act.100
「では! ショーン・クーパーのアルバム販売数1000万枚突破と、定光君の旅立ちを祝して、乾杯したいと思います!!」
突如立ち上がり、ワイングラスを掲げてそう言う笠山に、周囲にいた女性社員達が「もー、唾が飛んでるぅ!」と不平の声を口にした。広い宴席の場に笑い声が沸き起こる。
だが、唯一定光の隣に座る滝川だけは、仏頂面で笠山を見上げた。
「オッサン、誰かの名前、忘れてねぇか?」
滝川がそう言うと、笠山が「この俺が、お前の門出を祝う訳がないだろう」と真顔で言われて、滝川は「そりゃ、そうか」と妙に納得した表情を浮かべた。
「乾杯の腰を折って、すみませんでした。続けてください」
滝川が、左手を前に差し出しながらそう言うと、更に大きな笑い声が沸き起こった。
笠山はゴホンと咳払いをすると、「えー、改めまして…………」と呟いた後、「では、定光君から、ご挨拶を賜りたいと思います」と言った。
そんなつもりはなかったのか
定光は「え?」という顔つきをして、「い、今、ですか? どうしよう…………」と呟いた。
定光が躊躇っている姿を見て、ミツコールが始まる。
定光の斜向かいに座ってた由井が「そんなかしこまった挨拶でなくていい。いつも通り気軽にやれ」と言ったので、定光はおずおずと立ち上がった。
「えー…………。こういう挨拶は苦手なんで、気の利いたことは話せないんですけど…………。率直に言って、皆さんに感謝しています。俺がここまでこられたのは、本当にみんなのお陰だって思うし、よくドジを踏む俺を、時にはさり気なく、時には力強く助けてくださいました。心からお礼を言いたいと思います。ありがとうございます」
軽く拍手が起こる。
定光の向かいに陣取っていた村上は、既にもう手拭いを取り出して、涙を頻りと拭いていた。
「でもこれが永遠の別れではありません。制作の拠点が向こうに移るだけで、パトリック社との提携は続くわけですから、アメリカにパトリックの支社ができたと思ってもらえればいいと思っています。 ── な、新」
定光はそう言って、滝川を見下ろしてくる。
滝川は、少し溜め息をつきながら、「ああ」と答えた。
まさか定光が帰国して来た段階では、定光の送別会に自分の名前までもが加わるなんて、考えもしていなかった。
── まさか、俺の考えの上を行く方法を思いついた挙句、たった1週間で話をまとめてくるとはな。
滝川は、内心定光の底力を甘く見ていた、と思った。
定光がエニグマの件で渡米してから、二ヶ月ほどの時が経っていた。
エレナの話では、渡米してエレナに会ったなり、開口一番に定光は、エニグマ行きを正式に断ったというのだ。
エニグマ本部の編集長室でエレナの顔を見た瞬間に、「僕はエニグマには行きません」と宣言した定光に、隣で付き添っていた理沙がヘナヘナと腰を抜かして、その場に座り込んだ様が心底おかしかったとエレナは笑っていた。
だが定光は、ただ断っただけではなかった。
新たな話を、エレナにぶち撒けたという。
「エレナ、どうかこちらで僕と新が立ち上げる会社に力を貸してもらえませんか?」
ようするに定光は、仕事のスピードの早いエニグマ編集部に一人で入るのではなく、自分達のペースで仕事ができる小さな制作会社を滝川と二人で起こすというアイデアを考え出したのだ。
「法律的にも資金的にもそんなことが可能なのかまだわかりませんけど、僕は新と一緒に仕事がしたい。そうでなければ、僕の本当の力は発揮できない。そう思っています。
アイツと出会ってから、僕の創作の源は常に新だった。アイツと一緒じゃなきゃダメなんです。
今回、新やエレナ、理沙さんがどれだけ僕のことを思って尽力してくれたかは充分わかっています。とても嬉しかった。自分の仕事が認められて、世界に打って出るチャンスを与えられて、身体が震えるほど興奮もしました。でも、僕の仕事の環境に滝川新がいない選択は、僕にはできない。それは僕にとって無意味なんです。
無謀な申し出をしていることは、重々わかっています。甘い考えと思われるかもしれません。でもアイツは過去、こちらにいる時でも実績を残しましたし、僅かでも可能性があるなら新しい挑戦に挑んでみたいんです。 ── なぜならここは、自由と挑戦を重んじる国でしょ?」
── そう言った時の彼は、本当に美しかったわ。
エレナは、そう滝川に語った。
エレナはそれを承諾し、その後エレナと定光、その話を聞きつけてきたショーンが加わった三人で会社を立ち上げる準備をしてきた、と言うのだ。
前からエレナはミツに甘いと思っていたが、単なるミツの思いつきをエレナが真に受けるとは、正直意外だった。
── よく考えてみれば、ミツと関わりのあるヤツは、どいつもこいつもほぼ全員ミツに甘い。
帰国後、定光がアメリカで滝川と独立したいという話を山岸にした時も、「エレナとショーンが出す資本金の他に、パトリック社からも出してほしい。そうすれば提携関係が成立するから、仕事が軌道に乗れば稼いだ利益をパトリック社にも還元できる」と言った定光に、山岸は即座にふたつ返事をしたそうだ。本当に仕事を軌道に乗せられるかどうかもわからない博打話だというのに。
それなのに、この二ヶ月の間、滝川以上にすんなりとデカイ話をどんどんまとめていく定光の手腕には、本気で驚いた。
彼のプロダクションマネージャーとして培ってきたそちらの才能も、こんな形で開花するとは、思ってもみないことだった。
それでも定光は、自分が大それた相手に、大それたことをしている、という自覚は全くないんだろう。
本人は至ってケロリとした顔つきをしている。
── まぁそれもこれも、菩薩のような微笑みを浮かべるミツの人徳のなせる技か…………。
滝川は、ぼんやりとそう思った。
「ん?」
滝川がいつまでも反応を見せずに自分のことを見つめてくるだけなので、痺れを切らした定光は、笑顔を浮かべたまま小首を傾げた。
滝川はチッと舌打ちをする
── クッソかわいい…………。所詮、一番ミツに甘いのは、この俺、か。
滝川がそう思っていると、希が手を挙げた。
「はい! 質問があります! ミツさん、こっちにも度々帰って来てくれるんですか?」
希が質問をすると、定光は「ああ」と頷いた。
「向こうに行っても、君達が僕らを使って仕事がしたいと思ってくれれば、引き続き仕事をしてもいいと社長にも言ってもらえてる。外注費を貰うって形になるけど、気持ちは社員の時となんら変わるつもりはないから。今の時代、ネットを介せば打ち合わせもデータのやりとりもできるし、必要とあらば、向こうから飛行機に飛び乗って、すっ飛んでくるよ」
定光がそう言うと、宴席がおおーとどよめいて、社長の山岸にむけて拍手が贈られた。
「社長には、感謝してもしたりません。僕が突然言い出したこんなワガママを全て許してくれて、本当に本当に、ありがとうございます」
定光が胸に手を当ててそう言うと、山岸は「精々世界相手にガッポガッポ稼いでくれよ!」と声を上げた。また笑い声が起こる。
定光も笑顔を浮かべながら滝川に再び向き直ると、「お前もなんか挨拶をしろよ」と言ってきた。
「あ? 俺にまともな挨拶なんかできるわけねぇだろ」
定光は呆れた顔を浮かべる。
「とにかく、何でもいいから。こうして改まって皆と会える機会はもうないぞ。お礼を言うのが照れ臭いのなら、別の話でもいいから。今後の抱負とか、意気込みとか、いろいろ話せることはあるだろ」
「 ── 抱負かぁ…………。ま、そういうことなら」
滝川は立ち上がると、「えー」と呟いた後、こう言い放った。
「俺の今後の抱負は、ミツの無駄にデカいアソコをディープスロートできるようになるまで頑張りたいです」
「!!!!!!!!」
定光が絶句する。と同時にその場も固まった。しかし定光が滝川の首根っこを掴んで前後に振り回し始めると、わははははと一際大きい笑い声が沸き起こった。
「ちょ! お前!! 何言ってんだよ!! そんなこと言ったら、俺とお前の関係が皆に丸わかりになるじゃんか!!!」
正気を失った定光がそう叫ぶ。
滝川は、「お前、それ、自分でバラしてるだろ。冗談で済ませばいいのに」と冷静な声でツッコンだ。定光はハッとした表情を浮かべ、周囲に目をやる。その頬に、たらりと冷や汗が垂れた。
会社以外の場ではさほど神経質に二人の関係を隠さなくなった定光だったが、社中となるとそうもいかないらしい。
「ええと…………これは、そのぉ…………」
下手な言い訳すら浮かばずにしどろもどろしている定光に、希がこう告げた。
「え? 会社の皆は、ミツさんと新さんが付き合ってるって、とうの昔に全員知ってますけど?」
「え?!!!」
定光が更に驚く。
そんな定光の反応に、藤岡が呟いた。
「いや、むしろバレてないって思ってたことの方が衝撃だけどな」
逆上した定光は滝川に向き直って、再び首を振りたくった。
「お前か! お前がみんなにしゃべったのか!!!」
「あがっ、あがががががががが…………」
「おい定光、落ち着けって。お前の顔つきや態度を見てたらすぐバレる」
見かねた由井がそう言うと、やっと定光は滝川を解放する。
定光は由井を見ると、「え? バレた原因、俺ですか?」と自分を指差して呟いた。
由井どころか、その場にいた全員が一斉に「うん」と頷いた。
顔を真っ赤にした定光は両手で顔を覆い、「わーーーーー」っと叫びながら、その場にしゃがみ込んだ。
滝川は横目でそれを見た後、グラスを手に持って高らかに宣言する。
「かぁんぱぁーい!!!」
笠山が「あっ! チクショ!! いいところ持っていきやがって!」と叫んだ。
一同はそんな笠山を無視して、楽しそうにグラスを掲げる。
また元通り座布団に座った滝川の隣で、定光は熱にうなされたように、「俺ってそんなにわかりやすい? いつから? いつからバレてたの???」と自分自身に問うている。
やっと和やかな歓談が始まったと思いきや、突如村上が立ち上がった。
「え〜、皆様、僕からも重大発表があります」
まだ鼻をグズグズといわせながら、村上が言う。
全員の視線が、自然に村上に向いた。
村上は直立不動の姿勢になると、こう言った。
「僕も三月いっぱいでパトリック社を退社致します!!!」
「は?」
パトリック社の幹部社員から、同時にそんな声が上がった。
村上はそんな声も無視して、こう言い放った。
「僕も、ミツさんの会社で働こうと思います!!」
「え? お前さっき、ミツとの別れが悲しくて泣いてたんじゃないのかよ?」
滝川が村上を指差すと、村上は、「あれはパトリック社社員としての涙です。四月からの村上は、ブランニュー・村上として、アメリカナイズされます」と言い返してくる。
しばらくの沈黙の後、由井が「定光が知らないって顔してるぞ」と呆れ顔で村上に声をかけると、村上は「はい。だってこのことは、うちのアパートの大家さんにしか言ってませんから」と返事をした。
え、どういうこと?それ…………と女子社員達から、口々とそんな言葉が口をついて出る。
村上は、そそくさと先程までの涙と洟水を拭うと、ケロリとした顔つきでこう言った。
「だって、今住んでるアパート、今月末で引き払うつもりですから」
宴席がどよめいた。
「はぁ???」
「なにそれ」
「ミツさんの許可もなしに、そこまで決めちゃったの?」
「もしミツに断られたら、どうするつもりだ、お前?」
「それより、付き合ってた彼女は?」
村上は、都合の悪いことは両耳を塞ぐ例の“聞こえない作戦”で阻んでいたが、最後の“彼女”に関する質問には反応を見せた。
「ミツさんと私とどっちが大事って訊かれたんで、ミツさんって即答したら、飛び蹴りかまされて、彼女、出て行っちゃいました」
フーーーーーー…………。
宴席全体が、深い溜め息に包まれた。
もはや病的なほどの定光シンパである村上だったので、ある程度は何かしらの騒ぎになるだろうな、とは誰もが予想していたが、まさか自分の住む場所まで退路を絶ってくるとは思っていなかった。
村上の表情を見る限り、村上は「絶対に断られるはずがない」とタカをくくってドヤ顔をしている。
そんな村上の顔つきに何となくイラッときながらも、滝川は定光に目を向けて、「だってさ。どうする?」と訊ねた。
定光はただ、「うーん」と唸り声を上げたのだった。
この手を離さない act.100 end.
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編集後記
100話で終わらなかった♥
でも次週、最終回です。
昨日書き終わりました。
実は、きりよく100話でいこうと思っていたんですが、1ページ1万字を越える感じになりそうだったので、さすがに半分に割りました(汗)。
101話で終わりなんて、なんか中途半端で気持ち悪い・・・(大汗)。
まぁでも、過去こういうケース ↓ もあったからな。
若い人はわかりませんね、これwwwww
「おてて」の全体的な総括は、次週の最終回の編集後記にとっておこうと思いますが、長いこと連載していた小説が終わりを迎えるというのは、なかなか感慨深いものがありますね。
てか、村上が完全にミツさんのストーカー化してる件・・・(力汗)。
「こんなヤバイ男にしたのは、一体誰ですか?!!」
村上の魂の叫びに新なら「自分で勝手になったんだろうが」というところでしょうが、
国沢のせいです。
まぁ、「おてて」は基本、ミツさんが「総受」の話なんでねwww
ミツさんは誰からも愛されてるっていう設定です。
そしてついに、もう十何年かぶりにipadでお絵かきを始めてしまいました(汗)。
めっちゃ時間が経つのが早い・・・。
いかん、いかん。
進撃系の終わりが見えていないに、うつつのぬかしている場合ではない。
でも、久しぶりすぎて、描き方いろいろ忘れてた(汗)。
ま、もともと器用に描いてたタイプでもないし、こんなもんかとも思います。
ほら、道具が一人前でも、腕がね(笑)。
道具揃えたら上手く描けそうな気がする〜〜〜っていうの、
やっぱり気のせいでした♥
ではまた。
2018.9.9.
[国沢]
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