act.35
例の"禁"が明けても、なぜか滝川は、定光に手を出してこなかった。
定光からしてみれば、些か肩透かしを食らったようで、何だか妙な感じだった。
結局滝川は、エレナ・ラクロワに定光の"ポスター"を本気で送ってしまったらしい。
村上に「ミツさん、相当新さんを怒らせたでしょ」と言われたことが、定光の胸に棘のように刺さっている。
元々"一週間俺に触るな"の禁の原因を作ったのは滝川の方だ。
なのに滝川に逆ギレされ、禁が明けても放って置かれるだなんて、定光としても納得できないのだが、定光とてプライドはあるから、「なんで触って来ないんだよ?」だなんてとても口に出せない。
なんだかんだで週末の金曜日が来てしまった。禁が明けてから、もう二日も経つ。
その週末は、残業続きの定光を慮って、笠山が「今日は強制的に早く帰れ。休み中も絶対に会社に出て来るな」と定光を会社から追い出してしまった。
笠山とて、「定光がパンクしないように俺が見張る」宣言をしているだけに、気にしてくれているのだろう。いつもは滝川と別の方向でちゃらんぽらんな笠山が、そうして気にかけてくれるのはありがたいことだった。
笠山は確かに本人が言う通り"腹黒い"ところ満載だったが、それでも根は筋が通った優しさも持ち合わせている。だからこそ、あんな感じのキャラクターでも、社内で本気の陰口を叩かれることなくやれているんだと思う。
ということで、その日定光は定時に帰ったのだが、既に滝川は一足先に家に帰っていて、ソファーで寝っころがりながらタブレット端末でYouTubeを観ていた。その表情は、機嫌が悪いというよりはごく普通の表情で、実に大人しいものだった。
定光はチラリとそんな滝川の様子を伺いながら、キッチンに立った。
今日は定時に帰れただけあって、駅前のスーパーに寄って久々に食材を購入できた。
外食やテイクアウト続きの食事はやはりコストがかかるので、時間があれば自炊したいと定光は思っている。さほど料理の腕がいいとは思わないが、当たり前に食える程度の料理は作れる。
「おい、晩飯、回鍋肉丼でいいか?」
定光が声をかけると、滝川が「ああ」と生返事を返してくる。その声も、普段通りのものだ。
逆に機嫌が悪いのかいいのかすら読めない。
定光は何だか一人モヤモヤしながら、料理に取り掛かった。
ジュージューと中華味噌に絡んだ豚肉や野菜が美味そうな匂いを立て始めると、その香りに誘われてか滝川がタブレットを持ったまま、ダイニングテーブルに移動してくる。
大きめの器に久々に炊いたご飯をよそうと、その上に炒めた具材をざっとかけた。
それをテーブルの上に置くと、滝川がタブレットを置き、人差し指と中指をクイクイと動かし、ジェスチャーで"スプーンを寄越せ"と催促する。
滝川は、若い頃から渡米して独りきりで暮らしてきたせいか、あまり箸の使い方が上手ではない。お茶漬けでも箸できっちり食べきれる定光とは正反対だ。
定光がスプーンを手渡すと、無言で黙々と食べ始めた。定光は、その様子を見て内心「今日の料理は成功だな」と思った。なぜなら、味付けが悪いと、滝川はどんなに腹が減っていても食べるのをやめる。それは定光の料理以外でもそうだ。外食先でも、そこの料理がマズければ、一切食べない。しかもそういう時は、「マズイ!」と怒鳴り散らすわけでもなく、ただ静かに食べるのをやめるので、会社公認の飲み会の場などで滝川がちゃんと食べてるかどうかチェックするのが定光の癖となっていた。
アメリカでいい加減な食生活を送っていたはずだが、どうやら向こうでもごく限られた店のホットドッグやパスタを食べていたらしい。食べられる店が限られていた、ということだろう。
滝川は、特定の食材に対しての好き嫌いは意外にないのだが、料理の仕上がりに対しては、大層神経質にできている。放っておくと食べずにどんどん痩せていくから、定光としては本当に気を使う。
シンクの汚れ物を片付けて定光がようやくダイニングテーブルに座ると、既に滝川は自分の分の回鍋肉丼を食べ終わって、定光の分の丼の片隅をスプーンでほじくっていた。
「おい、俺の分まで食うなよ」
定光は思わず苦笑いする。どうやら今晩の献立は滝川の口に合ったらしい。
自分の分まで食べられるのは些か困った事態だが、滝川が食べられる時にたくさん食べてくれるのは嬉しく思う。定光の内心は複雑だ。
「もうちょっと食いたい」
そういう滝川に、定光は自分の丼から滝川の空っぽになった器に中身を分けてやった。自分の分が足りなければ、後でトーストでも焼いて食べればいいと思った。定光は、たとえどんなにマズい食べ物でも、それしかなければ最後まで食べる主義だ。むろん美味しいものを食べるのは好きだが、滝川ほど食べるものにこだわりはない。
「美味かったか?」
定光がそう訊くと、滝川はウンと素直に頷いてくる。やはり別に機嫌が悪いわけではないのか。
そうなると、ますます滝川が自分の身体に触れてこないのが気になってくる。
数日前までは、あんなにごねていたのに。
食事を終えた滝川は、満足した表情を浮かべ、う〜んと背伸びしながら「タバコ〜」と呟く。
「 ── お前、食後に絶対タバコ吸いたくなるんだから、どうして一緒に持ってこないんだよ」
定光はそうツッコミながら、リビングのローテーブルからマルボロとZippoライターを取ってきて、ダイニングテーブルの上に置いた。
基本的に滝川には、「タバコはベランダで吸え」と言っているが、それもなし崩しに曖昧になってしまった。あちこちに灰を落とされる方が手がかかるので、結局リビングとダイニングにひとつずつ灰皿を置いてしまっている。
母が亡くなった時にタバコをやめてしまった定光からしたら些か不本意ではあったが、滝川がタバコを吸う姿を見るのは割と好きなので、このような有様となっている。
タバコを吸う時の滝川は、妙に色っぽいのだ。
時折、薄い唇をペロリと舌先で湿らせながら、タバコを咥える。
タバコを咥えると落ち着くのか、ぼんやり子供のような表情を浮かべ、無心に吸っている時もあれば、考えをまとめながら吸っている時もある。
それでも、会社にいる時と比べ、家にいる時の滝川はタバコを吸う本数は少ないようだ。一応、滝川なりに気を使っているらしい。
その日も美味そうにタバコを吹かす滝川を眺めつつ、定光はお茶を飲みながら、ついに気になることを口に出した。
「 ── お前さぁ、怒ってるのか?」
「はぁ?」
滝川がタバコの煙越し、目を細めて定光を見てくる。
「俺がいつ怒ったよ?」
「だって……。俺の背中に絵を描いたのも、嫌がらせのつもりだったんじゃないのか?」
定光がそう訊くと、滝川はヘッと笑った。
「べっつにそんなつもりはねぇよ。エレナがロータスの花が好きだから、それに纏わるポスターが欲しいって言ってたのは事実なんだ。彼女自身でも探してたはずだから、今回の写真ポスターがお眼鏡にかなったのは、たまたまだ。お陰でうちの会社に50万の収入が入ったんだからいいじゃねぇか」
「え?! あれ、売ったのか?!」
「いや、俺はいらねぇって言ったんだけどよ……。あっちがどうしてもって言うから。スーさんにボーナス出すって山岸さん言ってた」
定光は思わず口をパクパクさせた。
スチルカメラの鈴木にボーナスが出ることは喜ばしいことだが、やはり自分の半裸写真が天下のエレナ・ラクロワの寝室にデカデカと飾られるのは気がひける。
「あ、てか、お前もボーナス貰ったのか?」
定光がそう訊くと、滝川は両肩を竦め、「いらないって山岸さんに言った」と言った後、不意にタバコの先で定光を指し、ヒヒヒと笑った。
「そういや、ミツのボーナス、どうするつもりなんだろうな? 一番の被害者なのに」
「やっぱお前、俺が"被害者"だって意識あるんだな」
定光が口を尖らせると、滝川はさもおかしそうに笑い続けた。
ようするに滝川は、こうしてドギマギしている定光を見るのが何より楽しいのだ。だから報酬なんていらないということなんだろう。
「それにしても……。由井さんが驚いてたぞ。お前があんな絵描けるだなんて。ま、驚いてたのは由井さんだけじゃないけどさ」
「ロスの芸術学校で、絵画の授業もあったからな」
滝川はそう言った後、タバコをプカプカと吹かした。
確かに、撮影前の絵コンテも滝川自身がいつも器用に描いているから、多少の絵心はあるだと思っていたが、まさかあれほど本格的な絵が描けるとは思っていなかった。
定光ももちろん絵は描けるが、定光はどちらかというと写真を使ったグラフィック制作が得意なので、下手したら滝川の方が絵画的センスは優れているのかもしれない、と思った。
まったく、"天は二物を与えず"とはよく言われる諺だが、滝川の芸術的才能に関しては、神様は制限を与えなかったようだ。これで滝川は「ミツの方が俺より優れた才能がある」だなんて言うのだから、定光としては些かその点、懐疑的になってしまう。滝川は惚れた欲目でそう言っているのではないかと……。
「ミツ」
タバコを灰皿に押し付けながら、滝川がふいに声をかけてくる。
「ん?」
定光が目線を滝川に戻すと、滝川は冷静な目つきで定光を流し見、「今、くだらねぇこと考えてただろ」と言ってきた。
思わず定光はドキリとする。どうやら定光の不安に揺れる心を見透かされていたらしい。
「いや……別に……」
定光がそう口籠ると、滝川はまたう〜んと背伸びをしながら、
「ちゃっちゃと食器片付けて、ウォーキング・デッド観ようぜ。お前が残業続きだから、ずっとお預け食らってんだからさー」
と言う。
定光は顔を顰めた。
「観たかったら別に一人で観りゃいいじゃねぇか」
「お前が観る時にまた同じの観なきゃいけなくなるだろ〜。面倒臭いじゃん、何度も観んの」
滝川の中にどうやらルールがあるらしい。
「じゃそう思うんなら、お前も後片付け手伝えよ。たまには」
定光が不服そうな声色でそう言うと、滝川はなぜか大人しくそれに従って、食器を洗うことを手伝った。
以前の定光の家から比べて格段に広いシンク周りだったが、180センチ前後の男が二人立つとさすがに少々狭く感じる。
久々に物凄く身近に滝川の体温を感じて、定光はややドキリとしてしまった。そしてすぐに自己嫌悪に陥る。
── これじゃまるで、俺の方が飢えてるみたいじゃないか……。
結局海外ドラマを見る間も、滝川はソファーの端っこに座って普通にしていた。いつもは定光の身体をソファー代わりにして観ることも多いので、それも"おかしい"といえなくもない。
── なんだか変なの……
そう思う定光をよそに、滝川は溜まっていたドラマを観終わると、満足そうに欠伸をして、早々に一人で風呂に入った後、スヤスヤと眠ってしまった。
なんだか肩透かしを食らったままの定光は、結局少し食べ足りなくてトーストを食べた後、珍しく熟睡している様子の滝川を横目で見ながら、床についたのだった。
翌朝。
久々の完全休日で遅めに目覚めた定光は、その心地よい目覚めに布団の中で「う〜ん」と背伸びをした。
横を見ると、まだ滝川は眠りの中だった。
日頃眠りの浅い滝川にしては珍しい。
定光が完全に休日が取れるという安心感もあるのか。
定光は、滝川が熟睡しているのを確認して、そのこめかみにキスを落とした。
滝川の意識がないのであれば、これぐらいはバレないだろう、と定光は思った。
ベッドから起き出し、カーテンを開けて窓の外を眺めると、定光の健やかな目覚めを反映するかのような清々しい天気だった。梅雨の時期が迫りつつあったが、今日は空気もカラリとしている。
白のTシャツにハーフ丈の黒のスウェットという出で立ちのまま、顔を洗い、歯を磨いて、コップ一杯の水を飲んだ。髭は休日だからと、そのまま剃らずにおいておく。無精髭を少しぐらい伸ばしても、元々毛色が淡いのでさほど目立たない。
身体に関しては定光は至って健康体だから、常温の水を飲むと、大抵トイレに行きたくなる。下世話な話、基本的に定光は便秘や下痢にはあまり悩まされない。その点でも滝川とは真逆だ。滝川は、他のことに夢中になるとトイレに行く手間も惜しむから便秘気味だし、時々おしっこを我慢し過ぎて「腹が痛い」とのたまう時もある。
編集作業で夢中になっている時などはよく、「俺の代わりに誰かトイレに行って俺の分の小便出せたらいいのに」と呟いた。そんなことは、到底無理なわけだが。
トイレでスッキリした後、朝食を食べる前に先に溜まった洗濯物を片付けようと、定光は一階に降りて、風呂場の隣のランドリールームで洗濯機を回した。
二人暮らしを始めて、やはり洗濯物の量は二倍になった。
たとえ滝川の方が家にいる割合が多くても、ヤツは洗濯機など回す配慮は一切ないから、休みの日に定光がこうしてまとめて洗うことが多い。
休日出勤の日などは乾燥機に頼ることも多いが、今日のような日にはちゃんと外の風に当てて乾かしたい。そこらへん、定光は割とマメに家事をする方だ。
洗濯機を回している間に朝食の準備をしても良かったが、なんとなく一階の掃除を始めてしまい、不織布製のモップで廊下や脱衣所をキレイにしていたら、やがて洗濯機が止まった。
洗濯物をカゴに入れて、寝室のベランダに干す。
ベランダから寝室に目をやると、滝川はまだ布団に包まって眠っていたので、定光はベッドに背を向け、そのまま洗濯物を干していった。
そしてようやくそれが終わろうとしたその時、突然背後からグイッと腕を引かれ、気づけばそのままベッドに押し倒されていた。
「新!」
かなりビックリして、思わず定光は声を上げてしまう。
「おまっ、起きてたのか?!」
「仕事は済んだか?」
滝川は上半身裸の格好で ── 彼はいつもパンツ一枚で眠りにつく ── 上から定光を見つめてくる。その声はまったく寝ぼけていなかった。これは確実に随分前から起きていた証拠だ。
「仕事?」
定光はそう訊き返す。滝川は二マリと笑って、「顔洗ってウンコして、洗濯して、朝飯食ったのか、と訊いてる」と言う。
定光は顔を赤らめながら眉間に皺を寄せた。
「朝飯はまだだよ!」
「じゃ残念ながら朝飯はお預けだな」
そう言って滝川は、定光のTシャツをめくり上げる。
「なっ! なんだってんだよ?!いきなり!」
定光が焦った声を上げると、滝川は定光の身体に覆いかぶさり、耳元に噛り付いて唸るように言った。
「こっちとら一週間分溜め込んでっからな。今日一日この部屋から出させねぇから覚悟しな」
定光はギョッとした顔で滝川を見た。
滝川の目つきは朝だというのにギラついていて、昨夜までおとなしかったのが嘘のようだ。
── やっぱこいつ、怒ってたのか〜!
定光は内心そう叫ぶ。
滝川に露骨に首筋から顎の下までベロリと舐められる。
「お前だって、ヤリたかったんだろうがよ」
低い声でそう言われ、ギクリとした。
ひょっとしたら、起き抜け定光がキスをした時も起きていたのかもしれない。
有無を言わさずスウェットを下着ごと下げられ、定光は焦って声を上げた。
「待て! 風呂、風呂に行かせて!」
「却下。お前の匂いが半減する」
滝川は完全なる定光の体臭フェチだ。
今も定光の首筋に鼻先を埋め、一週間分の飢えを満たすためにクンクンと熱心に匂いを嗅いでいる。
まるでTシャツを破る勢いだったので、定光は慌てて「脱ぐ! 今脱ぐから!」と悲鳴を上げたのだった。
この手を離さない act.35 end.
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編集後記
皆様、本年中は「おてて」をご愛顧いただき、ありがとうございました。
これで今年度の更新最後でございます。
本年は、サーバーのお引っ越しもして、何かと皆様にもご不便をおかけしたこともありましたが、何とか無事にサイトを続けることができました。
ありがとうございます。
奇しくも、この流れでいくと、新年最初の更新は・・・
堂々の姫始めwww
いい年して、ホンマ恥ずかしい(大汗)。
偶然なんだけど、ホンマ恥ずかしい(脂汗)。
しかも、もう一つ更新している二次創作チームも・・・
新年から姫始めwww
まさかの展開www
本当に偶然だから、これ(汗)。狙ってないから、マジで。
今日更新分を準備している時に気づいた事実だから、これ(汗)。
なんだか来年、いいことあるかな???www
では皆様、良いお年を〜。
2016.12.31.
[国沢]
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