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この手を離さない title

act.95

 宣言した通り、定光は滝川が本気のピンチ状態に陥らない限り手伝わない宣言を会社でも行った。
 その宣言にどよっと動揺を見せたのは、編集作業を専門に行っているスタッフ達だった。定光が滝川を手伝わないとなると、最初に“生贄”になるのは、彼らの可能性が高かったからだ。
 しかし彼らのどよめきは、次の瞬間に別の意味に変わった。
 スタジオに集められた制作スタッフ全員の前で、定光に促された滝川は、子どものように口を尖らせながらも、皆に頭を下げたのだ。
「俺が前みたいに仕事ができるようになるには、皆の協力が必要です。よろしくお願いします」
 そのテレを隠したしおらしい表情は、迂闊にも皆に魅力的に映った。
 元々、この甘え上手のダメ男キャラで様々な女性達をイチコロにしてきた滝川だ。
 定光と付き合い始めてからというもの、この魔力は男にも通じるようになったのか、制作スタッフの女性達はもちろんのこと、男性スタッフも同じように皆顔を赤らめ、モジモジと身体を揺らした。
 結果、現在滝川が取り組んでいるショーンのPVの仕事は、一番若手の編集スタッフ・井上と村上(←サンドバッグ係)が一先ず手伝うことになった。
 そして、定光は………。
 
 
 「しばらく休みたい?」
 藤岡に聞き返され、定光は頷いた。
「半日だけ………。朝は滝川を会社に連れてきますし、処理しなければならない仕事は午前中に済ませて、午後から休日出勤が貯まっているのを消化したいんです」
「確かにミツは随分休日出勤貯めてるから消化してもらった方がいいが、由井達はそれで困らないのか?」
 ミーティングルームで、常務の山田は由井を見た。
 由井は両肩を竦める。
「今滝川はショーンの仕事しか持ってませんから、必然的に定光のマネージャーとしての仕事も特にありません。それに、グラフィックの仕事も既に最終プレゼンが終わっている訳ですから、相手が返事を返してくるまで手待ちの状態です。半日休んでもらっても、特に異存はないですよ」
 由井のその言葉で、しばらくの間、定光は午後休みをもらえるようになった。
 ミーティングルームを出る間際、藤岡に「半日とはいえ、長い休みの間、何して過ごすつもりだ?」と茶化された。
 定光は、はにかむような笑みを浮かべると、こう答えた。
「本当に自分がしたいことを探そうと思ってます」


 千春に“自分の時間を大切にしろ”と言われて、まずは何でもいいから取り組んでみようと定光は思ったのだった。
 午後の半休を取るようになって、定光は久しぶりにクライミングジムに通い始めたり、今までおざなりにしてきた家の掃除や片付けをしたり、実家でそのままにしていた自分の私物を整理しに行ったりした。
 思えば、滝川と付き合い始めて、こんなに自分だけの時間を過ごす日々はなかったと思い当たった。
 最初は定光自身、物凄く違和感があったが、次第に時間の余裕が自分の内面の余裕をもたらすようになっていった。
  ── 本当に自分がやりたいことって………。
 ゆっくりそのことに思いを巡らせられるようになった定光と比べ、一方滝川はというと、夕方定光が会社に迎えに行くと、いつもぐったりとした表情で編集室から出てきた。
 それは編集スタッフの井上や村上も同じような様子で、彼らが互いにぶつかりつつ、模索しながら苦労して仕事を進めていることが伺えた。
 内心定光は、村上達の疲れた顔付きを見て罪悪感を覚えたが、そこはぐっと我慢した。滝川もそうだが、村上や井上が本気で根を上げるまで、口出しはしないと決めていたからだ。
「お疲れ様」
 その日、編集室からゾンビのような顔付きで出てきた村上に定光が缶コーヒーを手渡しながら声をかけると、村上は「ミツさん………」と声にならない声を上げて、定光に抱きついてきた。
「ミツさぁん………。いい匂い………。癒されるぅ……」
 そう呟きながら定光の背中をさすさすと撫でる村上に井上も反応して、定光をサンドウィッチする形で抱きつかれたが、最後に出てきた滝川は、それを目の当たりにしながらも嫉妬心で暴れることもなく、とぼとぼと廊下を歩いて行った。
 定光に興味がなくなったと言うより、純粋に疲れているから暴れるどころではない、といった様子だった。
 定光は村上達をなだめた後、滝川の後を追った。
 滝川の荷物は ── といっても財布と革ジャンだけだが………は既にピックアップしていたので、滝川とそのまま会社の外に出る。
 外はすっかり日が落ちて、空気がきりりと寒い。
 定光が革ジャンを差し出すと、滝川はモソモソとそれを着た。
「大丈夫か?」
 目の下が青い滝川の横顔を見つめながら定光がそう訊くと、滝川は虚ろな表情ながら、ウンとはっきり頷いた。
「そっか」
 定光は微笑む。
 滝川とは、“本気で辛くなったら、痩せ我慢せずに辛いって言え”と約束してある。
「腹減ったんなら、先に晩飯食って帰ろうか?」
 定光がそうきくと、滝川は首を横に振って、「お前の作ったのがいい」と答えた。
「そっか。じゃ、帰ろ」
 定光は滝川の右手と手を繋いで、最寄りの駅まで歩いた。
 もう人前で2人の関係を隠したりしないと、心に決めていた。
 手を繋ぎたいと思った時には手を繋ぐ。
 定光のそんな素直な行為は滝川をひどく安心させるのか、連日、定光がいないながらも致命的な癇癪を起こすことなく、何とかメンタルを維持して仕事を進めているようだ。
 電車に乗ると、夕方のラッシュは過ぎていたものの椅子は全て埋まっており、立っているしかなかった。
 疲れた様子の滝川をドア横の壁と手摺の間に立たせると、定光は滝川を覆うようにその前に立った。
 これなら、多少揺れても他の人が滝川にぶつかったりしない。
 滝川がバイクに乗れなくなって、会社の社用車も返してから電車通勤を余儀なくされているが、滝川は不平も言わず嫌いな人混みに揉まれている。
 そこも大きな変化だ。定光が甲斐甲斐しく滝川の面倒をみなくなってから後の。
 目の前の滝川は、壁に背を凭れさせ、立ったまま眠り始めてしまった。
 身体がズルズルと落ちていきそうだったので、定光は滝川の両脇に腕を入れて、抱きかかえるように身体を支える。
 周囲から視線を集めることはわかっていたが、定光は気にしなかった。
  ── 凄くガンバってんだな、お前…………
 定光は、滝川の寝顔を見つめながら、胸がジンと熱くなった。
 ここのところ、滝川が疲れ過ぎてセックスもお預けになっていたが、それだけに滝川の頑張りが際立っているように思う。
 だからこそやっぱり、滝川のために何かしてあげたいという欲求が湧き上がってきてしまう。
 千春に言われた、“母親目線の発想”だ。
 でもここで中途半端に滝川の仕事を手伝ってしまうと、きっと滝川や村上達の努力に泥を塗るようなことになってしまうだろう。
  ── 新の“独り立ち”を妨げずに、俺が……俺だけができることって…………
 定光は、駅から自宅までの帰り道、滝川を背中におぶって帰りながら、思いを巡らせたのだった。
 
 
 編集が終わった画像を通して見終わった後、村上と井上は探るように背後に座る滝川の表情を窺い見た。
 滝川は腕組みをしたまま、真っ黒くなった画面をしばらく眺めていたが、ふいに両手を広げて、「なんかちげぇんだよ!」と叫んだ。同時に村上と井上が頭を項垂れさせて、深いため息をついた。
 この一週間、もう何度もこのやり取りを繰り返していた。
 村上や井上から見れば、かなり完成度の高い仕上がりとなっていたが、滝川からすれば何か収まりが悪いらしい。
 おそらくこの感覚の差が凡人と天才の差なのだろうが、秒単位の調整を続けてると、何が何だかわからなくなってくる。
 村上が滝川に言われるがまま、膨大な量の素材画像から必要な部分をカットし、井上がそれを繋ぎ、加工していく作業を行なっているが、二人掛かりでも以前滝川が行なっていた仕事量をこなすことができない。
 滝川も、以前のようなスピード感で仕事が進んでいかないストレスは相当なものなのか、3人で仕事を始めた頃は癇癪を起こして、壁に頭を打ちつけようとしたところを村上が羽交い締めにして押さえるだなんて場面も何度かあった。井上も滝川の癇癪を側で見るのは初めてだったのですっかり怯えてしまったのだが、それでも3人で仕事を続けてきたのは、滝川が“変わった”ことが明らかだったからだ。
 以前は平気で癇癪を他人に対してぶつけていたが、今の滝川は違う。癇癪を何とか飲み込もうと努力しているのが伺えるし、それでも我慢ができなくなったら、それを自分に向ける。
 だからこそ、どうにもできなくなると身体をどこかにぶつけようとする行動に出てしまうのだろうが、その不器用ながらも自分で何とかしようともがいている滝川の様を見て、村上も井上も胸がジンと熱くなった。
 だからこそ、こんな苦行のような仕事でも、根を上げず取り組んでいけていた。
 今も滝川は椅子から立ち上がって、「なんかスゲェ気持ち悪い!」と絶叫して、その場をグルグルと歩き回った挙句、部屋の片隅で亀のように蹲ってしまった。
「なんか、すみません………。俺が新さんの感覚、まだ全然掴むことができなくて………」
 しょぼくれた井上がそう言うと、村上は「イノちゃんは、メチャメチャがんばってるよぉ。俺がドンピシャの素材を切り出せてないからだよぉ、きっと」と声を上げた。
「新さん、すみません………」
 2人で滝川の丸くなった背中に声をかけると、滝川はゴロリと身体を横に向け、「オメェらが悪いんじゃねぇよ。俺がちゃんと説明できねぇのが悪いんだ」とごくごく小さな声でそう言った。
 村上と井上が顔を見合わせる。
「自分がこんなに感覚的に仕事してるだなんて、思ってなかった……」
 滝川は誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
「いいとこまで来てんのに、あと少しが詰められねぇ………」
 滝川はまた再び亀のように蹲る。
 村上は、井上に休憩してくるように告げた。
 井上は「美味いドリップコーヒー、煎れてもらってきます」と言って、編集室を出て行った。
「新さんも、今日は少し休みましょう。誰だって煮詰まることってあるし。他のディレクターだって、そういう時は時間を置いて気分転換してますよ」
 村上が呼びかけてもまだ滝川は亀のままだ。
 村上は、ウーンと唸って、「今日はもうミツさんに迎えに来てもらいましょうか?」と言った。
 滝川は、顔だけのそりと村上に向ける。
「ダメだって。今頃アイツ、忙しいもん」
 村上は顔を顰めた。
「忙しい? ミツさん午後からは休みなのに?」
 定光が午後から半休を取り始めて三週間経つが、未だにそれは続いている。
 普通の会社員ならまずありえない待遇だが、これまで定光がプロダクションマネージャーとグラフィックデザイナーの掛け持ちのため、休み度外視で働いてきたことを社員全員が知っていたので、特に不平を言うものは出てこなかった。
 それに、ノート側からは正式にジャケットデザインの最終校了の返事が届いており、ショーンのアルバムが無事プレスの段階に移ったことが報告されていた。
 ショーンは定光の出したデザイン案を見て、一発オーケーを出したそうだ。
 その功績もあって、皆、定光が気の済むまで休めばいいと考えていた。
「ミツさん、休みなのに、家でゆっくりしてないんですか?」
 村上がそう訊くと、滝川は蹲ったまま、ウンと頷いた。
「なんか、“本当にやりたいこと見つけた”って言って、どこかの学校に通ってるらしいぞ。詳しくは知らねぇけど」
「学校? それって全然休めてないじゃないですか。 ── ま、ミツさんらしいっていうか………。それにしても学校って、なんでしょうね? 本当にしたいこと? 資格を取る専門学校かなんかに行ってるんですかね?」
 最初は呑気な声を上げていた村上だったが。
 自分が“資格”と言った瞬間にハッとして、椅子から立ち上がった。
「ちょっ、それってもしかして、ミツさん、ててて転職とか、かっ考えてませんよね?!」
「はぁ?」
 滝川が仰向けにねっ転がって、村上を見上げる。
 村上は、うわーと叫びながら、滝川の身体に追い縋った。
「ミツさん、会社辞めたりしないですよね? 俺を置いて、どっか行っちゃったりしないですよね?!」
 滝川は顔を歪める。
「いったいミツはオメェの何なんだ」
「ミツさんと離れ離れになるのはヤです〜〜〜! ミツさんが転職しちゃったら、どどどどどうしましょう〜〜〜!」
 村上に身体を揺さぶられながら、「んなわけねぇだろ」と言った滝川だったが。
  ── 転職………
 滝川の頭の中にその二文字がやけにくっきりと浮かび上がったのだった。

 

この手を離さない act.95 end.

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編集後記


本日の「おてて」も書き立てほやほやです・・・(汗)。
前回と同様に、誤字脱字だらけかもしれぬ(大汗)。
読み返してるんですけど、全然気づかないですね。ホントに。あはは(←笑ってる場合ではない)。

あ、Wordで校正してもらえればいいのか。
今気づきました(汗)。

Mac使いは、マイクロソフトのOffice系ソフトと愛称が悪いので、ついつい敬遠してしまっていた・・・。

次回からWord先生にチェックしてもらうようにしよ(←今週からやれ)。

さて、皆様、大阪の地震、大丈夫だったでしょうか?
いまだガスが復旧していない地域もあるようで、ご苦労されている方もいらっしゃるのでは・・・と思ったりもします。
まさか大阪の内陸であんな大きな地震があるとは・・・。
地震、怖いです。本当に。
地球上に暮らしていたら、自然に起こるものなので仕方がないんでしょうが。

国沢も、大地震がいつかくると言われているところに住んでいるので、いつもどこか頭の片隅にあります。
とはいえ、あんまり備えができていないのがダメダメなんですけど(大汗)。
次回の南海地震がきたら、多分ホームページの更新、できなくなるだろうなぁ。
そんなことも思ったりします。

あかん、あかん。
ネガティブシンキンガー。

ではまた。

2018.6.24.

[国沢]

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