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この手を離さない title

act.80

 ショーンに揺れる心を吐露した後、彼の求め通り、二人でカレーを作った。
 中には不足している材料があって ── 肝心のカレールーがなかった ── 定光が近くのスーパーに買い出しに行くと言うと、なぜかショーンも目を輝かせてついてきた。どうやら日本のスーパーに行くのは初めてらしい。
 買い物客にショーンのことが気づかれるとまずいと念のため滝川のサングラスを持って行ったが、中途半端な時間に訪れたのが功を奏して客は少なく、しかも年齢層が高かったので騒がれることはなかった。
 とは言っても、整った顔立ちの外人……定光は外人風、だが……連れ立って買い物をしている姿は目を惹くのか、すれ違う買い物客の誰もが男女関係なしに振り返った。
 ショーンはそんな視線もなんのそので、観光客のように隅々までスーパーを見回った。
 果物までパック詰めされてる!と目を丸くして驚くショーンは正直可愛かったし、普段通りの彼の存在がありがたかった。定光も普段通りの穏やかな自分を取り戻すことができたからだ。
 そして定光はふと気がついた。
 こうして普段通りの生活を取り戻すことが、あの母親に“勝つ”ことになるんじゃないか。
 そう思った途端、自分の中のあったモヤモヤとした霧がパァっと晴れたような気がした。
 ── そうだ。自分はあの母親に“負けたくない”と感じていたんだ。
 勝ち負けで今回のことを片付けるのは些か不謹慎なことのように感じたが、ショーンに「思うまま、感じるままでいい」と言ってもらっていたので、定光は自分を否定しなかった。
 ── 今なら、自分はショーンにプロジェクトを止めるべきじゃないと、正面切って話せるような気がする。
 定光の中で、心と体が繋がった瞬間だった。


 帰宅して、ショーンと共にカレーライスを作った。
 彼の家ではほとんどの料理を羽柴が作ってしまうと言っていたが、野菜の皮剥きをする彼の手つきは定光より手馴れていた。
 ショーンは、皿に盛り付けられるカレーを眺めて、「ようはこのカレールーがないと日本風のカレーライスはできないってことだね」と残りのルーが入ったパッケージを翳して言った。定光はくすくすと笑いながら、「そういうこと」と答えた。
 ショーンは「ん〜」と満足そうに唸りながら、カレーを味わった。
「今度、箱一杯のカレールーを僕んちに送ってよ。僕がカレーを作って、コウを驚かせるから」
「わかった」
 定光は再び笑いながら、頷いた。
 食後のコーヒーを飲みながら、定光は切り出した。
「ねぇ、ショーン。明日、理沙さんと一緒に帰国して」
 ショーンは少し目を見開いたが、ふと表情を緩めると、「そう言われるような気がしてたんだ」と答えた。
「ミツはどうしてそう思うの?」
「ショーンにアルバム作りを続けてほしいから」
「アルバム作りは続けるよ、もちろん。アラタの回復を待って」
「でもそれって、一度制作を凍結してからってことだろ?」
 ショーンは、目線を下げてコーヒーカップの淵を指で撫でながら、「そうだね」と呟いた。
「アラタの右手は、なかなかすぐには元に戻らなさそうだからね」
「俺はそうしてほしくないんだ。予定通り、進めてほしい」
 ショーンが定光を上目遣いで見つめてくる。
 定光は、ショーンを見つめ返して言った。
「ショーンも知ってる通り、このプロジェクトのスケジューリングは針に糸を通すように詰められたものだ。皆一流の仕事をしてくれる多忙な人々ばかりが携わってくれているからね。何か1つでも予定がズレれば、予定通りに発売できないどころか、いつ完成するか全く見通しが立たなくなる。だから、ショーンはシンシアの旦那さんと編曲作業を進めてもらいたいし、こちらも後半の撮影旅行の調整を予定通り進める」
 ショーンは軽くため息をつくと、首を横に振った。
「一か月半しかないよ、ミツ。いくらミツがアラタに対してスパルタだと言ったって、その期間でアラタが元通り仕事に復帰できるほど回復するとは思えない。心の問題も絡んでいるんだし。だから、そこまで求めるのは少々アラタに対して酷なんじゃない? ── それにこんな状況じゃ、君自身もシングル曲のジャケットデザインなんてできないはずだ。状況を冷静に考えると、撮影旅行が終わってすぐに第2弾のシングルをプレスに回すのはとても難しい。とてもね」
 定光は頷いた。
「確かにそうかもしれない。無茶なのかも。でも、チャレンジしたいんだ。早く自分達の生活を取り戻して、あの母親のしたことがなんてことはなかったって……無意味なことだったんだって、思いたい。あんなことがあったって、俺達は全然大丈夫なんだって信じたい。 ── このプロジェクトを予定通り進めることが、俺と新の今を取り戻すことの証だって、そう思いたいんだ」
 ショーンがテーブルの上の定光の手を握る。その指先は彼がギタリストのせいか硬かった。
「まったく、ミツには頭が下がるよ。アラタには少し同情するけどね」
 ショーンはそう言って、いらずらっ子のようにニッコリと笑ったのだった。
 
 
 翌朝、定光はショーンを理沙の宿泊しているホテルに送り届けて、会社に向かった。
 病院の面会時間は午後からなので、それまでは会社で撮影旅行の段取りや次回のシングル曲のジャケットデザイン制作の下準備をした。
 会社では、事件の詳細を聞かされている社員が心配そうに定光に声をかけてきたが、定光は「大丈夫」と笑顔で答えた。
 社長の山岸には、滝川が落ち着くまで午後は病院に詰めたいと申し出ると、二つ返事で許可してもらえた。会社としても滝川の回復は死活問題と言える。山岸からは、「少しでも長い間、アイツの側にいてやれ」と言ってもらった。
 どうやら会社には、マスコミや昔滝川と関係のあった女性達から問い合わせの電話が多数あるようで、その対応には総務部が対応しているとのことだった。
 定光が会社にいる間も、度々電話が鳴っているイメージで、代表電話を受け付けている総務課はさぞや大変だろうなと想像した。
 
 
 午後。
 定光が病院に着くと、滝川の病室から「ちゃんと食事を食べてください」という看護師の声が聞こえてきた。
 慌てて定光が病室に入ると、ベッドの上のテーブルにのっている食事はゼリーだけ開けられて食べられており、あとはほとんど手つかずという有様だった。
「どうしたんだ?」
 呆れ気味に定光がそう言いながらベッドに近づくと、ベッドに身体を起こした滝川は口を尖らせている。
 滝川担当の看護師は、「昨夜も朝もほとんど残したって聞きました。食べなきゃ、治るものも治らないんですよ」とご立腹だ。
 それでも滝川は無言で口を子どものように尖らせているので、定光は訊いた。
「ひょっとして口に合わないのか?」
 滝川はチラリと定光を見上げて、コクリと頷く。
 定光は全身脱力する感覚を覚えながら、大きくため息をついた。
  ── 最悪だ……
 定光は、焼き魚に突き刺さっているフォークを引っこ抜いて、そのカケラを口に入れた。
 定光にとっては許容範囲だが、薄味なのは確かだ。メリハリの効いた味を好む滝川には、ボヤけて感じるのかもしれない。
「せっかく作ってくださってるのに、食べられないことはないだろ?」
 定光はそう言ってみたが、滝川はそのまま布団に潜ってしまった。
 定光は、看護師を連れて一旦部屋の外に出る。
「本当に申し訳ありません」
 定光が頭を下げると、看護師は困ったような表情を浮かべた。
「偏食が酷い方なんですか?」
 滝川のカルテをチェックしながら、そう言う。
「入院時の聞き取りでは、特に苦手なものやアレルギーはないとお聞きしてましたけど」
「偏食はないんですけど、許容できる味付けの範囲が物凄く狭いんです……」
 定光がそう言うと、看護師はゲッソリとした表現を浮かべた。最も扱いづらい患者だと気づいたようだ。
「もし可能であれば、こちらで食事の用意をさせてもらってもいいですか?」
 定光がそう訊くと、看護師は「まぁ内科系の患者さんではないから、食事の制限はありませんけど……。それではそちらが大変じゃありません?」と返って定光のことを心配してくれた。
 定光は苦笑いしながら、「食べないままでいられる方が落ち着かないんで」と答えた。
「機嫌がよくないと、リハビリにも影響するかもしれませんし」
 定光がそう言うと、看護師は「そうねぇ」と大きく頷いた。
「会社の近くに定食屋さんがあって、そこのは気に入って食べるんですよ。お弁当を作ってもらえるように頼んでみます」
「わかりました。先生に相談してみます。先生がダメだと判断したら、諦めてください」
「わかりました」
 看護師は、食べ残した食事トレイを持って、部屋を出て行った。
 定光はベッドの側にある椅子に座ると、「わがまま言って、看護婦さんをあまり困らせるなよ」と言った。
 滝川は布団に潜り込んだまま、反応がない。
 定光は軽くため息をつくと、「昨夜作ったカレーが残ってるけど、それ持ってきたら食うか?」と声をかけた。
 すると丸まった布団の隙間から、片目だけが覗く。
「チキン? ポーク?」
「ポーク」
「食う」
 定光は眉間の付け根を指で摘んだ。
  ── ま、食べる気になってくれるだけでマシか。
 結局定光は一旦家まで引き返して、カレーをタッパーに詰めて病院に引き返した。
 途中コンビニでパックご飯を買い、病院に急ぐ。
 滝川の個室には電子レンジがないので、定光はカフェテリアでカレーとご飯パックを温めると、病室に向かった。病室の入口で吉岡刑事達と出くわした。
「あ、どうも」
 吉岡は定光が持っているものを見て、「ご飯の時間だったかな?」と苦笑いした。
 定光は笑顔を浮かべ、「いえ、本当なら終わってるんですけど」と肩を竦めた。
「どうぞ、入ってください」
「いいんですか?」
「はい」
 病室のドアを開けて吉岡達を中に入れ、最後に定光が入ると、カレーの匂いを嗅ぎつけた滝川は布団から抜け出して身体を起こし、早くカレーを持ってこいとばかりに左手をクイクイと動かす。相変わらず、右手はまだ動かないようだ。
 定光がチラリと吉岡を見ると、吉岡は視線の意味を察して「あ、どうぞどうぞ。先に食べてもらって」と言った。
 定光がカレーライスの入ったタッパーに滝川がいつも使っているスプーンを添えて差し出すと、滝川はスプーンを握って定光を見上げた。「蓋を開けろ」ということらしい。
 よく考えたら、こういうのは入院する前からこんな感じだったな、と思いつつ定光が蓋を開けると、よほど腹が減っていたのか、滝川は猛然とカレーを食べ始めた。
「うま、うま」
「どういたしまして」
 しばらく滝川が左手で不器用ながらもカレーを食べている姿を見ていたら、刑事達の存在を忘れている自分に気がついた。
 定光は慌てて吉岡達を振り返ると、病室の片隅にあるソファーに座るように促した。
「すみません、最初におすすめするべきでした」
「いやいや。気にせんでください」
 吉岡がそう言う横で、まだ年若いソバカス顔の刑事が「定光さんって、まるで滝川さんのお母さんみたいですね」と言った。
 一瞬、その場の空気が止まる。
 思わず定光が滝川を見ると、滝川は先ほどと変わらずカレーを食べ続けていた。だがしかし、さっき刑事がそう言った瞬間、視界の隅にいた滝川の手は確かに止まっていた。
「このバカが」
 吉岡が新人刑事の頭を叩く。新人刑事もデリケートな発言をしてしまったと気づいたのか、「すみません」と顔を青くして謝った。すると、滝川が「別に本当のことだから」と言った。
 皆が一斉に滝川を見ると、滝川はカレーを食べながら、「コイツは俺のかぁちゃんみたいなもんだし」と偉そうな口振りで言った。
 吉岡はそんな滝川に穏やかな口調で切り出した。
「ご飯食べてる最中なんだけど、事件当時のことについて聞いてもいいですかね?」
「いいよ」
 滝川は気軽な口調でそう答えた。
 滝川の話は、吉岡達警察が状況から推察した内容とほぼ合致していた。
 滝川の口から、彼の母親がさも楽しそうに盗撮した写真について語った下りは、定光が聞いていても背筋がゾワゾワとするような話だった。
 滝川が、「ババアも木偶の坊も二人とも突っ立ってたから、先に意識を失うことはわかってた」、「なるだけ姿勢を低くしてりゃ、残った空気を吸って風呂場まで行けるって思った」と話した時は、刑事達もその冷静さに感心していた。一方定光は、それを聞いて胸が詰まった。
 滝川が生きることを選択してくれたことが、本当に嬉しかった。
「 ── それで、ババアと木偶の坊はどうなったの?」
 滝川がふいにそう訊いてくる。
 定光と刑事達は、思わず顔を見合わせた。

 

この手を離さない act.80 end.

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編集後記


ハッピー
クリスマース!!!




現在、親が大掃除をしている最中、白い目で見られながら更新作業を行っている国沢です(笑)。

「クリスマスなのに、どこにも出かけないでいるのもアレだし、いるならいるでなぜ掃除を手伝わない?」

というような視線ですwww


かあちゃん、ごめんよ。

娘は今年も、クリスマス死ね死ね団から退団してないんだよ(笑)。


「おてて」はというと、ショーンとミツさんのカレークッキングでお届け。
ショーンが普通のスーパーマーケットをうろついている姿を想像したら、おもしろい。
なんだかカレーが食べたくなってきた。

それではまた。

2017.12.24.

[国沢]

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