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この手を離さない title

act.27

 案の定。
 定光の提案は、ノートのスタッフに驚きを持って受け止められた。
 そして次の瞬間には、その驚きが困惑に変わった。
「今回のアルバムは、それぞれの曲の背景にショーンの父親と母親の出会いから結婚、ショーンの誕生、父親と母親の葛藤、両親の死、そして養父の無償の愛と生まれた町の思い出と旅立ちについて振り返るショーン自身の歌で締めくくられています。全体を通して、過去の消化と新たに本当の大人へとステップアップしていこうとするショーンの決意を感じました。時に激しく、時に静かに表現されている曲全てから、僕はすごく力を感じました」
 定光の中では完全にアイデアが理論と結びついているのか、その口調に迷いはなかった。
「その曲ひとつずつのイメージが、この風景達だと、そう言うんだね」
 久保内が、企画書に添えられた数々の雄大な風景の写真を眺めながら、そう呟く。
「はい」
「歌詞が掲載される隣のページにそれぞれの景色の中に立つショーンの写真をレイアウトする……と」
「はい」
「ショーンの衣装は、なんでこんな古風な衣装なの?」
「これまでショーンは、ほとんどカジュアルな服装での写真が多く、"大人"というイメージからは遠い存在でした。エニグマでスーツを着て撮影された写真ですら、ショーンの若さというか、瑞々しさが優先されて表現されていて、大人っぽさとは違うことを連想させるものだったと思います。── 前回の和装は、ショーンの意外な姿を見せることで、"自由さ"をうまく表現できたと思っています。今回は、"威厳"とか"思慮深さ"、"大人になることの厳しさ"……そういうものを連想させたかったんです」
「なるほど」
「この服装は、18世紀のアイルランド人の服から着想を得ました。アイルランドは、ビル・タウンゼントのルーツでありショーンのルーツでもあります。フロック・コートが生まれた十八世紀、アイルランドはイギリス統治の弾圧から独立する機運が高まった時代でした。それに大変な飢饉もあって、アイルランドからの移民も多く出た。おそらくタウンゼント家の祖先がアメリカ大陸に移住してきたのも、この時代だったと推測できます。ショーンの血に流れるルーツを辿って、行き着く先の"自律した大人の姿"が、この衣装だったたんです」
 定光がそう言い切ると、その場にいた一同が、うーんと感心したようにため息をついた。
 定光の主張は説得力があったからだ。
 滝川は、言葉でしっかりとプレゼンする定光を横目で眺めた。
 数日前までモヤモヤしていたのが嘘のようだ。
 滝川に頭の中の交通整理をしてもらって、自分の中で確固たるイメージができたのだろう。
 こうして身体と思考が完全に合致した状態の定光は、何よりも意志が強くなる。
 撮影ロケ地の選定や滝川の絵コンテに意見を言う時などにたまにこういう表情を見せる時があるが、そういう時は定光の言う通りにした方がいい結果が出ることは、滝川は経験で知っていた。
 だが、企画がいくら力強くても、ようは受ける側にその良さを理解する力量があるかどうかだ。
 これまでの定光のグラフィックワークでは、いつもここで先方にひっくり返されるのが常な訳だから。
 案の定、久保内の隣に腰掛けていた女性スタッフが、
「この企画が筋が通っていることは理解できますけど、現実問題として実現可能かどうかは……」
 と渋い表情を浮かべた。
 その周囲のスタッフ達も一様に同じ表情を浮かべる。
「だって、それぞれの場所もそうですけど……、このペンギンなんて十一月にならないと撮れないシチュエーションな訳でしょ? 今から五ヶ月先なんて、ちょっと時間がかかり過ぎじゃないですか? それに今はCDよりもダウンロード販売の方が主流になってきていますから、ヴィジュアルワークにそれほどのコストをかける必要があるのかしら。一枚二枚、印象的な写真が撮れればそれで充分だと思いますけど。それを10枚だなんて……」
 ── やっぱ女は現実的にできてるなぁ……
 滝川は、ペンを手の上でくるくると回しながら、ぼんやりと女性スタッフを眺めた。
 女性スタッフが滝川の視線に気がつき、滝川の方を見ると、なぜだか顔を赤らめる。
 ── いや、あんたを口説くつもりはまったくないんだけど……
 滝川はそう思いながら、久保内の方を見た。
 久保内は両手で頬づえをつきながら、テーブルの上の資料をただ黙って見下ろしていた。俯いているので、その表情は窺い知れない。
 強い表情を浮かべていた定光も、過去の苦い経験が蘇ってきたのか、少しずつ自信なさ気な顔つきになってくる。
 そんな中、滝川はのらりくらりと口を開いた。
「まぁ確かに法外なアイデアだとは思いますけどね」
 その場にいた全員の視線が滝川に集まる。
「でも、金と時間さえかけりゃ、どれも実現は可能です。そちらにも販売戦略があるんでしょうが、ショーン・クーパーにはもう充分稼がせてもらってる訳でしょ、あんた達」
 滝川がそんなことを言い出したので、滝川の隣に座っていた笠山が、「お、おい〜、お前〜。なぁにを言ってるのかなぁ?」と素っ頓狂な声を上げた。
 だが滝川はお構いなしに先を続ける。
「ショーンも別に今までの売り上げで一生暮らしていける金は手に入れてるんだから、今更金儲けがしたくてアルバム出すんじゃないでしょうが。ようは、表現したい何かがあるからアルバムを出すんでしょ? そのアルバムのテーマがきちんと表現されてる企画なら、あんた達がやるかやらないかを決める前に、まずはショーン本人に企画内容を説明するのが筋ってもんじゃないですかね」
 滝川はそこまで言っておいて、ジャケットの内ポケットからiPhoneを取り出し、ある人物の連絡先を表示させた後、そのiPhoneをテーブルの上で滑らせて、俯いたままの久保内の顔の下にそれを潜り込ませた。
 そして「俺がラクロワに直接かけあってもいいけど」と英語で捲し立てる。
 ラクロワとは、契約を交わす時に彼女の方から連絡先を交換してほしいと申し出があって、iPhoneを交換して直接連絡先を入れあった。
 ラクロワは、例の件に対する滝川と笠山の対応を随分楽しんだようで、特に滝川のことは今回の件でいたく気に入ったようだ。
 この企画、ラクロワならのってくると滝川は確信していた。
 久保内が目線だけ上げて、滝川を見る。
 これまでの温厚そうなイメージの彼とはかけ離れた、鋭い目線だ。
 力関係でいえば、ノートよりエニグマの方が確実に上のはずである。
 ラクロワさえ説得できれば、あとはショーンがやりたいと思うかどうか、だ。
 滝川は意地でもラクロワを説得するつもりでいた。
 そのためなら、自腹でNYに飛んでもいいとさえ思っている。
 定光の企画は、それだけのことをする価値があると滝川は思っていた。企画の内容自体も面白いが、ビジュアル的にも実に面白くて美しいものに仕上がるとの予感が止まらない。
 こんなオモロイ企画をけち臭い奴らのつまんない価値観でオジャンにしてたまるか、と滝川は思った。
 とはいえ、すぐにうんと頷かない久保内に、滝川は強引に押し過ぎたかな? と、少し引いてみることにした。滝川は、“空気が読めないヤツ”と日頃から皆にそう思わせているが、それはそうした方がいろいろ楽なことが多いからだ。押しどころと引きどころは一応弁えている。滝川は、ただ勢いで押しまくる単細胞バカとは違う。
「むろん、ショーン・クーパーが断ってきたら、こちらも潔く諦めますけどね。 ── なぁ、ミツ」
 滝川がそう言いながら、定光の脇腹を肘鉄で小突くと、定光は夢から覚めたように目を瞬かせ、「あ、ああ」と頷いた。
 久保内は身体を起こすと、滝川のiPhoneを滝川がしたようにテーブルの上を滑らせて返してくると、英語で「噂には聞いてたけれど……」と呟き、やれやれといった風に頭を左右に振った。
 そして今度は日本語で、「企画内容については、よくわかりました」と言った。
「確かに、我が社の中だけで決定できることではないので、少し時間をください。ミスター滝川が言うように、きちんとショーンにも企画内容を伝えます。それでいいですね? 定光君、笠山さん」
「え、あ、はい! そりゃぁもう……」
 笠山が手揉みをしながらそう答える。
「では、結果が出たら、お知らせします」
 久保内がそう言いながら席を立ったので、自然と会議は終了となった。


 その週の週末は、新しく契約した新居へ定光、滝川共に引っ越しをした。
 アルバムジャケットの企画案が先方で検討されている間は一先ず仕事はアイドリングの状態なので、その間に時間がかかることは先に済ませてしまおうと思ったからだ。
 あの企画案が通れば、撮影の段取りや手配に日々の時間が撲殺されていくのは目に見えて明らかだし、企画案がぽしゃれば、すぐさま新しい企画案を練らなくてはならなくなる。
 二人まとまった時間が取れるのは、近々では今のこのタイミングしかない。
 引っ越しの家具はほとんど定光の家から運び、新しく買い足したものといえば、ダイニングテーブルとベッド、冷蔵庫だけだった。
 ベッドは滝川の家のものを運んでもよかったのだが、それはなぜか滝川が嫌がった。
 大きなベッドを移動させるのが面倒臭かったのか、それとも過去の女達とのことを思い出すから嫌なのか、理由は定かでない。
 滝川は、家具付きであのマンションを貸し出す方が賃貸料が増額できるからと言っていたが、あながち本当にそれだけの理由なのかもしれない。
 結局ベッドは、IKEAで購入することにした。
 滝川はもっとキチンと金をかけて、いいベッドを買おうぜとごねたが、滝川のように湯水のように金を使うことが定光には抵抗があった。
 最初はIKEAにキングサイズのベッドがないと不平を言い散らしていた滝川だったが、ダブルベッドの方が互いに側に感じられていいじゃないかと言ってやると、途端に滝川は機嫌を良くして、ベッドのデザインを選び始めた。
 定光としては、八畳の寝室にキングサイズのベッドなんかを置いたら、他に何も置けなくなると心配しての方便だったが、なんだかこの一件で滝川を上手に操る極意みたいなものを体得したような気分になった。
 冷蔵庫も、これから二人分の食材を入れることになるからと、買い替えを決めた。
 元々定光の家の冷蔵庫は古いものだったし、電気代を考えれば、新しい製品の方が大きいにもかかわらず電気代はお得だった。
 引っ越しの段取りは比較的簡単だった。
 ほとんどが定光の家から運ぶものばかりで、滝川の私物はボストンバッグに詰め込んだ服と小物程度で、滝川は実に身軽だった。
 元々あまり物に執着しないタイプらしい。
 思えば、滝川の住んでいたマンションも、家具はそれなりのものが揃っていたが、中はモデルルームみたいにガランとした印象の生活感にない部屋だった。
 したがって、二人の荷物で早くも室内がいっぱいになる……なんていう事態は免れた。
 それに、ベッドと冷蔵庫、ダイニングテーブルという大きな家具は購入して、搬入を業者に頼んだことも良かった。
 後は、男手二人いればなんとかなるものばかりで、会社のバンタイプの車を借りて数回行き来すれば、それで引っ越し荷物は全て運び入れることができた。
 だが滝川は、定光にこき使われ続けて、次第に不平を言い始める。
 荷物の細かな整理に飽きてきた様子の滝川は、ソファーの上にダラリと寝転がり、「こんなの村上呼んでやらせりゃいいじゃん」と愚痴りはじめる始末だった。
 定光は食器を戸棚に片付けながら、「村上なんか呼べる訳ねぇだろ」と即座に言い返した。
 二人で広い部屋に引っ越すことにしたことまでは会社の人達に話してはいたが、この部屋に社内の誰かを招いて間取りを見られた途端、この二人暮らしが"同棲"だってことが容易にバレてしまうはずだから、それを社内の人間に知られるのは激しい抵抗感があった。
 定光の滝川を想う気持ちは揺るぎなかったが、かと言ってそれが公にされるのは流石にまだ勇気がない。現時点では皆、滝川と定光がセクハラ寸前でじゃれ合っているのを呑気に笑って見てくれているが、それはあくまで"冗談"と思っているからこそ許されているのであって、これが本気の関係だとバレれば、会社の皆がどんな反応を示すのか考えただけでも正直、怖い。
 いくら昨今の社会情勢が同性同士の恋愛に門戸を開いてきたとはいえ、つい最近まで定光もそちら側ではない人間だったのだから、身近に男同士で付き合っている同僚がいるとわかったとしたら、やはりどう接していいか正直戸惑うと思う。
 しかしそんな定光に比べ滝川は、そんなこと気にもかけてないようだ。
 不動産屋での態度を思い返すだけで、滝川が定光との関係を他人に隠すつもりが全くないことは痛感させられた。
 だからこそ滝川には、新たに二人の生活を始めるに当たって、約束をさせた。
 決して外で二人の関係を言いふらさないこと、と。
 最初滝川は、定光がなんでそんなことを言い出すのか理解できんというような表情を浮かべていたが、定光が不安に思っていることはちゃんとわかっているようだ。
「わぁったよ」
 滝川はそう一言言って、以後の言動はトーンダウンした。
 だが思考パターン自体は変わった訳ではないらしい。
 現に今も、「なんで村上呼んだらダメなんだよ」なんて返してくる。
「ミツ、お前、この部屋に誰も呼ばねぇつもり?」
 確かにそれは痛いところを突かれた気になったが、だが二人が恋人同士として付き合ってると知らない人達に、寝室が一つしかない間取りの部屋を見せる勇気はない。
 定光は滝川の方を振り返ると「お前は、俺とお前だけの大切な空間に誰かを入れるつもりなのか?」と言い返してみた。
 IKEAでベッドを買う時に会得した"方便作戦"だ。
 案の定、滝川はひょこっと身体を起こすと、にこーっと子供のような笑顔を浮かべて、定光の背後に近づき、後ろから定光を抱き締めてくる。
「そうだな。俺とお前の愛の巣だもんな、この部屋」
 滝川はそう言いながら、定光の襟足の髪を掻き分けて、チュゥッとキスを落とした。
  ── よし、当面は滝川がごねだしたら、この作戦でいこう。
 定光は心の中でうんと頷いた。

 

この手を離さない act.27 end.

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編集後記


次週、お久しぶりのステルス更新となりま〜す。

なんだか凄く間延びした編集後記・・・(笑)。
一応、今週もミツさん仕事バージョンメインでお送りいたしました。
まぁでも、本当に実現するのに大変な企画だよね、これ・・・。
今の時代、CD売れませんからね。ノートの女性社員が言ったように。
まぁ、ダウンロード販売にするにしても、PDFのデジタルブックにしたてて見てもらうって手もあるんだと思いますが、スマホで歌詞カード見る人なんて、どれくらいいるんだか・・・。
便利にはなったけど、味はどんどんなくなっていく時代だなぁと思います。
国沢ですら、もう滅多にCD買わないしね。
ジャケ買い、なんて言葉、もう死語ですよね(←ジャケ買いでたくさん失敗してきた口)。

さてさて。
私事ですが、現在もうひとつの二次創作の執筆に気を取られて、「おてて」がすっかり停滞気味の状況でございます。
なるべく早くあちらのシーズン6分を書き上げ、こちらに戻ってきたい気持ちではいるのですが、今あるストックが切れた場合は、更新をお休みするかもしれません(汗)。
いやぁ、意外にあちらが歯ごたえがあってですね・・・。
ドラマ本編の大暴れ振りも相まって、大火事ですよ、大火事(笑)。
たかが二次創作なんですが、されど二次創作で、二次創作ならではの苦労みたいなものもあり、なかなか書きごたえがあります。ストーリーの組み立て方とか、凄く勉強になるし。

なるだけ「おてて」のストック切れは避けたいと思っていますが、もしそうなってしまったら、何卒ご容赦いただければ・・・と思います。
それにあとひとつ、またもや私事で新しく始めようとしていることもあるしな・・・。
偶然にも、マヤ暦の「始まりの赤の年」を身をもって証明しようとしている国沢です。

ではまた〜。

2016.11.6.

[国沢]

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