、それだけに余計に定光の変化がわかりやすく見えるのかもしれない。
 定光自身、自覚はないのだろうが、滝川に対して時折甘い目線を向けたりしてくる時がある。
 恋する乙女はどんどんキレイになっていくとはよく言ったもので、定光もまさにそのような感じだった。
  ── その恋の相手は、むろん俺だがな。
 滝川はそう思うと、フンと鼻息を吐き出して、寝ている定光を再度眺めた。
 なんだかムラムラしてくる。
 よく考えたら、アメリカから帰ってきてから、ろくにスキンシップもしてなかったので、ムラムラするのは当たり前だ。
 滝川は定光の短パンにそっと手をかけた……。

 

この手を離さない act.60 end.

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編集後記


えー、こんちには。
今日は、本来なら先週書きたかったミッチロリンツアーの感想を少しだけ書きたいと思います。

今回は、ファイナル大阪公演に参加してきました。
本当なら、神戸や香川の公演に行くことが多いのですが、先行予約の日程をど忘れしていて、気づけば行ける公演がファイナルしかなくなってた(汗)。

老人力、おそるべし・・・。

ということで、ファイナルでチケットを取ってみたらば、3階席だった(大汗)。
こんなことは、未だかつてない。
過去に一回行っただけじゃあきたらず、急遽もう一回行こう!となった時に一般購入して3階席っていうことはありましたが、先行予約で3階席ということは、今までなかったのよねん。

ファイナル、おそるべし・・・。

ミツヒロさん自身も「ファイナル、あっという間に売り切れた」ってコメントしてたから、買えただけでもよかったのだろう。

ツアーを回る場所がどんどん減ってきて、このままツアーやらなくなるんじゃ・・・という危機感を毎年抱いておりましたが、ファイナル瞬間SOLD OUTなら、まだやってもらえるよね???
いや、その前に年齢と体力の相談か???(彼も私も共に(笑))

公演自体は、安定の仕上がりでよかったです。
ただし、ファイナル公演の会場の3階席は、勾配が急でとてもとてもとても怖かった(滝汗)。
席から立つと下に落ちそうだと感じるほどの勾配と高さ。
高所恐怖症の友人は、「背筋が凍る」と呟いてた(笑)。
恐怖症でないアタシでさえ怖かったからねぇ。そらそうでしょうよ。
ステージ全体を見渡せるのはいいけどね・・・。
今回は、リズム隊がとてもアグレッシブで、変拍子とかズイズイ入れてくる場面とかがあって、とてもおもしろいし、うまいと思わせてくれる演奏でした(ミツヒロさんの歌唱力よりそっちの話かっていうwww)
ああ、1階席で思う存分踊り狂いたかったわ・・・。
しかし殿も当然、すばらしいパフォーマンスを見せていただきましたよ。

歌! ダンス! そしてオヤジギャグ!!!

少し風邪気味?だったのか、公演の疲れが出ていたのか、妙なテンションだったし(笑)。

彼は、余計な飾りが全て取り払われた「素」に近い状態の彼の時が一番輝きが増すと国沢は思っているので(笑)、極限に追い立てられた様を見るにつけ、美しい・・・と思います。
1階前の方の席だったら、泣いていたかなぁ・・・。
3階だと表情までははっきりとわからないので、そこまで盛り上がれませんでした。
(てか、3階席の恐ろしさよ・・・)

数年前の5列目の時は、燃え尽きて死にそうになってるオイカワさんに直面して、号泣してしまったこともあったなぁ。
人間、やっぱ限界を超えて魂を燃やしている人を目の当たりにすると、自然と泣けてくるものです。

それではまた。

2017.7.30.

[国沢]

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