act.14
滝川と定光の奇妙な同居生活が始まって、一週間が過ぎた。
滝川を家に泊めるに当たり、定光が取り決めたルールは以下の通りだ。
(1)ベッドは定光が使い、滝川はソファーで寝ること
(2)冷蔵庫の物を勝手に食べない、飲まないこと
(3)タバコを室内で吸わないこと。吸うならベランダで吸うこと
(4)夜遊びする時に日付を跨いで帰ってこないこと。そうまでして遊ぶなら、外で泊まってくること
(5)部屋に絶対女を連れ込まないこと
特に最後は絶対守れ、と定光が言い聞かせると、滝川は意外にあっさりと二つ返事をした。
一先ず滝川は、定光の作ったルールはきちんと守ったものの、それ以外のことで定光が目くじらを立てることは多々あった。
例えば、ろくに身体を拭かずに風呂から出てきて、べちゃべちゃの足跡をつけながら部屋中ウロウロしたり、定光が夕食を作ってテーブルに置く側からどんどん食べてしまい、定光がテーブルにつく頃には、必ず一品、料理の皿が空になっていたり、脱いだ服はそのまま床に脱ぎっぱなしだったりすることなどなど……細かなことをあげたらキリがない。
だが、意外なよい効果も現れた。
忙しい定光が些か世話を疎かにしていた観葉植物が、いきいきし始めたことだ。
どうやら、”自分勝手フレックス”な勤務体制の滝川が、時折仕事を抜け出してはマメに部屋に帰って、観葉植物の世話をしているようだ。
滝川の部屋には観葉植物など置いていなかったため、滝川が植物好きなことに気付かなかった。
ある休日などは、ジョギングに出る定光を尻目に、まるで人間に話しかける要領で、ベッド近くに置いてある一番背の高いオーガスタの鉢植えに「ミツが遊んでくれない」と本気で愚痴ていた。
滝川が定光の部屋に転がり込んだことは、直に社内でも噂が広がることとなった。
正確には、噂が広がるというより、滝川が皆にペラペラと話したからだ。
しまいには村上に「同棲開始、おめでとうございます」と茶化され、ペアのマグカップを映像制作部のスタッフ全員からプレゼントされた。
「集団で嫌がらせしやがって」と定光が口を尖らせると、皆が一斉に笑った。
しばらくこのネタで遊ぶ気マンマンの空気が感じられ、定光は閉口した。
しかし幸いにも、笠山が最初の段階できちんと対応したのがよかったのか、それとも滝川が自宅マンションからさっさと避難をしたのが功を奏したのか、その後滝川の母が滝川の周辺をうろつく気配はなく、やがて定光の中の漠然とした不安もなくなっていった。
定光が風呂から脱衣室に出ると、洗面台の隣の棚にはバスタオルしか置いていなかった。
「あれ? あれれ?」
定光は、タオルをめくってTシャツやらパンツやらがないかどうか確認したが、まったく見当たらない。
今日は残業から慌ただしく帰ってきたので、ちゃんと気が回っていなかった。
定光は他のことに気が逸れると、さっきまで考えていたことをよく飛ばしてしまう。
細かな段取りが必要なプロダクションマネージャーとしては致命的な欠点だが、そこら辺は周囲のスタッフらが絶妙にフォローをしてくれるので、なんとか今の仕事をこなしている、と言ったところだ。
皆、定光が元々グラフィックデザイナーだったことは知っているし、不器用ながらも定光が人一倍一生懸命仕事に取り組んでいることも承知の上なので、ついつい手助けしたくなるのだ。
それに定光は、"暴れ馬を抜群に乗りこなせる"というパトリック社内の誰も成しえないことができるので、その点でも一目を置かれていた。
「参った。部屋着を持って風呂に入るの忘れてた……」
定光は舌打ちをする。
むろん、一人暮らしの時はそんなことまったく気にもせず、むしろバスタオルを腰に巻いたままで部屋に出て、ビールを飲んだりもしていた。
だが今は、例の"暴れ馬"がいる。
今日も滝川は、残業に勤しむ定光を尻目に、定光にタクシーチケットを手渡すと、さっさと自分だけ先に家に帰ってきて、あろうことか定光のベッドに潜り込んで寝ていた。
ルールでは定光が寝る時には絶対に定光がベッドを使うことにしていたが、それ以外までは強制していなかったため、定光がいない時には滝川がよく定光のベッドに潜り込んでいるようだった。
先ほどシャワーを浴びている時に、部屋の中でガタガタ動き回る音が聞こえてきていたので、夕方の仮眠からきっと起き出してきたらしい。
滝川は、以前定光に「裸エプロンしてみろ」だなんて言い出した変態野郎だ。
さすがにそんな滝川の前でバスタオル一枚の格好を晒したくないと、これまで随分気をつけていたが、今日はうっかりしてしまった。
「仕方がない……」
忘れてきたのは自分だから、誰も責められない。
定光はひとつため息をついて、バスタオルを固く腰に巻き付けると、思い切って脱衣室を出た。
案の定、ソファーに座ってテレビを見ていた滝川が、ピュ〜と口笛を吹く。
「うるさい」
定光はそう言い放ちながら、テレビ台の左側の壁際に置かれたクローゼットを開けた。
中に置いてある収納棚の、下着を入れている引き出しを引っ張ると、なんだかそこの景色に違和感を感じて、定光は眉間にシワを寄せた。
「 ── グレイのパンツがない」
定光はそう呟いた。
定光はローライズでなおかつ裾がロングタイプのボクサーショーツを好んで履いているが、その中でグレイのものだけがない。確か二枚はあったはずだが。
そしてなぜが、黒と白の下着が並んでいる一番奥に真っ赤な見慣れないパンツが一枚ある。
定光は怪訝そうに顔を顰めながら、赤いパンツを摘んで、部屋の明かりの下にそれを翳した。
パンツ一面にサクランボの鮮やかな写真がプリントしてある。
定光は益々顔を顰めつつ、滝川を睨んだ。
「これ、お前が入れた?」
定光がそう訊くと、テレビに目をやったままの滝川は「別に」と答えてくる。
滝川の着替えは、ボストンバッグに入ったままソファーの後ろに置いてあるので、滝川のものが混ざるわけはない。
「別にってことはないだろ? 俺が入れなきゃ、お前しか入れるヤツはいねぇじゃねぇか」
滝川はまだ素知らぬ顔で、肩を竦める。
定光はもう一度、赤いパンツに目をやった。
「これ、俺がチェリーボーイだって言いたいの?」
定光がそう訊くと、やっと滝川がプッと吹き出して、クックッと笑う。
定光はハァとため息をつく。
パンツを滝川に投げ付けながら、「そんな訳ねぇだろ。俺をバカにするのもいい加減にしろ」と愚痴た。
滝川はパンツで顔の下半分を隠すと、「チェリーじゃねぇんだ」と返してくる。
「お前、俺をいくつだと思ってる? 来年三十だよ?」
「ふーん・・・。相手誰? 初めての相手」
「え? 大学ん時の同級生だよ」
定光は、再度下着の引き出しに向き直って、グレイのパンツを探し始めた。
「遊びで?」
「俺はお前みたいに器用なタイプじゃないよ。ちゃんと付き合ってた」
定光はそこまで言って、ハッとした。
滝川の“女好き“は単なる“女好き“じゃないことが先日判明したばかりだ。
定光は、下着を探る手を止めると、ちらりと滝川を見て、「ごめん」と謝った。
しかし滝川は別段気にしている素振りはなく、むしろ「別れた理由、おせーて」と前のめりになって訊いてくる。
「そんなの聞いてどうするんだよ……」
定光はまたクローゼットに向き直って、滝川に背を向けた。
「なぁー……。まさかまだ付き合ってる、なんてことねぇよな?」
滝川が慌てた口調でそう言ったので、今度は定光が笑う番だった。
「この部屋のどこに、女の気配があるよ?」
定光の部屋は、黒と焦げ茶を基調としたシンプルモダンな部屋だ。
普段はほぼ寝るだけで、休日は身体を動かしに外に出ることが多いから、室内はあまり散らからない。
キッチンや風呂場も必要最小限の物しかなく、女性を匂わす小物は一切ない。
「なんだ、そっか」
滝川は自分のことは棚に上げて、妙に弾んだ口調でそう言った。
定光はその先を続けなかったが、実はさほど性経験は多くない。
まず、仕事が忙しくてそれどころではないし、日頃から身体を動かすスポーツが好きだから、それほど鬱憤は溜まらない。
むろん、物理的に精子は毎日製造されていく訳なので定期的に出しはするが、もっぱら自己発電が主流で、風俗にはからきし興味がない。
それに大学時代、例の初体験の相手に深く傷つくことを言われ、嫌な別れ方をしてから、とかく恋愛には臆病になってしまった。
それでも大学を卒業してから、大抵は強引に押し切られる形で何人かの女性とベッドを共にしたが、結局は皆「ハーフとセックスしてみたい」という興味が先だったようで、最終的には"お人形さん扱い"をされて終わるというパターンを繰り返した。
おそらく自分は、セックスが下手なんだろうなぁと朧げに思い始めてからは、恋愛どころかセックスも縁遠くなってしまった。
だがいずれにしても滝川に話したところで、バカにされるのがオチなので、話すつもりはさらさらない。
さっきは滝川の気が逸れて、内心ホッと胸を撫で下ろした。
「やっぱグレイのパンツねぇなぁ……。なぁ、まさかお前が履いてるだなんてことねぇよな?」
定光が滝川を振り返ると、赤いパンツを振り回しながらテレビを見ていた滝川は、「俺が捨てといた」と答えた。
「なっ……! バカか、お前!! なんで勝手に捨てちゃうんだよ?!」
「グレイのパンツはお前に似合わねーんだよ。Tシャツとかはいいけど」
「はぁ? パンツなんて見えねーし、どうでもいいじゃんか!」
「しゃがんだら、腰から見えるだろぉ? それがグレイのパンツなんて、興醒めなんだよ」
定光はカッと来て、ソファーの上に片足を上げると、上から滝川の襟首を掴んだ。
「パンツの枚数は死活問題なんだよ! 仕事が混んでる時は、ろくに洗濯機回せねぇんだから、枚数ないと困るんだ! いい加減、勝手な“俺様ルール”を俺に押し付けんのやめろ!」
定光はそう怒鳴ったが、滝川はまるで定光に視線を合わさず、口元を右手で押さえつつ、ニヤけた表情を浮かべた。
「おい! 俺の言うこと、聞いてるか?!」
「聞いてるけど……。ミツさん、見えてますよ」
滝川の視線がバスタオルの中に向かっていることに気づいた定光は、顔を真っ赤にすると、タオルの上から股間を押さえて、滝川の身体を横蹴りしたのだった。
この手を離さない act.14 end.
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編集後記
本日の「おてて」は、小休止のような回となりました。
いよいよ奇妙な同居生活がスタートしましたが、ミツさん、完全に外堀から埋められちゃってるような・・・。
まぁでも、新のことは嫌いじゃないんだからいいよね、と作者の国沢も楽観視www
迷惑被るのは、いつもミツさんっていうwww
本人の自覚はないですが、やっぱミツさん、不幸を呼び寄せる体質なのかも?
それはさておき。
いよいよオリンピック始まりましたねぇ。
国沢としては、やっぱりなんだかんだ言って、オリンピック好きですわ。
スポーツ全般のテレビ観戦が好きなのよね。
早速寝不足です・・・。
それにしても、開会式も思ったよりよかったし、美しかった。
そりゃぁ北京の時より大分スケールダウンしてましたけど、あれぐらいがちょうどいいよ。
内容も感動的だったし。なによりステキな音楽とナイスな聖火ランナーラスト点灯者の人選、そしてあのECO聖火台。
規模は小さいけれども、これまで見た聖火台の中で一番「美しい」を思える聖火台でした。
なんだか「エルドラド〜〜〜〜」って感じで。
太陽の国だもんね、ブラジル(冬でもメッチャ暑そう)。
それに、やっぱボサノバっていいよねぇ。ベテランおじいちゃんが歌っても様になるし、カッコイイ。
日本であれやろうとすると、演歌の大御所になっちゃうの???www サブちゃんとか???wwww
漁船のセットの上で『祭り』とか歌われた日にゃwww
ま、さすがにそれはないんでしょうが(汗)。
ブラジル大会の開会式が予想以上にいい出来だったので、ますます東京オリンピックが不安になってきた(笑)。
国沢的には、歌舞伎と初音ミクがいればいいんじゃないかな、と思ったりもしてますがwww
とにもかくにも、事故も事件もなく、選手が無事に大会を終えられるよう祈るのみでございます。
ではまた〜。
2016.8.7.
[国沢]
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