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この手を離さない title

act.62

 ショーン・クーパー四年ぶりのシングル曲の正式リリース日が決定した。
 マスコミ発表と同時に、滝川が監督・編集したPVがネット上で公開になるやいなや、ショーン・クーパーのサウンドに飢えていた全世界のファン達が一斉に色めき立った。
 リリースは2週間後のことだったが、早くも「もう待てない!」とのファンの悲鳴がSNS上を埋め尽くした。
 PVの出来も上々の評判で、様々な音楽雑誌やブログが話題に取り上げた。
 まだ女優としてメジャーでなかったシシーにも注目が集まり、検索ワードの上位に彼女の名前がランクインした。
 様々な現象が相乗効果となり、久々のシングル曲が大ヒットするのは、誰の目にも明らかだった。
 しばし仕事が落ち着いた定光達と違って、ノートはハチの巣を突いたような嬉しい忙しさとなったようだ。
 各方面から、取材依頼や問い合わせの対応などに追われて、ショーンの担当部署は応援要員も構えるほどの忙しさだそうだ。


 その日定光は、仕事を定時で終えた後、家に帰って滝川の分だけの夕飯を手早く作った。
 些か手抜きだが、冷蔵庫にある残り物の野菜と豚コマを豆板醤と甜麺醤の合わせ味噌で炒めたものにゆで卵を漬け込んだ味玉とスーパーで買った白菜の浅漬けをワンプレートに盛って、ラップをかけておいた。中華味噌を使った味付けは、過去に滝川がお代わりしてまで食べていたので、「口に合わない」とむくれることもないだろうと踏んだ。味が気に入らないと食べないから、正直食事作りは気を使う。定光は料理作りにさほど情熱を感じているわけではないから些か大変だが、懐事情を考えると外食ばかりをしているわけにはいかない。それに滝川もさほど器用でもない定光の手料理の方が気に入っている節が伺えるので、スーパーの惣菜を買うより定光が作った方が確実だった。
 定光は、最後に炊飯器のスイッチを入れ、出かける準備をする。
 いつもは大抵定光より早く帰宅している滝川は、この日珍しくまだ帰ってきていなかった。
 ショーンのシングル曲のPVが好評で、今頃は海外メディアからの取材に対応しているはずだが、定光が時計を見るともう取材は終わる頃だから、もうすぐ帰ってくるだろう。
 これから定光は出かけるので、結果滝川とすれ違いになってしまうが、仕方がない。
 定光は、今日が母親の誕生日だということを帰宅直前に思い出し、急遽出かけることになってしまった。
 母親が亡くなってから、母の誕生日にいつも家族で訪れていた焼肉店で父親と姉の3人で夕食を食べることがルールとなっていた。
 こんな大事な日を忘れていただなんて姉に知れたら、どんなことを言われるかわからない。
 姉の亜里沙は、理性的な父や礼儀正しい母とも違って、1人異色を放っている毒舌キャラだ。口喧嘩では勝った試しがない。
 定光は、夕食を盛った皿の横に「飯は炊飯器で炊けてる。これで適当に食え。今晩中には戻る」と書き置きを残して、家を出た。


 電車を一本乗り継いで、定光は実家近くの焼肉店のドアを潜った。
「遅〜い!」
 案の定、店の奥から亜里沙の声が聞こえてきた。
「ごめん」
 定光は謝りながら、姉の向かいに腰かけた。姉の隣には、既に父親の享一も来ていた。
「私達も来たばかりだ。いつものを注文したところだから、追加で食べたいものがあれば頼みなさい」
 享一がそう言うと、亜里沙は口を尖らせ、「もう、お父さんは慶に甘いのよね、いつも」と言った。
「そういやお母さんも慶に甘かったわ」
 定光は顔を顰めた。
「何言ってるんだよ。母さんは誰に対しても厳しかったじゃないか」
「でも門限があるのは私だけで、慶はなかったわ」
「そりゃ俺が男だったからじゃないか……」
「そうかしら」
「こら、やめなさい。顔を合わすとすぐにそうなるのは、なぜなんだ」
 享一が眉間にシワを寄せ、割って入った。享一は元来穏やかな性分で、言い争うことが嫌いだ。
 父親の雲行きが怪しくなるのを感じて、定光と亜里沙は目を合わせて、バツが悪そうに苦笑を浮かべつつ肩を竦める。
 3つ年上の姉とは、よくこうして言い合いをするが、本当のところは仲がいい。
 姉は確かに定光のように母親ヴィクトリアの容姿はあまり受け継いでいないが、面倒見のいいところは完全に母親譲りだ。
 彼女は3人の子どもを持つ専業主婦だが、保護者会の役員や地域活動の世話人となどを任されて、いろんな人の面倒を見ているようである。こうして家族水入らずで集まるのは母の誕生日の時だけなので、一瞬子育てから解放されて、ただの娘でいられる時間を楽しんでいるのだ。
 注文した品がテーブルに並んでからは、終始和やかな食事会となった。
 母の思い出を語り合いながらの食事は、定光にとっても仕事の疲れから解放されてリフレッシュできる。
 好きで選んだ仕事だが、細やかに神経を使うのは事実だ。数日後からは再び、アルバムジャケットの撮影で海外を回ることになるので、本当にタイミングが良かった。
 亜里沙の子どものイタズラ話に全員で笑い声を上げていると、ふと亜里沙が、「あれ?」という表情を浮かべた。
「 ── 何? どうしたの、姉さん」
 定光が訊くと、亜里沙は視線を定光の背後に留めたまま、「ねぇ、あの人、慶の知り合いなんじゃない? お母さんの葬儀にも来てくれてた……。ええと名前なんだっけ……少し変わった感じの……」
 一瞬嫌な予感がして、定光は背後を振り返った。
 焼肉店は席の間に仕切りがきっちりとあるボックス席だから、定光は身を乗り出して、亜里沙の見る方向を見やった。
「 ── 新」
 定光がそう呟くと、亜里沙が「そう! それ!」と指を差す。
 滝川は定光を見るでもなく、家族連れが多い焼肉店の中で、ボックス席を1人独占しながら、黙々と焼肉を食べていた。その一人焼肉をしている姿は非常に目立った。だからこそ、亜里沙も気がついたのだろう。
「アイツ、なにやってんだよ……」
 定光が顔を歪ませ、そう呟くと、「なぁに? なんか嫌な感じなの?」と亜里沙が訊いてきた。定光は亜里沙に向き直ると、「いや、別にそうじゃないけどさ……」と返した。
 亜里沙は半分笑いながら、「およそそんな風には見えないけどね、あんたの顔つきを見てたら」と言う。
「一体誰なの? 友達なんでしょ?」
「会社の同僚だよ。滝川新って言うんだ」
「あら、どこかで聞いたことがある名前ね」
 考え込む亜里沙に、意外なところから答えが与えられる。
「慶が出ていたCMを作ったディレクターさんだろう。新聞にも載っていた」
 享一だった。
 定光は目を丸くする。
 まさか堅物の大学教授である父親が、そんなことを知っているとは思っていなかった。
「あー! そうそう。お父さんが態々知らせてくれたのよね。慶がテレビに出てるって」
「え? 父さん、それ、本当?」
 享一は、「当たり前だろう。母さんだってそうしたはずだ」と答えてくる。
 定光は顔を赤らめて、「うわ、恥ずかしい」と呟いた。
「恥ずかしいことなんかないじゃない。あのCMは今でも大事に保存してるわ。私達家族にとって、大切な思い出が詰まっている作品だったもの。私だって、何度も泣いたわ。お母さんが、そこにいてくれてる気がしたから」
 亜里沙にそう言われ、定光も「うん」と頷いた。少し鼻の下を手で擦る。
「あんたのあんな表情をよく引き出せたものだって、お父さんと話してたのよ。あんた、いつものほほんとしてるから。よほど監督さんの力量が凄いのねって噂してたのよ。あ、そうそう。折角だから、ここに呼んだらいいじゃない」
「え?!」
 定光が見せた反応に、亜里沙が怪訝そうに顔を顰めた。
「なによ、その反応。仲悪いの?」
「い、いや、そんなことはないけど……」
  ── むしろ逆なのが問題で……
 定光は内心そう思ったが、時すでに遅しで、享一が亜里沙に「声をかけて来なさい」と言って、亜里沙は滝川を呼びに行ってしまった。
 定光は内心滝川が亜里沙の申し出を断ってくれるよう全力で祈ったが、あの押しの強い亜里沙が滝川を逃すはずもなく、あっさりと滝川を連れてきてしまった。しかも亜里沙は、店員さんに滝川がテーブルを移ることまで託けて、滝川が食べていたものまで定光達のテーブルに運ばせてしまった。この段取りの良さは、まさに母親譲りだ。
「はいはい、ちょっと慶、そっちに寄って」
 亜里沙が定光を押しやったところに、滝川が座ってくる。
 定光は眉間にシワを寄せながら横目で滝川を睨みつけ、「お前、何やってんだよ、ここで」と言った。
「 ── 何って。肉食ってる」
 自分の前に置かれた焼いた肉がのった皿を見つめ、飄々と滝川は答える。
 亜里沙が新しい割り箸を取って滝川に手渡すと、滝川はしおらしくペコリと頭を下げ、箸を受け取り、再び肉を食べ出した。
 滝川が自分の家族に挨拶もせずに、もう随分前からの知り合いといった風情で肉を食べ出したことにもイラっときたが、更にイラっときたのが自分が作った夕食の扱いだ。
「お前、俺が用意した晩飯はどうしたんだよ?」
「冷蔵庫に入れた」
 滝川は最高のドヤ顔で定光を見る。
「それしきのことでドヤ顔すんな」
 定光はそう呟きながら、深いため息をついた。
「折角作ったのに……」
「明日食べる」
「はぁ? お前、前の日の残り物、口にした試しがねぇだろうが」
「あれは残り物じゃねぇから食べる」
「そんなこと言って、結局俺が食べることになるに決まってんだ……」
 2人のやり取りを、亜里沙と享一が目を丸くして聞いているのにも気付かず、定光の口は苛立ちに任せて、どんどん動いてしまう。
「第一、お前なんでついてきたんだよ? てか、なんで俺がいる場所がわかった?」
「魔法」
「ふざけんな」
 定光が滝川の首を絞める。
 滝川はうぐぐぐぐと唸りながら、「iPhoneを探すで!」と声を絞り出した。
「はぁ?! 」
 定光はしばし考えを巡らせた後、「お前、なんで俺のAppleID知ってんだよ!!!」と怒鳴った。周囲の客が何事かと定光達のテーブルを覗き込んでくる。
 滝川が定光の腕を振り払うと、小馬鹿にした表情を浮かべ、「お前が非常にわかりやすい設定にしてるからだ」と自信たっぷりに言い放った。
「 ── クーッ、憎たらしい!!」
 定光は唇を噛み締めて、ポカポカと滝川を叩く。
 亜里沙は呆れ顔で定光を見つめながら、「慶って、そういうところあるよねぇ。詰めが甘いっていうか、どんくさいっていうか」と呟く。
「これ、慶、少し落ち着きなさい」
 享一が声をかけてくる。
「父さんはお前に訊きたいことがある。君達は一緒に住んでいるのかね?」
 享一にそう訊かれ、定光はハッと正気に戻った。
  ── ま、まずい〜
 定光は一転、急に押し黙って、俯いた。
「え? 何、その反応」
 亜里沙がツッコミを入れてくる。
「友達同士仲がいいから、一緒に住んでるわけでしょ? そうじゃないの?」
 定光は口を真一文字にして顔を上げた。チラリと滝川の方を見ると、滝川は淡々とした流し目で定光がどう出るか見物しているといった様子だった。
「と、友達っ……と、いうか……」
「じゃ同僚?」
「ど、同僚っ……でもあるんだけど……」
 滝川の視線が突き刺さってくるのが肌の感覚でわかる。
「じゃあ、なんなのよ。歯切れが悪いわねぇ」
 亜里沙が顔を顰めた隣で、今まで黙ってやりとりを聞いていた享一が「付き合ってるのか、君達は」と言う。それを聞いた亜里沙が苦笑いを浮かべつつ、「お父さん、何言ってるのよ。慣れない冗談を言うから、シラケちゃったじゃない。ねぇ」と言いながら、定光達を見てくる。
「 ── あ、あれ? 何、その反応」
 完全に固まって白目を剥いている弟を見て、姉も表情をひきつらせる。
「ちょっと、慶……」
 まごまごし始めた亜里沙と彫刻のように固まっている定光を見比べて、滝川が横から定光の肩を指で突っつく。その途端、ふいに魔法が解けたように「と、父さん、なんでそう思ったの?!」と裏返った声を上げた。
 当の享一は意外に冷静なままで、「お前は昔から誤魔化すのが下手だ」と言った。空かさず滝川が「やっぱお前、なんとか誤魔化そうとしてたんだな」と定光にツッコミを入れてくる。
「え? え? ええ〜!」
 意外に鈍感な亜里沙は、そのやり取りを聞いて、定光と滝川が本当に付き合っていることを確信したようだ。
「え? 何? どういうこと? あんた、大学時代、女の子と付き合ってなかったっけ?」
「え? いや、まぁ、うん……」
「あんたいつからそっちの趣味に走ったのよ?!」
 ごく普通の暮らしを営んできた亜里沙からすると、弟が同性と付き合っているのは青天の霹靂だったようだ。
 しかしあからさまに定光を問い詰める亜里沙の言葉に、享一は不快を感じたらしい。
「亜里沙、なんだその訊き方は。そんな言葉を使うのはやめなさい」
「いや、だって、父さん……。父さんは驚いてないの?」
「それはもちろん驚いている」
「そんな風には見えないけど」
「大切なのは私達の感情ではなく、慶自身が二人の関係を真面目に考えているかどうかだ。相手が女性だろうが男性だろうが、きちんと真面目に付き合っているのなら、それでいい。遊びの関係なら、今すぐやめなさい」
「父さん……」
 定光は肩から力を抜いて、享一を見つめる。
 享一は緩くなったビールで口を湿らせながら、「きっと母さんなら、そう言っただろう」と続けた。それを聞いていた亜里沙も落ち着きを取り戻して、「確かに、お母さんが言いそうなことだわ」と苦笑いした。
「それで? あんたはどうなの? 真面目なお付き合いなんでしょ? 自分のテリトリーに関しては意外に神経質なあんたが一緒に暮らしてるぐらいだもの」
 穏やかな声で亜里沙にそう訊かれ、定光も素直に「うん」と頷いた。
「君は? 君はどうなんだ?」
 享一がふいに滝川を見つめて、そう訊く。
 定光と亜里沙も同時に滝川を見た。
 滝川は箸を皿の上に置くと、真っ直ぐ享一を見つめ返してこう答えた。
「真面目どころか。生命をかけて」

 

この手を離さない act.62 end.

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編集後記


ステルス更新あけの通常更新です。
「おてて」のストックがわずかになってきたので、若干ヒヤヒヤしてる国沢なんですが・・・。

いやぁ〜・・・。
今日はね、もうこの話題しかないでしょ。
ボルト・ラストラン。
今日で本当にお別れとなる世界陸上2017ロンドン大会、400mリレー。
ライブでご覧になった方も多かったと思います。
国沢もわざわざアラームをセットして、ライブで見ました。

いやぁ、泣いたわ。

年取ると涙腺もろくなるとはよく言いますが、マジ泣きしたわ。

むろん、日本チームが銅メダルを取ったことは嬉しかったです。
これは勝負の世界なんで、「もしボルトが故障してなかったら、銅メダルはなかった」という”たられば話”はするべきじゃないと思いますし、勝負を捨てず最後まで一生懸命あの位置で走ってたからこそ勝ち得た銅メダルです。
運も実力のうちだし、こうして勝負ができる実力をキープできている今の日本男子短距離チームは凄いと思う。
それはそれとして。

でもやっぱり、ボルトのあのラストは、衝撃的すぎた。
コース上にうつ伏せで突っ伏している彼の姿を見てたら、物凄く泣けてきた。
今大会に参加する前から身体の限界が近いというようなことは言っていたようだから、彼のキャリアとしてはやっぱり、リオオリンピックが最後で、今回のロンドンは「応援してくれたファンへの恩返し」のような意味合いで参加してくれたんだと思う。

本当に、「満身創痍」だったんだなぁ・・・。

きっと走る前から足の調子はよくなかったんだよね。得意の200mも出なかったぐらいだし。
それに今回のロンドンは凄く寒そうで、それも筋肉を固くしてしまったんだと思う。
それでも頑張って走ってくれた彼が「本当にいいヤツだなぁ」って思っちゃうんですよね。
国沢、こういう人に弱いの。

ボルトが出てきたての頃は、あの独特のフィニッシュスタイルと、陽気なパフォーマンスから、「えらくチャラい人が出てきたなぁ」と思ったものでした。
事実、当初彼は「試合に対する姿勢がなってない」「他の選手をバカにしている」と批判もされました。
でもその後、いろんな記事を読んで彼の人となりを知るにつけ、どんどん彼に惹かれていきました。

あのパフォーマンスは、これまで地味で暗かった陸上のイメージを少しでも見ている人に楽しんでもらえるように変えたかったから始めたということ。

記者会見の時は、トラック上の彼とは違って物凄く言葉を選び、知的に話をすること。

スターになって多額の報酬を得た時もそれを隠そうとしなかったのは、ジャマイカの子どもたちに「誰でも頑張れば、上の世界に行けることを知ってもらいたかった」とのメッセージだったこと。

昔からボルトを取材してきている真面目な記者やカメラマンに対しては、常に彼らの仕事を優先して応じたり、声掛けをしたりしていたこと。

背骨が大きく湾曲している持病に耐えるために、過酷な筋肉トレーニングを続けなければならなかったこと。

逆に、そのトレーニングと病気のおかげで、あの超人的な早さと走り方を手に入れることができたこと。

そして、ライバル・ガトリンとの関係で周囲が勝手に生み出した「確執」にこだわらず、最後の100mレースで自分をついに破ったガトリンを真っ先に祝福しにいった姿・・・。

ボルトがガトリンを抱きしめて、声をかけているあの映像を見た時も、そういや泣いたな(笑)。
すっかり興奮して、何かを必死にまくしたててるガトリンに対して、ボルトは凄く穏やかな表情で、ガトリンの感情をゆったりと受け止めているように見えた。自分は彼に負けたのにもかかわらず。

いやぁ〜、度量がふといわ。

懐が深い。
彼はきっと愛であふれている人だね。
仏頂面で有名だったパウエルも、ボルトが出てきてから彼にほだされて、すっかり笑顔満点の陽気なキャラに変わったもんね。
ガトリンが100mで勝って会場中がブーイングの嵐になった時も、ボルトが拍手をしながらトラックを一周すると、ようやくブーイングが収まった。
その時、ボルトが何を考えてそうしたかはわかりませんが、穿った見方をすると、ボルトはブーイングを聞きたくなかったんじゃないかなぁ。
ドーピングに関してはいろんな意見があるけど、少なくともあの最後の抱擁を見る限り、ボルトはガトリンをライバルとして認めていたと思うし。それがすべてなんじゃないかな。

リレーで脚を傷めた瞬間、「よほど悔しかろうに・・・。こんなラストはつらかろうに・・・」と思った国沢でしたが、ボルト、泣いてなかったね。
チームのみんなと肩くんで歩いている時も、「悔しい」というよりは、「故障しちゃってごめんね」ってチームメイトに話してるみたいだった。
それ見て、国沢、こう思ったの。

ボルト、解脱したんだな〜って。

ボルトがこれで最後なんだって、本当に実感できた気がしました。
アスリートとしては不可欠である「闘争心」が抜けて、ある意味「仏」に近くなったというか。
実はその「解脱感」って、今大会中、常にボルトに感じてたのよね。
きっと彼はもう陸上においては大成して、次のステージに進んでいるのではなかろうかと。
例えば、本気かどうか知らないけど、本人曰く、サッカー選手とか?(笑)

ちなみに国沢が、引退時に「解脱した。悟りを開いた」と感じたアスリートは、これまでフィギュアスケートの高橋大輔選手ただ一人でしたが、これで二人目になりました。

ラストのリレーでボルトが完走できなかったのは、きっとトラックの女神様がボルトとお別れしたくなくて、彼をトラック上に留めておきたかったんだと思うことにします。

最後に。
ボルトが横たわって傷みに苦しんでいる時、他のチームの人達がレース結果に歓喜している中、ガトリンはボルトに駆け寄って声をかけていたとのこと。
なんだか、それにもしみじみ。

彼の陸上競技生活はこれで終わったけれど、またどこかでボルトの姿が見れるといいなぁ。

なんか、想いがつのって随分長い編集後記となってしまいました。すみません。

それではまた。

2017.8.13.

[国沢]

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