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この手を離さない title

act.79

 意識を取り戻した滝川は、直ちに精密検査を受けることになった。
 その結果判明したのは、右手だけでなく右足にも麻痺があり、かろうじて自立歩行はできるものの、足を引き摺りながらでないと歩けないことが判明した。
「この麻痺が一過性のものか、そうでないのか、それは時間が経ってみないとわかりません」
 担当医は重い内容を淡々とした口調で言った。
 定光は隣に座る滝川の横顔を盗み見たが、滝川は意外なほど軽い口調で「そうなんだ」と返した。
 病室に帰った後、滝川はすぐにベッドに潜り込んでしまう。
 定光は軽い溜め息をつき、「リハビリすれば、また元通りになる可能性もあるって。よかったな」と声をかけると、滝川は「うーん」と気のない返事をした。
 飄々としていて、なんだか捉えどころがない。
「明日、警察の人が事情聴取をしたいって連絡があったけど、別の日にしてもらうか?」
 定光が滝川の顔を覗き込みながらそう訊くと、滝川は「は? 別に伸ばす必要なんてないじゃん」と答えてきた。
 その様子はいつもと変わりなく、定光の方が拍子抜けしてしまう。
 滝川の答えは明瞭だったが、逆に不安になる。
  ── 自分が心配しすぎなんだろうか・・・
 定光がそう思った矢先、病室の入口が騒がしくなった。
 定光が顔を上げると、病室のドアが開いて、ショーンが顔を覗かせた。
「アラタ! 気がついて本当によかった!」
 一気に病室の雰囲気が明るくなる。
 滝川は多少もたつきながらも身体を起こすと、ショーンの顔を見て吹き出した。
「なんでこの人、こんなトコにいんの? イリュージョン?」
 日本語でそう言った滝川に、ショーンが「What?」と小首を傾げる。
 定光が「わざわざ飛行機をチャーターして来てくれたんだよ」と滝川に告げると、滝川はさも面白いことを聞いたといった様子で、声を上げて笑い出した。
「ウッソだろ? アンタ、狂ってるな」
 英語でそう言った滝川の様子に、ショーンはほっとしたようだ。
「よかった。英語、忘れてなかった」
 定光がベッドサイドの椅子をショーンに譲ると、二人は楽しげに話し始めた。
 滝川には全然しょげている気配はない。
  ── 自分なら、身体の半身に麻痺が残っていたら、恐ろしくて普通でいられないけど・・・
 定光は何度か滝川を返り見ながら、部屋の入口に立つ由井と村上の元に近づいて行った。
「それで? 滝川の具合はどうなんだ?」
 由井にそう訊かれ、定光は現状を報告した。
 利き手の右手が完全に麻痺していることに、由井も村上も厳しい表情を浮かべた。
「先生は、リハビリしてみないとわからないと言ってましたが・・・」
 定光の言葉に由井は溜め息をつく。
「仮にリハビリで回復したとしても、すぐに仕事に復帰できる状況じゃないな」
 今度は由井が会議の内容を定光に報告してくれる。
 ショーンが滝川の復帰を待ち、アルバムの発売スケジュールを延期すると宣言したことも。
 その内容に定光は目を丸くした。
「そっ、それ本当ですか?」
「嘘なんか言わないよ」
 定光は呆れたような目線を、今度はショーンに送った。
「ある意味、あの二人、似たもの同士ですよね〜。周りの人間を掻き回す天才っていうか」
 村上がノンキな声を上げる。
「アルバムの発売を延期するなんて・・・。そんなことダメだ」
 定光がそう言うと、由井と村上が顔を見合わせた。
「だが彼は頑として譲らない気だぞ。滝川が制作に復帰しない限り、アルバム制作は進めないと宣言した。しかし今の状態の滝川が後半の撮影旅行に帯同はできないだろう。いつ退院できるかもわからないのに」
 定光は、うーんと唸り声を上げた。
 スケジュール管理に一番心を砕いていたのは定光だ。
 具体的なスケジュール管理はエニグマとノートが行っていたが、裏で定光もその調整作業に携わっていた。理沙や久保内が自然に定光を通して双方の話を行うようになっていたからだ。
 ショーンのアルバムリリースまでのスケジュールは、綿密に練られたマーケティング企画に基いて決定されている。それを再調整するのは非常に困難で、延期するといってもどれくらいの延期になるのか、想像もつかない。
「ショーンはいつまでこちらに滞在しますか?」
 その疑問に答えたのは、村上だった。
「それはわかりませんねぇ。でももうすぐ理沙さんもここに来るはずですから、理沙さんに訊いてみた方がいいかも」
 定光は「わかった」と答えて、病室に戻った。


 定光の予想通り、理沙はほとほと困り果てていた。
 彼女は滝川が事件に巻き込まれた知らせを受けて、取るものも取り敢えずショーンとともにチャータージェットに飛び乗ったが、彼女は彼女で他の仕事の予定もあり、本当ならすぐにでも帰る準備を始めていなければならなかった。
「私だけ先に帰ってもいいんだけど、そうするとショーンは異国で完全に野放し状態になるわ。それが心配なの」
 人気の疎らな病院のカフェテリアで、理沙は定光にそう話した。
「ショーンは新君が復帰するまで、自分のすべきことを本気で止めようと考えてるわ。へたしたら暫くの間、日本に滞在するって言い出すかもしれない。 ── あの子、言い出したらきかないタイプだから」
 コーヒーにミルクを入れ、それを掻き回す理沙の手は、疲れからか酷く緩慢だった。
「新君の麻痺は、すぐに治るかどうかわからないのね?」
 定光は正直に頷いた。
「リハビリは根気が必要だそうです。アイツ、そういうのが一番苦手だから」
 定光がそう言うと、理沙はいかにも「わかる〜」という顔つきをしてみせた。
 定光はふぅと大きく息を吐き出した。そして口を開く。
「ショーンは、明日にでも理沙さんと帰国すべきです」
 理沙が、少し目を見開いた。定光は続ける。
「確か今、シンシアさんの旦那さんとアルバム全体を詰めていく作業に入らなければならないタイミングですよね」
 理沙は頷いた。
「そうね。ルイはとても忙しい人だから、今ルイをフリーでおいておくのは非常にまずい状況だわ。この予定を飛ばしただけでも、予定通りのアルバム発売は見込めない」
 理沙はそこまで言って、何かを察し、顔を顰める。
「定光君、あなたまさか、予定通りアルバムを仕上げさせるっていうんじゃ・・・」
「もちろん、そう思ってます」
 定光は頷く。
「ショーンの気持ちはとても嬉しいんです。それは間違いありません。新がこんなことになって、ショーンが顔を見せてくれた時は、心底ほっとした。でも、今まで積み上げてきた皆の努力をこんな形で止めるわけにはいかない」
 理沙は感心したように定光を見つめたが、「でもどうするの?」と続けた。
 定光は決心したように一度口を引き結ぶと、「僕がショーンと話をします。理沙さんは、帰りの準備を始めてください」と告げた。
 
 
 その日、定光はショーンを自宅に誘った。
 ショーンは別の場所に泊まる算段をしていたようだが、「一人で帰りにくくて」と言う定光の言葉を聞いて、快く承諾してくれた。
 そう言ったのはショーンと二人きりで話をするための口実のようものだったが、実のところ半分は本心だった。
 滝川と一緒に暮らし始めて一年にも満たないが、それでも一人きりであの部屋にいる自分が想像できない。もしそんなシチュエーションに置かれたら、本当にもう滝川が一生自分の元に帰ってこないような錯覚に襲われて、どうにかなってしまうかもしれない……。
 もちろん、いつかは滝川が退院するのは明白だし、そうなったら帰る場所はこの部屋だと頭ではわかっているのだが、皮膚の感覚……そう表現するのは些かおかしいが、ようは自分のフィーリングはまったくもって自信がなかった。また以前のような関係に戻れるのかどうか……。
 定光のその漠然とした不安をショーンは敏感に感じたようだ。
「今コーヒーを煎れるから、ショーンはソファーでくつろいでいて」
 二階のリビングダイニングに入って荷物を降ろし、そう言いながらまずは窓を開けて部屋の空気を入れ替える定光に、ショーンは「ミツ、そんなに急がなくていいよ」と優しげな声でそう言った。
 定光が振り返ると、ショーンは少し困った風な表情を浮かべ、「それに、そんなに気を使わないで。僕と君の仲じゃないか」と肩を竦めた。
 定光はしばらく無言でショーンを見つめたあと、カーテンから手を離し、へなへなとその場に座り込んだ。
 頭のどこかでショーンを説得しなければ、という気持ちがあったので、自然に気が張っていたのかもしれない。
 ショーンは定光の前に同じように座り込むと、定光の背中を優しく撫でてくれた。
 定光は唇を噛み締めながら、緩く首を横に振る。
「まさか今回の件で自分がこんなにも弱るだなんて、思ってもみなかったんだ」
 ショーンは頷くだけで黙って話を聞いてくれる。
 多分、英語の文法もひょっとしたら単語の使い方すら間違っているかもしれないけれど、定光は今ある不安を素直に吐露した。
「自分はアイツよりしっかりしてると思ってたし、俺がアイツを支えなきゃどうするって思ってるんだけど、アイツの動かない右手を見てたらとてつもない不安に襲われる。またアイツは自分が俺のお荷物になるのは嫌だからって、俺と距離を置こうとするんじゃないかって」
「アラタはそんなことを言ってたの?」
 定光は苦笑いを浮かべ、頷いた。
「意識が戻ってから意外に平気そうにしてる様子も、なんだか恐ろしいんだ。アイツは母親が今回のことで亡くなったことに気づいているかどうかわからないし、動かなくなった右手についてもどう考えているのか、まったくわからない。そのことについて、質問されないように振る舞っているような気がして……」
 ショーンは一瞬遠くに視線をやって、今日の滝川の様子を思い返しているように見えた。そして、小さく二、三回頷く。
「 ── 確かに、そうかもね」
 ショーンがそう呟く。
「アイツは、物凄く頭の回転が早い。俺や他の皆が考えてることの何倍ものスピードでいつも物事を考えてる。だから、何も考えてない訳ないんだ。今回のことについて。 ── でも、正直、それを知るのも恐ろしい。開けてはいけない箱のような感じで……」
 定光はそうつらつらと不器用な英語で話して、「ごめんね、ショーン。なんだかまとまりのない話で」と再び苦笑いした。
 目に涙が浮かんできそうで、定光は左目を強く手で擦った。
「まだ、滝川の母親への感情をどう処理していいかも持て余してるんだ」
 ショーンは「そんなに目を擦らない方がいい」と呟いて、定光の左手を握った。
 そして定光の目尻に浮かんだ涙を、ショーンが親指でそっと拭ってくれる。
「アラタのママのことが憎い?」
 ショーンの問いに、定光は頷いた。
 比較的温厚な性格の定光が、これまでに感じたことのない憎しみを感じていた。
 身勝手に滝川の人生を弄び、踏みにじり、奪い取ろうとさえした。
 そして自分は勝手に満足して、とっとと死んでしまうなんて。
 これでは、直接非難の声をぶつけることもできない。
 願いが叶うなら、棺桶から引き摺り出して、自分の手でどうにかしてやりたいぐらい憎い。
 一方で、もうあの母親は死んでしまったのだから、全てが終わったと安堵する自分もいる。
 これで滝川はこれ以上あの母親に悩まされることはなくなったのだから返ってよかったんじゃないか、と。
 始末が悪いのは、そんなことを色々と考えている自分が“嫌な人間”だと感じていることだ。
 今は心穏やかに滝川のことを支えてやりたいと思っているのに、自分の心が泡立っていて落ち着かない。滝川に対して感じている漠然とした不安とも相まって、まさに今の自分はぐちゃぐちゃだった。
 それを正直にショーンに話すと、ショーンは定光を柔らかく抱きしめながら、「それでいいんだよ、ミツ」と言ってくれた。
「そうなるのは当たり前なんだ。君もある意味被害者なんだからね。アラタは生命を奪われる危機に晒されたけれど、君は愛する人を喪う危機に晒された。それはとてもも大きな打撃だよ。精神的にね。君が今回のことでどんな黒々しい感情を抱いたとしてもミツはミツだし、僕の君への信頼は崩れたりしないよ」
 そうショーンに言ってもらえて、定光の心は軽くなった。
 ショーンが自分の気持ちを肯定してくれたお陰で、自分を取り巻く皆もそういう風に思ってくれているように思えたからだ。
「ありがとう」
 定光がそう言って微笑むと、ショーンも同じように微笑んだ。そして彼は、定光にこう言った。
「ねぇ、僕にカレーライスの作り方、教えてよ」

 

この手を離さない act.79 end.

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編集後記


どうもー。国沢でーす。

・・・。

いや、ちょっと二次創作のドラマの方でまたもや大事が起きたんで、なんだかこちらの編集後記を書く気力がないという・・・。

実は、「おてて」の方も、今厳しい場面を書くことが多くなってて、気分的に引っ張られていたところに重ねて、ドラマの方で「事故にあった」感が否めず、こんな気分の年末ってどうなの???www、とひとり愚痴ておりました。

ひょっとしたら次週、大掃除のため、更新おやすみするかも・・・(←いきなり生々しい話)。

それではまた。

2017.12.17.

[国沢]

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