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この手を離さない title

act.78

 翌日、ノートでは、ショーンのプロジェクトに関わるスタッフが召集され、今後の方針について話し合いの場が持たれた。
 当初はノートとパトリック社だけでまずは協議をするという予定だったが、今会議室の中央の椅子には、ショーン・クーパー本人が鎮座している。その隣には、エニグマの現場責任者である理沙も座っていた。
 ノート側はショーン・クーパーチームのマネジメントチーフである久保内と部下のスタッフが2名、パトリック社からは由井と笠山と村上が出席した。
 本来なら、今回の件でも、またアルバム制作プロジェクトについても中心的な位置にいる定光が出席すべきだったが、滝川の意識がいつ戻るかわからない状況で彼は病院から離れるべきではないとショーンが主張したので、このような出席者となった。
 会議室内は、これまでにないほどの緊迫感に包まれていた。
 今回の事件を受けて、ショーンが「アラタが回復するまで、次のシングルカット曲並びにアルバムの制作を一時凍結する」と宣言したからだ。
 むろん、このショーンの発言に一番渋い顔をしているのはノート側だった。
「凍結というのは、些か乱暴な発想じゃないかな? 滝川君は、次のシングルカット曲のPVを任されていただけに過ぎないんだし、アルバムのリリースはまだまだ先のことだ。滝川君が回復すればまた新しい曲のPVを頼めばいいんだし、直近の課題である次のPVについては素材画像があるんだから、パトリック社の他のディレクターが編集するか、それが難しいならこちらで手配することもできる」
 ショーンの向かいに座っていた久保内は、穏やかだがしっかりとした口調でそう言った。
 この場にいる者は殆どが日本人だったが、会議は英語で進められた。
 久保内は、右隣に固まって座っていたパトリック社のメンツを見つめながら、「パトリック社さんも別に異論はないでしょ」と言った。
 パトリック社としては、今回は非常に弱い立場だったので、ここは「うん」と頷くしかなかった。
 依然として意識の回復しない滝川が今後よくなるのかどうかもわからない。
 客観的に見ても、ショーンの言うことは乱暴だし、リスクが高過ぎる。
 ショーンの論調で行けば、滝川がこのまま回復しなければ、今制作しているアルバムは二度と日の目を見ないということになる。
 ショーンのアルバム完成の行方が、自社の一社員にかかっていると言われ、萎縮しない方が無理というものだ。
 案の定、笠山は、「そりゃぁもう、ノートさんのおっしゃる通りです〜」と揉み手をした。
「うちとしては、定光の仕事さえ継続させていただければ、PVの方はいかようにもなさってください〜」
 村上の隣で由井が一瞬唇を噛み締めたが、由井は口を出さなかった。
 久保内は満足そうに頷くと、ショーンに向き直った。
「パトリック社さんもああ言っているんだし、ここは……」
「僕のアルバムが出なくなると、ノートはつぶれるの?」
「は?」
 突如言ったショーンの発言に、一瞬その場の空気が止まった。
 ショーンは再度言う。
「僕のアルバムが出なくなると、この会社は倒産でもするのかい?」
 ショーンのまたもやの爆弾発言に、理沙が目を白黒させる。
「ちょ、ちょっとショーン……」
 ショーンはキョトンとした顔で、両肩を竦めた。
「いや、僕は別にケンカを売ってる訳じゃないよ。純粋な疑問としてそう思ったわけ。もし、僕のアルバムの収入を当て込んでるんなら、確かにミスター久保内の言ったことはよくわかる。でも、もしそういう経営の仕方をしているんなら、即刻その経営計画は見直した方がいい。個人事務所じゃあるまいし、たった1人のアーティストにおんぶに抱っこの経営なんて、不健全だ」
 ショーンは久保内を見ると、「どうなの?」という顔つきをした。
 その様子を横から見つめる形となった村上は、内心「うわぁ」と思った。
 撮影旅行中は、いつも大抵ニコニコしていて、大スターの割にあまり無茶なことは言わないなぁと思っていたが、今目の前のショーンは、凄みさえ感じさせるスターオーラでギラついている。
 大分年上の久保内……しかも、パトリック社の社員でさえ食えない相手だ……に対して、怯んだり遠慮したりする様子が一切ない。元来、欧米人はそうしたものなのかもしれないが。
 久保内は苦々しい表情を浮かべながら答えた。
「つぶれはしない。だが、あなたのアルバムの収入が我が社の大切な財源の柱であることは間違いない」
「なるほど、そうか。 ── でもつぶれないんだね?」
 久保内は頷く。
 ショーンもまた頷くと、再び口を開いた。
「君らは僕のことをちゃんと理解してくれてないようだ。 ── いや、僕らといった方がいいかな」
「僕ら?」
 久保内が怪訝そうに訊く。
 ショーンは、また頷いた。
「今回のアルバム制作に関わってるスタッフは全員、僕の新しい家族だと、僕は捉えている。特に、前回の撮影旅行を共にしたメンバーは」
 ショーンは、理沙や村上に目を向けた。そして再び久保内に向き直ると、こう言い切る。
「特に、ミツとアラタはその中心的な存在だ。そのどちらが欠けても、僕のアルバムは完成しない」
 ショーンは少し微笑みながら、机の上に身を乗り出す。
「お友達感覚で仕事はするなって顔つきをしてるね、ミスター久保内」
 久保内は、ゴホンと咳払いをした。
 ショーンは別に怒るでもなく、飄々とした表情を浮かべた。
「確かに今回の件では、僕のプライベートな思いが入りまくりだ。そのお陰で、僕の貯金の残高も随分減ったしね。甘い感傷に浸ってる、バカバカしい、だなんて思われてもおかしくないよね。
 でも考えてみてほしい。本来僕のアルバムは、プライベートな感情から生み出されているものだ。今更ビジネスライクになんてできやしない。元々そんな風に割り切れるんなら、僕は今日、日本のレーベル……つまりあなた達と契約はしていない訳だしね。ここまではオーケーかな? 理解してもらえた?」
 久保内は頷く。それを見てショーンは、「よし、先を続けよう」と言った。
「僕には、アラタを置き去りにしてアルバムを発売する、なんてことはできない。なぜなら、彼はもう僕の作品を構成する大事なピースとなっているから。彼じゃないと僕の世界観は表現できない。ある意味、僕とアラタは表裏一体だ」
 それを聞いた久保内が、理解できないというように顔を顰めた。それを見て、ショーンが微笑む。そう、どんな人間でも魅了してしまう、花のような笑顔で。
「君達は撮影旅行に参加すべきだったね。ノート側の人間が撮影旅行に参加しなかったのは、はっきり言ってミステイクだった。 ── でもまだチャンスはある。幸いにも、アルバムジャケットの素材撮影旅行は、まだ後半戦が残っているから。今度はミスター久保内も一緒に行こうよ。僕と君も、家族になるべきなんだ。単なるビジネスパートナーというだけでなく。まぁ、アラタの具合如何で、次がいつになるかは、わからないけどさ」
 久保内が苦笑いを浮かべた。
 彼の中でまだ本能と理性が戦っているように見えた。
 彼の心は、ショーンの言葉にかなり揺さぶられているようであった。しかし、来年の早い時期でのアルバム発売がズレる……それどころか立ち消えになるかもしれないとなると、会社に与える影響はかなり大きい筈だ。
 うーんと唸っている久保内に、ショーンは最後の一押しでこう言った。
「でもね、そんな悩むことないよ。多分アラタの意識はもうすぐ回復するだろうから。スケジュールへの影響は、少なくて済むと思うよ」


 ショーンが何を根拠にそう言ったのかはわからなかったが。
 丁度その頃、滝川の病室では、定光が自分の手を見つめていた。
 滝川の左手をずっと握っていた我が手を。
「……新?」
 定光が握っていた滝川の左手に少しだけ力を感じたのだ。
 定光は、慌てて滝川の顔に目をやった。
「新、新……」
 定光はそう声をかけながら、滝川の左手を両手で握り込み、固唾を飲んで見守った。
 やがて、滝川の瞼がピクピクと震え、目が開いた。
「 ── 新!」
 定光は立ち上がった。
 そうして滝川の顔を覗き込む。
「新、大丈夫か? 俺のことがわかるか?」
 滝川の目はぼんやりとしたままで、ゆっくりと定光に視線を合わせた。
 最初は焦点が合わないような目つきをしていたが、次第に力のある目の色に変わっていく。
 滝川は、小さくボソボソと口を動かした。
「え? なんだって?」
 定光は聞き取れなくて、滝川の口元に耳を近づけた。
 滝川は、ハァと大きな息を吐き出した後、カサカサの声で再度言った。「先生に会いそびれた」と。
 それを聞いた定光は、なんとも言えない気持ちになって、泣き笑いのような表現を浮かべた。
「今先生に会いに行かれちゃ困る」
 滝川は、そう言う定光に視線を合わせると、口の端をヘッと歪めた。
「 ── ミツ……お前、顔が埴輪みたいになってんじゃん……」
 滝川が昏睡状態になってから幾度も涙をこぼしてきたので、定光の瞼は腫れぼったくなっていた。しかし、滝川がいつもの滝川でいてくれていることが嬉しくて、再び定光は涙を浮かべた。
 心底ほっとする。
 定光は、ナースコールを押した。
 すぐに看護師が顔を覗かせたので、定光は滝川の意識が戻ったことを告げた。
「直ぐに先生をお呼びしますね」
「お願いします」
 定光はそう言いながら、滝川に視線を戻した。
「大丈夫か、新。どこか痛いとか、違和感を感じるところはないか?」
 滝川はうーんと唸った後、「タバコが吸いてぇ」と言った。
 そして身体を無理に起こそうとしたので、定光は慌ててそれを止めようとした。
 左腕にはまだ点滴の針が刺さったままなのだ。
 しかし、滝川は起き上がろうとしたその最中、「およ」と素っ頓狂な声を上げた。
「どうした?」
 定光が眉間にシワを寄せながら訊くと、滝川はキョトンとした顔つきで定光を見てこう言った。
「ヤベェ、俺、右手が動かねぇわ」

 

この手を離さない act.78 end.

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編集後記


新、やっと目覚めました。
目覚めても、右手が麻痺してていきなりピンチ、
その割に、本人のライトテイストな感じが気になるところですが・・・。

先週から、「おてて」の続きシーンがどんどん湧き上がって、傾向としてはいい感じなんですけど、入力するのが難儀なんですよねぇ・・・。時間がかかるというか。
そこで、Siriの音声入力なるものを活用してみようよと昨日試してみたんですけど、漢字の変換がダメダメでした・・・(涙)。
Siri、外人だからな・・・。根本は・・・。
段落のひとマス開けるのも、どうやって命令すればいいかわからないし。 入力のスピードは劇的に早いので、すっごい素敵!と思ったんですけど、後から手で修正しないといけない感じで、これなら手打ちするのと時間的には大差ないかぁとガックリきた次第です。

ゆくゆくは技術が進んで、頭に思い浮かべた文章がそのままデータに落とし込めたらいいなぁと思ったり。
でもまぁ、そんなことになると色々と問題が生じそうな気もしますけどねwww

それではまた。

2017.12.10.

[国沢]

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