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この手を離さない title

act.57

 「言っておくけど、私シャッターは3回しか切らないから」
 シンシア・ウォレスのそのセリフに、定光の背後で滝川がブッと吹き出した。
 少し離れた場所でスタイリストに髪の毛を整えてもらっているショーンもクスクスと笑っているようだ。
「え、ええと……」
 定光が面食らっていると、シンシアは更に続ける。
「無駄なカットは撮らないわ。3カットあれば充分でしょ? ここで撮影するカットは一枚しか使わないわけだから」
「確かにそうですが……」
「あなたの描いたスケッチはもう見ました。意図は充分把握できたわ。私もいいコンセプトだと思うし、私の頭の中にも完成図は見えてる。3カットで済むわ」
 シンシア・ウォレスはとても小柄な女性だったが、定光が知っている女性の中でもなかなかの跳ねっ返りだ。
 その白い妖精のようなルックスとは裏腹にスカイブルーの瞳は力強く、その口調は有無を言わさない。
  ── この感じ、なんだかどこかで似たような……
 定光がそう思った瞬間、定光の背後から申し訳なさそうに理沙が顔を覗かせ、「エレナの若い頃にそっくりだって、エニグマOB達がよく茶化して来るのよ……」と呟く。
 定光は、思わず「ああ、そうか!」と日本語で声を上げた。
 小柄で華奢な感じといい、小さな顔に反比例するかのような大きな目といい、揺るぎない自信に満ち溢れたその口調といい、確かに若い頃のエレナ・ラクロワのようだ。しかもシンシアの場合、ラクロワと違って一児の母であるから、更にその辺のタフさが加わって来る。
 しかし、使うカットはワンカットでも、ベストな写真が得られるまで粘り強く撮影を指示する定光のスタイルとは真逆だ。
 定光がどうしようかと考えあぐねていると、メイクが終わったショーンが2人の元にやってきて、両手を広げた。
「こんな仕上がりでどう?」
 クラッシックなフロック・コートに山高帽、艶やかな肌に茜色の瞳……。
 18世紀の活き活きとした姿のいい青年が映画のスクリーンから飛び出してきたようだ。
 ショーンの仕上がりはそれでとても素敵だったが、定光は何となく違和感を感じた。
 うまく説明はできないが、どこかボタンをかけ間違っているような……。
「ちょっと、ユマ」
 その時、スタイリストの名を呼んだのは、シンシアだった。
 メイク道具を片付け始めていたスタイリストが、手を止める。
 シンシアは、明らかに年上のスタイリストに向かって、臆することなくこう言い放った。
「あなた、ミスター・サダミツのプロットは見たの?」
「 ── え、ええ……ちゃんと見たわ」
 ユマは緊張した声で答えた。その返事に、シンシアが露骨に顔を顰める。
「違う、違う。私が言っている"見た"というのは、ちゃんと読み込んで理解したかってことよ。あなたは多分、ただ見ただけで、中身を読んでいないわ」
 その険悪なムードに定光は焦って、ショーンを見る。
 ショーンは両手を広げたまま、目をトレーラーハウスの天井に向けて、苦笑いとも取れるような複雑な表情を浮かべていた。
「ええと……」
 理沙が腰を浮かせると、シンシアは目ざとくそれを見つけ、「リサは黙ってて」と言った。
「ここで助け舟を出したって、彼女のためにならない」
 定光は額をカリカリと掻いた。
 なんだって自分の周りには、こうも率直に物を言う人間ばかり集まってくるのだろう、と思う。
 アーティスト気質の人間とは元来そういうものなのかもしれないが、定光だってその端くれだ。だが定光は、意見が衝突した時でも険悪にならないように穏やかに話し合う。
 しかしシンシアはそんなことに気を使うつもりはさらさらないようだ。理沙はラクロワに似ていると言ったが、定光には別の人間に似ているような気がした。
 定光は、ゆっくりと振り返る。
 定光が思い当たった"別の人間"は、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、完全に傍観を決め込んでいる様子だった。呑気なものだ。
「ミスター・サダミツ、あなたはどう思うの?」
 ふいに水を向けられ、「え!」と定光はシンシアに向き直った。
「これでいいと思う? これはあなたのプロジェクトだから、あなたがいいと言えば、私もそれ以上は言わないわ」
 定光はそれを聞いて、二、三回瞬きをした。
 なるほど、シンシア・ウォレスは滝川とは少し違って、大人の対応もきちんとできる人物らしい。
 定光はゴホンとひとつ咳払いをすると、「確かに僕も違和感を感じています」と言った。
 その瞬間スタイリストが泣きそうな表情を浮かべたので、定光は咄嗟に立ち上がると、「ああ、あなたの腕が悪いと言ってるんじゃないんですよ」と優しく声をかけた。
 定光は、滝川のTシャツの肩口を引っ掴んで立たせると、そのまま滝川を引っ張って、ユマの元まで歩いて行った。
「なっ、なんだよ!」
 引き摺られて不満の声を上げる滝川に、定光は「通訳しろ」と言った。
「なるだけ俺の言わんとしてるニュアンスも正確にな。お前の言葉に変えて通訳するんじゃねぇぞ」
「 ── へいへい」
 定光はユマに向き合うと、メイクデスクの上にあった企画書を開きつつ、丁寧にコンセプトを説明した。
 今回のアルバムジャケットで表現されるショーンは、時代を超越した神秘さが必要だということについては、表現を変えて何度も丁寧に告げた。滝川も定光の意を汲んで、いつもの荒々しいスラング混じりの英語ではなく、落ち着いた口調でユマに説明をしてくれた。
 ユマも次第に落ち着いてきたのか、ウンウンと頷きつつ、もう一度企画書の中の定光のスケッチを見つめた。
「つまりショーンは……人間の服を着てるけど、天使とか神とかそう言った超越した存在、ということ?」
「そう! そういうこと。そのことを頭に入れて、今のショーンを見てみると……」
 滝川が定光の言葉を訳すと同時に、ショーンが腕を広げた姿勢のまま、ユマに向き直る。
 ユマは顎に手を置き、今自分が仕上げたショーンの姿をじっと見つめると、こう呟いた。
「今のショーンは、何だか生々しいわ」
「そう!」
 ユマの言ったことがすぐにわかった定光が、思わず日本語でそう答える。ユマにも定光の表情と声色で自分が正解に辿り着いたことを理解してくれたようだ。
 定光は、もう一度ショーンを頭の上から足の先まで眺めて、「だからと言って、どこをどう直せばいいかは、わからないんだけど……」と呟いた。滝川がブッと吹き出す。定光は、そんな滝川に肘鉄を食らわせた。
「なんだよ〜、ドメスティックぅ〜」
 滝川がコミカルな声を上げて、その場に倒れたのを見て、皆が笑った。
 自然にその場の空気が緩む。
 ユマは定光に向き直ると、ゆっくりとシンプルな英語でこう話した。
「直す方法を考えるのは、私の役目よ。肌質を整え直すわ」
 こういうことね、というような表情を浮かべたユマがシンシアに視線を送ると、シンシアは優しく微笑んで頷いた。
「あなたが気づいてくれて嬉しいわ。あなたならわかってくれると思った」
 シンシアがそう言った途端、ユマの表情がみるみる明るくなり、瞳に力が漲ったのが定光にはわかった。
 ああ、これが彼女のやり方なんだな、とその瞬間、定光は思った。
 彼女は、ラクロワとも滝川とも違う。
 厳しいが最後は優しく相手を包み込むように安心感を与えるのがシンシア・ウォレスのやり方なのだ。それはまさしく、母親の懐の大きさのような気がした。
 定光は、少しだけ自分の母親のヴィクトリアを思い出した。
 そしてきっと、今日の撮影は本当に3カット撮るまでに定光が納得する一枚が撮影できるのだろうと思った。


 実際には、三枚どころか最初の一枚でシンシア・ウォレスは完璧な写真を撮影した。
 カット数が少ないからと言って手抜きをするわけではなく、現場で綿密にベストな光の状況を撮影スタッフと共に作り出し、シャッターを切るまでに随分時間をかけてセッティングを行なった。
 撮影場所であるショーンの実家前は物々しい雰囲気で、数日前にオコネルが行った映像の撮影よりは機材の数は少ないものの、現場の緊張感は全く負けてはいなかった。
 オコネルとシンシアの決定的な違いは、シンシアがショーンに対しても厳しい点だ。
 シンシアは、ショーンが愚痴を漏らしても、彼が理想の表情を浮かべるまでは決してシャッターを押すことはなかった。
 撮影が終わった時、たったワンカットを撮影しただけなのに、ショーンは全身にぐっしょりと汗をかいていた。しかし顔に汗をかいていなかったのは、芸能人のなせる技なのか、それともスタイリストの腕のせいなのか、それは定光にもわからなかった。
 しかし、シンシアがついにシャッターを押した後、定光に「確認してほしい」と彼女が見せてくれた写真画像は、定光はおろか滝川でさえも唸るようなできだった。
 繊細なライティングのお陰で、ただの古びた家の背景でさえも、ファンタジー映画に出てきそうな神秘的な色が滲み出ていた。
「へぇ……光の加減でここまで追い込めるのか」
 あの滝川が、減らず口も叩かず、心底感心したような声を上げた。
 同じアートクリエイターとして、大いに刺激を受けたのだろう。
「どう? ミスター・サダミツ。こういう感じでいけそう?」
 しかしシンシアは、自分の実力を鼻にかけることもなく、非常に冷静な口調で定光にそう訊いてきた。
 定光は、シンシアのそのプロに徹した姿勢も含めて、感嘆の溜息をつく。
「いけそうどころか……。これでいいよ。これがいい」
 定光がそう答えると、シンシアはほっとしたような表情を浮かべた。やっと彼女が定光達に見せた年相応の人間臭い表情だった。
「よかったわ。ミスター・サダミツは、もっと繊細なのが好みだと思っていたから。でも最初は、私がベストだと思ったテイストでいきたかったの。ダメなら、2カット目から調整しても遅くはなかったし。でも、気に入ってもらえてよかったわ。あのスケッチを見て、あなたは感覚が鋭い人だって思ってたのよ」
「 ── 言語野は弱いけどな」
 定光の後ろで滝川が飄々とそう言った。しかし定光が"言語野"という難しい単語がわからず、「ん?」と小首を傾げていると、シンシアが微妙な表情で定光を見て、「あなたを小馬鹿にするのが彼の仕事なの? さっきからずっとそんな感じだけど」と訊いてきた。それを聞いて、定光は滝川の胸倉を引っ掴む。
「てめぇ、なんて言ったんだよ、今」
「ミツさんがお喋り上手だって言ったんだよ」
 瞳をパチパチと瞬かせながらそう言う滝川に、定光は「お前なぁ、本気でそれ信じると思ってんのか……」と答える。
「またお仕置きされたいか。今度は一週間じゃすまねぇぞ」
 定光の言った台詞に、滝川は目を見開いてピンと姿勢を正した。
「そっ、それはマジ勘弁! ごめんなさい! もう言語野が弱いって言わない!」
「お前、そんなこと言ってたのか……」
 完全に日本語のみのやり取りだったが、シンシアの笑いを誘うのは充分だった。
 シンシアはショーンが笑うみたいにゲラゲラと笑い出すと、「あなた達を見てると、まるでコント番組を見ているようだわ」と言った。
「ショーンが、同年代のステキな友達がやっとできたんだって喜ぶのもわかる」
 シンシアがそう言った時、彼女のスマホが鳴った。
 コールの相手を確認すると、「ちょうどタイムアップだわ」と電話の相手の画像を画面に表示して、それをショーンに見せる。
「 ── おじいちゃんがもう限界だって」
 シンシアのスマホ画面には、オムツを汚して泣いている可愛いベイビーとそれを抱えるミラーズ社の会長・ベルナルドの困り果てた顔が表示されていた。

 

この手を離さない act.57 end.

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編集後記


先週は幾人かの方から、素敵な感想コメントをいただきまして、ありがとうございました。
国沢のなまくらさ加減に、「やる気スイッチを押してやらねば」と思っていただけたのでは・・と思います。
現在、なんとかミツさんと新の世界にまた潜り込む時間もできてきて、あとは文字におこしていくのみなんですが、まだそこまでには至っておらず・・・。次週までにはなんとかせねば。

さて今週は、久しぶりにお仕事に励むシンシアが登場しました。
思えばシンシアは、「アメグレ」から「プリセイ」ときて、この「おてて」にも登場・・・という非常にロングランなキャラクターです。
3つの話に跨いで出てくるのは、羽柴さんについで多いのではないかと思います。
しかし羽柴さんとは違って、彼女の場合は、ティーンエージャーの頃からお母さんになるまでとかなり大きく変化しているので、感慨もひとしおです。
いやぁ、時代の流れを感じるなぁ・・・。
人格的にも生みの親の国沢よりしっかりとしてて、ちゃんとお母さんしてる感じ。
その様子は、次週で取り上げることになっています。
お楽しみに。

それではまた。

2017.7.1.

[国沢]

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