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この手を離さない title

act.101

 小春日和の心地のいい陽の光の中で、定光と滝川は古い木製の中古デスクを運んでいた。
「新、ゆっくりでいいから」
 右手に麻痺が残る滝川に、定光が声をかける。ゆっくりとした作業なら、滝川でも右手を使った力仕事がなんとかこなせる。
「一回ここで下ろそうか。── よし…………」
 滝川はデスクと窓の位置関係を見比べて、「これじゃパソコン画面に光の反射がハンパなく入ってくるだろ」とツッコむ。
 定光は腰に手を当て、「やっぱりそうか〜。うーん、窓の近くだと風が気持ちいいって思ったんだけどなぁ」と呟いている。
「窓の側の机は、パソコン机じゃなくて社長机を置くしかねぇな」
「そうだねぇ」
「パソコンの机は、東側の壁際に二つ並べりゃいいんだよ。ここの窓を開けりゃ、真っ直ぐ風が入ってくるんだから」
「そうだなぁ。やっぱそうするか」
 また二人でガタガタとデスクを運び、二つ並べて繋げる。
「うん。こっちの方が使い勝手はいいか」
「折りたたみの卓球台は西の壁につけときゃ邪魔にならずに済むじゃん」
 定光は、蚤の市で偶然発見した折りたたみ式の卓球台を西の壁までガラガラと押していく。この卓球台はカット作業や打ち合わせなどの広いスペースが必要な時に使うつもりだった。
 定光は、卓球台の横にスタッキング式のシェルチェアを4つ重ねて置く。
 イームズチェアのリプロダクトらしきそれも蚤の市で見つけたもので、売主が別々のところから購入したせいで、色は全て別々だ。
 ちなみに北側の壁に並んだ本棚とロッカーもリサイクルショップの品だ。
 いくらエレナとショーン、そしてパトリック社から出資をしてもらったとはいえ、いつからまともに仕事が受注できるかもわからないので、節約するにこしたことはない。
 パソコンや定光達が作業をする時に使うオフィスチェアにしっかりと金をかけた手前、こだわる必要のないところは手作りしたり、中古品を直して使ったりと、それはそれで楽しい準備が進められた。
 部屋のあちこちには、定光がわざわざ日本から持参した観葉植物達も鎮座して、機嫌良さそうにしている。
 滝川が下から上へ上げるタイプの窓を開けると、滝川が予想した通り、正面の運河から心地よい爽やかな風が室内にそよいでくる。
「な。パソコンの席にも風、届くだろ?」
「そうだね。いい感じだ」
 定光もご満悦だ。
「ハーイ! 準備進んでる?」
 玄関から、ショーンが顔を覗かせた。
「おー、家主のお出ましだ」
 滝川がそう言うと、ショーンは近くのベーグルショップの紙袋を翳して、「差し入れだよー」と部屋の中に入ってきた。
 そう。二人が事務所として借りた部屋は、ショーンのスタジオがあるあの五階建てのビルの二階だった。
 元々入居者がおらず空だったスペースを使え、とショーンから言われた。
 そこで半分の面積で事務所を構え、もう半分の面積は上の階に住むシンシアも使える撮影スタジオに改装することにした。今も時折、改装業者がマシンを使う音が響いてくる。
 そしてシンシアの住む階の半分も空いているので、二人はそこで暮らすことになった。
 仕事場から居住空間までショーンに甘える形になったが、新たに場所を借りられるより、空いた空間を使ってもらって家賃を収めてもらう方がよっぽど助かる、とショーンは言った。
「なかなかいい雰囲気じゃん。ガレージセールの寄せ集めでコーディネートされた割には」
 ショーンは、部屋の中央に構えられた応接セット(それも中古品のソファーとテーブルだ)に座り、周囲を見回す。
 新しい会社なのにユーズド品に溢れていたため、既に10年以上前からそこにあったかのような事務所の雰囲気になっている。
「こういう方が落ち着くよね。新品ばっかの小洒落たオフィスよりかさ」
「でもまぁ、これを“社長”が良しとするかが問題なんだよね…………」
 定光が呟いた時、インターフォンが鳴った。
 一番近くにいたショーンが、立ち上がって応答ボタンを押す。
「あー、はいはい。取材ね。うん、知ってる。それは受ける取材だから、追い返しちゃダメだよ。二階まで上がるように言って」
 一階の警備からだった。
 アメリカで有力なビジネス誌のひとつと言われているUSパワー誌が、ショーンの手がける新たなプロジェクトに関心を持ち、取材をさせてほしいと言ってきたのだ。
 正確には、ショーンと定光達を束ねる“社長”がタッグを組んで始めるプロジェクト、だ。
 取材陣がドヤドヤと部屋の中に入ってくると、彼らは準備半ばの事務所の様子に「如何にも若者達が立ち上げたベンチャーって感じでいいね」と記者が呟いた。
 マーク・ミゲルと名乗ったその記者は、雑誌社のスター記者だ。
 滝川でも知っているぐらい、有名である。
 こんな記者が自ら取材に来てくれるだけで、いかに今回の記事掲載が異例の扱いなのかということがわかる。何せ、まだ立ち上げたばかりの実績のない会社なのだ。
 定光は一先ず、これまでショーンと過去にやってきた仕事の他、滝川の仕事などもまとめた資料を記者に手渡す。渡米する前に、定光が必死でまとめたポートフォリオだ。これから様々なところに売り込みをするのに絶対必要となってくるものである。
「へぇ、面白い仕事を手掛けてるね」
「ありがとうございます」
 記者の問いかけに、定光は流暢な英語で答えた。
 定光の英語は、使わざるを得ない環境に居続けた結果、ネイティブに近いところまで上達していた。難しい単語はスマホで検索しなければわからないが、大抵の会話は滝川の手助けなしにこなすことができた。
 スター記者は、自分を見上げてくる定光の顔をまじまじと見つめて、「後でお食事でもどう?」と声をかけてきた。
「え?」
 定光は面食らう。しかしスター記者は、そんな定光を置き去りにして、芝居がかった口調でこう続けた。
「こんなところで、天使のような面差しをした美しい子と出会えるなんて」
「オッサン、そいつは既に売約済みだぞ」
 腕組みをした滝川が、記者の背後からそう声をかける。
 記者は「そうなの? 残念」と言いつつ滝川を振り返り、今度は滝川の顔をマジマジと眺めると、「じゃ、君はどうかな? 君もなかなかどうして、エキゾチックな美形だね」と迫って来る。
「ちょっ、ちょっと困ります! 彼も売約済みなんで!」
 定光が慌てて声を上げた。滝川は腕組みしたまま、呆れたようにスター記者を見上げた。
「こっちのゲイは節操ねぇな」
「いやはや、お恥ずかしい。美しい人を見ると我慢ができなくってね。社交辞令と捉えてもらえれば。ミスター・クーパーに会えることだけを楽しみにしてきたのに、意外な誤算だったもので」
 ショーンが入口の壁際で「ラテン系のゲイってスゲー」と面白そうに呟いている。
「いやいや。それも冗談ですよ。本当の目的は、あなた方の社長さんに会うことだ。まさか“あの人”が、こんな小さな会社の社長に就任するとはね。ところで、その社長さんは…………」
 記者が滝川と定光を代わる代わる見比べた。
 すぐに定光が、「今空港に迎えにやってるところなんですよ。もうそろそろ到着すると思います」と答えた。
 それと同時に、事務所のドアが再び開く。
「皆様、お待たせしましたぁ。社長、到着しましたー」
 アフロヘアの日本人と共に、コツコツと軽快な音を響かせて室内に入ってきたのは、定光達が立ち上げた新会社“honeycomb structure”の社長に就任したエレナ・ラクロワだった。
 彼女は定光の申し出を聞いてエニグマを早期リタイアし、この会社に名を連ねることとなったのだ。どうやら定光の使った“新たな挑戦”という言葉が、リタイアの年齢を迎えようとしていた彼女の琴線に触れたらしい。
 アメリカでの実績に乏しい定光や滝川が代表者に収まるより、世界中で圧倒的な知名度を誇る名物編集長が代表取締役を務めた方がインパクトがあるし、仕事が進めやすいと考えた末の決断でもあった。
 事実、その効果はもう出ている。
 なぜなら、早速あのUSパワ誌が主力の記者やカメラマンを送り込んできたのだから。
「相変わらず、お美しい」
 マーク・ミゲルが仰々しくエレナの手を取ってそこにキスをすると、「あなたも全然変わらないわね」とエレナが微笑む。
 だが目は笑っていない。
 “ちゃんと仕事をしてくれないと、ただじゃおかないわよ”とでも言っているようだ。
 そこはスター記者も心得ているようで、「今日はたっぷりとお話を聞かせてもらいますよ。何せ明日N.Y.に帰ることにしてますからね」と不敵な笑顔を浮かべた。
「その前に撮影を済ませてもいいですか?」
 カメラマンがそう言ったので、社員3名(アフロヘア含む)と代表取締役のエレナ、出資者のショーンの五人で記事の扉を飾る写真を撮影することになった。
 窓際に置かれた社長の席に座ったエレナを取り囲んで、若者達が立つ。
 唯一滝川だけが、デスクの上に腰掛け、背中越しにカメラを見つめた。
 らしいといえばらしいが、これから新しく仕事をもらう立場なのに、そんな不遜な態度では敬遠されるかもしれない。
 そう思った定光が、「おい、行儀悪いぞ」と声をかけたが、エレナが「いいんじゃないかしら?」と言った。
 「その方が画面に変化が出てバランスがいいんじゃない? どう?」とエレナは、カメラマンに訊く。カメラマンは「ええ、その通りです。そのままいきましょう」と答えた。
 滝川が、「ほらな?」というようなドヤ顔をしてみせる。
 定光は先が思いやられる…………と溜め息をついた。
「ハイ、じゃ、撮りまーす。1、2、3」


 雑誌が発刊されたのは、その一ヶ月半後のことだった。
『エニグマの女帝が新たに仕掛けた、“美しきハニカム構造”』
 そんなタイトルと共に、あの五人で撮影した写真が扉ページ全体に使われていた。
 先日それを見たシンシアは、「まるでファッションフォトみたいね」との感想を漏らした。
 老いてもなお美しいエレナを取り囲んで、ショーンと定光、滝川、そして一番奥に謎のアフロヘア ── 実態は単なる小間使いの村上なのだが ── が取り囲んで立つ姿は、純粋に美しく出来のいいポートレートだった。
 それぞれの立ち方や表情に“らしさ”が出ている。
 記事内容も実に濃いもので、まずはエレナとショーンの出会いやこれまでのことからはじまり、滝川の学生時代の“隠された活躍”のことや日本での仕事、そして定光のデザインワークやエレナと知り合ってから後のことについて、会社を起こすことになった経緯や定光達の仕事の実力をわかりやすくかつドラマチックに記事に仕立ててあった。
 長い記事だったが、さすがにそこはスター記者才能なのか、飽きずに最後まで読める記事に仕上がっている。
「これがいい宣伝になるといいな」
 定光は、運河沿いの遊歩道にあるベンチに座り、閉じた雑誌を膝の上に置いた。
 定光の左側に座った滝川は、左手でタバコを吹かしながら、「おお」と呑気な声を上げる。
 昼ご飯をオフィスビル一階のパブで食べた後、タバコが吸いたいと言う滝川と連れ立って、運河の側まで散歩をしてきた。
 このベンチは、二人にとって“思い出”のベンチだ。
 定光はこのベンチで初めて、滝川の苦悩に触れたのだ。
 パトリック社やエニグマからポツポツと仕事が回って来てはいたものの、一人前の会社として独り立ちをするにはまだまだ売り上げが足りない。
 一年間は試運転の期間と思いなさい、とエレナからは言われているが、定光としては早く利益を還元して、皆を安心させたかった。
 その定光の思いは、既に滝川に見透かされていたらしい。
 タバコの煙を円の形でポッポと吐き出した滝川は、「あんまり焦んなよ。お前が焦るとろくなことがねぇ」と呟いた。
 定光は、滝川を見つめる。
 滝川は、ゆらゆらと形を崩しながら消えていくタバコの煙を眺めつつ、こう続けた。
「早く金を稼げるようになれればそれに越したことはねぇが、別にエレナだってショーンだって、俺達が今すぐ金を稼がなきゃ、生活に困るってこたぁねぇ。パトリック社だって、潰れたりしねぇだろ。俺達の生活だって、今のところは最低限の生活費があればいいんだし。今は焦ってじゃんじゃん仕事をするより、ひとつひとつの仕事を丁寧にやるのが大切なんじゃねぇのか?」
 定光は、パチパチと瞬きを数回繰り返した後、ゆっくりと微笑んだ。
 そんなことを言ってくるようになった滝川のことが、素直に嬉しい。
「そうだな。お前の言う通りだ。 ── やっぱり、お前と来てよかった。一緒に」
 定光がそう言ったのと同時に、さぁーとやわらかい風が定光の鳶色の髪を揺らした。
 前途は多難だが、こんな心地のいい風景の中にいると、何もかもうまくいくような気がする。二人で、一緒にいれば。
 定光は、続けた。
「俺の選択は間違ってなかった。俺にとっては物理的にお前と離れるなんて、考えられなかった。こうして肌が触れ合う距離にいないと」
 滝川がヘッと鼻で笑って、「何それ、エロい話?」と返して来たので、定光は一瞬顔を顰めたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「まぁ、それもあるかもな」
「お、言うねぇ」
 滝川が定光の方を見てくる。
 今度は定光が空を見上げると、こう告げた。
「俺は恵まれているよ。これまで大変なことはたくさんあったけど、それを乗り越える度にお前を愛おしく思う気持ちが募っていった。こんなこと経験できる人間なんて、この世の中にどれくらいいるんだろう」
「 ── ミツ…………」
 定光は滝川を見つめて微笑むと、左手を滝川の前に差し出す。
 滝川が、定光の顔と手を数回見比べた後、右手でその手を握った。
 以前よりだいぶ力強く握り返せるようになった。
 定光が、ギュッと握り返してくる。
「俺はこの手を離さない。 ── お前は?」
 定光の問いかけに、滝川はニヤリと笑ったのだった。

 

この手を離さない end.

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編集後記


ついにENDマーク
つきました〜。


いやぁ、101話。

中途半端www

連載開始は、2016年の5月5日なので、まるまる二年間お付き合いいただきました。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
正直、こんなに長くなるとは思ってなかったです(汗)。
思えば、ストテンのスコットの死を受けて、勢いで始めちゃったこの連載。
なんだか最後駆け足だった?
いやいや、もう書くべきことはすべて書いた、書いた。

今アメリカは、例のオジサンのせいで自由と希望に満ちた国・・・という状況ではないので、少々このエンディングは複雑な気もしますが、最初から何となく決めていたエンディングだったので、そこは初志貫徹でいくことにしました。

これでまたしばらく、オリジナルの方はお休みをいただくことになると思います。
次の目標は、「接続」を何とかしたいんですけど(大汗)。
なんとかできるかな????(滝汗)

しばらくは、二次創作の方で活動を行うことになりそうです。
twdも早くなんとかせねば(汗)。
本編が終わる前に、終わらせたい。(←かなり不安定な努力目標)

次週は、多分もう一つの二次創作の連載を開始することになると思います。

え?

もうバレバレ
ですか???www



もしご興味がある方がいらっしゃれば、カモン・ジョイナス。


ではでは。

2018.9.16.

[国沢]

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