act.94
滝川がゆっくり目を覚ますと、すぐ隣に人の体温を感じた。
季節は次第に肌寒さが強くなっていた時期なので、その温かさに滝川の意識は一瞬ふんわりと浮き上がった。
その感覚で、滝川は隣に眠っているのは定光だと確信した。
昨日はリハビリ先の病院でフラッシュバックを起こし、成澤千春の仕事場に転がり込んだ状況だったから、隣で眠っているのは千春の可能性もあったが、自分が今感じている“無条件の安心感”は、絶対に定光でなければ得られないものだと思った。
滝川が右隣に視線を移すと、案の定、鳶色の髪の毛が視界に入ってきた。
カーテンの隙間から差し込んできた朝日を背後に受け、その毛先は黄金色に輝いていた。
その美しさに思わず滝川が指で触れると、その感覚で目覚めたのか、長い睫毛の向こうから、髪の色と同じような淡い鳶色の瞳が現れた。
「 ── おはよう………。先に目が覚めたのか」
少し掠れた声で、定光がそう言う。
滝川は、定光の髪と戯れるのを続けながら、「アイツに呼び出されたのか?」と訊いた。
定光の毛先は柔らかく、まるで小鳥の産毛に触れているようだ。
「アイツ………? ああ、成澤さんのことか」
定光が欠伸を嚙み殺しながら、そう言う。
「ああ。俺の記憶が正しければ、俺がこのベッドで寝入り込んだ時、この部屋にいたのはアイツだけだった筈だ」
定光は滝川の手を払うことなく、触られるがままでいた。
「呼び出されたんじゃない。成澤さんは、知らせてくれたんだ」
定光の言った言葉に、滝川は昨夜千春と定光が話した内容がピンとくる。何となく気まずくなって、滝川は定光の髪で遊んでいた手を引っ込めた。
「さては………アイツ、ペラペラしゃべりやがったな」
滝川がそう呟くと、定光は一瞬顔を顰めたが、すぐに何かを思い出したようで、フフフと笑った。
「成澤さん、お前のちっぽけなプライドなんかどうでもいいって言ってたよ」
滝川は、口をへの字にしながらゴロリと身体を仰向けさせ、天井を仰いだ。
「アイツがそんなヤツだってこと、すっかり忘れてたわ」
定光は滝川の顔つきがおかしかったのかクスクスと笑い続けながら、「でも凄く心配してくれてたよ。あんなに人情味溢れる人だとは思わなかった」と言った。
滝川は溜め息をつきながら、内心それに同意する。
千春がそんなヤツでなければ、ここまで縁は繋がっていない。
澤清順としての千春は、世間から求められるイメージ通り、クールでドSなキャラクターを貫いているが、元々は心優しい面倒見がいい男だ。
ふと、滝川の手に定光の指が絡んできて、滝川は再び定光に視線をやる。
定光は、滝川の右手を触りながら、「リハビリ行きたくなけりゃ、もう行かなくてもいいんだぜ」と言った。
滝川が、物凄く遠くで右手の指に触れられる感触を感じながら、「アイツ、何もかんも話しちゃったのか」と言うと、「多分、何もかんも話してたと思うよ」と定光が答えた。
ということは、病院でフラッシュバックを起こしたことはおろか、右手がもうこれ以上よくならないと自分が感じていることも定光は知ってしまったということだ。
滝川は、自分の鼻先を左手の人差し指で掻きながら、横目で定光を見た。
「でもよー……。リハビリやめちゃうと、これ以上治んなくなっちゃうよ? お前、それでも、いいの?」
探るようにそう言う滝川に、定光は笑顔を浮かべたまま、「それでお前はいいって思ってるなら、俺も異存はないよ」と答える。
滝川はなおも口を尖らせながら、「お前はそう言うけどさぁ〜……。前みたいに仕事とかできなくなっちゃうけどぉ〜……、お前、それでも、いいの?」と繰り返す。
定光は呆れた表情を浮かべた。
「別にお前の仕事のクォリティが下がる訳じゃねぇだろ。ただ、前より時間がかかるってだけで。お前の感性は衰えてねぇんだから」
滝川は数回目を瞬かせて、定光を見た。
「お前、それ本気で言ってる?」
「本気もクソも。事実じゃないか。そりゃお前の納期の速さはウリだったけど、それがなくなってもお前じゃないとダメだって思ってくれるお客は、いくらでもいると俺は思ってる」
定光はそう言いながらも、滝川の表情がみるみる明るくなるのを見逃さなかった。
「じゃ、じゃぁさ、俺の仕事っぷりがどんくさくなっても、俺のこと嫌いにならない?」
まるで子どものような質問だった。
これが千春の言う”滝川の本心“なんだということ定光は感じた。
定光は、ぎゅっと滝川の右手を握ると、「当たり前だろ? そんなことで何で俺がお前のこと嫌いになるんだよ?」言った。
滝川の表情が一気に穏やかになる。
定光からしてみれば凄く子どもじみた不安だったが、滝川なりにずっと悩んでいたのだろう。千春が定光に告げた通りだった。
すっかり機嫌を良くした滝川が、タコのように唇を突き出して「んー」とキスをしようとしてきたので、その顔を定光は両手で阻んだ。
「ここでお前と乳繰り合うつもりはねぇからな」
「ん、んぐ!」
「もう起きるぞ。一旦家に帰って着替えてから会社に行かなくちゃならん」
定光が身体を起こすと、勢い余った滝川は、定光のいなくなったシーツの上に唇から突っ伏した。
「チェッ、なんだよぉ、ちょっとぐらい、いいだろう〜?」
「は? ここが他人のベッドの上だってこと、忘れるな」
「成澤千春のドSが、ミツに憑依してる〜〜〜!」
「うるさい。あ、それに俺、お前の仕事手伝うの今日からなしにするからな」
「え!?」
滝川がガバリと起き上がる。
「な、何でだよ!」
滝川は想像以上に動揺していた。
「お前が俺の手の代わりになってくれるんじゃねぇのかよ!」
「そのつもりだったけど、やめにした」
「はぁ? じゃお前、ショーンのPVが予定通りに仕上がんなくたっていいのかよ?!」
「会社には俺以外にも他のスタッフがたくさんいるだろ? 手が治んなくたって、俺がいなきゃ何もできなくなるような男になるな」
「他のやつが泣きを見るようなことになるだけだぞ。それでもいいってのか?」
滝川はよっぽど嫌なのか、自分のことは棚に上げて、まるで他のスタッフを人質に取るような口ぶりで言う。
以前の定光なら、”他のスタッフに迷惑がかかるぐらいなら“と滝川の言うことを飲んできたが、今日の定光は違っていた。
千春に言われたように、心を鬼にせねば、と思った。
「脅したってダメだ。これまでのようなワガママ放題の仕事の仕方をして皆から嫌われれば、困るのはお前だ。仕事のスピードが落ちたって嫌いになりはしないが、お前がスタッフ達に嫌われたせいで仕事が仕上がらないだなんてことになったら、その時こそ俺もお前のこと、嫌いになるからな」
「ええぇ………。そ、そんなぁ………」
まるでウサギの耳が垂れたような表情を浮かべ、滝川は掛け布団を抱き締める。
これも滝川の”強がりの鎧“がなくなった、素の表情だ。
定光は励ますように滝川の両肩を叩く。
「お前は頭がいいんだから、手の代わりに頭を使え。それから、お前の変なプライドは、成澤さんが行った通り、”ちっぽけななもの“だと思え」
滝川は俯いてまだぶつくさ言っていたが、定光が本格的にベッドから起き出して帰り支度を始めると、その後を渋々付いてきたのだった。
その後、成澤千春の仕事場を後にした2人は、久し振りに2人揃って電車に乗った。
元々滝川が電車に乗るのが嫌いなせいもあるが、いつも借りている社用車がなかったので、仕方がなかった。
中途半端に早い時間帯だったので、ピーク時のラッシュほどの混雑ではなかったが、それでも立っている乗客のせいで床が見えない程度、混雑していた。
滝川は、出際に定光から言われたことが気に入らないのと、嫌いな電車に乗らねばならないことが重なってか、物凄く不機嫌そうな顔つきをしていたが、一応文句も言わずに大人しく電車に乗り込んだ。
定光と滝川は向かい合って立つ形で乗り込んでいたが、電車が動き出して五分程度経った頃、定光の背後で人がゴソゴソと動いて入れ替わる気配がしたと思ったら、その瞬間に滝川が大きな声で「人のモンに触んな」と言った。
定光がギョッとして滝川を見ると、滝川は定光の後ろの男を凝視している。
定光が滝川の視線を追うのと同じように、周囲の乗客も視線を動かしていく。そのさきには、中年のこれといって特徴のないサラリーマンが顔を強張らせて立っていた。
滝川が畳み掛けるように「今、ミツの項に鼻先擦り付けて、ケツ触ろうとしてやがっただろうが」と言う。
サラリーマンは、「そ、そんな!」と否定したものの、定光ばかりか、定光の周囲にいる乗客からも白い目で見られ、額にみるみる脂汗を浮かべた。
「コイツは俺のモンなんだよ。気安く触れるな」
滝川が唸るような声で男を睨み付けると、男は「そんなんじゃないです。違います」と捲し立てて、人混みを掻き分けながら、離れて行った。
その後、今度は定光と滝川のことを周囲の乗客達は盗み見るようになった。
いくら定光の痴漢被害を食い止めるためとはいえ、滝川があからさまに2人が付き合っていることを公言したからだ。
以前の定光なら「何言ってるんだ、バカ」と嗜めるところだが、定光とて、もう以前の定光ではなかった。
定光は滝川に目を向ける。
その時、電車が横に揺れて、足に麻痺が残る滝川がバランスを崩した。
定光がサッと滝川の腕を掴んで、庇うように立ち位置を変える。
反射的に定光のことを見返してきた滝川に、定光は言った。
「守ってくれて、ありがとう」
滝川が目を見開く。
彼は純粋に驚いていた。
定光はその滝川の表情を見て、今までいかに自分が滝川を不安にさせていたか、と思い当たる。
彼にとって、定光が人目を気にせず、滝川に対する好意を隠さないでいることは驚き以上の何物でもないということだ。
「 ── ごめんな」
定光は思わず謝った。
滝川は顔を赤らめながら、「何謝ってんだ。オメェだって今、俺のこと守ってくれたじゃねぇか」と口を尖らせた。
滝川は定光が謝った理由をちゃんと理解していなかったようだった。
そういうことは逆に珍しいことだったが、定光が公の場で自分との関係を隠さなかったことでドキマギしているのが妙に可愛く思えた。
さっきまでの滝川との会話は周囲にもまる聞こえだったが、それでもなぜか周囲の空気が和らいだように感じられた。
今まで感覚的に感じていた視線が、バラバラと離れていくのを定光は皮膚の感覚で感じた。
定光は、滝川の右手を握る自分の手に、そっと力を込めたのだった。
この手を離さない act.94 end.
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編集後記
2週間ぶりの「おてて」の更新です〜。
お待たせして、すみません。
先週は、なんとか無理矢理先に進めようと、あれこれこねくり回していたのですが、ミツさん・新さん双方ともの抵抗にあい、空中分解してしまいました。
不正解な方向に持って行こうとすると、こういうことになるんですよね。
キャラが一切動いてくれなくなる感覚っていうか、
「そっちじゃねぇよ」、的な。
ごめんよ。おかぁさん、あなた達の事、よくわかってなくて(T T)。
そして今週はというと、無理矢理物語を進めることを諦めたら、なんだか自然に場面が浮かんできました。
やっぱ「急がばまわれ」ということか。
さてさて。
一週遅れての感想になりますが・・・。
おっさんずラブ、終わっちゃいましたね〜〜〜〜(T T)。
部長〜〜〜!!
このサイトに来られてる日本在住の方は、もれなく見てたと思われる「おっさんずラブ」。
タイトルの「おっさん」って、誰らへんまでのことを指してるんですかね?www
武川主任あたりかな?
それとも「はるたん」も入るのかな?
きっと牧君は入らないですよね、
美しすぎて(脂汗)。
これまで林遣都さんの出ているドラマも見てきたことはありましたが、特にファンになることもなく(一方田中圭さんは以前から好き)、彼の美しさや儚さにコミットできことはなかったんですが、この度・・・・
開眼。
↑しつこい。
でも、最後のこのシーンの林くん・・・つか牧くん、美しすぎないですか???
ネット上の牧春民の方々が「尊い」と言ってるの、わかる気がする。
いやぁ、しかし凄い時代になってきたもんだ。
こんなドラマが普通に地上波でオンエアされるのも凄いけど、それがトレンド世界一になるほど市民権を得ることになるなんて、本当に信じられない。
ドラマが始まった当初は、「どうせちずちゃんとくっついて、うまくまとめる気でしょ」とまで思っていた国沢。
まさか、あんなに腰を据えた、ドストライクなエンディングが用意されていようとは。
ちょっとまってぇ〜〜〜〜!!
(このシーンのはるたん、世界一カワイイと思ってしまった)
思えば30年前、「JUNE」という雑誌に出会い、竹宮恵子氏の表紙のそれをドキドキしながら、こそこそ隠れるようにしてレジまで持って行っていた自分が、今のこの状況を知ったら、ひっくり返るんじゃないかな?(笑)
ホントにね、おばさんがまだ十代の頃は、日陰のカルチャーだったのよ。この業界。
BLなんて単語もありませんでしたからね。
そのうち、BLが広辞苑なんかに掲載される日がくるんでしょうか?
・・・・・・。
え?
もう載ってる・・・
だと???
末恐ろしや〜〜〜〜〜。
てか、会社員の恋愛の場合、BL・・・つまりボーイズラブとはいえないと思うんですけど、もはや広域的な意味合いで使われるようになっちゃってるんですね。
ちなみに、国沢は当時から少年ものにはあまり興味なく、どちらかといえば当時から「おっさんずラブ」だったもんで、"BL"という単語を使うことにかなり抵抗感がありました。
だから、”モーホースキー族”なんて下品極まりない表現を使ったりしてましたな。
いや、今もしてるけど(汗)。
時代は変わるなぁ〜。
自分も、こんなに長く腐女子+喪女歴を積み重ねるとは思っていなかった。
サイト運営もしかり。
いやぁ・・・・。
まさか、普通のテレビでこんなファンタジーを拝める日がこようとは。
至福〜〜〜〜!!!
(凄く真剣に色補正したわwww)
くそう、はるたんめ!!
その後のイチャイチャシーン、アタシなら容易に裏ページで書けるぞ!(笑)
書いちゃダメだとは思うけどwww
いいお祭りでしたねぇ。
無論、DVDはすぐに予約しました♥
ではまた。
2018.6.10.
[国沢]
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