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この手を離さない title

act.48

 今夜の夕食は、下の店に食べに行こう。
 滝川はショーンからそう誘われた。
 なんでも今夜羽柴は仕事が終わらずに帰りが深夜になるから、二人で食事をすませるようにと連絡があったらしい。
 滝川はショーンに連れられるままに、スタジオビルの一階にあるパブを訪れた。
 確かにショーンが"パブ"といったように、店内は無骨なレンガと濃いフォレストグリーンのペンキが塗られた壁に囲まれたイギリス風の作りになっていた。カウンター席の上には黒板に今日のオススメメニューが乱暴に書きつけられており、カウンターの奥が厨房のようだ。テーブル席は店内に入って右側の壁際に沿って三席ほど並んでいたが、よくみると奥には更に広い空間があり、数多くのテーブル席があるようだ。ビルの形がうなぎの寝床のような形なので、必然店もそうなる。
 ショーンは、エレベーターホールの脇にある店の勝手口を当たり前のように開けて、店の中に入った。
 厨房で働いていたスタッフと次々挨拶を交わしながら、店の表まで突っ切っていく。
「ここを使うとビルの外に出なくても、ご飯を食べに来られるから、便利なんだ」
 ショーンは滝川を振り返り、そう言った。
 どうやらパパラッチにビル前を包囲されても、食うには困らないということらしい。
「パパラッチの連中は店の中に入って来ないのか?」
 ショーンはカウンター席の一番奥の席に滝川を誘いながら、入口向かいの壁にデカデカと貼られている張り紙を指差した。
『店内での撮影はお断り。どうしても記念撮影したいなら、店主の許可を得ること。ルールを守れない奴は、追い出されても文句言うな』
 ブルドッグのイラスト共にそう書かれてある。
「ふ〜ん」
 ショーンはニヤッと笑う。
「別に僕がそう条件を出した訳じゃないんだけどね。最初の頃、店内をパパラッチの連中に荒らされちゃって、店主のロドニーが烈火の如く怒ったんだ」
「そりゃ当然だな」
「ロドニーは、ビルの管理室にいる警備員達と体格はそんなに変わらないからね」
 ショーンはさも楽しそうにそう言う。
 確かに、さっきショーンと拳を合わせて挨拶していた男達の中に、一際厳つくてブルドッグに似た顔つきの男がいた。どうやらそれが店主らしい。
「それにこの席も結構いいんだよ。こう見えて」
 ショーンにそう言われ、滝川は席の周囲を見回した。
 一番奥まったこのカウンター席の左側には本日のおつまみがきれいに並べられたショーケースがあり、客はそれに気を取られ、バーテンに注文をしてから各々席についていくので、隅っこのカウンター席のことなんか目に入らないらしい。
「ここなら、ロドニーに直接今日のオススメメニューが聞けるしね」
 ショーンはそう言って、厨房にいるロドニーを呼んだ。
 巨漢でスキンヘッド姿のロドニーに、今日のオススメはチーズとナッツとパン粉を炒めたものをカジキマグロで巻いてオーブンで焼いたヤツだとぶっきらぼうに言われる。どうやらその料理に名前はなく、ロドニーがショーンにそう説明したように、他の店員がも長々しい料理の内容をお客にいちいち説明していた。なんとも無骨な店だ。
「魚、食べられる?」
 ショーンにそう訊かれ、滝川は頷いた。
 基本的に滝川に食べられないものはない。すべては口に合うかどうか、だ。
 そして滝川は、すぐさま酒より先にコーヒーを頼んだ。
 アメリカでは日本より喫煙者に厳しく、C市もNYなどと変わらず公共の場所での喫煙は禁止されている。今いるような酒を飲む場所でも禁じられているため、そういう時はコーヒーで口寂しさを紛らわすしかない。
 ショーンは、滝川の性急な頼み方にその意味を理解したらしい。
 彼は少し微笑むと、「コウもよくそうやってコーヒーを頼んでたよ。タバコやめる時」と呟いた。
 こちらも強面の店員が置いていったコーヒーを早速啜りながら、滝川はショーンを見た。
「羽柴さんって、タバコ吸ってたんだ」
 ショーンは頷く。
「アラタに負けないぐらいのヘビースモーカーだったんだ。でも、僕と一緒に暮らし始めて、やめた。僕の咽喉に悪いからって。それに丁度それぐらいから、世間的にも外でタバコが吸える場所がなくなってきたしね」
「俺がアメリカにいて窮屈だと思ったのは、唯一タバコに関してだけだわ。日本なら、飲み屋ではまだまだ自由に吸えるし」
 滝川は再度コーヒーを啜って、ほうと息を吐き出した。
「確かに日本は緩いよね。エレナもそう言ってた。エレナもタバコをやめた一人だよ。昔は、細巻きシガレットをよく吸ってたんだって」
「へぇ」
 ショーンからそう聞いて、滝川は目を丸くした。
  ── じゃ、一番最初に面接をした時、わざわざタバコを咥えて見せたのは、俺がどう動くか試していたのか。
 おそらくラクロワは、滝川が媚びを売るタイプかどうか見極めるためにタバコを咥えたのだ。彼がすぐさま、そのタバコに火をつけるかどうか。
「うへぇ、おっそろしい」
 滝川はそう言って口をへの字にした後、くっくっと笑った。ショーンが「どういう意味?」と訊いてきたので簡単に説明すると、ショーンもニヤニヤと笑った。
「エレナの言動は僕でも時々ビビることがあるよ。僕が知ってる人達の中でも一番人を見る目が厳しいかもね」
「その割にゃ、ミツには甘い顔をするけどな、あのオバハン」
 それを聞いて、ショーンは笑いながら顔を顰めた。
「ここにエレナが盗聴器を仕掛けてないことを祈るよ」
 ショーンがそう言ったところで、ビールが運ばれて来た。グラスに注がれているのではなく、瓶に入ったものだ。銘柄はブルックリン。辛口でキレがあるが、後味はじんわりと甘い。名前の通り、ニューヨーカーがよく好んで飲む銘柄だ。グリーンの親しみやすいラベルデザインが、レンガとフォレストグリーンを基調とした店の内装にマッチしている。
 ショーンと滝川が瓶の首をぶつけ合って乾杯している間に、ショーケースの中のおつまみが適当に盛られた皿が二人の間に突き出される。メインの料理が来るまで、これで大人しくしておけ、ということらしい。
 タコとパプリカのマリネ、チリコンカンにトウモロコシのチップス、イカのフリット、巨大マッシュルームに生ハムとニンニクをのせてオリーブオイルでオーブン焼きしたものなどなど……。
「多国籍なメニューだな」
 滝川が他のメニューも眺めつつそう呟くと、ショーンが「移民の店員が多いんだよ。その子達からロドニーがその国の家庭料理を教えてもらってるんだって」と答えた。
「ま、要するに美味けりゃなんでもいいってことか」
「そう言うこと」
 ショーンが器用にウインクをする。
 滝川が料理を口に運んでいると、ショーンが話し始めた。
「エレナがミツに甘いっていうのはさ」
「え?」
 騒がしい店の歓声に一瞬掻き消されて、滝川は再度訊き直す。
 ショーンは滝川に顔を近づけて、「エレナがミツに甘いっていうのは」と言い直した。
「ミツが凄く純粋な人だからだと思うよ。凄く素直というか……フェアって言った方がしっくり来るかな」
 それを聞きながら、滝川はぼんやりと前を眺めつつ、ビールを口に含んだ。
 横からショーンに軽く肘鉄を食らう。
 滝川がショーンに目をやると、「それはアラタが一番わかってることだろ?」と言われた。
 滝川は曖昧に頷く。
 自分でもそれはわかっていた。
 定光がそういう人間だからこそ自分は惹かれたのだし、一緒にいてほしいと強く思ったのだ。
 けれど自分の存在が定光に取ってそれほどに重いのなら、手放してやるべきなのではないか、とも思う。 ── ポンコツの俺に、ミツみたいな善人を絵に描いたようなヤツが付き合わされるのは可哀想だと。
「 ── もうやめるの?」
 ふいにショーンがそんなことを言ってきた。
 滝川はギクリとして、ショーンを見る。
 滝川はヘッと笑いながらコーヒーを口に含み、「俺はタバコをやめるつもりはないぜ」と答えてみたが、ショーンは穏やかに微笑んだまま、首を横に振った。
「核心を誤魔化そうとするのは、君の悪い癖」
 ショーンはそう言う。
「僕がそんなことを訊いた訳じゃないこと、わかってるくせに」
 滝川は内心舌打ちをした。
 今朝羽柴のことは何とか誤魔化せたが、ショーンはそうもいかないらしい。
 そして滝川は、はたと思い出す。
 ショーン・クーパーという男は、怖いくらいに真っ直ぐな男だということを。
 それは、彼がこれまで歩んできたハードな道のりがよく表している。
 全世界の人気を勝ち取ったショーンだが、いまだにアメリカ国内の活動は制限されている節がある。アメリカには複数の音楽系アウォードがあるが、いまだにショーンはそこで"外国レーベルのアーティスト"という扱いを受けているのだ。こんなに世界中で高い売り上げを誇る実績をあげても、アメリカ国内にショーンを抱えようとするレーベルはない。
 それらは、彼が長いものに巻かれず、自分のやり方を貫き通してきたことの代償だ。
 いっそイギリスにでも移住すればもっと違う展望があっただろうに、パートナーの仕事のためにアメリカに残ることを選んだのも、彼のシンプルな考え方から引き出された結果である。
 だからこそ、ショーンは誰に対しても直球で話をしてくる。 ── 本当に手強い相手だ。
 今もショーンは、茜色の美しい瞳を真っ直ぐ滝川に向けながら、こう言った。
「ミツのこと物凄く愛しているのに、自分から手放そうとするのかい?」
 俯いた滝川の顔を覗き込むようにして、ショーンは続ける。
「壊れ物のように扱うことイコール相手を大切にしてるってことではないよ」
 滝川は眉間にシワを寄せる。
「俺はミツをそんな風に扱ってない。ショーンは俺達のことを見てる時間が少ないから、わかってねぇんだ。会社の連中は、いつも俺がミツをワガママ放題に振り回してるって誰もが思ってるよ」
「それは表面的なことだろ? 君が本心をミツにぶつけられないから、煙に巻いてるだけだ。本当は、君のダークな部分をミツにぶつけて彼が壊れてしまうのが怖いんだ。だから君は、腫れ物に触るかのようにミツに遠慮してる」
 ギクリとした。
 昨夜、定光に「傷ついていることをちゃんと認めろ」と言われたのを思い出した。
 きっと今、ショーンにも同じことを言われている。
 滝川は次第に混乱してきた。
 定光のこれからの苦しさを思えば、手放してやることが自分ができる最大の優しさじゃないのか。母親から受けた数々の傷を自分の中に封印して、誰にもそのことを吐き出さなくても、何とか生活はできているのに、それを今定光相手にほじくり返したって、何になるというのか。余計に定光が更なる重荷を背負うだけだ。
「 ── お、俺は……俺は……」
 そう呟いた切り、押し黙ってしまった滝川に、ショーンは一言「ごめんね」と謝った。
「責めてるつもりはないんだよ」
 ショーンが滝川の背中を優しく摩る。
 おずおずとショーンに目をやる滝川に、ショーンは続けた。
「でもね、アラタ。考えてみてほしい。ミツは、ああ見えて物凄く強い人だということを。君のダークな部分を受け止めたって、きっと彼はビクともしないと思うよ」
 滝川が数回瞬きをすると、ショーンはニッコリと笑った。
「アラタは物凄く頭がいいから負けてるなって思ってたけど。恋愛の不器用さで言えば、僕とそんなに変わらないから、凄く安心したよ」
 滝川は、目が覚めたように顔を顰めた。
「アンタが、恋愛に関して不器用だって?」
  ── あんなに円満そうに彼氏と暮らしてるってのに?
 滝川はそう返そうとしたが、ショーンはアヒル口を尖らせて、子どもみたいな表情を浮かべた。
「いまだにコウに対して駄々ごね失敗して、心の置いてけぼりを食らうことがあるんだ。年が離れてるし、性格も正反対だから仕方ないんだけど」
「へぇ、そうなんだ」
「そ。僕に関しては、何でも正直過ぎるのがたまに傷なんだって。コウと付き合う前にも、真っ直ぐさが暴走して、随分いろんな人に迷惑をかけたよ」
 そうこうしていたら、メインのマグロ料理が出てきた。
 ショーンはナイフとフォークを鷲掴みして、「さ、食べよう!」と滝川を促した。
 それから以後、ショーンはそれ以上難しい話をしてこなかった。
 あとは二人でワインをがぶ飲みし、ショーンの羽柴から受けたダメ出し話をネタに散々笑い合った。
 結果そのまま店の中で酔い潰れ、仕事から帰ってきた羽柴に発見されて、二人とも羽柴に説教されたのは言うまでもない。

 

この手を離さない act.48 end.

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編集後記


先週お休みをいただきまして、すみませんでした。
最近また偏頭痛が酷くて、二次創作ページの更新作業が終わった段階で事切れました(汗)。

まぁねぇ、偏頭痛というかなんというか・・・。
泣いたりすると、頭痛くなりますよね。
それですよ、それ。

浅田マオマオ様の引退関連の映像やら会見やらがあちこちで流されて、最近はちょっとスイッチが入っただけで泣いてました(笑)。
ソチのフリーは、何度見ても泣いちゃうのよ・・・。
終わりの一瞬切り取ったシーンだけでも泣いちゃうのよ。
終わった直後の佐藤コーチの表情を思い出してね。
本当にあの瞬間、あの表情をカメラが追ってくれてることが奇跡だと思った。
あのいつでも冷静沈着で百戦錬磨の佐藤コーチを持ってしても、あんな表情にさせてしまうマオマオ様に唯一無二さを感じます。
スケートの演技に「人生」や「生き様」を感じさせてくれたスケーターは、後にも先にも彼女しかいない。
最近のぴーちゃん(パトリック・チャン氏のこと)にも少しそういうものを感じたりはしますが、濃度が濃いのよね。マオマオ様の方がね。
成績をつけるだなんて行為そのものが陳腐にさえ感じさせる演技を見せてくれた女性スケーターは、私の中でマオマオ様のみ。
頭がさがる思いです。
ちなみに、それについての男性スケーターを列挙すると、町田くんとミーシャ・ジーだから、国沢の審美眼なんて、疑わしい限りだけどwww

彼女がいろんなものを犠牲にして頑張ってきたことは誰もが知ってるし、身体が限界で心も燃え尽きた気持ちも凄くよく分かる。だから引退ってことに対してほっとした自分もいるし、同時に「あの濃厚な空気感をフィギュアスケートでもう味わえるチャンスはなくなったんだ」と思うと甚だ寂しいと感じる自分もいる。複雑です。
でも彼女には、普通に幸せになってほしいな。
体脂肪も女性の標準値に戻して、恋とか新たにチャレンジすることとかを謳歌してほしい。
決して周囲の大人の都合に振り回されることなく。
彼女に神のご加護がありますように。

それではまた。

2017.4.16.

[国沢]

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