irregular a.o.ロゴ

この手を離さない title

act.30

 その日は、比較的穏やかな日だった。
 ノートからの返事はまだ来ていないので、定光も滝川も動くことができなかったから、定光は由井や藤岡の仕事を手伝った。
 一方滝川は、今頃"かねこ"の二階座敷できっと昼寝をしているだろう。
 だが、その穏やかな日は、受付からの電話でそれどころではなくなった。
 映像制作部オフィスにかかってきた内線ベルはいつも通りの音だったが、受話器から聞こえてくる受付嬢の声は、そっくり返っていた。
『定光さん、たたたたたたたぁ〜いへんです〜!!』
 その金切り声に、定光は思わず耳から受話器を放す。
「一体何が大変なの?」
 定光はまた滝川の母が会社に乗り込んできたのか、と一瞬身構えた。
 だが、受付嬢の言ったことは、まったく予想外の返事だった。
『ショーン・クーパーらしき物体が、目の前に立っていますぅ』
「物体?」
 定光は思わず眉間に皺を寄せた。側で定光が電話を取る様子を見ていた村上も、「物体?」と思わず聞きなれない単語を繰り返した。
『と、とにかく早く来てくださ〜い!』
 定光は電話を切って、村上を見つめた。
「何の物体の来襲ですか?」
 村上も以前の滝川の母のことが頭に浮かんだのか、怪しげな顔つきで定光を見上げてくる。そんな村上に、定光は呟いた。
「ショーン・クーパーらしき物体が来てるらしい」
「 ── それって……、そもそも物体って呼んでいいシロモノですかね?」
 村上はポツリと呟いた。


 定光と村上が慌ただしくエレベーターから転げ出ると、赤毛で背中にギターケースを背負った外国人が、定光の方を見て、笑顔で手を振った。
 小首を傾げつつ、英語で何を言う。
 定光は英語がわからなかったが、その表情や仕草からすると、「来ちゃった」と言っているように思えた。
「うわぁぁぁ〜……、マジ本物だ……」
 村上があわわわわと声を上げる。
「と、とにかく、笠山さんか社長か由井さんか、誰でもいいから英語話せる人、つ、連れてこい!」
 定光がそう言うと、村上は「新さん呼んだらいいじゃないですか」と答えた。
「あ、そっか!」
 今、英語が話せて暇をこいているのは、確かに滝川だけだ。
 定光はショーンに、ロビーのソファーに座るよう身振りで促すと、スマホをタップして滝川に電話をかけた。
 案の定、昼寝をしていたと思しき不機嫌そうな滝川の声が溢れてきたが、定光はそれを無視してありったけの大声で怒鳴った。
「今すぐ全速力で帰ってこい! 銀河の速さで帰って来い! いいな!」
 "えー"と不服そうな声が漏れていたが、定光は電話を一方的に切った。
「ah……ダイジョブ デスカ?」
 ソファーに腰掛けたショーンが、そう訊いてくる。
「うわっ、日本語しゃべった」
 思わずそう言ってショーンを指差した村上の腰を跳ね上げた足で蹴りながら、「失礼なことを言わない! しない!」と定光は鋭く言った。
「あ、す、すみません!」
「ダイジョブ?」
 ショーンが村上と定光のやり取りを見て、不安そうに見上げてくる。
 定光は両手を前で横に振りながら、
「あ、大丈夫、大丈夫。大丈夫です。ノープロブレム。今、英語話せる人間来ますから」
 と捲し立てた。それを見て、ショーンがにっこり笑う。
「ミツ、Please sit ネ。オチツイテ クダサイ」
 ショーンの話す"オチツイテ クダサイ"は、何だかとても言い慣れていた。どうやら来日している時によく使っている言葉らしい。
 定光はハッとして、ショーンの向かいに腰掛けた。
 ショーンは定光ばかりか、村上にも手でジェスチャーをして、座れと促す。
 定光も村上もしょぼんとしてショーンに頭を下げた。
「すみません、ミスター・クーパー。騒ぎ立ててしまって……」
 そこまで日本語が通じないとわかってはいても、思わず定光はそう言った。
 正確な意味は伝わっていないかもしれないが、ニュアンスは伝わっていると信じたい。
 ショーンは、彼自身の胸に手を当てて、英語で何かを話した。
 さすがに長文を話されては、意味が理解できない。
 定光が笠山か由井を呼びに行こうと腰を浮かしたその時。
 エントランスに滝川が入ってきた。
「チクショウ、お前、人が折角いい気持ちで寝てる時に……」
 ロビーのソファーに座る定光を見つけて指を差し、不平を言いながらズカズカと近づいていた滝川は、そこで定光の向かいに座るショーンの存在に気がついた。
 さすがの滝川も一瞬ポカンとする。
「 ── 何これ、本物?」
 滝川もショーンを指差してそう言ったので、定光は慌ててその指を掴み、ギリギリと握り閉めた。
「イテテテテテ!」
「oh」
 それを見たショーンが、早口で何かを口走る。滝川はその言葉を聞いて、ヒヒヒと引き笑いした。
「な、何だよ?」
 定光がムッとして滝川を睨みつけると、滝川が「ミツはやっぱりドSキャラなんだなって感心してるぞ」と笑った。
「え? あ? や、ち、違う! 違うよ、ショーン! 俺はそんなにドSなんかじゃないよ!」
 定光はまた両手を前に出して、左右に振った。
 滝川が定光の言ったことを通訳すると、ショーンは滝川と同じような悪そうな表情を浮かべ、「またまた〜」という風に笑った。
「いや! 誤解! 誤解です!」
 滝川は定光の言葉を訳したが、その後チラリと定光を見て、「言い訳すればするほど怪しまれるだけだぞ」と呟いた。
 定光は観念して、またソファーに腰を下ろす。
 滝川は定光の膝の上に無理矢理座りながら、英語でショーンに尋ねた。
「今日はまた何でここに? 一人で来たの?」
「いきなりアポなしで来ちゃってゴメン。ノートのスタッフ抜きで話がしたかったから。ミツと」
「コイツ、英語全然話せないぜ」
 滝川が親指で背後の定光を指差すと、定光は何だかまた良くないことを言われていると思ったのか、滝川の背中を叩いてきた。
 最近の定光は滝川といる時間が前より増したせいか、滝川の手の速さが伝染しているようだ。
 ショーンはその様子にプッと吹き出すと、「君達、凄く仲がいいんだね」と言った。
「僕の身の回りには年上の人が多くて、同い年で同性の友達って全然いないんだ。唯一同世代の男友達って、バンドメンバーのライアンぐらいかな。でも彼、すごいシャイだから、二人でいても一時間に二言三言話すだけで終わっちゃって」
 滝川はあぁー……と声を上げ、ショーンのバックバンドでサブギターをしているライアン・ウッドのことを思い浮かべた。
 ライアンは、ショーンが音楽活動を再始動する際にショーン自身が見つけてきた、元々は無名のギタリストだった。NYの地下鉄の駅でホームレス状態でアコースティックギターの演奏していたライアンをショーンがバンドメンバーに大抜擢したことは、有名な逸話だ。
 ライアンはひどい吃音症持ちの青年で、そのせいで職にもつけずにいたのだが、その分彼のギターは雄弁であり、ショーンのギタースタイルとはまた違っているが、とても堅実で丁寧な音を出すことで有名だった。しかも、歌っている時は吃音が改善することをショーンが発見して以来コーラスも担当し、吃音改善のため今も少しずつリハビリをしているという。
 確かにそんなライアンとなら、テンポのいい会話はなかなか成立しないだろう。
「同い年の友達が欲しいんなら、俺やミツと友達になればいいのに」
 滝川がそう言うと、ショーンがパッと表情を明るくした。
「え! ホント? いいの?」
 滝川は肩を竦める。
「まぁ、日本とアメリカだから、しょっちゅう飲みに行くだなんていう友達関係は無理だけどよ」
「Facebook messengerとかはやってないの?」
「入れてたかなぁ……。いや、てか、俺、Facebook自体やってねぇわ」
 ショーンと滝川が二人顔を見合わせて、わははははと笑う。
 滝川とショーンが頭を突き合わせて何やらスマホを触り始めたので、完全に置き去りにされた定光と村上は、ポカンと口を開けたまま、二人がしていることを見つめていた。
「やっぱり、エレナが言ってた通り、面白いね、アラタは」
「あれ? 話、聞いてた?」
「アラタがいるって聞いたから、無茶を承知で一人で来てみたんだ。ミツとの話も、君がトランスレートしてくれると思ったから」
「なるほど」
「で、ミツとアラタって、付き合ってんの?」
「んー、そうだね。でもなんで、知ってんの?」
「エレナが、アラタはよっぽどミツのことが大切らしいって言ってたけど、今日の君達の様子を見てたら、そうなんじゃないかって思って」
「なかなか鋭いねぇ」
「皆にオープンにはしてないのー?」
「ミツがオープンにするの、嫌がるんだよなぁ」
「ああ〜。ミツは恥ずかしがり屋っぽいもんね。僕も世間には公にしてないけど、家族や極近しい仲間にはオープンにしてるよ」
「え? てことは、ショーンも男と付き合ってるってか?」
「そうそう。しかも日本人なんだ」
「へ〜」
「僕が日本のレーベルと契約して、また音楽をできるようにしてくれたのも彼のお陰なんだよ」
「ふーん。そんなことになってたのか。で、そんなヤバイ話、初めて会った俺なんかにしていいわけー?」
「あ、いいの、いいの。君がどういう人かエレナから聞いてるし。それにもう友達じゃん。と、これで登録完了ー」
 二人で連絡先を交換しあって、一息吐く。
 はたと気づくと、ぼっけーとした顔の定光と村上が座っていた。
 滝川は、そんな二人を見やり、
「そういや、下々の者の存在を忘れてたわ」
 と日本語で呟いたのだった。


 取り敢えずショーンが腹が減っているということで、結局また"かねこ"に行くことにした。
 ショーンが和食好きということは有名だったので、下町の飾らない家庭料理を食べてもらいたいと定光が思ったからだ。
 まずは滝川が乱暴に店の引き戸をガラガラと開ける。
「アイル ビー バック」
 滝川はわざとコテコテのジャパニーズイングリッシュの発音で、店の中に入る。
「あらまぁ、新ちゃん、また帰ってきたの? 用事済んだのかい?」
 かねこの女将さんが機嫌のいい声を上げる。
「おばちゃん、また上の座敷、借りるよ」
 滝川はズカズカと店の中に入っていく。
 滝川はここでも傍若無人だが、不思議と女将にも息子さんにも気に入られている。
「あ、おばちゃん、上に飯持ってきてちょうだい。腹空かせてる友達が一人いっからさ」
「はいはい。じゃぁ上に卓袱台出そうねぇ」
 二階ははっきり言って女将さん達のプライベートスペースだから、本来なら一般客は入れないのだが、滝川はどういうマジックを使ったのか、そこでよく食後に昼寝をさせてもらっていることも多く、まるで我が物顔で二階に続く奥の階段を上がっていく。
「すみません・・・。テーブル出すの、こちらでやりますから・・・」
 まだ他のお客さんがいる中、定光が頭を下げながら店の中に入ると、「あら! ミツちゃんも帰ってきたのかい?」と女将が言った。
 今日は定光もかねこで昼食を摂っていたから些かバツが悪い気がしたが、ショーンを連れて行くのに、他にいいところが浮かばなかった。
 滝川が二階を選んだのは、むろん他のお客の目をある程度避けるための配慮だろうが、それにしても滝川の高圧な態度には身内として恥ずかしさを覚える。
「本当にすみません……」
 定光は女将に謝ったが、ショーンが店の中に入ると、数人の若いサラリーマン風の客がショーンに気づいて、思わず席を立ち上がる者や箸を落とす者達が現れたのだから、やはり滝川の選択は間違いではない。
「ショーン、何が食べたい? えっと……ワット ユー ウォンツ ツー イート?」
 カウンターの上のお品書きを指差して定光は言ったが、ショーンに漢字が読めるはずがないと気づき、「ソ、ソーリー……。ユー キャント アンダースタンド」と頭を下げた。
 ショーンはやたら気を使う定光の腰を、いつかみたいにポンと叩く。
 そうしていたら、女将がカウンターの中から手招きして、「こっから見てごらんなさい」と声をかけてきた。
 カウンター越し、息子さんが作り置きの惣菜や今日の日替わりで出していたマグロの山かけ、定番メニューの銀ダラの西京焼き、唐揚げ、アジフライなどの材料を見せてくれる。
 ショーンはパッと表情を明るくすると、惣菜をいくつか指差した後、迷いに迷った挙句、銀ダラを選んでいた。
「シブッ」
 思わず定光が呟くと、ショーンも同じように定光を真似して「シブッ」と言った。
 なぜだか、店内中が朗らかな笑い声が広がる。
 かねこに来るお客さんは行儀も弁えてくれるような人が多いようで、ショーンに向かってスマホを向けるような不躾な客は一人もいなかった。
 女将も客達の気の使いようを肌で感じて、ショーンが一般人と違うということは薄々感じたらしい。
「焼き上がったら上に持って行ってあげるから、ゆっくり寛いで」
 女将はそう言いながら、ショーンの背中を押して、二階の階段へと誘った。
「本当にありがとうございます。お手数をおかけします」
 定光が改めて頭を下げると、女将は「気にしないでいいのよ」と笑った。
 定光が二階に上がると、金子家の客間に滝川がでーんと胡座をかいて座っていた。
「おっせーなぁ」
 卓袱台は滝川がもう出してしまったらしく、まるで雷親父のような様相で滝川が上座に鎮座している。
「お前、ショーンに席を譲れよ」
 定光が注意をすると、滝川は「ショーンに上座なんてわかるわけねぇだろ」だなんて開き直っている。
 ショーンも、別に気にするでもなく、滝川の隣の席に胡座をかいて座っていた。さすがに何度も日本に来慣れているだけあって、落ち着いたものだ。
 しかし、かねこのような純和風の古びた住宅の部屋に、世界のトップスターがごく普通に座っている図は、なかなかどうして違和感があるし、面白い絵面だ。
「ミツ sit シナヨ」
 滝川と揃って定光を見上げ、きょとんとした顔つきでそう言ってくる。
 定光は、その非現実的な光景に、まるで夢を見ているような錯覚に陥った。
 そうこうしていたら、女将が湯のみと急須、煎茶の入った茶筒、ポットをお盆にのせて階段を上がってくる。
「あ、やります、やります」
 定光は部屋の入口でお盆を受け取って、一番入口側の席に座ると、手慣れた動きで湯を湯のみに入れて一旦冷ましてから急須に入れた後、その後お茶を注いだ。
 ショーンが興味深そうに定光のしていることを見つめる。
 滝川がそんなショーンに英語で何か言った。
 "ジャパニーズ"という単語と、定光を親指で指差しながら話しているところを見ると、どうやら「外見に似合わず、こいつが一番日本人臭いから」というようなことを話しているらしい。
 定光の母は、日本人には馴染みの少ないラトビア人だったが、彼女は幼い頃から日本文化に強い憧れを抱いており、大学生の時に念願の日本留学を果たした。その後大学内で定光の父親と出会い、そのまま結婚してしまった経歴の持ち主で、ある意味日本人より日本のしきたりや作法に精通していた。
 日本語もペラペラで、定光はお茶の淹れ方や箸の持ち方、焼き魚の食べ方に至るまで、父ではなく母に教え込まれた。
 定光が英語を一切話せないのは、母が日本語だけで生活をしていたからだ。
 本当いうと母は、ラトビア語にドイツ語、英語に日本語と四ヶ国語を話せる女性だったのだが。
 定光が適温で抽出された煎茶を茶托の上にのせて出すと、ショーンはいたく感激して、「美味しい」と言いながら飲んだ。
「今までいろんなところでお茶を飲ませてもらったけど、ミツがこんな美味しいお茶を淹れることができるなんてビックリした」
 滝川がショーンの言うことを訳してくれる。
「それはよかった」
 定光が思わずにっこり微笑むと、ショーンがその顔をマジマジと見つめ、定光の頬に手を差し伸べる。
「やっとミツの笑顔が見れた。とてもステキな笑顔だね。僕と会う時、ミツはいっつも難しそうな顔をしてるか、誰かにすみませんって謝ってるか、そのどっちかだもん」
 思わず定光はショーンの魅力的な茜色の瞳に見つめられた上、優しく頬にも触れられて、顔を赤らめる。
 それを見ていた滝川が、通訳し終わった後、ショーンの脇腹をグーでパンチした。
「おい、人のものに手を出すな」
 滝川は日本語で言ったが、意味はショーンに伝わったらしい。
 ショーンはワハハと笑うと、「ゴメン、ゴメン。そんなつもりはなかったんだけど、あんまりミツの笑顔がステキだったから」と早口で捲し立てた。
 定光はその二人のやり取りを聞いて、最初は釣られるように笑ってたが、やがて"ん?"と首を捻った。
  ── 何だかまるで、俺と新が付き合ってること前提で話が進んでるような気がするのは、気のせいだよな?
 むろん、定光はまだ、滝川がショーンの質問にあっさりと答える形で二人の関係がもう既にバレていることを知らない。
 定光が頭を捻っている間に食事が運ばれてきて、ショーンは上手に箸を使いながら、純和風の定食を味わった。

 

この手を離さない act.30 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記


本日は、久々のショーン君登場です。
ま、ぶっちゃけ「おてて」でショーンは準レギュラー的な感じなんでね。今後もちょくちょく出てきます。
しかし彼は、プリセイの十代だった頃とは違い、三十目前といった年齢になっているんで、以前とは少し雰囲気も変わってきているとは思うんですが、天真爛漫さは今も変わらないというか・・・ちょっと子どもっぽいですかね??(汗)。
気をつけねば・・・。
でも早速ミツさんと新の関係がバレてるっていうのが、書いていて国沢も少し吹き出しちゃった(笑)。
国沢の執筆スタイルは、キャラのセリフについて事前から物凄く考えて書くタイプではないので、書いていて新たに思いついたり判明したりすることが多く、国沢自身「え、そうなの?www」と思うことも多々あります。
そういうのが面白いから、小説書くのが楽しいし、こんなに長く続けられているのかもしれぬ・・・。

ではまた。

2016.11.26.

[国沢]

NEXT NOVEL MENU webclap

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.