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この手を離さない title

act.47

 定光が目を覚ますと、ショーンの家は物静かになっていた。
 ローテーブルの上に置いてあったスマホを見て、ギョッとする。
「もう13時半じゃないか! 打ち合わせの時間から30分も過ぎてる!」
 定光は慌てて連絡通路を通って、スタジオのあるビルまで走っていった。
 案の定、理沙達エニグマのスタッフとエレナが手配したと言うカメラマンチームがスタジオの前室で打ち合わせを行っていた。
 滝川もケロリとした顔付きで打ち合わせに参加している。
 定光が血相を変えて前室のドアをノックすると、丸い窓の向こうにショーンの笑顔がひょっこり覗いて、入っておいでと手招きする。
「 ── 遅れてしまってすみません……」
 定光が恐縮しながら部屋に入ると、空かさずショーンが「昨夜遅くまで僕の野暮用を片付けてもらってたから」と言った。
 定光が「え」と面食らうと、今度は滝川が手招きをして、自分の隣に座れとジェスチャーする。
 滝川のその様子は、昨夜のいざこざが嘘のように普段の彼そのものだった。一瞬、自分が夢でも見ていたかと定光が戸惑ったくらいだ。
 滝川の隣に座った定光がまじまじと滝川の横顔を見つめると、滝川は「少しは眠れたのか」と訊いてくる。
「あ、ああ……」
「お前、もうこっちを出る時間だろうが」
 滝川がそう言うと、滝川の向かいに座っていた理沙が、「今日の打ち合わせはこちらに任せて。後で議事録をメールしておくから」と言ってくれた。
「一先ず、挨拶だけ済ませろ」
 滝川にそう言われ、新しく顔合わせするスタッフ達と挨拶を交わした。
 カメラスタッフのチーフは、エレナの夫の映画で何度も映像監督を務めているベテランのカメラマンだった。叙情的な映像を得意とする著名な映像カメラマンだ。
「 ── ジョシュ・オコネルだ。よろしく」
 オコネルは、白髪混じりの鷲鼻が特徴的な五十代半ばくらいの男性だ。キャリアがキャリアなだけに、その場にいるだけで迫力がある。彼の連れて来たスタッフは総勢4名だったが、いずれもオコネルの顔色を常に伺っている雰囲気があった。それは理沙も含め、エニグマのスタッフも同様だった。
 なかなか気難しそうな人だ、と定光は思った。
「本当に来たばかりで退席することになって、申し訳ありません……」
 定光が辿々しい英語で謝ると彼は両肩を竦め、「それが君のスケジュールなんだから仕方ないさ」と素っ気なく答えた。
 その口調は、定光に同情するわけでも、気を利かせたようなものでもなかった。ようは事実を事実のまま捉えるタイプということか。
 滝川とウマが合うかどうか微妙だな……と定光は思ったが、エレナの人選だから腕は確かなんだろう。
「定光君、空港まではうちの者が送るわ。下に車が来てるから、それに乗って」
 理沙が日本語でそう言ってくれたので、定光は礼を言った。
 部屋の片隅には定光のスーツケースも置いてくれていたので、定光は後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
 部屋を出たところで定光が振り返ると、ドアの丸い窓越し、顔を上げた滝川が定光の方を見て、何かを呟いた。
 声までは聞こえなかったが、その口の形から「バイバイ」と言ったように見えたのだった。


 理沙が空港までつけてくれたスタッフは、褐色の肌をした若く美しい女性だったが、片言の日本語が話せる人物だった。彼女は「アイリーン」と名乗った。おそらく、理沙が配慮してくれたようだ。
 卒のない理沙の仕事ぶりには、定光も同じような職種なだけに頭が下がる。
 昨日から今日にかけて一番ハードなスケジュールをこなしたのは絶対に理沙であるはずだったが、ショーンがタフだと形容しただけに、理沙の仕事ぶりは完璧だった。
 それと比べて自分の不甲斐なさに益々自分が情けなくなる。
 自分はといえば、プライベートな感情を仕事に持ち込んだ挙句、ショーンにまで尻を拭わせることをさせてしまった。打ち合わせの席でショーンが言ったことは明らかにウソだ。定光の心象を悪くしないための。 ── 本当に、情けないと思う。
 飛行機に乗る手続きもアイリーンが付き添ってくれて、定光は時間ギリギリに無事搭乗することができた。アイリーンによると、NYでも出迎えの手配は済んでいるから安心して、と言ってくれた。まさかエニグマ側にここまで世話をしてもらえるとは思っていなかったので、正直驚いた。よほど定光が頼りないと思われているのか。
 帰国便は日本の航空会社だったため、客室乗務員に日本語で話しかけられ、定光は内心ほっとした。自分のホームグラウンドに帰っているんだという実感が湧いた。
 離れ行くアメリカ大陸を目にしながら、定光は滝川の別れ際の表情を思い浮かべていた。
 妙に清々しくも見え、どこか寂しそうにも見える表情だった。
  ── バイバイって、ただのバイバイ、だよな。
 一緒に住み始めて少なくなったが、それでもこれまで滝川は定光に対して「バイバイ」という言葉を使ったことはあった。今回もきっとそれと同じだとは思うが……。
 なんとなく居辛さを感じる定光だったが、昨夜の寝不足のせいか、知らぬ間に定光は眠りに落ちていったのだった。


 一方、撮影に向けての打ち合わせは、午後も含めて五時間にも登った。
 それは既に滝川から完成度の高い絵コンテが提出されていたので、顔合わせだけはなく、具体的な撮影の段取りまで打ち合わせをすることが可能だったからだ。
 オコネルは、滝川のプランを好意的に捉えたようだ。
 ミュージシャンのプロモーションビデオは映画と違って非常に短時間となるので比較的意味のない映像を繋げるものが多いが、稀にストーリー性のある良質のビデオが制作されることがある。
 それには潤沢な制作予算と時間、そして優秀な制作者が必要なわけだが、オコネルは滝川をそれに値すると思ってくれたらしい。最初の段階ではクリアできた、ということだ。
 今後の予定としては、明日滝川とオコネルで具体的なロケハンを行い、今回撮影が必要なシーンの確認を現場で済ませる。その後5日間ほどオコネルが他の仕事を済ませている間に撮影機材の準備とメインモデルのオーディションを済ませ、オコネルの身体が空き次第、本番の映像を撮影する……というスケジュール組みになった。
 ジャケット用の写真については、一週間後定光が日本からアメリカに戻って来次第、映像班の撮影の合間に行うことで決定した。
 理沙は内心ほっとしつつ、だが他のことで気にかかることがあった。
 それは、どういうわけかショーンが滝川の様子をひっきりなしに気にかけていることだ。
 これは今までショーンが誰に対しても見せたことない様子だった。
 唯一思い当たるとすれば、ショーンがまだ羽柴と付き合う前、その羽柴に対して見せていた態度に近いように感じた。
 しかし一見すると、なぜショーンが滝川を心配するのか、全くの謎だった。
 なぜなら、滝川の打ち合わせでの態度は毅然としていて、映像カメラマンとしては重鎮の域に達しているオコネルに対しても臆することなく、適確な指示出しを行なっていたからだ。
 彼は時折スラングも混じえ、実に生き生きとした英語を話すので、一際そう思った。
 オコネルもそして他のスタッフも、もはや滝川が日本人であるという感覚はなくなっていて、まるで昔からアメリカ人だったかのような態度で彼に接していた。もっとも、人生で一番多感な時期にアメリカで過ごしていたのだから、実質彼は既にアメリカ人と言ってもいいのかもしれない・・・と理沙は思う。
 定光が帰国している間、理沙が滝川の面倒をみることに定光は異様なまでに恐縮していたし、心配もしていたが理沙にはそれがなぜかよくわからなかった。これまでは、順調なまでに順調だ。むしろトントン拍子といっていい。
 むしろこの分なら、扱い辛いのはショーンの方だわ、と理沙は思ったのだった。

 

この手を離さない act.47 end.

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編集後記


今週はなんだか短くなってしまいました(汗)。すみません・・・。
ちょっとキリが悪くて。
「おてて」は依然、不穏な空気まっただ中でございます。

さて国沢はといえば、無事に年度末を乗り越えました。
一週間ぐらい気が緩みそうな気がする・・・。
それはそれでヤバイけども(汗)。

あ、それとワタクシゴトですが、今月の末頃に東京に行くことになりました。
ミュシャ展をどうしても見に行きたくて、予算的にも厳しいけど半ば強引に上京を決定。
ついでに、国沢のチビ足にはどんな靴が合うのか、測定・診断も受けに行く予定。
国沢、両足ともに21センチ台で、これまで22cmのパンプスをネットや路面店で探したり、それでは飽きたらずオーダーメイドで作ったりもしてきたのですが、これまでまともに履き続けられるパンプスに出会うことができていません(大汗)。
オーダーメイドで作ってもらった靴も、中敷きがヘタってきて調整が必要に・・・。でも遠距離なんで、行けないんですよね。
本当に都会の人が羨ましい。
それでも仕事の時、たまにパンプスが必要になるんですが、足が痛くって仕方がないので、結局3センチヒールのコンフォートシューズを履いています(涙)。
背が低いから、ヒールものを履きたいのですが、その願いも虚しく・・・。
ということで、東京にある「靴を売らない靴屋さん」に足の診断をしてもらうよう思い切って予約を入れました。
そこは、その人のサイズに合う靴のブランドを教えてくれるのだそう。
診断料はそこそこの高額(国沢からしてみれば)なんですが、これまで買っては泣く泣く捨てていたことを考えると、無駄がなくなるからいいか、と性根を据えました。
いい結果が出るといいなぁ(人によっては、国産靴が履けない足と言われる人もいるらしいので)。

それではまた。

2017.4.1.

[国沢]

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