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この手を離さない title

act.13

 滝川の母親は、笠山がうまく立ち回り、追い返すことができた。
 笠山の話によると、今回のTVGのCMの件で、大手の新聞に滝川の紹介コラムが写真付きで掲載されたのが、滝川を発見したきっかけだったという。
 どうやら滝川の母親は、普段テレビや雑誌のゴシップ記事とは縁遠かったらしく、唯一新聞だけは読んでいたらしい。
 パトリック社としては、滝川の母親の異常性は今回の一件で明らかだったので、再び来襲があった時のために顧問弁護士にも相談をすることになった。
 会社の総意として、また滝川の母親が来た時は、滝川はもちろん、定光も決して面会させないことを取り決めて、対応に当たることにした。
 定光は滝川から聞いた話は一切他の者には言わなかったが、同僚の皆は、程度まではわからないものの、滝川が母親から異常な愛情を向けられていることは肌で感じたようだ。その後、どの社員も、意図的に滝川の母親の話はしなくなった。
 そして定光は……。


 定光は、自分のデスクの上に置かれた問題となった新聞記事を眺めた後、デスクの上に顔を横に向けて突っ伏し、ため息をついた。
 滝川の母親の騒動があって三日が経っていた。
 この三日、滝川は定光の送り迎えをせず、自宅に籠っている。
 会社としても、滝川の精神面を心配して、滝川の気がすむまで有給扱いにしていた。
 その代わり、定光は村上に毎朝社用車で送り迎えをしてもらっていた。
「ミツさん、傷、痛むんですか?」
 村上がデスクに突っ伏した定光を見て、声をかけてきた。
「いや……」
 定光はそう答えたものの、声は重く沈んでいた。
 今回の一件は、身体に受けた傷より、メンタルに受けた傷の方が大きいように思えた。
 精神的ダメージを受けているのは滝川のはずで、自分は蚊帳の外だということは理解していたが、滝川の母親から向けられた憎悪に満ちた目が、頭の中から離れなかった。
 しかしなぜ滝川の母親は、あんなにも定光に攻撃的だったのか。
 いくら定光が美しい容姿をしているとはいえ、見た目は完全に男性だ。
 滝川の母親は、性別に関わらず、滝川と親しげだと思った相手は軒並み攻撃をするつもりなのだろうか。
  ── まぁ、その線も否定はできないな……。
 「穢れた手で、息子に触れないで」と母親が叫んだ金切り声が、耳の奥に染み付いているような気がした。
 滝川があの母親と一緒にいた時期は、あらゆる外のものを排除して、自分だけで息子のことを独占しようとしていたのだろう。
 そのことに思いを巡らせるにつけ、滝川のことを不憫に思った。
 きっと滝川は他人から同情されるのは嫌がるだろうが、定光が心の中でそう思うのは止められない。
 滝川がカッとくるとすぐに手を出すところも残念ながら母親の言動を側で見ながら育ったせいだろうし、滝川が女性をぞんざいに扱うのも、その根本に女性に対する憎悪があるのかもしれない。
 それでも滝川はなんとか折り合いをつけて、自分の力で地獄の日々から抜け出したのだ。丁度定光が、同級生たちとバカな遊びに大口を開けて笑っているのと同じ時期に。
 定光は、自分の外見のコンプレックスなんて冗談みたいなものだと、自分を恥じた。
 滝川の経験した苦しみを理解せず、一方的に彼の行いを攻めたこともある。
  ── アイツ、一体どんな気持ちで聞いてたんだろうな……。
 定光はうつ伏せになって、鼻をグズッと言わせた。
 滝川は、定光に「アメリカに帰るのか?」と訊かれた時も、結局その質問には答えなかった。
 でも定光が客観的に考えても、滝川はアメリカに帰った方がいい。
 おそらく日本でこれだけの実績を作っている訳だから、アメリカに帰っても仕事には困らないはずだ。
  ── 頭ではわかってる。わかっているけど……
 再び洟を啜る定光に、村上が近づいてきた。
「やっぱりミツさん、具合が悪いんじゃないですか? ホントいうと、新さんよりミツさんの方が心配だって、皆言ってるんですよ」
 定光は顔を起こして村上を見上げた。
「なんで?」
「なんでって……。今回一番被害を受けた張本人だし、ここのところずっと沈みがちだし。新さんと違ってミツさんは普段メンタル安定してる人だから、そんな人が暗い顔をずっとしてると、そりゃ心配にもなりますよ」
 定光は身体を起こして、両手で顔を擦った。
「俺、そんなに暗い顔ばっかしてたか?」
「まぁ、無理矢理元気な顔されても更に心配になるだけですけど。辛いんだったら、ミツさんも仕事休んだ方がいいですよ」
 村上がそう言う。
 定光は、この会話に入ってこないものの、オフィス内にいる他のスタッフ達が敏感に自分達の会話を気にしていることを肌で感じた。
「 ── ごめん。心配かけて」
 定光がそう呟くと、「謝らないでくださいよ」と村上が苦笑いした。
「まぁ救いなのは、新さんが意外に元気そうだってことですよね」
 定光はハッとした顔つきをして、立ち上がった。
「新に会ったのか?」
「ええ。ついさっき。ミツさんが笠山さんのところに行ってる間に、ここに来ましたよ。それから、オフィスの外で時折笑ったりしながら社長と立ち話して、握手をした後、降りて行きました」
 その時、会社の外で聞き慣れたバイクのエンジン音が聞こえてきた。
 定光は、慌てて窓の外を見下ろした。
 大きなボストンバッグの柄に腕を通してリュックサックのように背負っている滝川が、ヘルメットを被っているところだった。
「 ── なんだ、あの荷物……」
 そのボストンバッグは、忘れもしない五年前の忘年会の時に持参していたバッグだ。
 定光は窓を開けて、「新!」と叫んだが、滝川はバイクのエンジン音に阻まれて聞こえなかったのか、そのまま行ってしまう。
「ウソだろ……」
 定光は一瞬泣きそうになって、オフィスを飛び出した。
「あ! ミツさん! どこにいくんですか?!」
 背後から村上の声が聞こえたが、構っていられなかった。
  ── 新がアメリカに帰ってしまう……。俺に、何も言わずに……
 滝川がそう決めたのなら、定光が何を言っても無駄なことはわかっていたが、そのまま行かせるなんてできない、と定光は思った。
 離ればなれになるならなるで、別れ方というものがあるはずだ。
  ── こんな……こんなのは嫌だ。こんな終わり方なんて、嫌だ……
 定光は会社を飛び出したものの、どうすればいいか途方にくれてしまった。
「そうだ! iPhone!」
 定光はスマホを取り出して、滝川のアカウントでiCloudにログインした。
 滝川はスマホの管理もいい加減なので、酔っ払ってその辺に置きっぱなしになったiPhoneを定光が探すことがよくあったから、滝川からアカウントとパスワードを教えてもらってた。
 定光が”iPhoneを探す”で地図を表示させると、案の定、滝川が向かっている方向がわかった。
 定光はタクシーを拾うと、一先ず画面に表示された交差点を告げた。
 

 幸い、道路はあまり渋滞しておらず、五分程度で前方で信号待ちをしている滝川の姿を捉えることができた。
「運転手さん、ここで結構です」
 定光が慌ててそう言うと、ワンメーターしか回ってなかったので、運転手はすこぶる機嫌が悪かった。
「八二〇円ね」
 そう言われ、降りながら腰のポケットを探ると財布がないことに気がついた。
「あ! 財布!」
「ちょっとぉ……、お客さ〜ん……」
 助手席の窓越しに運転手から文句を言われる。
「すみません、本当に申し訳ない。あ、あの後で必ず払いに行きますんで、名刺もらえますか?」
「いやいや、そりゃぁ……。そんなに走ってないんだし、また乗ってもらってさぁ、さっきの場所まで戻ってもらえますかね。会社の前から乗ったんでしょ」
「いや、それが今、急いでいて……とても、急いでて……」
「急いでるのはわかるけどさぁ……」
 運転手と押し問答をしていた時、ふいに後ろから頭を軽く叩かれた。
「イテッ」
 思わず頭を屈めて後ろを振り返ると、あの蕎麦屋から買い取ったサングラスをかけた滝川が「お前、なにやってんだ?」と口を尖らせた。
 滝川はサングラスを取って、黒のライダースジャケットの胸ポケットにそれを引っ掛けると、「おっちゃん、いくら?」とタクシーの中を覗き込んで訊く。
 運賃を支払ってくれるとあって、若干機嫌をよくした運転手が「八二〇円」と答えると、滝川は財布から千円を取り出し、車の中に投げ入れ、「釣りはいらねーわ」と言った。
 滝川の態度は乱暴だったが、このご時世、「釣りはいらない」という客は少ないのか、結局運転手は愛想のいい挨拶をして、走り去った。
 タクシーが走り去った後、妙な沈黙が二人の間に流れる。
 やがて滝川が口を開いた。
「もっかい訊くけど、なにやってんの? こんなとこで」
 定光は、「いや……」と言葉を濁した後、「お前こそ、どこに行くつもりだったんだよ? そんな荷物しょって」と言い返した。
 今度は滝川が「いやぁ……」と口ごもる。
「俺に黙って、勝手に行くつもりだったのか?」
 定光がそう言うと、滝川は”図星された”といったような表情を浮かべた。
 定光はたまらない気持ちになって、唇を噛み締めた。
「そんなの、汚ねぇじゃんか。いくら言いづらいことだとしても、きちんと話してくれるのが筋ってものだろう?」
「だって言うとお前、嫌がるじゃんか」
「そりゃ……。そりゃ嫌だよ。こんなことでお前がアメリカに帰っちまうのは、スゲェやだよ。でも、お前が自分の身を守るためにそう決めたって言うんなら……俺……」
 定光はそこまで言って、言葉を詰まらせた。
 それ以上は、自分の口から言えなかった。
 浮かびそうになる涙をグッと堪え、それを誤魔化すように、額を右手の指先でカリカリと掻く。
「 ── お前、俺がアメリカに帰るの、そんなに嫌か」
 滝川にそう訊かれ、定光は俯いたまま、唇の端をカチカチと噛んだ。
「ミツ」
 叱られるように名前を呼ばれ、「ああ、嫌だっつったろ! 何度も言わせるな!」と怒鳴った。
「なんで嫌なんだ」
「自分でもよくわかんねぇけど、嫌なものは嫌なんだよ。お前が何かに挑戦するとかそういういい意味で向こうに行くんならともかく、あんな腹立たしい人間のせいでお前との縁が切られるなんて、悔しくてたまんねぇよ!」
 定光は、滝川の胸をドンと両拳で叩いた。
 滝川は珍しく、黙って定光に叩かれっぱなしでいる。
「日本にいる方がお前にとって危険だってこと、よくわかってる。よーくわかってるよ。でも、頭ではわかってても、身体で飲み込めねぇんだよ。無理なんだ。だってお前は俺の……」
「俺の?」
「俺の大切な……」
「大切な?」
 滝川が取り乱した定光の顔を、逆に穏やかな表情で見つめてくる。
 定光は、その先にふさわしい言葉がすぐに見つからず、数分言いよどんだ後、「親友だから」と言葉をつないだ。
「親友、か」
 滝川がプスーっとため息をつくが、親友と言った自分に妙な違和感を感じている定光自身、自分のことを整理するのでいっぱいで、滝川の表情に気付かなかった。
「な、なんか俺、言うこと間違った?」
 奇妙な顔つきをして怒り口調でそういう定光に、滝川がへっと笑った。
「そんなの知るかよ。お前がそう思ったんだから、そう言ったんだろ?」
「そ、そうなんだけど……」
 イライラを募らせる定光の頭を、滝川はポンポンと軽く叩いた。
「ま、ミツは言葉で表現するの、チョ~苦手だからな」
 滝川に意外なことを言われ、定光は顔を顰める。
「なんだって?」
「ミツは体感型の人間だってこと。ちっとも自覚してないみたいだけど。ミツは、身体の使い方は上手だけどさ、言葉で自分を表現することはからっきしダメ。お前、会議してても人の言うこと聞いてるっていうより、肌で感じたものを基準に判断してるだろ、よく」
 定光は視線を泳がせ、自分の過去を振り返った。
 確かに滝川の言う通り、言葉で言われたことが抜けることは時々あるが、肌で感じたその場の空気感とか、相手の醸しだす雰囲気などは絶対に忘れないし、その感触を元に判断したことは外れたことがない。
 しかしこれまで、定光にそのようなことを言ってきた人間は皆無だった。
 なにより定光本人にも自覚がなかったことだ。
 でもそう言われると、思い当たる節がいくつもある。
「そ、そうかもしれない……」
 定光がようやく落ち着いてそう呟くと、やれやれと滝川が肩を竦め、大きく伸びをした。
「ということで、俺、もう行っていい?」
 軽い口調でそう言われ、定光は再び眼の色を変えようとしたが、その目の前に見覚えのあるサードオニキスのキーホルダーがついた鍵をぶら下げられた。
 そのキーホルダーは、他でもない滝川が三年前、定光の誕生日を過ぎた一週間後にふいにくれたものだ。
 楕円形の形とその縞模様は間違えるはずがない。
 それは確かに、定光の家の鍵だ。
「え?」
 定光の頭の上に、?マークがいくつも浮かんでは消える。
「なんでそれ、お前が持ってんの?」
「なんでって、さっき事務室行った時に拝借した」
「は? なんで?」
「なんでって。ババアが俺んちまで探し出してきそうだから、一先ずお前んちに転がり込もうと思って」
「はぁぁぁ?!」
 定光は再度大きな声を上げた。
「言えよ! そういうことは!! 転がり込む前に!」
「だからさっきも言ったろ? お前、絶対に嫌がるじゃん」
「当たり前だろ?! お前んちと違って、ウチは狭い十畳ワンルームなんだから!」
 滝川はとぼけた顔つきで明後日の方向を見やっている。
 定光は頭を抱えて、「なんだよ、俺はてっきり……」と呟いた。
「お前だって、さっきの口ぶりじゃ、俺の行き先がアメリカよりは下北沢の方がいいんだろうが」
 滝川にそう言われ、定光は口ごもった。
 確かにこのままアメリカに行かれるより、定光の自宅がある下北沢に行ってもらった方がいい訳で。
「 ── 言っとくけど、俺んち、禁煙だぞ」
「ウッソ、マジか」
「スタジオではお前が王様でも、俺んちでは俺が王様だからな」
 滝川はしばらく考え込んでいたが、やがて妥協したらしい。
「わかったよ。ま、とにかくお前、バイクの後ろに乗れ」
「え? まだ俺、仕事中だから家には帰れないぜ」
「だから、会社まで送るっつってんだろ。それとも三kmの道のりを歩いて帰るか?」
「いや……ええと……」
「その代わり、お前が今度は白ヘルだかんな」
 滝川にそう言われ、定光は両手で顔を覆ったのだった。

 

この手を離さない act.13 end.

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編集後記


親友か〜〜〜www

思わず国沢も新とともに出た一言。
てっきりミツさん、ついに自分の本当の気持ちに気づくかと思いきや、意外に牙城は固かった。


新も自分から告白すりゃぁ話は早いんでしょうが、そうしようとしないのよ、この子もまた・・・。
意外にモジモジ君なのよね。
まぁ新の場合は、自分の育ちからくるコンプレックスが結構あるので、それが壁になっているんだと思うのですが。
一方ミツさんはといえば、新が言った通り頭より先に身体が動くタイプのようなので、かなり脳味噌の中がこんがらがっているよう。
とはいえ、新はアメリカに帰る気はさらさらないみたいですから、奇妙な同居が次週から始まります。
ミツさん、またまた苦労が増えそうだけど(笑)。

ではまた〜。

2016.7.31.

[国沢]

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