act.40
翌朝、定光と滝川は、理沙と共にバージニア州C市に向かった。
C市には、ショーンの自宅兼パーソナルスタジオがある。
ショーンがNYやロスといったような"いかにも"な大都市に拠点を構えるのでなく、自分の実家にほど近い場所に腰を据えているところこそが、彼の実直な性格を表しているように思えた。
ノート側のスタッフとはNYで別れていた。
これまでの進捗状況と今後の予定は、昨日エニグマ本社で十二分に打ち合わせは済ませてある。
定光のアメリカ滞在予定は3日としていたが、その間に進められるだけのことを進めなければならない。もっとも、今の段階ではグラフィックデザイナーの仕事よりプロダクションマネージャーの仕事の度合いが濃かったが。
だが、ショーンが衣装合わせをするタイミング以降は、多少なりともデザインワークの骨子を更に煮詰めないといけないだろう。それにショーン本人にスケジュールの確認や希望を訊くことも今回の出張の大切な目的だ。
定光にとっては、同行者の理沙が日本人であることのメリットは大きかった。
偶然とはいえ、やはり言葉がうまく通じないことはそれだけでストレスになる。この分なら、C市に着いてもその辺の心配はしなくて済むだろう。
世界で活躍するショーン・クーパーの周りにこんなにも日本人が関わっていることに、定光は純粋に驚いた。
滝川から聞いた話によると、なんでも随分年上のショーンの恋人もまた日本人らしい。
C市郊外の空港に到着すると、理沙が借りたレンタカーに乗ってショーンのスタジオを目指した。
空港はショーンの実家の町に近いらしく、飛行機が降りる時に理沙から「その辺りに見えるのがショーンの生まれた町よ」と教えてもらった。
お世辞にも栄えているとは言えない町並みで、いかにもアメリカ南部の片田舎…といった鄙びた雰囲気だった。
それを見て、「やはりここでは必ず撮影をしなくては」と定光は思う。
ノスタルジックなその風景が、ショーンの価値観の根底にあるに違いないと感じたからだ。
「ショーンとの打ち合わせの後、ロケハンできる時間はありますか?」
定光がそう理沙に訊くと、理沙は笑顔を浮かべて「もちろんよ。案内するわ」と答えてくれた。
理沙のレンタカーがC市内に入ると、景色は一変した。
途端によく手入れされた緑が多くなり、美しい運河沿いに大きな建物が幾重にも連なっている。ただそれでも街の景観が穏やかに感じるのは、新しく建てられたと思しき建物も、すべてクラシックな意匠が施された古き良きアメリカを髣髴とさせる佇まいをしているからだ。
戦前から残る古い建物とうまく調和して、活気があるのに落ち着いていて知的なイメージのする街だ。雑多に成長していっているNYなどとはまるで雰囲気が違っているが、ここ近年のC市は全米でシリコンバレーと対を成していると言われているほど、新しい発展をし続けている街なのだ。それは、C市のリーディングカンパニーと言われているミラーズ社の影響が大きい。
C市の影の市長はミラーズ社の会長であるベルナルド・ミラーズだと言われているし、街の景観に関する条例を積極的に取り決めてきたC市の行政活動にもミラーズが大きく関与したと言われている。今では、ミラーズ社の関連会社が数多くC市を埋め尽くし、郊外には幾つもの新興住宅地ができあがっているそうだ。
定光は車窓の外を眺めながら、一見すると穏やかな街並みの裏側に人々の活気が漲っているのを感じた。
通りを歩いている人々を見ると、年齢に関係なく皆颯爽とした足取りで歩いている。やはりこの街は、いまだ発展を続けている"若い街"なのだ。
「いい街だ」
ふいに滝川が定光の隣で呟いた。
定光が滝川の方に目をやると、滝川は反対側の車窓の外を眺めていた。
滝川にとっても、C市を訪れるのは初めてだと言っていた。
定光からしてみれば、いつもガチャガチャしていてオジーオズボーンのTシャツを好んで着ている滝川のような男が、クラシカルな街並みのC市を褒めるだなんて、はっきりいって意外だった。
だが、こうして落ち着いた表情で窓の外を眺めている滝川の横顔と流れていく街の風景を見つめていると、予想外にマッチしているような気がして、内心驚いた。本来滝川は、非常に静かな男なのではないかとすら、錯覚してしまうそうになる。
「もう直ぐ着くわ」
理沙が運転しながら、そう言った。
「朝飯たらふく食ったのに、もう腹減ったわ〜。腹減った! 腹減った!」
シートの上に行儀悪く脚を上げ、子供が不平を言うような口振りで滝川が騒ぎ出したので、定光は今まで思っていたことを即座に撤回する。
定光がシートの上に乗り上げた行儀の悪い滝川の脚を叩きながら、「子供じゃないんだから静かにしろ」と嗜めると、滝川はちらりと定光を見て、無言で脚を下ろした。
結局昨夜滝川はベッドに来ず、リビングのソファーで寝たようだ。
昨夜のやり取りで機嫌を害したのだろうが、朝食の場での滝川はごく普通だった。だがもっとも、滝川は極度の低血圧なので、朝は大抵ボーっとしていてひどく大人しいから、何を考えているのか本当のところはよくわからない。
定光は何となくボタンをかけ違ったような居心地の悪さを感じたのだが、理沙はそう思わなかったようだ。
バックミラーで滝川と定光のやり取りを見て、さもおかしそうに笑った。
「まるで定光さんがお母さんのようね」
定光は一瞬ドキリとする。
理沙は滝川の母親のことを知るはずもないのだから、彼女に悪気はない。
しかし滝川の前で母親に関する話題は、定光の中でも、そしてパトリック社の中でもタブー視されていた。
定光が表情を強張らせながら言いよどんでいると、滝川が呑気な声で「そーそー。ミツは俺のかーちゃんみたいなものなんだ」と答えた。
「かーちゃんだなんて。そんな単語、久々に聞いたわ。定光さんも大変ね、こんな気難しくって才能豊かなお坊っちゃまの面倒をみなくちゃならないなんて」
理沙は楽しそうに笑い声を上げながら、そう言った。
「は、はぁ…。確かに、大変です…」
定光はようやくそれだけ答えた。
── かーちゃん……か。新にとって俺って、本当に母親の代わりなのかもしれないな……。
定光は小さなため息をついて、窓の外に目をやったのだった。
ショーンのプライベートスタジオがあるビルは、市の中心地から少し離れた街の北側に位置する住宅地の中にあった。
意外だったのは、少し先にはC市の裏の顔ともいうべきスラム街が広がっていることだ。
立地的なことを考えれば、ショーンほどのアーティストなら、もっと市内の中心地にスタジオを構えても良さそうなものだが。
理沙にも、昼はともかく夜にはスラム街に入らないで、と、釘を刺された。
しかし理沙が言うに、ここ数年はスラム街の落書きを消すボランティア活動やソーシャルインパクト事業の参入などで、昼間は比較的安全な街へと姿を変えて来つつあるらしい。そこにもミラーズ社の支援が入っているとのことだった。
ショーンのスタジオがあるビルは五階建てで、横幅は比較的スリムな建物だったが、理沙の話では奥行きが広いとのことだった。ようは、鰻の寝床のような建物だということだ。
周囲のビルは白やグレイ、アイボリーの壁面が多い中、その建物だけネイビーブルーのタイル貼りで、一棟だけ違った作りの個性的な建物だった。
一階には趣味の良さそうなアイリッシュパブのような店がテナントで入っており、二階から上がアパートメントになっているようだが、入居者は今のところ4階に住んでいる若夫婦のみで、五階がショーンの住居兼スタジオになっているとのことだった。
理沙がビルの入口のドアにカードを翳して鍵を開ける。
ビル自体は随分古風な建物だったが、セキュリティの面はかなり現代的なものが備えられているらしい。
理沙によると、場合によっては狂信的なファンの他、マスコミやパパラッチにうろつかれることもあるそうだから、セキュリティには気をつけているらしい。
鍵を開けると、エレベーターホールの手前に管理人というには物々しい装備に身を包んだセキュリティスタッフが2名も詰所にいて、これには滝川も驚いていた。
「このビルはショーンがオーナーなのよ」
五階に上がるエレベーターの中で、理沙がそう言った。
なんでも、現金一括払いでビルを丸ごと購入し、現在の形にリノベーションしたらしい。
「さすが、世界屈指のアーティストともなると、買い方も凄いですね」
定光がそう言うと、理沙は少々苦笑いを浮かべた。
「確かにこの話を聞くと皆そういう反応を示すけど。ショーン自体はとても実直で素朴な青年なのよ。誤解しないで」
定光は慌てて、「ショーンが素直ないい人だってことはよくわかってます」と言った。
「先日もわざわざ弊社まで来てくださったことには感謝しているんです。今回の企画案を直接僕に聞きに来てくれるだなんて、思ってもみなかったから…。そこまでしてくれたのは、ショーンが初めてです。その後、僕の家にも泊まってくれて……」
定光がそう言うと、理沙は目を丸くした。
「ま! この前急に行方をくらませたと思ったら、定光さんのところに行ってたのね! エニグマでもノートでも、ショーンの所在が把握できなくなって、随分慌てたのよ!」
「ええ?! そんなことになってたんですか? なんか、すみません……。僕、そんなつもりじゃ……」
定光が冷や汗をかくのを見て、滝川が笑いを噛み殺している。
理沙が笑顔を浮かべると、定光の腕にそっと触れた。
「ごめんなさい。定光さんを責めてるんじゃないのよ。ショーンは時々、私達の想像もつかない行動を起こす時があるの。普段は割と大人しいくせして。だからこそ、大胆に動かれると、周囲は振り回されてしまうのよ。ま、やっぱり根っからのスター気質だから仕方ないわね」
定光は思わず横目で滝川を見た。
今理沙が言ったことは、そっくりそのまま滝川にも当てはまる。
もっとも滝川は普段から全く大人しくもないが。
そうこうしていたら、五階に着いた。
エレベーターのドアが開くと、昔の映画館のような真っ赤な絨毯が敷き詰められたロビーのような空間が広がっていた。
リノベーションをしたと聞いているが、古い調度品やドアが使われていて、昔の良きアメリカ、といったイメージのノスタルジックな雰囲気が漂っている。
「おもしれぇ」
滝川の琴線にも触れたのか、定光の隣でそう呟いている。
「内装、変わってるでしょ? これ、昔の映画館の備品を移築してるの。なんでもショーンの"叔父さん"がデザインしたそうよ。一族で芸術的センスがあるみたい」
ロビーは、真正面に分厚そうな丸窓付きのドアと左手に奥に続く廊下が見える。
「この奥がショーンの居住空間で、目の前のドアがスタジオブースの入口よ」
理沙は、丸窓から中を覗いて、ドアをノックする。
「ショーン、いるの?」
理沙が英語でそう話しかけると、中から「入って」との返事が帰ってきた。
理沙がドアを開けると、ギターを抱えたままのショーンがソファーから立ち上がって、定光を出迎えてくれたのだった。
この手を離さない act.40 end.
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編集後記
さて、いよいよショーンの自宅周辺に近づいてきました!
「hear my voice」が書きかけのまま放りっぱになっておりますが、一応あれからそれなりの年月を経て、今では自分のスタジオをC市に構えるようにまでなっています。
まぁ考えたらショーンが30歳手前の年齢になってるんですから、そりゃぁいろいろ変化してるわな、と。
前にも書いたかもしれないですけど、
そりゃぁアタシも年をとるわwww
ということで、これまで13年間乗ってきた車と昨日お別れし、新しい車が我が家にやってまいりました。
一応験を担ぐタイプの国沢、昨日は「先勝」だと思い込んで、午前中に車を取りに行く段取りにしたんですが、カレンダーをよくよく見たら、「先負」だったwwww
真逆wwww
痛恨のミスwww
ま、新しい車に乗って家に帰ったのは午後だったから、ぎりぎりセーフかな?(←多分セーフじゃないw)
それはともかく、国沢の身の回りもおそらく新たな13年が始まろうとしているんだなぁと感じています。
13年周期って、あれなんだよね? マヤ暦とかって13年周期なんだよね?
国沢の人生のステージが変化するように、国沢の中にいるキャラクター達のステージも変化していってるんだなぁと感じます。
「プリセイ」を楽しんでいただいた方々にも、感慨深く感じてもらえれば幸いです。
それではまた。
2017.2.12.
[国沢]
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