act.31
ショーンが食事をとり終わると、話は定光の企画案に移った。
ショーンに、定光の口から直接企画の意図を聞かせて欲しいと言われ、定光は滝川を通じて、企画の説明を一から話した。
粗方説明し終わると、ショーンは肩を竦めて、こう切り出す。
「ノートのスタッフには、反対されたんだ」
ショーンはそう言って、定光と滝川双方の顔を見回した。
「ミツが提案したシチュエーションでの撮影を全てこなすとしたら、アルバムの完成は下手したら半年以上先の話になる。当然、マーケティング戦略にも影響するって言われてね。制作費よりも時期的なことが問題だと言ってた」
ノートで感じた雰囲気通りの話で、定光は滝川と顔を見合わせた。
「なんでそんなに時期的なことをノートは意識してるんだ?」
滝川がそう訊くと、ショーンは苦笑いをする。
「賞取りレースだよ。年を超えての発売だと、様々なアウォードのノミネートが次年度にこける。そうするとマズイとノートは考えてるんだ」
「なんで?」
「世界の歌姫アガサが四年ぶりのアルバムを来年出す動きがあるからさ」
ああ、と定光は頷いた。
アガサは、アルバムを出せばトリプルミリオン確実と言われているシンガーだ。確かに、誰が好んでそんなアーティストと賞取りレースを競いたいと思うだろう。
定光がため息をついて俯くと、ショーンに膝を叩かれた。
思わず顔を上げると、ショーンがにっこりと笑っていた。
「でもそんなの、ノートの都合で、僕の都合なんかじゃない」
滝川に通訳されて、定光は思わず息を飲む。
「僕は別に賞を取るためにアルバムを出す訳じゃない。そりゃ確かにアガサと僕のアルバムが並んでいて、僕のアルバムを手にする人がそれで減ってしまうかもしれないけど、でも僕は、そういう状況でもわざわざ僕のアルバムを手に取ってくれるファンにこそ、今度のアルバムのメッセージを伝えたいって思うんだ」
ショーンの瞳は、迷いが一切なかった。
「一枚目は無我夢中でアルバムを出した。二枚目を出した時は、この世界でやっていけると自信を持つことができた。だからこそ三枚目は、音楽を通じて本当に伝えたいことは何かと考え抜いて出す大切なアルバムなんだと僕は思っている。そういうアルバムに、メッセージ性の強いヴィジュアルは必要不可欠だ」
ショーンは真っ直ぐ定光を見つめて言う。
「だから、ミツの出してきた企画書を見た時、心臓を鷲掴みされたんだよ。僕の大切な人生のタイミングをきちんと理解してくれて、僕の血のルーツにまで深く切り込んだ内容だった。ミツの企画内容があまりに深くて、果たしてファンの皆にすべての意図が伝わり切るかどうか僕にもわからないけど、もしそれがきちんと伝わったら、こんなに面白くて意義深いことはないんじゃないかって、そう思う」
滝川がショーンのコメントを通訳してくれている間、滝川自身も誇らしげな顔つきで定光のことを見つめてくれた。
定光はショーンがそう言ってくれたことが嬉しくて思わず洟を啜ると、ショーンが定光をギュッと抱きしめた。しかし今度は滝川も何も不平を言わなかった。
ショーンは定光から身体を離すと、「でもミツはやっぱりドSだよね。だってこのままじゃ僕、スキューバライセンス取らなきゃいけない訳でしょ?」とアヒル口を益々アヒルみたいにして、言った。
この発言に、滝川が通訳する前に爆笑する。
「え? ショーン、なんて?」
定光が滝川を促すと、滝川からショーンの発言の意味を聞かされ、定光は顔を真っ赤にした。
ショーンはやれやれと首を横に振りながら、
「前回の金色のネバネバを何度も何度もかけられまくったことが、今も走馬灯のように思い浮かぶよ」
と呟く。
確かに前のアルバムジャケットの撮影でも、OKテイクが撮れるまで、何度も金色のネバネバを横から浴びせられる羽目になって、ショーンの負担は大変なものだった。
なにせネバネバがかかる度にシャワーでそれを流し、和服も着替え直して、ヘアメイクも一からやり直さないといけなかったからだ。
ショーンの周りの者達には、ネバネバの部分だけ別撮りして、パソコン上で合成すればいいじゃないかと言われたが、それでは画面に緊張感が得られないと、定光は最後まで粘りに粘って撮影を続行した。それにショーンも付き合うと宣言したからこそ、評価の高いアルバムジャケットが仕上がったのだ。
今回もそれに匹敵する……いや、下手したらそれよりハードなシチュエーションの撮影が待っているかもしれない。
「えーあー……」
なんと答えていいかわからない定光に、定光の頬に緩くパンチをする仕草を見せたショーンは、最後にこう言ったのだった。
「でも僕はもうするって決めた。だからミツもアラタもスキューバのライセンス取りなよね」
その後ショーンは、定光と滝川の目の前でノートに電話をかけ、正式に定光案でアルバムジャケットを制作することを宣言した。
ノート側も、「ショーンがそうまで言うなら」と定光案でいくとこを了承した。
定光、滝川、ショーンの3人は、その後パトリック社に戻り、会議室を占領して、企画内容を煮詰める作業を行った。
そこには由井と笠山も参加し、密度の濃い打ち合わせができた。
打ち合わせは7時頃までに終わり、そのまま3人で夕食を食べに行くことになった。
定光は必死になってショーンに相応しいレベルの高いお店を探すべく検索をしたが、その隣で呑気に滝川が「ミツの作るカレーは美味いぞ」と言ったものだから、ショーンは目を輝かせ、「じゃ、ミツん家に行く」と言い出した。
「は? 新、お前、バカか? 俺の作ったカレーなんかより、もっと美味いものはこの世にごまんとあるんだぞ?!」
定光は滝川に向けて怒鳴ったが、ショーンはもうすっかり定光のカレーを食べるつもりになってしまっていたので、定光は泣く泣くショーンを家に連れ帰ることになってしまった。
ショーンを玄関先まで連れ帰って、ドアを開ける段階で定光はハッとする。
「ちょちょちょ! そういや、部屋の中に入られたら、俺とお前の関係がバレるじゃん!」
定光は滝川の肩を押してそう叫んだが、滝川はキョトンとした顔つきをして、
「もうとっくにバレてるから、気にしなくていいんじゃね?」
と答えた。
「は? はぁぁぁぁぁ???」
顎を外す定光を余所に、自分の鍵でドアを開けた滝川は、「さ、入りなよ」とショーンを中に誘った。
ショーンも、「お邪魔しまーす」だなんて陽気な声を上げて、さっさと部屋の中に入っていく。
一人取り残された定光の目の前で、ガシャリとドアが閉まる。
定光はドアにごちりと額をぶつけると、「もう気が狂いそうだ……」と一人愚痴たのだった。
幸い、冷蔵庫にはチキンカレーを作るだけの材料があった。
滝川は定光のカレーは美味いと言ったが、基本市販のカレールーを使ったもので、工夫があるとすれば、クミンシードを事前に炒めて他の具材と合わせるだけで、定光が言ったように本格的なカレーレストランの方が美味いカレーはごまんとある。
しかしショーンも滝川も定光が作ったカレーを上機嫌で食べた。
「今まで、こんな感じの家庭的なカレーライスは食べたことがないかも」
ショーンはそう言う。
「パートナーは作ったりしないの?」
滝川がそう訊くと、「彼は料理がとても上手で、レストランで出てくるような料理を出してくるんだ、いつも」と答えた。
なんでも証券マンの彼は、料理をしながらストレスを発散しているらしい。
「ショーンはなんて言ったんだ?」
定光がそう訊いてきたので、滝川は「パートナーの彼は料理が上手なんだとさ」と説明してやる。
定光は、へーと頷いたが、滝川は内心ちゃんと意味がわかってねぇな、と思った。
定光は多分、“パートナー”が恋人のことを指しているだなんて思っていないだろう。おそらく仕事上の同僚程度にしか思っていないはずだ。
ショーンは先を続ける。
「来日する時に必ず泊まってる家でも、昼間に食べたような料理が出されることが多いから、本当にこんな感じのメニューは食べたことがなかった。とっても美味しい」
「家? ホテルに泊まってるんじゃないの?」
「あー、違う違う。彼の実家みたいなところなんだ」
「へー。でもまー、ショーンがまさか日本人と付き合ってるとはね」
「彼とはまさに運命的な出会いだった」
ショーンはその時のことを思い出したのが、うっとりとした表情を浮かべた。
「その彼は、来日してないの?」
「彼、はっきり言って、僕より忙しい人だから。会社でも責任ある地位にいるし、そう度々向こうをあける訳にいかなくて。お陰で、僕の方が来日回数は多いと思うよ、ここ数年は」
「へー」
滝川が、ショーンとの会話をざっと定光に訳してやると、ようやく定光はショーンの付き合っている相手が男性なんじゃないかと勘づき始めた様子だった。滝川が、内心吹き出してしまうほど、奇妙な顔つきをしている。
食後は、なんとショーンが皿を洗うのを手伝ってくれた。どうやら、向こうの家ではそれがショーンの係だそうで、ショーンの手つきは手馴れていた。
こうしていると、ごく普通の青年のように感じるが、片付けが終わった後、リビングでショーンが持参していたアコースティックギターを弾いてくれた時は、やっぱり常人とは違う、と定光は思った。
ショーンは、新しいアルバムから最初にシングルカットをするつもりだという曲を歌ってくれた。
アンプもマイクも通さずに聴いた訳だが、それでも素晴らしかった。
ショーンが一度ギターの弦を弾いただけで、その場の空気がガラリと変わる。
本物のアーティストとは、こういうものだと耳に刻み付けられた気がした。
その曲は、ショーンの母親がドラッグをやめると約束したはずの父親に裏切られ、一度は父から離れようとした時の心情を想像して作った曲で、切なくて郷愁を誘うようなメロディーラインの曲だった。アコースティックだったから、余計そう感じたのかもしれない。
「アルバムに入れる時は、しっかり楽器の音を入れるつもりだから、雰囲気は大分変わるかもね」
歌い終わったショーンはそう言って肩を竦めた。
定光がノートから提供された音源もまだデモの段階で、アレンジなどは施されていない状態だったから、どちらかといえば、今聞いたアコースティックバージョンに近い。
「僕はね、レコーディングの前にジャケットの撮影旅行に出かけた方がいいと思ってるんだ」
ショーンはそう言った。
その発言に、定光も滝川も驚く。
「普通なら、レコーディングを完成させてからジャケット作りやPV撮影に取り掛かるのはよくわかってる。でも、今回のミツの企画書を見たら、本当に魅力的なパワーが満ち溢れてる場所ばかり選ばれていて、その場所で感じたインスピレーションをレコーディングに活かしたいんだ」
ショーンはそこまで言うと、「曲が完成してないままでのPV撮影となると、きっとアラタが大変だろうけどね」と続けて、滝川を探るように見た。
滝川は大きく息を吐き出すと、「俺は別に構わねーよ」と軽い口調で答えた。
「元々、秒単位で刻むようなPVにするつもりもなかったし。デモ音源がありゃ、なんとかなるだろ」
「君ならそう言ってくれると思った」
ショーンはそう言って、にっこりと笑ったのだった。
結局。
ショーンは、定光の家に泊まって帰っていった。
客用の寝具を構えていなかった定光は、ショーンが泊まりたいと言ったので目を白黒させ、寝室のベッドを使うように言ったが、ショーンはリビングのソファーでいいと、言い張った。
「そんなに僕は野暮じゃないよ。恋人達の寝室を奪おうだなんて」
とやり返されたので、定光は卒倒しそうになった。
しかしビッグスターのショーン・クーパーをソファーに寝かせたなんてこと、ツイッターで呟こうものなら、たちまち世界から非難のリツィートが寄せられ、炎上していまいそうだ。当然、ツィートする気はさらさらないが。
だが、滝川が万が一定光の怒りを買って寝室から追い出される時を想定して買っていた毛布に、本人より先にあのショーン・クーパーが包まって眠ることになろうとは、滝川すら想像もしてなかっただろう。
本当にショーンという青年は、スーパースターというには飾り気がなさ過ぎで、気さくな男だ。
あいにくショーンは、同世代の友達が凄く少ないということだが、きっと彼が身を置く煌びやかな世界では、彼のようなごく普通の生活感覚を持った同世代のスターなんて、1人もいないのだろう。
定光が、それはなぜなんだとショーンにストレートに疑問をぶつけてみると、ショーンは「未だにダッドから、口すっぱく言われてるんだ。くれぐれも人様から見て、恥ずかしい生活をするんじゃないって」と口をへの字にしてそう言った後、チャーミングな笑顔を浮かべた。
「それに僕、あんまりお金や酒とかにも興味ないしね。もちろん、ドラッグにも。僕が興味あるものと言えば、ヴィンテージギターとマイラバーぐらいかな」
はっきりと"恋人"と断言してしまえるのも、正直定光は驚いた。
ショーンは、これまでいろんなスターと噂を立てられていたが、少なくともそれは全部間違っているということだ。
ショーンは、今の恋人とソロデビュー前から付き合い始めたらしい。それが事実だと、もう十年以上経っているということだ。
少なくとも、その"本命"は一切スクープされていない訳だから、随分ショーン側の護りは硬いと言えるだろう。そこら辺は、エニグマがうまくコントロールしているのかもしれない。
ショーンは翌朝までリビングのソファーでぐっすり眠ると、朝はすっきりとした顔つきをして、定光の作った朝食もすっかり平らげて、笑顔で帰って行ったのだった。
この手を離さない act.31 end.
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編集後記
ちなみに、次週ちょっと変則なんですけど、おまけ的にステルス更新になります。
この間ステルスしたばっかなのにwww
でもま、少し短いんですけどね。一本として独立させていいかと問うくらいに。
なんだか小まめに刻む形になって、すみません(汗)。
現在、本職が少し混んできたのと、執筆活動が某ドラマ二次創作に集中しちゃってるので、「おてて」のストックが怪しい(脂汗)。
やっぱ若い頃とは、体力が違うわ・・・。
昔は「アメグレ」と「触覚」を同時連載してたもんなぁ・・・(遠い目)。
今は、そこまで体力が持ちません。
やっぱり脳味噌も疲労しちゃうし、肩こり・首こりもひどくなるので、今は持ちませんね。いはやは年です。
でもその代わり、一年ぐらい前に頭痛外来でCT撮ったら、脳味噌が全然萎縮してなくてギッシリと詰まっており、「小さな梗塞すらない若い脳味噌」と褒められました(笑)。
皆さん、
妄想は脳味噌の老化を抑制してくれますぞwww
ではまた。
2016.12.3.
[国沢]
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