irregular a.o.ロゴ

この手を離さない title

act.77

 吉岡刑事の言う通り、滝川は一命を取り留めた。
 血中の酸素濃度も通常に戻りバイタルも安定したが、依然意識は戻らなかったので、高圧酸素治療室からICUにベッドを移された。
 その間、定光は警察から更に詳しい事情聴取を受けることになった。
 西田医師の計らいで、ICUにほど近い空いていた個室タイプの病室で行われた。
 村上もまた事情聴取を受けたようだが、それは待合室でしたようだ。山岸は今滝川に付き添っており、由井は関係各所への事情説明のために一旦会社に戻った。
 定光は、滝川から聞いている幼い頃からの話をできるだけ詳しく話した。現在滝川が抱えているトラウマや問題行動も含めて。
 どうやら吉岡刑事は滝川と定光の関係も知っているようで……それがわかる写真が隠し撮りした写真の中にあったようだ……、その点についても包み隠さず話した。
 吉岡刑事から聞くところによると、マンション内で発見時に既に死亡していた"使用人"は、植木和雄という男で、一酸化炭素中毒を起こした際の吐瀉物が気管につまり窒息したことが直接の死因だった。彼は確かに幼い頃から滝川家に仕えていて、彼の両親もまた滝川家の使用人だった。両親は既に他界しており、知的障害を持つ和雄は独り身で、滝川の母の側付きとして躾けられていたようだ。
 滝川の母は一旦病院に運ばれたものの、その一時間後には死亡した。
 滝川と違って、多量の練炭が燃やされたリビングルームに留まっていたのが原因だった。
 一方滝川は、意識を失うのが他の2人より遅かったようだ。
 両手足を縛られてはいたものの、リビングからバスルームへなんとか移動し、排水口から空気を吸っていたのが功を奏した。しかし、滝川がどれくらい一酸化炭素を吸ってしまったかは未知数で、深夜になっても意識は戻らなかったから、医師からは「後遺症が残るか、もしくはこのまま意識が回復しない場合も覚悟してください」と告げられた。
 憔悴仕切った定光は、泊まり込みの付き添いを希望したが、それは病院側のルールで叶わず、一旦帰宅することとなった。
 だが定光は滝川と一緒に暮らしていた家に帰る気にはならず、結局は村上のアパートでその日は泊まることにした。
 念のため、定光の身の安全を考慮して、アパートの外には刑事が待機した。
 
 
 窓の外を覗き込んでいた村上は、再びカーテンを締めると、定光に向き直って「本当に車ん中で刑事さんがアンパン食ってますよ。まるでドラマみたい」といつもの調子でそう言った。
 村上の調子のいい口調に、定光は少しホッとした。
 居間の真ん中にあるローテーブルの前で座り込んでいる定光の前に、村上はコンビニの袋の中から、おにぎりやサンドイッチ、弁当にカップ麺と様々な食べ物を並べた。
「ミツさん、食べたいものを食べてくださいね。俺は余ったものを食いますんで」
 そう言う村上に、定光は緩く首を横に振った。
「俺はいいよ。食べる気にならない……。お前、食えよ」
 そう言う定光を少し見つめた後、村上は手近なサンドイッチを手に取り、定光の手に持たせた。
「食べてください。食べなきゃ」
 珍しく真面目な顔つきで村上がそう言う。
「新さんが目覚めた時、ミツさんがぶっ倒れてたんじゃ、新さんも安心できないでしょうが」
「 ── 村上……」
「今、コーヒー淹れますから」
 村上はそう言って、席を立つ。
 定光は、サンドイッチの袋を開けて、一切れを口に突っ込んだ。
 まるで何を食べているかよくわからないくらい味覚がおかしかったが、ひたすら咀嚼した。
 そのうち、何故だか涙が浮かんできて、ポロポロと溢れた。
 台所からマグカップを2つ持って帰ってきた村上は、定光のその様子を見たが、敢えてそれには触れず、コーヒーをテーブルに置いた後、ティッシュボックスを定光の手の届くところに置いた。
 定光は、自分がこの状況に予想以上に参っていることを情けなく思った。
 滝川が定光に依存しているのだと、定光も含め、その周囲にいる人間全員が……そして恐らく滝川も……思っていたが、定光自身も滝川に依存していたんだと痛感させられた。
「 ── ゴメンな、村上。ずっとこんな風に湿っぽくって……。別にアイツが死んだ訳じゃないのに……」
 定光がそう言うと、弁当を開けて食べていた村上は、「何言ってるんっすか。ミツさんはそうなって当たり前でしょ。新さんのことが好きなんだから」と、さらりと言った。
 定光は目を見張って、村上を見つめる。
 村上がどう言う意味で「好き」という言葉を使ったのか、考えあぐねた。
 定光が口ごもっていると、村上は呆れたようにため息をついた。
「見てたらわかりますよ。2人が付き合ってることぐらい」
 村上は何事もなかったかのように、再び弁当を食べ始める。
「一緒に暮らし始めた頃からでしょ? その頃から会社に新さん関係の女から電話がかかってこなくなったし、第一新さんが落ち着いた。 ── ああ、付き合い始めたんだなぁって」
「そ、そんなに前から知ってたのか……」
「新さんはずっと前からミツさんに惚れてましたからね。やっと念願かなったせいか、落ち着きようが半端ないわって思いました」
 定光はその発言に、村上の腕を掴んだ。
「え?……なんだって?」
「え? いや、落ち着いたでしょ、新さん。随分」
「そ、そうじゃなくて。新って、前から俺のこと……」
 村上はあんぐりとした顔つきで定光を見た。
「まさかミツさん、気づいてなかったんですか? 新さん、多分最初からミツさんのこと、気にかけてましたよ」
「き、気づいてなかった……」
 村上が首を横に振る。そしてその後、納得するように「ミツさん、天然ですもんねぇ〜」と呟いた。
 定光は顔を赤らめて、サンドイッチを再び口に突っ込んだ。
 バツが悪かった。
「なぁ、村上……ひょっとして、会社の皆も気づいてるのかな?」
 定光がそう訊くと、村上は意外にも「さぁ?」と首を傾げた。
「特にそのことについて会社の皆と話したことはないっす」
  ── ということは、村上だけか……気づいてるのは……。
 今更会社の人達にバレたからって気持ち悪がられるようには思わないが、やはり少しホッとしてしまう。
 定光がそう感じていることを滝川が知ったらヤツはムッとするのだろうが、プライベートと仕事をごちゃ混ぜにしていると思われたくない。
 とはいえ、今のこの状況は、十二分にごちゃ混ぜになってしまっているのだが……。
 一方村上は、1人さっさと弁当を食べ終わると、コーヒーを飲みながら、テレビをつけた。
 テレビは丁度ニュースの時間帯で、どこでどう嗅ぎつけたのか、滝川のことが早くも報道されていた。
 定光はドキリとして画面に目をやる。
 滝川の名前は伏せられていたが、テレビに映った現場マンションの光景や、被害者のプロフィールの内容が滝川そのものだったので、間違いなかった。
 滝川は以前女優達と浮名を流していた時期に週刊誌にも載ったから、マスコミが今日のネタとして選んだのだろう。
『被害者のTさんは、依然として意識不明の重体です』
 女性アナウンサーが言った何気ない一言に、再び定光の目から涙が溢れた。
 村上は乱暴な手つきでテレビを消すと、暗くなったテレビの画面を見つめたまま、言った。
「何年越しかでやっと本当に好きな人と付き合えることになったのに、簡単に死んだりする訳ないでしょ、滝川新とあろう人が」
 村上の迷いのないその言葉は、定光の胸に強く響いた。
 
 
 翌朝、定光と村上が連れ立って病院を訪れたが、滝川の意識はまだ回復してはいなかった。
 病院側の説明では、脳波検査で僅かな異常値があるものの反応があり、回復する可能性があること。ただしそんな状態なのに意識が戻ってきていないので、楽観視はできない、とのことだった。
 身体的には問題がなくなり、滝川は一般病棟に移された。
 会社の計らいで個室に入ることができた。
 その日も心療内科の西田医師が顔を見せてくれ、定光を励ましてくれた。
  ── 彼の意識が戻らないのは、精神的にリセットしている最中なのかもしれない、と。
 意識がなくても聴覚は残っていることが多々あるそうで、ひょっとしたら滝川は、母親の死を高圧酸素治療室で理解した可能性があり、滝川の過酷な生い立ちを考えても、彼のトラウマが意識障害の原因となっている場合もある、とのことだった。
 
 
 その後、吉岡刑事が病室を訪れた。
 滝川の母親とその使用人・植木和雄は、滝川に対する殺人未遂の罪で被疑者死亡のまま書類送検をされる運びとなったと報告を受けた。その先の流れとしては、被告人が死亡しているので、検察の段階で不起訴処分になるという。
 滝川の母と植木和雄の遺体は、今朝、滝川の父親が引き取りに来たそうだ。
 ちなみに滝川の父は、未だ病室に姿を現していない。
 そして定光を付け狙った罪で、滝川の母と契約を交わしていた男も無事捕まったそうだ。
 男は滝川や定光とは面識がなく、ネットを通じて滝川の母親と知り合い、金で定光を見張ることと、場合によっては傷つけることを条件として、高額の報酬で契約していたそうだ。母の口座から見知らぬ男に対して、まとまった額の金が送金されていたせいで足がついた。どうやら母もその男も、犯罪を犯すことに関しては、ズブの素人だったようだ。
 吉岡は、「男については一応罪には問われるが、軽微なものになるだろう」と定光に告げた。
 また、滝川の母親にインターネットの使い方を指南した使用人については、母親の目的を知らなかったということで、罪に問えない見通しとのことだった。
 
 
 午後になって、由井が病室に現れた。
 由井は、ノートとエニグマ側には昨日この事態を報告し終わったと言った。
「ノートとは、今後の対応について明日協議に入ることになる。ショーン・クーパーのアルバムリリーススケジュールに影響するのは必須だし、最悪この仕事を手放さないといけない可能性も……」
 そう言う由井に、定光は「わかっています」と返事をした。
「ショーンに迷惑をかける訳にはいきません。明日の話し合いには俺も……」
「そんな水臭いこと言わないでよ」
 突如、病室の入口から英語でそう言われた。
 定光も由井もハッとして立ち上がる。
「ま、まさか……。どうやって……?」
 定光はそこに立っていた人物を凝視して、絶句した。
 そこには、ショーンと理沙が立っていたのだ。
 ショーンは肩を竦ませると、「そんなの簡単だよ。昨日知らせを受けて、小型ジェットをチャーターしたのさ」と言い放った。
「ショーン……!」
 定光が涙を浮かべると、ショーンは両腕を大きく広げて、定光に近づいて来た。
 ギュッと抱き締められる。
「ミツ、辛かったね」
 優しく何度も背中を撫でられた。
「滝川君の具合はどう?」
 ショーンの背後から、理沙が心配そうに滝川の様子を覗き込んでくる。
 ショーンから離れた定光は一度洟を啜ると、「身体的には問題がないそうです。あとは意識が回復するのを待っているんですが、それはまだ……」と説明した。
 理沙は滝川の様子を確かめて、二、三回頷いた。
「確かに、顔色はそんなに悪くなさそうだわ。でも意識だけが戻らないなんて……」
「いろんなことを整理しているんだよ、きっと」
 ショーンが間髪入れず、そう言った。
「彼にとっては、突然様々なことに決着をつけなくてはならない状況になってしまったんだからね」
 まるで西田医師が言い残していったことにそっくりだ、と定光は思った。
 ショーンは定光の腕を摩ると、「程度は全く違うけど、僕も心の問題で声を失ったことがある。時として心は、自分でもコントロールできない現象を起こすものなんだ」と告げた。
 ショーンからそう言われると、定光の心にも力が湧いてきた。
「ショーン、ありがとう」
 定光がお礼を言うと、ショーンは「やめてよ」と顔を顰めた。
「こんなの、当たり前のことじゃない」
 そしてショーンは、更に皆を驚かせる発言を言ってのけたのだった。
「僕はね、アラタが回復するまで、アルバムの発売を永久に延期すると皆に言いに来たんだよ」
 えー!?と一番大声を上げたのは、ショーンと一緒に来たはずの理沙、その人だった。

 

この手を離さない act.77 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記


新の他にも、ショーン・クーパーという暴れ者がひとり・・・(笑)。
いきなり「アルバム出しません」宣言をしたショーンに一番腰を抜かしたのは間違いなく理沙さんだと思います(笑)。
だって彼女も、まさかそんなつもりでショーンとともに飛行機に飛び乗った訳じゃないでしょうからね。
苦労が耐えないよなぁ、彼女。
彼女は、「神様の住む国」からの付き合いだけど、まさか国沢もこんなに長く彼女とお付き合いすることになるとは、その時は全然思っていなかったなぁ。
ショーン共々、国沢もお世話になっている気分です。


あと、余談になりますが、やっと車が直ってきたー!
よかった、年越さなくて(笑)。
やっぱり自分の車が一番乗り心地いいですw


さて、どんどん年末が近づいてきておりますが、ショーンの爆弾発言のその後が気になるところ。
とはいえ、年末の仕事が混んできて、なかなか執筆の時間が取れません(T T)。
ひょっと更新が穴あき更新になるかもしれません。
なるだけ頑張ります。

それではまた。

2017.12.3.

[国沢]

NEXT NOVEL MENU webclap

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.