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この手を離さない title

act.69

 滝川の不穏な感じとは裏腹に、スカイ島での撮影は順調に進んだ。
 雄大で心底美しい景色と、セッティングにこだわりぬいて撮影するシンシアの才能が揃えば、いい写真が撮れないわけがない。
 前回の撮影でシンシアは「必要なカットしか撮らない」と言ったが、今回は”サラの子守”が非常に活躍をしたので、いろんなシチュエーションや場所で撮影をしてくれた。
 ひと場面撮影が終わる度に、定光はスタッフ達と頭を突き合わせ、新たに湧いてきたアイデアを皆で検討した。
 定光が英語があまり堪能でないことがネックにはなっていたが、それでも皆、定光のアイデアに耳を傾け、様々な意見を出してくれた。
 ショーンも含め、クリエイティブに関わるスタッフ全員がこの仕事を楽しんでいた。
 昼食時にも会話は尽きず、近郊の素朴なレストランの長テーブルは、店の雰囲気とはまるで違うパワフルなビジネスランチと化すぐらいだった。
 一方滝川はというと、体の前にベビーハーネスをつけられて、そこにサラをのせて一日を過ごしていた。
 サラは、お腹が減った時とオムツが汚れた時だけはむずかっていたが、それ以外はいたってご機嫌で、滝川がハンディカメラを回したり、ドローンを操作して撮影風景を空撮したりする様を一緒に楽しんでいるように見えた。
 定光は、折を見てそんな滝川の様子を盗み見たが、滝川はサラの存在を適当にあしらって、とぼけた表情で自分がしたいことをしていた。
 疲れれば、そのまま地面に寝転がり昼寝をしたり、なにやらサラと話し込んでいる様子も見受けられた。
 滝川の顔つきはどこか飄々としていて、とらえどころがない。
 サラを鬱陶しいと思っているのか、それともサラを気に入っているのか、機嫌がいいのか悪いのかすらよくわからない様子だった。
 定光としては、そんな滝川の様子が些か不安ではあったが、特に目立った問題行動も起こさないので、注意のしようがない。かえって、その穏やかさが不気味だった。


 スコットランドでの最終日、ここでシンシアとサラが撮影隊から離脱する夜を迎えた。
 ホテルのダイニングルームは、打ち上げパーティーのような雰囲気となった。
「撮影を離脱するのが、本当に口惜しいわ。本当は砂漠の奥底にもついて行きたいけど」
 シンシアはそうスピーチして、残念そうな表情を浮かべた。その場にいる全員が同じことを思っていた。
 だが、まだ幼いサラを灼熱の砂漠に連れて行くわけにもいかない。
 デスフレイは、砂が深いナミブ砂漠の中を四駆の車で走らないと到着しない。しかも、車から降りてそれなりの距離を歩かないといけないらしいから、サラには無理だ。
 シンシアは、「でも、スカイ島での撮影も、本当なら実現不可能といえるほど困難なはずだったのよ」と言って微笑んだ。
 シンシアは、自分が抱いているサラと滝川を代わる代わる見つめながら、「アラタくんがいなければ、絶対に無理だった。彼は賞賛されるべきだわ。本当に」と言った。
 その場が、ワッと湧く。
 誰もが、サラと滝川の珍コンビの姿がこれでしばらく見納めだと悟って、残念そうにしていた。どのスタッフも、この二人のほのぼのとした様子に癒やされていたのだ。
 しかし当の滝川は、「タバコが吸いてぇ」と席を立ち、ホテルの外へと出て行く始末だった。
 その愛想のなさに定光が「すみません」と謝ったが、皆もう滝川のエキセントリックさは充分わかっているようで、「別に気にしてないよ」と皆から返された。
「アラタは外に出て行っちゃったけど、とりあえず乾杯しようか」
 ショーンが音頭を取って、撮影旅行中締めの晩餐が始められたのだった。


 ぶかりぶかり・・・・。
 紫色の空に煙でできた輪っかが浮かんでは消える。
 滝川は、ホテル裏側の庭に面した軒先の階段口に腰掛けて、タバコを吸っていた。
 ここスコットランドでも、タバコはレストラン内では吸えない。
 だが、一人になりたい時は「タバコを吸ってくる」と言えば誰にも止められないので、都合がいい。
 滝川がひとりでフラフラ行動しようとすると、決まって定光が心配してついてこようとするが、「タバコ」と言えば定光も安心して、放っておいてくれる。
 定光に常に心配されているのは、正直気が滅入った。
 定光の気持ちが重い、というのではない。
 なんだか可哀想だな、と思うのだ。定光のことが。
 滝川のことに煩わされて、のびのびと彼自身がしたい仕事に集中できていないような気がする。
 ことあるごとに滝川の様子を伺っているのがわかるし、その視線に気づかないふりをしてはいるが、常に気にかけられていることはわかる。
 数日前に定光が言った、「消えてなくなりたいだなんて、もう思わなくていいから」とは、どういう意味だろうと思う。
 自分にはそんなことを言った覚えがなかったが、定光がそう言うのなら、実際に自分が口にしたのだろう。
 おおよそ寝言か何かで言ったに違いない。
 自分でもその辺は自信がないから、なんとも言えなかった。
  ── まるで亡霊に怯えているような感覚だ……
 滝川はそう思った。
 目に見えないものに追い立てられているような感じがする。
 真夜中の奇行も危なっかしい寝言も、自分には"目に見えないもの"だからだ。
 そんなものにどう対処すればいいか、わからない。
 無意識の中のもう1人の自分が、自分を小馬鹿にして高笑いしているようなイメージが浮かんだ。
 まさか母親からの影響が、いまだにここまで色濃く残っているとは思っていなかった。
 これまで夜中の奇行がバレていなかったのは、様々な女性と一夜を共にしても、夜を明かすことまではしてこなかったからだ。
 セックスが終われば、相手に出て行ってもらうか、自分が出て行くかした。
 中には一緒に眠りたいと駄々をこねる女もいたが、そんな女とは速攻で別れた。
 だから、今まで寝る時はいつも1人だったから、気づかなかったのだ。
 定光と暮らし始めて、自分でも気づいていなかった"負の荷物"が、いろいろ見え始めている。
 意識のない自分が、今度はどんなことを引き起こすのか、まったく想像がつかない。
  ── しかし、それにしても……
「そりゃ、消えてなくなりたいだなんて言われたら、誰だって目ぇはなせねぇよな」
 滝川はそう呟いて、ヒッヒと引き笑いをした。
 スパーッとタバコを思い切り吸う。
 すぐに1本目は燃え尽きて、滝川はなんとなくそれを左の手のひらに押し付けて消した。
 多少痛むが、そうするとなんだか落ち着く。
 学生時代はよくこうしてタバコを消していた。
 滝川の手には、そうした跡が何箇所か薄っすらと残っている。
 人はこれを"自傷行為"とか言って咎めるのだろうが、別に誰かにこれを見て欲しいからやっているのではない。気分が落ち着くからそうしているだけだ。
 昔よく感じた自分勝手な多幸感がふいに押し寄せて来て、滝川は、ほっと吐息を吐き出す。そしてそのまま足元に吸い殻を落とそうとしたが、ふと頭の片隅で定光が「こらっ」と怒って来たので、しぶしぶ携帯灰皿をジーンズの腰ポケットから出して、その中に吸い殻を突っ込んだ。
 2本目を取り出し、ジッポライターで火をつける。
 それを半分くらい吸ったところで、人影が近づいて来た。
 そちらに目をやると、村上が歩いて来ていた。
「あー、新さん、めっけ」
 明らかに酔った口調だ。
 滝川は内心、苦笑いをする。
 予想通り、村上は滝川の隣に座り込むと、行儀よく敬礼をして、「村上、酔っております!」と宣言した。
「見ればわかるわ、バーカ」
 滝川は村上から視線を外して、再びタバコを吸い始めた。
 村上は、ふぅと息を吐くと、「やっぱミツさんって凄いっスよね!」と言った。
「は?」
 村上の意図がわからず、滝川が顔を歪めると、村上は滝川にお構いなしに話し始めた。
「なんて言うかそのー、今回の撮影でミツさんの偉大さを改めて思い知ったって言うか」
 滝川は何も答えずボリボリと首筋を掻いたが、村上は滝川の様子など気にも留めない。
「ミツさんって、英語まだペラペラじゃないじゃないですか? なのに、ワンカット撮る度に、皆がミツさんの方を見て、ミツさんが何を言うか凄く気にしてるっていうのがなんか、スゲーって思って」
「あいつはこの仕事のアートディレクターなんだから当然だろうが」
「いやまーそうなんですけどね。でも相手は世界で活躍しているクリエイター達ですよ。そんな人達にミツさんは信頼されてる。 ── 世の中には、役職なんて名ばかりのヤツが呆れるほどたっくさんいるけど、ミツさんはその人柄と才能で自然とその地位を築いてる。そういうミツさんを見るのは、凄く快感です。俺にとって」
 滝川は、「ふーん」と気のない返事をした。
 村上は、滝川の肩をバシンと叩くと、「会社の大多数の人は新さん派ですけど、俺はあくまでミツさん派ですから」と口を尖らせた。
 滝川はここで初めて、村上を横目で見た。
「なんだその派閥」
 そう言って顔を顰める。
 村上は、滝川が知らないことを自分が知っていることが嬉しかったのか、「そんなことも知らないんですかぁ?」と大袈裟に驚いてみせた。
「うちの会社の連中は、新さんの才能に惚れ込んでるヤツが大多数なんです。だから新さんが多少暴れても、皆辞めないっつーか。憧れてるんです、新さんに」
「はぁ」
「でも俺は、ミツさんの方がスゲーって思うんですよ。デザイナーとしてはもちろんだけど、現場のいい空気を作る才能は本当に凄い。会社内だけじゃなく、それが海外でも通じるんだから、相当のものです。よくぞミツさん、プロダクションマネージャーしてくれてるなって思います。そりゃ、時々信じられないポカをすることもあるけど、それを俺がフォローするのも一種の快感と言うか。こう思ってるの、俺だけじゃないっす。制作管理部のヤツらは、皆そう思ってるはずです。なんつーか、俺らにとってミツさんは、お姫様的な? そんな存在です」
「お姫様? 女じゃねぇか」
「いや! 違いますよ! 確かにミツさんは、どこからどう見ても男の人なんですけど、王子様とは違うんですよねー。イメージが。なんかこう……ミツさんにありがとうって言われて微笑まれると、苦労が全部飛んでっちゃうみないな。俺だけじゃないですよ? そんなこと思ってるの。だってミツさん、制作管理部での裏アダ名は"クラリス殿下"ですもん」
「クラリス?」
「カリオストロの城の」
「……あー……」
 滝川は頭にそれを思い浮かべ、なんとなくわかるような気がした。
 あの直向きで清楚なイメージは定光にも共通する。
「いやぁ、ホントにミツさんはスゴイっす」
 酔っ払った村上が何度もそう繰り返すのを聞きながら、滝川はぼんやりとタバコを吸った。
  ── ミツがスゲーことは、今に始まったことじゃねぇし、と滝川は内心そう思ったが、滝川はそれを口に出すことはなかった。
 そうこうしていると、また村上に肩を叩かれる。
「だからねぇ、俺は新さんに感謝してるんですよ、マジで」
 滝川は顔を顰めながら、村上を見た。
「なんだよ」
「いやぁ、わかってないなぁ。 ── 新さんがミツさんをデザイン部から引き摺り出さなけりゃ、ミツさんはずっとデザイン部に籠りっきりだったからですよ。ミツさんの本当の才能を開花させたのは、他ならぬ新さんです」
 滝川はそう言われ、村上の手を振り払おうとした動きを止めた。
 なんだかまた少し、遠くの方で多幸感が湧き上がってくるのを感じたのだ。まるで身体の隅っこをくすぐられるような。
 村上は滝川の微妙な表情の変化を読み取ったのか、ニタァといやらしい笑顔を浮かべると、滝川のアゴを撫でながら、「あらー? 満更でもって顔してるぅー」と冷やかすようにそう言った。
 滝川は一瞬憮然としたが、やがて村上がいました笑顔のように、ニタァと笑い返した。
「 ── お前、酒の勢いかなんか知らねぇが、随分面白いことを次から次と言ってくれるじゃねぇか。上から目線で」
 その悪魔のような笑顔を見て、やっと村上は酔いが覚めたようだ。
 パッと滝川の体から離れると、両手で自分の眉を隠した。
「す、すみません! 言い過ぎました!」
 だから眉毛剃らないで〜と悲鳴をあげる。
 滝川は、不敵な笑顔を浮かべたまま、こう言った。
 「ここに今カミソリないんだし、眉毛は剃らないでいてやる」と。

 

この手を離さない act.69 end.

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編集後記


なんだか今回は、新にとってほろ苦い回となりました。
思えば新は、自分が夜中に夢遊病患者のようなことになっていることも、酔いつぶれて「消えたい」といった事も覚えがないんだから、そういうことを突然知らされると、内心怖いだろうな、と思って書きました。

怖いですよねぇ、自分の無意識の中に「自殺願望」があって、しかも夜中知らない間に勝手に起きて動いてるっていうのが重なってると。
ひょっとしたら自分は、夜中に勝手に死んでしまうかもしれない、って思ってしまうと、自分なら怖くて眠れないです。

そしてそれと対比するように、新とサラのコンビシーンは、ほのぼのとしたものになりました。
国沢も癒やされた(笑)。
サラがここまで新に懐いているのは、きっとサラが面倒見がいいんでしょうねwww
心が傷ついていたり、弱っている人がいたら、寄り添える人なんじゃないかって思います。
そういえば、ネコもそういうところがありますよね。
ネコ飼ってる方ならわかってもらえると思いますが、ネコも心身共に弱っている人がいたら、側によっていって座ったりしています。
別になにをするわけでもないけど、「ああ、慰めてくれてるんだなぁ」って思う。
サラもそんな感覚で書いています(笑)。
サラは一番幼いけど、一番懐が深いのかもしれないwww

人間、実年齢より「魂年齢」の方が重要ですからね。
それではまた。

2017.10.8.

[国沢]

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