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この手を離さない title

act.26

 ショーン・クーパー三枚目のアルバムは、"乗り越える"ということがテーマとなっていた。
 アルバムテーマとしたら、些か垢抜けないテーマだったが、彼にとっては三十歳を目前とした今、"乗り越えるべきもの"があるのだろう。
 一枚目のアルバムは"挑戦"だった。
 二枚目は"自由"。
 そして三枚目は、"克服"。
 実は、二十九歳という年齢は、ショーンにとって特別に意味のある歳だということを、定光はショーンの口から直接聞いた。
 それは、ショーンの父、ビル・タウンゼントが亡くなった歳だった。
 彼は外的要因で亡くなっている訳だが、それでもショーンにとって重要な意味を持つ年齢だった。
 これまで彼は、父親の過去の栄光に少なからず影響を受けながら成長してきた。
 時にそれはショーンを傷つけたり振り回したりすることが多かったのだが、こうしてある程度自由に自分の音楽と向き合える環境ができて、改めて自分の中にある父の"置き土産"と素直に向き合えるようになってきたのだ、とショーンは語った。
 その置き土産を肯定的に捉えつつ、それを乗り越えて行きたいんだとショーンは言った。
 アメリカでは、十八歳になったら一人前・・・とよく言われるが、ショーンにとっては今、この年が本当の意味で独り立ちできる年ではないかと考えているようだ。
「メチャクチャ遅いけどね」
 そう言ってペロリと小さく舌を出したショーンは、定光から見れば既に成熟した考えができる十分に大人な男性に見えたが、彼にとっては父親の生きた年齢を越えるというのはとても大きな意味を持つのだろう。
 ぜひともそのショーンの想いをうまくジャケットデザインに活かしたい……。
 定光はそのことだけに集中しながら、アイデアを練った。
 だが、グラフィックデザインの仕事というのは、ただ机に向かっていればいいアイデアが出るというものでもないのが難しいところだ。
 手を動かせば仕事が終わるという単純労働とは違って、いくら考え込んでもアイデアが出ないこともあるし、逆に別のことを考えている時にポッとアイデアが浮かぶ時もある。
 最初はグラフィック制作部に篭ってアイデアを練っていた定光だったが、なんだかそれがしっくり来ないので、由井や藤岡の事務仕事を手伝わせてもらいながら、その合間に浮かんだアイデアをノートパット書き溜めていった。だがどれも、「これだ」という確信までは至らず、どのアイデアにも大きなバツ印が書き加えられていった。
 しかし、ノートへの第一回のアイデア提出は二日後だ。資料作成の時間を考えるとあまり悠長にはしていられない。若干追い込まれた感のある定光だったが、ただその日は、朝から今まで燻っていてモヤモヤしていたものから何かが生まれてきそうな気がしていた。
「大人……成長……脱皮……宣言……旅立ち……」
 定光はブツブツと呟きながら、由井の書類仕事をパソコンに入力していく。
 その様子を側のデスクの村上が横目で心配そうに眺めていたが、ふいに定光がガバリと立ち上がったので、村上はびっくりして思わず椅子から転げ落ちた。今度はオフィスにいた全員が村上のたてた音に驚いて、二人に目をやる。
「ど、どどどどうしました? ミツさん」
 村上がそう声をかけると、定光は宙を見つめたまま、「なんか出そう」と呟いた。
「えっ、ゲロですか、ウンチですか?!」
 村上が顔色の悪い定光を見て、思わず近くの新聞を手に取り、定光の顔の下に広げた。
 定光は村上を見ることなく、宙を見たまま、村上の頭にチョップを落とす。
「あだっ」
「違う……。正解が出るような気がする……」
「せ、正解?」
 定光は村上の声に応えなかったが、ふいにこめかみをグシャグシャと掻き始め、「でも、手描きでは表現できない〜」と顔を顰め始めた。
「ど、どうっ、どうしたら……」
 村上ばかりか、その時オフィスにいた全員が右往左往し始める。
 誰もが、定光が無事にいいアイデアを生み出せることをここ数日間固唾を呑んで見守っていたのだ。
 ちょうどその時、滝川がオフィスに入ってきた。
「おー、ミツ、メシ……」
 そこまで言った滝川は、オフィス内の様子を見て瞬時に状況を掴んだらしい。
 滝川は無言で定光の側までズンズンと近づくと、定光の両肩に手を置いて、定光の顔を覗き込んだ。
「出そうか?」
 定光はまだ宙を見つめたまま、荒い呼吸を吐きつつ、ウンと頷く。
 まるでその様子は、滝川が編集室に篭っている時とよく似ていた。
 定光は肩で息をしながら、「でも、どうやって出したらいいか……」と苦しげに呟く。
「描いてる場合じゃないんだな?」
 また定光が頷く。
「よし、わかった」
 滝川は定光の腕を掴むと、オフィスの外に連れて行こうとする。
「あ、あのっ、新さん、ミツさんをどこに……?」
「第一編集室に連れてく。俺がミツのアウトプット作業をするから、昼飯をどっかで二人分買ってこい」
 滝川は定光を掴んでいない手で腰のポケットから財布を抜き取ると、それをそのまま村上に放り投げて、姿を消した。


 編集室入った滝川は、定光を側の椅子に座らせた。
 デスクの引き出しからメモパッドとペンを取り出して、定光の傍に置く。
 一方滝川はパソコンの前に座ると、それを立ち上げた。パソコンが動き始めるカタカタという音を聞きながら、横目で定光を見る。
「頭に浮かんでるイメージを呟くだけでいい。後は俺がそれに近いイメージの画像を探してやる」
 滝川がそう言うと、定光は苦しげにウンと頷いて、両手で顔を覆った。
 滝川にとって、定光がグラフィックの仕事をしている姿を見るのは初めてだったが、アイデアへのアプローチの仕方が自分に驚くほど似ていることにびっくりしたし、同時に自分が定光に本能的に惹かれた理由がわかった気がした。
 以前定光がショーンのセカンドアルバムのデザインアイデアをどのように捻り出したのかは知らないが、少なくとも今のこの感じでは難産ながらもいいアイデアが生まれ出てきそうな予感がした。
 滝川はパソコンが立ち上がったのを確認して、「いいぜ、始めろ」と告げた。
「……風景の中にショーンが立ってる……」
「わかった。それが基本ラインだな」
 定光の言ったことはかなり大まかな表現だったが、滝川は気にせず、パソコンのメモパッドに定光が呟いた言葉を打ち込んだ。
「……燃える火……溶岩……マグマが吹き出してて……」
 滝川はどんどん検索をかけていく。
 人が側まで近づけるマグマが溜まった火口を検索して、それらの画像を片っ端から画像ソフトで立ち上げ、パソコンの画面上に広げる。
「どれがイメージに近い?」
「これ……」
 定光が小刻みに震える指先で、画面の上の一枚を指す。
 世界一低い火山エルタ・アレの写真だ。
 滝川はそれをフォルダに保存し、「次は?」と訊いた。
「風景はひとつじゃねぇんだろ?」
 滝川がそう訊くと、定光はウンと頷く。
 滝川は溶岩の写真を手早く片付けると、検索画面を表示させる。
「白い砂漠……」
「白い砂漠ね……」
 滝川は早速検索にかけるが、よくある美しい白い砂漠の風景はイメージと違うのか、今度は素直にウンと頷かない。
「白い砂漠って……砂漠の他に何が見える?」
 滝川はそう訊いた。
 定光が思い浮かべているイメージは、以前彼が見かけたことがある現実の場所だということはわかっていたので、更にヒントを促した。
「バックは茶色い砂の壁……。木が生えてる」
 滝川はそこまで聞いてピンときた。
「デスフレイか」
 滝川が画像を表示させると、「そう、それ」と定光が頷く。
 デスフレイはアフリカのナビブ砂漠の中にある干上がった湖の跡地で砂漠ではなかったが、光の加減では白い砂漠に見えないこともない。
「次は?」
 デスフレイの画像を保存した後、滝川が更に訊くと、定光は「たくさんのペンギン……」と呟いた。
「ペンギン?」
 思わず滝川は吹き出しそうになったが、定光は真剣なので、そこをグッと堪える。
 検索結果で出てきた場所の名を見て、滝川は顔を顰める。
「サウスジョージアなんて、ほぼ南極じゃんか……」
 どうするつもりだろう、という疑問は置いておいて、滝川は事務的にキングペンギンの群れの写真をいくつか保存する。
「で、次は?」
「風が強い……荒野……でも砂漠とかじゃなくて……岩と背の低い草一面に……」
「アイルランドか? ……いや、スコットランドの方が近いか?」
 定光は目をぐるりと巡らして、「スコットランドかも……」と呟いた。
 滝川が再び検査をかける。
 画像検索の結果を見て、定光が次々と指差す。
「あー、これ……。こっちも……、これも……」
「ほとんどスカイ島の写真だな」
 滝川は、定光が指さした写真をどんどん保存していく。
「他は?」
「ショーンの生まれた町」
「なに?」
「ええと、どこだっけ……?」
「待ってろ、調べる」
 滝川はウィキペディアでショーンのプロフィールを調べて、町の風景を画面に表示させる。
「なんてことないアメリカによくある田舎だな」
 滝川が思わずそう呟くと、定光は「ショーンの実家の前」と言った。
「お前、さすがにその画像はないぞ」
「それはショーンがその風景を知ってるから、探さなくていい」
「わかった。で? それから?」
「NY」
「ま、それはわかりやすいな」
 滝川はタイムズスクエアの画像を表示させると、案の定「それそれ」と指を差してきた。
 画像をいくつかピックアップすることで、ようやく定光は落ち着いてきたようだ。
 今まで心ここに在らずといった表情を浮かべていたが、ようやくここにきて視線が定まってきた。
「これで最後か?」
「いや、最後は海の中のポスト」
「海の中のポスト? んなとこあんのか?」
 滝川半信半疑で検索をかけると、その結果に少し吹き出した。
「思いっきり日本じゃねぇか。和歌山だってよ。ここで撮るんなら、ダイバー免許がいるんじゃねぇの?」
 滝川はそう呟いたが、定光はそんな滝川の呟きを無視して、「それそれ」と海の中の赤いポストを指差している。
「今それでいくつ?」
「九つ」
「あとひとつ足りない……」
 まるでお岩さんのようなオドロオドロしさで定光が呟く。
 滝川はピンとくる。
 今度ショーンのアルバムに収録される曲数は十曲だ。
 定光は曲それぞれに対応する風景イメージを上げているのだ。
 ショーンから提供されている音源は全てまだデモ段階で、おおよそのアウトラインしかわからないが、確かに序盤に激しく重いギターフレーズのハードなロックがあり、中盤には神秘的なメロディラインの静かな曲、そして終盤には古いトラディショナルなロックサウンドの曲が二つほどあり、最後は郷愁を誘う泣ける曲で締めくくられている。
  ── お前、この風景の中にどうやってショーンを入れるつもり……
 と滝川が訊こうとした時、側のメモパッドに何やら定光がガリガリと書き込み始めたので、滝川は声をかけるのを一旦止め、部屋の明かりを明るくしてやった。
 定光はそれに気づくでもなく、一心にペンを走らせ、スケッチ染みた何かを描いている。
 滝川にイメージを明確化されたお陰で、定光の中でも整理がついたのだろう。
 滝川はそのまま戸口に凭れ掛かりつつ、タバコを取り出して火をつけた。
 ゆっくりと煙をくゆらせながら、定光の姿を眺める。
 そうしていたら、ドアがノックされた。
 滝川が無言でドアを開けると、村上が顔を覗かせ、"かねこ"の即席お弁当を二人分差し出してきた。
「かねこが混んでたんで、遅くなりました。すみません」
 村上が頭を下げたが、滝川は「いや、今で丁度よかったわ」と弁当を受け取る。
「で、ミツさん、どうですか?」
 村上はデスクに向かってガリガリ書いている定光の背中を心配そうに見ながら、そう呟いた。
 滝川は弁当をパソコンの傍に置くと、「脳みその便秘は治ったみたいよ」と囁き返した。
「脳みその便秘? ……さすが新さん、うまいこと言いますね」
 滝川はふぁぁと欠伸をして、伸びをする。
「まー、もうちょっとしたら企画全体がはっきりするだろうから、グラフィック制作部にパソコン一台空けとけっつっといて。あと、スキャナも」
「了解です」
 村上は笑顔を浮かべつつ頷くと、編集室のドアを閉めたのだった。


 目の前のパソコン画面で次々とできていく企画書の内容を少し離れた場所から見つめながら、グラフィック制作部の部長・横谷が腕組みをしてう〜んと唸った。
「あれ、本気で向こうに提案する気か?」
 その横で呑気にタバコを吹かしている滝川は、さも楽しそうに、「ほらぁ、俺よりあの人の方が、考え方ぶっ飛んでるでしょー?」と定光を指差しながら呟く。
「ホントだな。お前のムチャブリの方がまだかわいく思えるわ」
 滝川の隣に横谷と同じ姿勢で立っているのは笠山だ。
 そればかりか、グラフィック制作部のデザイナー全員が、横谷・滝川・笠山の後ろに陣取り、戦々恐々と定光が企画書を仕上げていく姿を見つめている。
 定光のアイデアは、曲のイメージに合わせた各地の絶景ともいえる風景の中に、ショーンを立たせて、全く同じ衣装、全く同じポーズで撮影しようというものだった。
 しかもショーンの衣装は、まるでイギリスの時代劇ドラマに出てくるような黒のフロック・コートに山高帽、ステッキという扮装で、随分古めかしいものだ。
 衣装については安易に実現可能だが、問題は定光があげたロケ地だ。
 定光のイメージにあった画像の場所は世界各地に点在していて、アフリカ大陸にスコットランド、果ては南米最南端までと多岐にわたる。普通で考えれば、それらの場所に撮影スタッフを連れ回す予算も膨大にかかるし、第一ショーンの時間を抑えること自体不可能なことのように思える。
 しかもよしんばスケジュールと金の問題をクリアしたとしても、マグマ池の前やら南極目前のペンギンに囲まれてやら、砂漠のど真ん中やら、果ては海中と、どれも過酷な撮影条件であることは想像に難くない。
「アイツ、鬼だな」
「うん、鬼だ。間違いない」
 笠山と横谷が頷き合う。
 そんな中、滝川は依然呑気に「あ〜、今から世界旅行、楽しみだなぁ〜」なんて大きく伸びをしている。
 そんな滝川に、横谷が肘鉄を食らわせた。
「お前、あんな企画が本気で通るとでも思ってんのか?」
「そんなの、出してみないとわかんねぇじゃん」
「いやぁ、ありゃいくらなんで無理だろ」
 そう言う笠山の頭を、滝川はポンポンと軽く叩いた。
「最初に広げる風呂敷はデカい方がいいんだよ。あの分だと明日には資料の準備が終わるから、笠っち、相手との打ち合わせの時間、具体的に決めちゃいなよ」
 笠山は「ああ」と頷いたものの、不安げな顔つきで横谷と視線を交わしたのだった。

 

この手を離さない act.26 end.

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編集後記


え〜、いかがだったでしょうか、本日の「おてて」。
”脳味噌の便秘”って、新もなかなか上手いこと言うなぁ〜って呟きながら書いた覚えがあります。
国沢としては、キャラのセリフ回しについては、書いてるその時に思いつく場合がほとんどなので、自分で書いてる感は本当に薄く、後で読み返して「あ、この人、こんなこと言ってたんだ」と思うことも多々あります。
本当に、他力本願感満載の執筆スタイル・・・・(汗)。
上手くいってると、本当に勝手にキャラがしゃべってくれたり、動いてくれたりするので、割とスラスラ書けるんですよね。
でもこれが一度間違った方向に国沢が誘導しちゃうと全然動かなくなるんで、そうなると軌道修正地点を探して戻って書き直さないといけなくなるので、ちと大変になります。
「おてて」の場合は、割と今はまだ大丈夫。

今週は、ショーンのアルバムジャケットのデザインに関して、具体的なアイデアが出てまいりました。
ここでは少し、ミツさんが思い浮かべた風景について画像解説をしておこうと思います。

まず、世界一低い火山エルタ・アレ。





標高わずか613mしかない活火山。
割とすぐ側までいけるらしい。観光客も行けるみたいだし。ただし、ある場所はアフリカのエチオピアにあるから、気軽には行けないかな?
でも凄く美しいところ。


あと、その次に出てきたデスフレイも不思議な景色の場所ですよね。



ここは、ナミブ砂漠の中にあるの。
・・・・。
どうやって行くの?ここwww
ちなみに国沢は、この場所のことを映画『セル』を観て知りました。
観光目的で行ってる人もいるようだから、行けないこともないらしい。


あと、サウスジョージア島のペンギンは、こんな感じwww



見渡す限り、ペンギンだらけwww
ここはたくさん観光客も行ってるみたいです。
ペンギン、かわいい。


スカイ島はスコットランドの北にある翼の形をした島。
ここはたくさんの絶景が見られるところです。





国沢、ここにはマジで死ぬまでに一度は行ってみたい。
てか、スコットランド自体に行ってみたいんですよね。
ドラマ「アウトランダー」を見たせいもあるけど、見てるだけで泣けるほどの悲哀を感じさせる風景の魅力がスコットランドにはあるような気がする。


あとNYはみなさんご存知だと思いますので割愛して、最後は和歌山にある海の中のポスト
画像貼ろうとしたけど、ライセンスフリーの画像が探せなかった(汗)。
でも、一時期車の宣伝で出てきていたから、どんなところかご存知の方は多いはず。

ということで、世界各国に広がっているこの絶景ポイント。
本気でショーンを連れ回せるんでしょうか???www
ま、でもフィクションだからね。
広げる風呂敷はでっかい方がいいんです!!!

ではまた〜。

2016.10.30.

[国沢]

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