act.93
千春は、定光にブレスレットとつけると、「自分はこれで家に帰ります」と告げた。
彼は自分の荷物をまとめながら、どこからともなく持ってきた家の鍵を定光に手渡すと、「滝川君が目覚めなければ、本当に泊まっていってください」と言った。
遠慮しそうになる定光が何を言い出す前に、彼は定光の唇に人差し指を当てると、「遠慮されると悲しくなるから」と言った。
定光がテレ笑いを浮かべながら鍵を受け取ると、千春はゆっくりと微笑んだ。
「表情が豊かなあなたを見ていると、思わずキスをしたくなる。もうこれ以上、あなたと二人切りでいるのは危険です」
「えっ!?」
定光が顔を真っ赤にすると、千春は「冗談ですよ」と笑った。しかしすぐ、「いや、半分は本気かな?」と呟いた。
「あなたはとても美しい容姿をしているから、てっきりそこにアイツは惚れ込んだんだと思っていたけど、そうじゃないということが今夜よくわかりました」
千春にそう言われ、定光は目を白黒する。
千春はそんな定光を置き去りにして、顎に手を当て、ふむと天井を見上げると、「昔の僕なら、今頃ソファであなたは丸裸になってるところだけど、どうやら僕の本能がそれを赦しませんねぇ……。やはり僕は、本当に“まとも”な人間になれたんだ」と独り言のように呟いた。
「えっと、あの、その……」
なんと答えていいかドギマギしている定光を見て、千春は声を出して笑った。
「いやだなぁ。困らせるつもりはありませんでした。さ、僕は本気で帰りますよ。帰って僕の恋人をヒーヒー啼かせてやりたくなりました。 ── あ、鍵は持っていてくれて大丈夫です。信用していますから。手が空いた時に返しに来てくれればそれでいいです。じゃ急ぎますので」
千春は彼らしくなく、そう早口でまくしたてると、鞄を持ってさっさと仕事場を出て行ってしまった。
鍵を持たされた格好のまま、定光はポツンとその場に残される。
ようやく動悸が治まってきた定光は、千春が出て行った方向を眺めつつ、大きく息を吐き出した。
「なんかいろいろ凄かった……」
自分が使ったマグカップを奥の部屋のキッチンで洗った後、定光は寝室に向かった。
滝川はいまだスヤスヤと心地のいい寝息を立てていて、かなり深い眠りについているようだ。
「これじゃ確かに帰れないな」
定光はベッドに腰掛け、寝乱れた滝川の髪を指でそっと整える。
千春に“母親のような愛し方”と言われ、ドキリとした。
今までの自分の接し方は、確かにその通りだったかもしれない、と思う。それも、付き合い出す以前の単なるビジネスパートナーであった頃から。
定光は自分が女性的な人間だとは思わないが、母親からは友人や後輩達との関係をよく考えなさいと注意されたことが何回かある。
定光ができることは、何でも先に全てやってしまうからだ。例え、問題の当事者が自分でない場合でも。
学生時代の定光は、それがどう悪いのかがよくわからなかった。
だが、千春にああいう話をされて、ようやくわかったような気がする。
その優しさは、きっと相手のためにならないんだってこと。
突き詰めて考えると、そうやって“定光がいないとな”と皆から言われることに快感を覚えていたのかもしれない、と思う。
「 ── うーん………難しい……」
定光は腕組みをした。
千春からは“他人に構ってないで、自分の時間を大切にしなさい”と言われたが、何をすることが自分の時間を大切にすることなのか、パッと思い浮かばなかった。
定光は、自分がこんなにも自分のことを知らないだなんてことを突きつけられ、心底驚いた。
「ひょっとして……俺の方が重症な、の?」
定光が首を捻った時、ふいに背後で滝川がむくりと起き出した。
「ん、目が覚めたか?」
定光は振り返ったが、半目状態の滝川は定光を見ることなく、そのまま素通りしていくと、ドアに近づいて、“あの行動”を始めた。
いくらスヤスヤと安心して眠っていたとしても、やはり自宅と違う環境であることに変わりはないらしい。
「ああ、ダメか」
定光は慌てて立ち上がり、滝川の身体に触れようとしたが、その瞬間、ハッとした。
頭の中に、さっきの千春の「慌てないで」という声ともう1人、穏やかな紳士の声が響いた。
“あなたが恐れているのは、単なる自然現象で心霊現象ではないんだよ”
「西田先生」
定光は思わず呟いた。
さっき千春の話を聞きながら、どこかモヤモヤした感じを覚えたのは、西田医師に以前言われたことを思い出しかけていたのだとわかった。
表現は違えど、彼らの言わんとしていることは同義のように思えた。
定光は、鍵かけの動作を繰り返す滝川の姿を見つめる。
「俺が、動揺しちまうのがダメなんだな。要するに」
定光は大きく深呼吸をすると、滝川の腕に触れた。
滝川がぼんやりとした顔つきで定光を見る。
「ここは君の家じゃない」
滝川が緩く首を横に振る。
定光は、滝川の虚ろな目を覗き込んだ。
「もう君のお母さんはこの世にいない」
それでも滝川は首を横に振る。
「カギをかけないと………こわいママがくるの……」
定光はいつものように一瞬泣きそうになったが、そこをグッと我慢して、深呼吸した。
いつもは滝川の“痛い姿”を見続けることがつらくて、この時点で滝川をなだめてベッドに連れて行っていたが、よく考えたらそれも滝川のためでなく自分のためにしていたことかもしれないと思った。
定光は深呼吸を何度も行った。
自分の動揺を何とか抑えようとした。
その間が長かったせいか、滝川が定光の手を掴んでこう言う。
「早く逃げて」
そこに少し“意思的な”ものを感じて、定光は「ん?」と訊き返す。
滝川は答えた。
「僕じゃないの。僕が襲われるのは、もう慣れたからいいの」
「え?…………」
「“先生”が酷いことされるよ………。だから、僕がカギをかけてる間に、逃げて」
「新、お前………」
定光は目を見開いた。
何か自分はとんでもない思い違いをしていたことがわかったような気がした。
滝川は利己的な傾向が強い性格をしているから、鍵かけもてっきり自分の身を守るためにやっていたことかと思っていた……。
「先生は大丈夫」
定光は咄嗟にそう答えたが、滝川はぼんやりとした顔つきながらも、頑なに首を横に振った。
「先生は大丈夫じゃない……。先生はママに酷いことをされて泣いてた……」
定光の目の前で、それからの滝川は、何度も「先生は泣いてた。先生は泣いてた。先生は泣いてた………」とオウムのように繰り返した。
── “鍵かけ”は、先生を守ろうとしてやっていたことだったのか………
その“先生”がいない今、滝川にとって、定光が先生と等しい存在なのだろう。
つまり滝川は、定光を守ろうとして、こういうことをしているのだ。
「もう先生は泣きません」
定光がそう言うと、滝川の病的な呟きが止まった。
滝川が怪訝そうに定光を見つめてくる。
定光は、自分を落ち着かせようと一度大きく深呼吸をしてから、滝川と向き合った。
「先生はママより強くなりました。 ── いいや、違うな。先生は、前からママより強い人です」
定光はそう言った。
“先生”は、滝川の身の回りで唯一あの理不尽な母親に立ち向かった人物だ。あの母親より弱いはずがない。
定光はそう思ったからこそそう言ったが、先生が泣いた姿を目の前で見ていた滝川は、俄かに信じられないらしい。
滝川は再び、「先生は泣いてた」を繰り返し始めた。
定光は滝川の両手を掴む。
「新、俺を見て」
滝川の浮ついた視線が、それでも定光を向く。
定光は滝川を真っ直ぐ見つめて、強い声でこう告げた。
「俺は、君のママのことなんて怖くない。怖くなんて、なくなった」
「 ── ほんと………?」
定光は頷く。
「君のママは逃げたんだ。君を連れて逃げようとした。でも君は逃げなかったよね。だから俺も逃げるのをやめた。もう君のママなんてちっとも怖くない」
「酷いことされても?」
「そうだ」
「もう泣かない?」
「泣かない」
「 ── よかったぁ………」
滝川は心底ホッとしたように、笑顔を浮かべた。
定光は胸がギュッとなる。
「千春さん……今日だけはまだ、許して………」
定光はそう呟くと、滝川を力一杯抱き締めた。
滝川の健気さや優しさ、純粋な想い胸が一杯になって、抱き締めずにはいられなかった。
「新………愛してるよ………」
定光は、なるだけ涙声にならないように気をつけながら、そう呟いたのだった。
この手を離さない act.93 end.
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編集後記
帰って僕の恋人を
ヒーヒー啼かせて
やりたくなりました。
ひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
怖すぎる〜〜〜〜〜〜〜!!!(笑)。
さり気なくシノさん受難の予感www
これはスピンオフで書くべきですかね???(笑)
・・・・・。
あ、そんな軽々しく、言えない状況だったわ、今(大汗)。
とはいえ、千春は相変わらずシノさんに対して、ドS属性をいまだ保ち続けている様子がまるわかりです。
末永く、お幸せに♥
さて、そんなエロジョークはともかく。
今週、ちょっと短い仕上がりになっちゃって、申し訳ありませんでした。
なんかキリが悪くなるので、こんな感じになっちゃいました。
今更ながら新の健気さが胸に刺さってくる思いでございます。
新、マジで幸せになってほしい・・・。
(↑いや、お前がそのように書くんだろうがよ。)
そして、ちまたではまた若くして、音楽界の天才が一人、自分の生命を絶ってしまいました。
彼の名前は、Avicii。
ご存知の方も多いのではないでしょうか?
名前は知らなくても、彼のヒット曲のいずれかは耳にしたことがあるのでは?
というくらい、近年注目をされておりました。
国沢、おばさんになっても、割と節操なくいろんなジャンルの音楽を聴くんですが、Aviciiもその一人でした。
エレクトリック・ダンス・ミュージック(EDM)業界にいながらも、なぜか彼の音楽は哀愁に満ちていて、なんだか泣けるんですよね。
歌詞の意味もそうなんだけど、曲調とかもね。
やっぱりあれは、北欧生まれの悲哀なんでしょうかねぇ。
(Aviciiはスウェーデン出身)
なんだか国沢、スコットランドの荒涼としたムーアの風景とか、北欧の太陽の高さが低くて悲しいほど厳して美しいフィヨルドの光景とか、最近そういうのに惹かれる・・・てか琴線に触れる。
自然に泣けてくるというか。
「ひょっとして……俺の方が重症な、の?」
重症なの、ミツさんじゃなく、おいらですね(脂汗)。
やっぱり、若い頃から才能が飛び抜けてる人って、栄光と自分の素直な生き様の間で大分もみくちゃにされるみたいで、彼も相当苦労していたらしいです。
お金が急に集まり過ぎるのも、不幸を呼ぶのよね・・・。
なんか生き方というか、亡くなり方も含め刹那的すぎて、痛々しく感じます。
彼は28歳で亡くなったけど、ほぼ「The 27 Club」って言ってもいいよね、彼。
The 27 Clubっていうのは、歴代のカリスマ的アーティストの中で27歳で亡くなってしまった人達。
錚々たるメンバーが名を連ねてます。
ブライアン・ジョーンズ(ザ・ローリング・ストーンズ)
ジミ・ヘンドリックス
ジャニス・ジョプリン
ジム・モリスン(ドアーズ)
カート・コバーン(ニルバーナ)
リッチー・エドワーズ(マニック・ストリート・プリーチャーズ)
・・・・・最近では、エイミー・ワインハウスもそうでした。
他殺説のあるブライアン以外は、自分の中に問題を抱えて薬やアルコールに逃げた結果・・・という方が多いと思います。(いや、ブライアンも相当薬はしてたから、一緒か・・・)
Aviciiも、かなりアルコールの問題を抱えていた模様。
いやぁ、尾崎豊もそうだったよね・・・。
彼は薬だったけども。
あ、彼は26歳か・・・。
なんだかもう、そこら辺は一緒のチームでいいんじゃって思いますけどね。27歳にかぎらずね。
なんだか、凄く残念です。
ではまた。
2018.5.20.
[国沢]
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