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この手を離さない title

act.91

 滝川の目の前に差し出された紙巻タバコは、ふいに別の男の手で奪われ、灰皿の上に押し付けられた。
 そのエレガントな手の動きに気を取られ、滝川がその手の主を見上げると、彼は静かながら明らかに怒りの篭った目つきで滝川を取り囲んでいた人々を見下ろしていた。
「あなた方は、違法なものをまだこのクラブに持ち込んでいるのですか? オーナーに報告して差し上げましょうか?」
「まぁ! 今夜は春なのに雪でも降るの?! 滝川新だけならいざ知らず、澤清順まで現れるなんて!」
 タバコを取り上げられた女が歓喜の声を上げる。
 ペンネームを呼ばれた成澤千春は、すこぶる機嫌の悪そうな顔つきで女を一瞥した。
「あなた方と群れるつもりはありません。さぁ、彼をこちらに渡しなさい」
「そんな固いこと言わないで」
「しつこい。お望みなら、今から警察に電話をしましょうか」
 氷のような声色で彼はそう言うと、懐から携帯を取り出した。
 それを見た連中は、蜘蛛の子を散らしたように去っていく。
 その様子を滝川はぼんやりとした目つきのまま眺めたが、隣に成澤千春が座ってくると、今度は彼に視線をやった。
「 ── なんで、あんたが………」
「あなたの愛する人があなたのことを必死で探しているのを聞いて。 ── また前みたいに馬鹿騒ぎをしてたんならお尻のひとつも叩いてやろうかと思っていたんですがね。本当に具合が悪そうだ」
 美しい顔を顰めながら、滝川の額や首筋に手を当ててくる。
「熱はないようだけど、顔色は最悪。さ、出よう。ここは空気が悪い。幸い、僕の仕事場は目と鼻の先です」
 成澤千春はそう言うと、滝川の身体を抱え上げたのだった。
 
 
 「さぁ、これを飲んで。身体が温まるはず」
 仕事場の大きなソファーに座らされた後、千春は滝川に大振りのマグカップを両手で握らせた。
「ブイヨンスープを温めたものです。ストックがまだ残っていてよかった」
 滝川がすうっと大きく息を吸い込むと、香ばしくて優しげな香りで肺が満たされた。口に含むと、薄味なのに旨味がしっかり感じられ、とても上質な味がした。
「 ── よかった。やっと顔色がまともになってきた」
 千春にそう言われ、滝川は彼の方に顔を向けた。
 千春は小首を傾けながら、「これでも心配していたんですよ。あなたが入院している間、僕はお見舞いに行ったけれど、病院の受付で面会を断られてしまって」と言った。
 滝川は、彼の視線を避けつつ、苦笑いをする。
「見舞いを断ったのは、別にあんただけじゃねぇよ」
 千春はあからさまに不機嫌そうな顔つきをした。
「やはり、君がそう仕向けていたんだ。 ── なぜ?」
「このザマだからさ」
 滝川はカップを右手だけで持とうとしたが、右手だけでは重みを支えられなくて、カップを落としてしまう。
 落ちかけたカップを、スープが溢れる前に千春の素早い手が受け止めた。
 千春と滝川の視線がかち合う。
「麻痺は酷いの?」
「これでもマシになった方」
 千春が小さくため息をつきながら、カップをローテーブルの上に置く。
「こんな無様な俺を、お前らなんかに見せられっかよ。格好悪い」
 千春は、白けた目を滝川に向けてきた。
「相変わらず、ちっぽけなプライドにしがみついてるな」
 その言い草に、滝川は鼻でへっと笑う。
「そっちは相変わらずの毒舌ぶりだ」
 千春は緩く首を横に振ると、責めるような目で滝川を見つめ、「犯罪被害にあった君に麻痺が残ったって、それを無様だなんて思わないよ、僕は」と言い放った。
「定光さんの話じゃ、彼のデザイン関係の仕事が順調に終わったことで、自信を喪失したかもしれないってことだったけど? 麻痺のせいでうまく仕事が運ばなくて、癇癪を爆発させたんじゃないかって彼は予想していた。そうなの?」
 そう訊かれ、滝川は千春から視線を外した。
「それぐれぇならまだよかったんだろうけどよ」
 滝川はそう言いながら、目の前に広がる六本木の夜景を見つめた。
 キラキラした光が、少しボヤける。
「何が……あった?」
 千春は何かを察してくれたのか、先程までとは違った優しげな声でそう訊いてくる。滝川は、その声に誘われるように口を開いた。
「フラッシュバックを起こしたんだ。 ── 知ってっか? フラッシュバック」
「ええ。昔のトラウマを何かのきっかけで思い出すことでしょ? 僕にも経験がある」
 滝川は横目で千春を見た。千春は両肩を竦めながら、「もっとも、僕のより君のが強烈そうだけど」と続けた。
「それで? きっかけはなんだったの?」
「ババアによく似た声のおばさんが、大声で笑ったんだ」
 千春が、なるほどと頷く。
「それがトリガーか。それで殺されかけた時のことを思い出した?」
「それが不思議とそうじゃんねぇんだ。もっと小さな頃の……。先生が家から追い出された日のことがぶり返すんだ」
「先生? 君の家庭教師のこと?」
 滝川は、うんと頷く。
「ババアは、先生を助けられなかった俺をあざ笑うんだ。 ── 何度も、何度も……。俺がいかにダメ人間で、ババアがいないと生きていけないかってことを繰り返し言ってくる。”私が一緒でなけりゃ、生きる価値もない”って………。俺、パニクっちまってさ。気づいたら、あの店の前にいた」
「なぜ、家じゃなくて、あの店に?」
 今度は滝川が肩を竦ませる番だった。
「さぁな。ババアが近寄りそうになかった場所だと思ったのか、それとも、たくさんの人の目がある場所の方が安全だと思ったのか。はたまた、アイツが住む場所に、ババアの影を引き摺って帰りたくなかったのか。俺自身、わかんねぇよ」
「そうか……」
 しばらくの沈黙の後、ふいに滝川が、「ポンコツ過ぎて嫌になる」と呟いた。
 滝川は一瞬目に浮かんだ涙を手で隠そうとした。
 千春はわざとそれに気付かない振りをして、自分のブイヨンを口に含んだ。
「 ── いいじゃないか、ポンコツでも。この世の中でポンコツでない人間なんているのか」
 千春の言い草に、滝川が驚いたように目を見開く。
「何でそんな顔付きで僕を見る?」
「アンタはポンコツと真逆の存在じゃねぇか」
 滝川の言葉に、千春は苦笑いした。
「もし本気でそう思ってるんなら、君の目は節穴だ。意外だね」
「アンタもポンコツだっていうのか?」
 千春は両腕を広げた。
「ああ、そうさ。僕はポンコツだよ。君と同じようにね」
 千春は芝居がかった口調でそう言った後、両膝に肘をついて前屈みになった。
「この世に完璧な人間なんていない。 ── それに完璧な人間なんて、少しも面白くない」
 滝川はハッと笑い声を上げた。
 そして感心したような表情で千春を見てきた。
「アンタは、完璧でない自分をどうやって受け入れたんだ」
「受け入れてくれたのは、僕のパートナーだよ。だからこれでいいって、思えるようになったんだ」
 滝川は千春から少し目線を外して、何かに思いを馳せた。
「 ── ああ、普通のサラリーマンだって皆が言ってる人か………」
「僕にとってはミラクルな人だけどね。彼ったら、僕のダメなところをスルーする力が物凄い。気づいてないだけかと思いきや、直した方がいい考え方はズバリと指摘してくる。脱帽だよ」
 滝川は、素直にへぇ………と呟いてきた。
「じゃ、その彼氏とやらが完璧なんじゃん」
「まさか。彼は僕以上にポンコツだよ」
 二人は顔を見合わせ、少しの間の後、同時にワハハハハと声を上げて笑った。
「幸せなんだな」
 滝川の呟きに、「君だってそのはずだよ」と返した。
「定光さんは、そういう人なんだろ?」
 滝川は急に不安そうな表情を浮かべる。
「ミツは、仕事をバリバリしてた頃の俺に惚れたんだ。俺のことが好きなのか、俺の才能が好きなのか、未だによくわからねぇ」
「今もずっと一緒にいてくれてるんだから、才能だけに惚れてる訳じゃないだろう」
 滝川は首を横に振る。
「アイツは、俺が回復するのを待ってるんだ。回復して、また元どおりの俺に戻ることを。でももうこれ以上この手が治ることはねぇよ」
「そうなのか?」
「ああ。医者にも言われたし。俺もそう感じてる。 ── アイツは全力で俺のこと支えてくれようとしてるけど、その努力に報いることはできねぇんだ」
 滝川は、物寂しそうな表情を浮かべたのだった。
 
 
 定光は、些か緊張気味に高級マンションの重厚なドアの呼び鈴を鳴らした。
 滝川を見つけたと連絡をくれた成澤千春の仕事場ということだが、スタイリッシュで飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子作家らしい仕事場だった。
 昔は煌びやかな夜を遊び歩いていた滝川には馴染みの世界だろうが、堅実な会社員生活である定光には、縁遠い世界だ。
 しばしの間の後、ドアが開いた。
 中から、当たり前のことだが、テレビや雑誌で見るのと同じ美しい容姿の澤清順が現れた。
「は、初めまして………。こんな夜分に申し訳ないです」
 定光がそう言うと、ふいに彼が表情を柔らかくした。
 途端に人間味を帯びる。
「お待ちしてました。どうぞ」
 マスコミが報じる“非常に気難しい人物”というイメージとは全く違い、柔和な物言いに、定光はほっと胸を撫で下ろした。
「滝川はどうしていますか?」
 スニーカーを脱ぎながら定光がそう訊くと、一足先にスリッパに履き替えた成澤千春は、定光の分のスリッパを出しつつ、「疲れていた様子だったので、奥のベッドで休ませてました」と言った。
 仕事場にベッド?と内心疑問に思った定光を千春はあっさりと見抜いてしまったらしい。
「仕事が込んでくると、ここに泊まる必要があることもあって。元は普通のマンションなので、キッチンもあるし、生活もできますよ」
「あ、そうなんですか。………すみません、思っていることが顔に出てましたか?」
 定光が顔を赤くしてそう返すと、千春ははっきりと微笑んだ。
 あまりテレビでは見せない笑顔だった。
「あなたはなかなか可愛らしい人だ。もっとクールな方だと思っていたんですよ。CMで拝見した時は」
「か、可愛らしいだなんて、そんな……」
 過去そんなことを面と向かって言われたことがなかったので、定光が目を白黒させていると、千春は定光を奥へと誘いながら、「あなたがそういう人で、僕は安心しました」と言った。
「え? それってどういう………」
 定光がそう返す間も、千春は奥へとどんどん進んで行き、寝室と思しきドアを開けた。
 定光は中を覗き込む。
 滝川はスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
 定光はほっと安心の吐息をつく。
 久々にいきなり姿を消したので、またどこかで癇癪を起こして苦しんでいるものと思っていたのだ。
「よかった。よく眠れてる……。 ── 申し訳ありませんが、もう少し新を眠らせてもらってもいいですか?」
 定光が自分より背の高い千春を見上げてそう言うと、千春は「ええ、もちろん」と頷いた。
「明日僕は外で取材を受けることになっていますから、このまま泊まってもらっても大丈夫ですよ」
 定光は「ありがとうございます」と頭を下げた。
 そしてまた定光は、滝川の寝顔に目を向ける。
「アイツ、凄く安心した寝顔で寝てます。あなたのことを信頼してる証拠だ。新を見つけてくれたのがあなたでよかった」
 定光が滝川を見つめたままそう言うと、隣で千春が微笑んだのが空気の動きでわかった。
「定光さん。彼が寝ている間に、少し話をしませんか?」
 定光が再び千春を見上げると、千春はにっこりと笑いながら、「あなたには少し、耳の痛い話になるかもしれないけれど」と言った。
 定光の脳裏に、普段テレビで“ドS王子”とあだ名されている澤清順の姿が浮かび、彼はゴクリと唾を飲み込んだのだった。

 

この手を離さない act.91 end.

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編集後記


2週ほどお休みをいただいての「おてて」いかがだったでしょうか?
今回は、「白馬の王子様」が助けに来ましたよ(笑)。
チー様、相変わらずカッコイイです。

さてさて。

先週は突然お休みをいただきまして、ごめんなさいでした。
幸せにも「更新をお待ちしてます」というコメントもいただきまして、ありがたいばかりです。

現在、仕事との絡みで自分の生活習慣を顧みたり、断捨離に勤しんでみたりと、ちょっと身辺がバタついているところで執筆に集中できる環境になく、このような有り様となっております。
申し訳ござらん・・・(大汗)。

「おてて」にしても二次創作の方も、当面コンスタントな更新ができなさそうなのですが、細々とでも制作を続けていきたいなぁと思っています。
なんとも頼りない状況ですが、お付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします!

ではまた。

2018.4.8.

[国沢]

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