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この手を離さない title

act.24

 「エレナは、滝川さんお一人と面会したいと仰ってます」
 エニグマの日本支社の女性がそう言ってきたのを聞いて、さすがの笠山も不安げな表情を浮かべて滝川を見た。
 笠山は少しも滝川の営業力に期待していなかったからだ。
 滝川も笠山とならなんとかなりそうだと思っていたところでそう言い渡され、少々戸惑った。
 滝川自身、営業なんて生まれてこの方してきたことがないのだから、当然だ。
 幸いというか、不幸にというか。
 これまで滝川は、自分を売り込まなくてもある程度のレベルの仕事なら、あちらからやってきたのだから、真剣に営業なんてかけたこともなければ、誰かに頼み込んで仕事をもらったこともない。
 若いくせに無駄にプライドが高いと滝川を批判しながらパトリック社を辞めていったディレクターは、一人や二人ではない。
 そんな自分が、果たしてエニグマの女帝と呼ばれる女性に歯が立つのだろうか……。
 それは滝川が初めて経験する試練だった。
 取り分け、滝川は女性相手となると真っ直ぐ話をすることができない。
 それは、母親から受けた虐待による女性対するコンプレックスが根底にある。
 仕事仲間と認めた相手ならいざ知らず、初めて会うような相手……しかも口説き落とさないといけない条件の相手にいつもの病気が出ずに話せるのかがまずは不安だった。
  ── だだここで、引く訳にはいかねぇ。
 滝川は唇を噛み締めた。
 定光のためにも、滝川はこの仕事を絶対に取らねばならなかった。
 なぜなら、滝川が定光と同じクライアントの仕事を受注することで定光の仕事量を圧倒的に減すことができ、なおかつ定光はショーンの仕事ひとつのことを考えていればいい話になるのだから、不器用な定光が混乱せず、ひとつの仕事に集中できる環境が整う。
 いくら滝川が"自分本位のフレックス"としても、定光がショーンの仕事に取り組んでいる間、新しい仕事もせずにふらふらしている財力はパトリック社にはない。したがって滝川がどうせ仕事をするのなら、定光と同じ仕事するのがベストな選択なのだ。滝川にとって。
「よし。笠っち。俺、行ってくるわ」
「笠っちって……。不安しかないわ」
 そう言う笠山を置いて、滝川はラクロワのいるiコンシューマ社最上階の応接室のドアを大きく一つ深呼吸してからノックした。
「Yes, come」
 中から穏やかな女性の声が聞こえ、滝川はドアを開けた。
 地上三十階の見晴らしのいい展望をバックにして、応接室に座っていたのは、エレナ・ラクロワ一人だけだった。
 滝川が思わず室内を見回すと、エレナは立ち上がって滝川に近づきつつ、「お互い一対一じゃないとフェアじゃないでしょ?」と言った。
「英語は理解できると聞いたわ」
 ラクロワにそう言われ、滝川は「はい」と答えた。
 ラクロワの差し出した手を握る。
 ラクロワは思ったより小柄な女性で、輝くような銀髪をしていた。大きな目が印象的で、シワも多くかなり年配の女性だったが、そのシワでさえも美しく気品があった。シャネル製のグレイ地に黒のパイピングラインが入ったツーピーススーツを着ていたが、それが更に彼女の知的さを演出していた。
 そしてその所作は、穏やかな口調とは対照的に機敏で、滝川の手を握り返してきた力には強さが漲っていた。とてもエネルギッシュな女性だとすぐにわかった。
「まずは座って話をしましょう」
 ラクロワはそう言って、元座っていた三人掛けのソファーの真ん中に座った。
 滝川に向かいのシングルソファーに座るよう、目で指し示す。
「タバコは?」
 ラクロワはテーブルの上の細巻きシガレットを取り出して、滝川に差し出した。
 滝川は首を横に振る。
「そう。不思議ね。貴方の身体からはタバコの香りがするのに」
 ラクロワはそう言いながらシガレットを咥え、滝川を見た。
 滝川が動かないので、彼女は少し微笑んで、自分でシガレットに火をつけた。
 ラクロワはシガレットを軽く吹かすと、それは灰皿に置いてしまって腕組みをし、ソファーに凭れ掛かった。
「それで? 粗方の話は聞いています。ショーンの新曲のPVを撮りたいんですって?」
「はい」
「率直に話をしましょう。回りくどい話は退屈。貴方ならそれができそうだし」
 ラクロワに話すように目で促され、滝川は開口一番こう言った。
「あんたみたいな女に初めて会った」
 ラクロワが一瞬顔を顰める。
 滝川はさすがに率直に話過ぎたかな、と身構えたが、ラクロワは「貴方の英語、かなりネイティヴな発音ね。しかも少し南部の香りがする」と訊いてきた。
「十六の時にアメリカに渡米して、殆どの時間をサンディエゴとロスで過ごしたから」
「サンディエゴ。いい街だわ」
「アジア系が多かったから、暮らしやすかった」
「最初は違ったの?」
 ラクロワがそう訊いてくる。
 彼女は、滝川の言葉に含みがあるのを感じたのだ。
「ロス郊外の高校に編入した時は、結構きつかったから」
 ラクロワは頷く。
「残念ながら、アメリカはそういう国だわ」
「だけど、お陰で結構鍛えられたけどね。あの時の俺にはそれが必要だった」
 ラクロワが手を口に当てて、斜に構えて滝川を見る。
「僅か十六歳で人種差別の洗礼を受けることが?」
 滝川はフッと笑う。
「日本で家族から受けていた仕打ちと比べれば、随分健全な敵意だったから。ああ、俺は外の世界に出られたんだって実感が湧いたよ」
 ラクロワはしばし黙って、滝川を見つめた。
 滝川も黙って見つめ返す。
 ラクロワはすっと息を吸い込んでから、再び口を開いた。
「 ── それで? なぜ貴方は今回の仕事をそんなに欲してるの? ノートに照会すると、貴方は日本国内でも大した売れっ子で、仕事は選べる立場にある。わざわざこんなところに来なくてもいいはずよ」
 ラクロワは伺うように滝川を見た。
「ショーンのPVを撮りたいのは、金のため? それとも名声のため?」
 何もかも見透かされるような瞳。
「いいのよ。何も取り繕う必要はない。金も名声もこの世界で生きていくには重要なファクターだもの。貴方ぐらいの年頃の子なら、追い求めて当然だわ」
「 ── 確かに」
 滝川はそう呟いて、視線を下げた。
 この場合、ラクロワに対して何というのが正解なのか、正直わからなかった。
  ── 難しい……
 そう思った滝川は、次第にあれこれ頭を使うのがバカらしくなってくる。
 取り繕う必要はないと言っているんなら、ストレートに話した方がいいのかもしれないと思い直した。
 例えその話が、とんでもなくセンチメンタルで子供染みた感傷に塗れていようとも。
「ショーンの仕事をしたいと思ったのは……、ある人に追いつきたいと思ったから。そいつの才能に近づきたいと思ったから」
「ある人?」
 ラクロワが腕組みを外して、少し身を乗り出してくる。
「それは誰のこと?」
「定光慶」
「Mitsu? ああ、前回アルバムジャケットのデザインをしてくれた子ね。ショーンが大層気に入っていた」
 滝川は頷く。
「彼は貴方の同僚ではなかったかしら?」
「はい」
 ラクロワは、ソファーの傍に置かれてあった資料を手に取り、書類を捲った。
「この資料を見る限り、貴方の方が活躍しているようだけど。貴方は既に彼を凌駕しているのではなくて?」
「そんな紙切れじゃ、アイツの凄さはわからないよ」
 滝川は思わず笑い声を上げる。
「アンタもウチの会社に出向でもしてアイツの側で働けば、俺の言ってることがわかるかもね」
 ラクロワは資料を閉じて、元の位置に置いた。
 またあの大きな瞳が滝川を見つめてくる。
 その目を真っ直ぐ見返して、滝川は身を乗り出した。
「ショーンやあんたには悪いが、この仕事が死ぬ程欲しい本当の理由は、ミツを潰さないためだ。ミツは凄いヤツだが、少々不器用でね」
 滝川は、定光が今回抱え込んだ諸々の社内事情も含め、洗いざらいラクロワに話した。
 客観的には、こんな個人的事情をラクロワに話したって有利に働くようには到底思えなかったが、この女性には確かに建前を言ったり取り繕ったりするのは無駄だと思った。
 最後に滝川は、「俺はやると決めたら、どんな仕事も手を抜いたりしない。ベストを尽くす。ひどく個人的な事情を話しておいて、今更こんなこと言っても信じてもらえないだろうが。だが、ミツのためにも俺のためにも、もちろん貴方達のためにも、俺は必ず結果を出す。俺を買って損はさせない」そう言った。
 ラクロワはそこまで聞いてスッと視線を下げると、しばらくの間、灰皿の上で煙を昇らせるシガレットを眺めた。やがて、正気に戻ったようにそのシガレットを取ると、半分くらいまで燃えたそれを灰皿に押し付けようとした。そこを滝川の手がすいっと取って、口に咥える。そして深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「こんなに美味いタバコなのに、一回吸っただけじゃ、もったいない」
 目を閉じて、ナッツのような残り香を大きく吸い込む。
 そして目を開き、両肩を竦めると、「俺が吸ってるマルボロとは大違い」とシガレットを眺めた。
 ラクロワがフフフと笑う。
「坊や、貴方、いい男ね。若いのに色気がある。私がもう少し若かったら、考えていたところだわ」
 滝川はスッと洟を啜り、「なんだ、あんたもやっぱり女か」と呟いた。
「どういう意味?」
「俺に会った女は、なぜか目の色変えて迫ってくる。どんな立場の女でも。最初部屋に入った時、あんたはその素振りを見せなかったから、他の女とは違うと思ったんだけど」
「あら。期待に背いてしまったかしら」
 ラクロワは胸に手を当ててそう言いつつ、またフフフと笑った。
「女だって男だって、美しいものや魅力的なものを素直に認めるのは大切なことよ。貴方にだって、そう思うものがあるでしょう?」
 ラクロワにそう言われ、滝川は脳裏に定光の顔を思い浮かべた。
 笑顔や泣き顔、怒ってる時の顔。真剣に何かに取り組んでいる時の顔……。
 滝川は少し微笑みを浮かべる。
「 ── やっぱりあんたは、他の女とは違うな」
 滝川はそう呟いた。
 ラクロワは首を傾ける。
「なぜそう思うの?」
「あんたは全てを高い次元で見下ろしてる。上からこう……俯瞰で」
 滝川は右手を上に上げて、上からライトの光が降りてくるように手を動かしてジェスチャーをした。
「釈迦か仙人のようにね」
「釈迦の意味はわかるけど、仙人の意味はわからないわ」
 滝川が簡単に説明すると、ラクロワは隠居した老人だと捉えたようだ。
「当たらずとも遠からずね。おそらく今回のショーンの仕事で、私は第一線から退くつもりだから」
 今度は滝川が顔を怪訝そうに顰めた。
「嘘だろ? あんたなら、まだまだやれるだろうに」
「これでも見た目よりずっとお婆ちゃんなのよ。それに老兵が早く抜けないと、後の者たちが能力を発揮できない」
 滝川はニッと笑った。
「……いい女だな、あんた。俺がそう思った女はあんたが初めてだ」
「お褒めに預かって光栄だわ」
 ラクロワは腕時計に目をやると、「NYに来る際は、必ずエニグマの編集部にいらして。噂のMr.Mitsuと一緒に」と言って席を立った。
 滝川も合わせて席を立ったが、両腕を広げて、「まだ俺の仕事のプレゼンが終わってない」と言った。
 ラクロワはまた笑い声を上げる。
「貴方の仕事なら見た。貴方の会社から打診があった時、ショーンに確かめたら、TVGのCMを見ろって言われたの。ロングバージョンを見たわ。素晴らしい出来だった。貴方は、本当の美しさが何か、きちんとわかっている人よ」
「じゃぁ……」
「でもすぐにOKとは言えない状況よ。ロンドンの会社とも付き合いがあるし、それに貴方が自分のプロフィールに入れていたミラーズ社のCM。うちの者が当時貴方がバイトをしていた制作会社に確認をしたところ、貴方が制作したんじゃないって言い張るの」
 滝川は、わちゃぁと顔を顰めた。
 どうしても仕事が取りたかったから、ハッタリをかますためにもアメリカ本国での仕事としてミラーズ社のCMを作品リストの中に入れていた。
 ハッタリといえども、あれは滝川が撮ったCMなのでハッタリもなにもないのだが、クレジットとしては滝川の名前はどこにもないので、そういう風に確認されると、少々揉めることになる。数あるリストの中の一つだからと甘く見ていたが、エニグマ編集部は固く仕事をするところらしい。
「どちらが嘘をついているのかは明白だけど。揉め事はごめんよ」
「俺が嘘をついてるって?」
 ラクロワは顔を顰めた。
「いいえ。CMの内容とあちらのチーフディレクターのその他の仕事を見比べたわ。ミラーズ社のCMだけ、出来が突出してた」
 滝川がラクロワを見つめるとラクロワは微笑んで、滝川の頬を二回、軽く叩いた。
「貴方の会社がどう解決するか、見ものね」
 ラクロワはそう言うと、ドアを開けて滝川を見送った。

 

この手を離さない act.24 end.

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編集後記


すいません、先週、新着情報のところからのリンクが間違っていた上、23話編集後記の画像アップもちゃんとできていませんしたね(大汗)。
申し訳ありませんでした・・・。今週、ちゃんと直しました。

ヨガを始めたことは先週お話しましたが、なんてことはないポーズ(勇者のポーズ?とか?)で筋肉痛を併発し、平日よぼよぼしております・・・。しかも生徒さんの中ひとりだけ、頭の上から汗をかいている始末で、己の基礎体力のなさを痛感しております・・・。
まぁ、ヨガをやったからといって、痩せたり、頭痛癖が治ったりすることもないんですが、この筋肉痛の様子から鑑みて、
確かにやらないよりやった方がまし。
っていうのはリアルにそうだな・・・と(笑)。
国沢、老後に向けて筋肉貯金に邁進いたします。

さて、今週は本格的に新とラクロワの直接対決のシーンがやってまいりました。
このやりとりのシーン、結構お気に入り。
国沢、仕事のできるキレイな女性を描くことは、割と好きみたい。
国沢も老後はエレナ・ラクロワのような気品のある老婦人になってみたいものです(←40も過ぎてくると老後の話が割と身近な話題になってくるww)。
エレナが初めて登場する『プリセイ』では、彼女は少ししか出てこなかったので、今回ロングバージョンで彼女を描けて、結構満足しています。
ま、エレナの登場シーンはこれだけで終わらないだろうから、ひょっとしたらエレナは『おてて』の方がメインの作品となるかもしれません。
ではまた〜。

2016.10.16.

[国沢]

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