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この手を離さない title

act.10

 怒涛の一日が終わり、定光は全身に重たさを感じながら、四階の休憩フロアに足を踏み入れた。
 窓の外には、ビルの合間から陽が落ちたばかりのオレンジとパープルが混じった美しい夕焼けが見えていた。
 窓際の長椅子で、滝川がゆっくりとタバコを吹かしている。
 定光が黙って滝川の隣に座ると、滝川は窓の外に目をやったまま、「帰ったか?」と訊いてきた。
「ああ……」
 定光がため息にも似た返事を返す。
「TVGも ── 神重ルナも」
 TVG側から今回のキャンペーンキャラクター契約を無効にされた神重は、ことの重大さがやっとわかったようで、当たりはばからず大泣きをした。ようやく酔いが覚めてきたのか、TVGの担当者と協議をするために提供されたパトリック社の会議室で、マネージャーと共に土下座までしていたが、TVG側は決定を覆さなかった。
 TVGは企業としての勢いは衰えているものの、日本国内でも有数の大企業と言える。その仕事に穴を開けた形になってしまった神重ルナは、今後の仕事にも多少ならず影響が出てくるだろう。これでタレント生命を絶たれるまでのことにはならないだろうが、確実に仕事は減るはずだ。この種のミスは直ぐに業界に知れ渡る。
 神重ルナは、この仕事を利用して滝川と火遊びを楽しむつもりが、飛んだ代償を払わされたことになる。
 定光は、会議室での様子を苦々しい思いで見つめた。
 確たる証拠はないが、滝川がこの一件に何かしら関わっていることを定光は確信していたからだ。
 神重ルナは、酔い潰れた時の記憶がなくなっており、誰とどう飲んでいたかの記憶も定かではなかった。神重がそうなることも見越して滝川が手を回していたのなら、大した策士だ。
 普段の滝川を見ている者達は、直情的で単純な行動をすることが常の滝川がそんな細やかな策を練るなど、誰も思ったりはしないだろう。現に今、滝川を疑う人間は、彼の同僚を含め、誰もいない。 ── 唯一、定光を除いて。
 滝川が、今回非常に"紳士的"な態度をTVG側に見せたことが、この一件の裏で滝川が手を下した何よりの証拠のように定光は思えた。
 "突発的な"トラブルが起きても、決して声を荒げるでもなく、常に"ベスト"を尽くす姿勢が、TVG側の厚い信頼を得たことは間違いない。
 TVGの西が最終的な判断を下す前に、プロデューサーの笠山でなくまず滝川に話をしに行ったことが何よりの証拠だ。
 結果、ことは滝川の思惑通りに進んだ。
 クライアントの広報部自らが考えた案を覆すのは、非常に難しい。それが例え愚作であっても、だ。
 だからこそ滝川は、先方が覆ざるを得ない状況を物理的に作った。
 TVG側は"自分達が選択した"と思っているが、定光から見れば、"選択させられた"のだ。滝川に。
「 ── お前、最初っから狙ってたのか」
 定光が重い口調でそう訊くと、滝川が横目で定光を見た。
 定光は滝川に横顔を見せたまま、「今回のこと、全部」と続けた。
 定光は、滝川が「この仕事を受ける」と言った直前の表情を思い起こしていた。
 今回のキャンペーンの主旨が記された企画書のページを読んだ後、パッと顔を上げて、マジマジと定光を見つめてきた。
 あの瞬間に全てのことを思いついていたんだとしたら、やはり滝川の頭の回転の速さは、定光らには到底追いつかない。
 定光は滝川に視線を向け、「新、俺には嘘をつくな」と言った。
 滝川はジッと定光を見た後、ふっと表情を緩めると、「やっぱ、ミツの目はごまかせねぇか」と呟いた。
「お前……、やっぱりか。何をしたんだ?」
「別に。ただ神重んちのポストに、ヤツが好きそうなダンサー系のイケメンVIPパーティーの招待状を投函しただけ」
「それだけ?」
 滝川は両肩を竦め、「それだけ」と答えた。
「パーティーに行くかどうかの選択をしたのは、神重ルナだ。俺だってそこまでコントロールはできねぇよ」
 滝川はそう言ったものの。
 一連の滝川の様子には自信が漲っていた。
 ひょっとしたら滝川は、事前に神重ルナに接触して、彼女がどんな思考タイプの人間か把握していたのかもしれない。
  ── もしそうだとしたら。
 やはり滝川は、定光達が思っている以上に、クレバーな男だということだ。
 直情的で単細胞な普段の姿は彼が"演じている"だけであって、抜け目なく思慮深い姿こそが本当の彼なのかもしれない。
 思えば、時には女性にすら暴力的な素振りを見せる彼が、これまで奇跡的に傷害事件でしょっ引かれずにいるのも、周囲に彼を止める人間がいることきちんと見越し、計算した上で"暴れるパフォーマンスを見せている"んだとしたら。
「新」
「ん?」
「……俺、何だかお前のことが怖くなってきたよ」
 定光が正直にそうぽつりと零すと、滝川は少し視線を下げた。
 しばしの沈黙の後、口を開く。
「お前、TVGにどれだけの人間が働いてるか知ってっか?」
「え?」
「四千人だ。関連企業を含めると、八万。そんな会社の命運をかけたCMに神重ルナが相応しいだなんて、俺はこれっぽっちも思わねぇ」
 滝川はズズッと洟を啜りつつ、タバコを灰皿に押し付けた。
「企業の業績復活をかけたCMがあの絵コンテの内容じゃ、はっきり言って自殺行為だ。俺はこの仕事を受けるって返事した時に、八万人の生活を背負ったんだなって思ったよ。この仕事には、それだけの重みがあった。それなのに、あのオッパイ星人は、それを自分の欲を満たす目的だけに利用しようとした訳だ」
 定光は、滝川を見入る。
「 ── やっぱりお前、事前に神重ルナに会ったんだな……?」
 滝川はその質問には答えず、新たなタバコに火をつけると、
「俺、ちっさい頃、TVG製のメタルテープで音楽聴くの、割と好きだったんだよな」
 と呟いた。
 メタルテープは、時代の流れと共に2001年製造が中止になった製品だ。
 TVGも当時は非常に品質のいいメタルテープを生産しており、音楽業界での評価も高かった。
 定光の世代は、オーディオに関しては既にデータ化された音を聴くのが当たり前になっていたため、あいにく定光はメタルテープの音に触れる機会はなかったが、滝川はどうやらそうではなかったらしい。
 滝川は自分の家庭事情を一切話そうとしないので詳しいことはわからないが、家族の誰かが使っていたのだろう。
「 ── それに、今回の音楽プレイヤーも、結構頑張って作ってたしな。そんな会社が、広報部のボンクラ達のセンスのなさだけでみすみす潰れていくのを見るのは忍びなかったんだよ、俺は」
「新……」
「それでもお前、俺のこと怖いって言うか?」
 滝川が定光のことを推し量るように見つめてくる。
 定光は首を横に振った。
 滝川がにこっと笑って、定光の頭をくしゃくしゃとかき混ぜる。
 定光はその手を避けながら、「でも、その代わりに俺なんかを撮ったって、その八万人とやらを救えるのか?」と訊いた。
 滝川は口を尖らせる。
「俺を信じろっつったろ?」
 滝川はタバコを消し、立ち上がると、大きく伸びをした。
「救うどころか、CMが放送された途端、業績はV字回復すると思うぜ」
 滝川は「TVGのV!」とおどけたポーズを取りながら、休憩フロアを出て行ったのだった。


 滝川の宣言通り、TVG社が復活をかけて制作したCMは、公開が始まった途端、話題騒然となった。
 "あなたの忘れていた感動を揺さぶる音"
 そんなキャンペーンコピーを冠した一連の広告展開は、CMはおろか駅の大型ポスターや電車の中吊り広告にも波及し、街には滝川が撮った画像で溢れた。
 若く美しい"無名の男性モデル"の目に涙が浮かんだ瞬間を切り取ったポスターは、複数の駅で盗難騒ぎにあい、TVG社は急遽ポスターを増し刷りする羽目となってしまった。
 当初の予定では、携帯音楽プレイヤーの発売宣伝として考えられたこの企画は、CMディレクター滝川新の提案により、TVG社自体のイメージ広告として企画内容を変更した。だが、CM内で幾度となく映る音楽プレイヤーへの問い合わせが殺到し、一時TVG社の製品情報を掲載したサイトは、アクセス数の急増で一時システムがダウンしかけ、製品の発売日には各メディアがCMと共に製品の紹介コーナーを設ける程の反響があった。
 CMは、丁度TVGが国際的なスポーツ大会のスポンサーを務めていたため、大会期間中に集中して放映されたが、それも効果的だった。
 CM使用されたクィーンの楽曲はリバイバルヒットの兆しを見せ、CM公開が始まった週のダウンロード数は急増した。
 その後パトリック社には、TVG社からの依頼で、五分三十秒フルバージョンのCM制作も依頼された。
 滝川が編集室に二日こもり、編集し直したフルバージョンは、TVG社サイトで公開されるやいなや新たな話題を提供することとなり、その時ばかりは完全にTVG社のサイトがダウンした。
 TVGが繰り出した一連の復活キャンペーンは、ロングランでヒットし続け、ネットには、TVG社サイトからコピーしたと思しき動画が、YouTubeやニコニコ動画にもアップされ、様々なコメントが寄せられた。
 その内容は、CMの内容に感動した、というコメントもさることながら、CMに登場した"国籍不明の謎の美形モデル"にも言及され、彼のピュアな美しさは熱狂的に大絶賛された。
 一方、当の定光はといえば……。


 「ミツさん、トライデントの社長から、めちゃめちゃ熱烈なメールが来てるじゃないですか」
 村上が、定光のデスクのノートパソコンを覗き込んで、笑い混じりの声を上げた。
「えぇ?」
 小道具の入った段ボールをオフィスの一画に下ろしながら、定光は顔を顰めた。
「なんだって?」
「トライデント社の北見さんから、テンションMAXのメールが来てます」
 定光はハァとため息をつきながら、村上がしているようにパソコンの画面を覗き込んだ。
 画面には、「さだみちゅちゃん、CMロングヴァージョンやっと観れたよ!最高にキレイ! 愛してる!」との文字。
「……ホントにミツさん、トライデントで何もなかったんですかぁ?」
 村上に横目で見られ、定光は村上の頬をムギューと押し除けた。
「何もなかったっつったろ?! ホントだって!」
 アハハハハと村上が笑う。
「でも、あのCMのミツさんは、本当に美しいと思います。あ、もちろん、いつでもミツさんはキレイですけど」
 別のプロダクションマネージャーの下で働いている女性スタッフの島崎希が、両手を前で握りあわせた乙女のポーズをしながらそう言った。
「まぁなぁ。俺でもちょっとぐらりと来ちゃったもん♡」
 村上も希と同じポーズを取りながら、横に並ぶ。
「村上、本当に気持ち悪いから、それやめて」
 定光が再び深いため息をつきながら、自分の席に座った。
「お陰で俺は、電車通勤できなくなったんだぞ。定期もまだ使い切ってなかったのに」
 定光は両手で顔を擦りながら、そう愚痴た。
 現在、定光はCM人気の煽りを受け、会社から電車通勤禁止の命を受けていた。
 CMに登場する"男性モデル"の神秘性を保つため、TVGがモデルの正体を明かさない方針を決定したのと、何より定光の身を守るためだった。
 いくらカラーコンタクトで瞳の色を変えていたとはいえ、大々的にポスターが貼られている駅構内を定光が歩けば、途端にバレて凄い騒ぎになるに決まっている。
 定光の通常の仕事も、熱りが冷めるまで、外勤仕事は村上や他のプロダクションマネージャーに任せ、内勤することになっていた。
 したがって定光の通勤は、現在なんと滝川がバイクで送り迎えをしている。
 "定光をハメた"責任を取れと社長の山岸が命じた。
 その副産効果というか。
 お陰で滝川の生活が規則正しくなり、無断欠勤がなくなった。
 皮肉なものだ。
 山岸は、「こんなことなら、もっと早くから定光の送り迎えを滝川にさせるべきだった」と言って、周囲の者の笑いを誘った。
「でも、この世でミツさんの美しさを一番理解してるのは、やっぱり新さんだってことが証明されましたよね」
 希が、なおも熱の籠った目で天を仰ぎながら、そう言う。
 定光はデスクの上に頬杖をつきながら、夢を見ているような様子の希を見上げた。
「さすが新さんだわ〜! 審美眼が違うというか、クリエイターとしての腕が違うというか、想いの込めようが違うというか……」
「アイツは前からヴィジュアル思考が強いから、そういうのが得意なんだよ。単にアイツが興味をそそられたものを美しく撮る天才というか」
 定光がそう言うと、「ショック!」と希が叫んだ。
「ミツさんが、そんな表面的な評価を新さんに対して持っていただなんて!」
「表面的?」
「そうですよ! ただ単にあのCMが美しい画像だけを表現しているものなら、こんなにヒットしてません。ミツさんの内面の美しさまでもきちんと表現できてるから、心揺さぶられるんです! なんでそこんとこ、わっかんないかなぁ」
 ── なんだか俺、説教されてる?
 定光は、ぽかんと希を見つめた。
「男は習性として、目の前のモノに気がつかないのよ。例えば、目の前のテーブルにある小銭とか、カーテンレールに引っ掛けてあるジャケットとか。ミツさんだって、そこんとこは普通の男だからさ。見えないのよ。新さんの存在が近過ぎて」
 村上が憂いを帯びた表情を大袈裟に浮かべてそう言うと、「なるほど」と希が腕組みをしてウンウンと頷いた。
「だから気づかないんですねぇ。 ── 新さん、マジかわいそー」
「気づかない? 気づかないって、何に?」
 定光が身体を起こしてそう訊いた時、定光のデスクの電話が鳴った。
 光っているボタンを見ると、それは受付からの内線電話だった。
「はい。映像制作部オフィス」
 定光が電話に出ると、「滝川さんにお客様です」と受付嬢がそう伝えてきた。
 定光は、パソコンの画面にスケジュール表を表示させ、滝川の欄を確認した。
 滝川はTVGのCM以来、まだ新な顧客を抱えていないから、今日は社内のどこかでゴロゴロしているはずだ。特に来客の予定はない。
「 ── アポイント取ってるか訊いてくれる?」
 定光がそう返すと、しばらくの間の後、「いえ、取られてないそうです」との返事が返ってきた。
「ノーアポかぁ……。どこの人?」
 定光が多少警戒しながらそう訊くと、受付嬢はこう言った。
「滝川さんのお母様だと名乗られています」

 

この手を離さない act.10 end.

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編集後記

夏風邪、全然治りませんわ〜〜〜〜〜(汗)。
むしろこの一週間が山場だったというか。
メール配信も遅れ気味になってしまいました。すみません。

体調が万全でないと、面白いギャグも浮かびませんわ・・・。
いや、浮かぶ必要もないんですけどね・・・。一般人なんで。
とはいえ、編集後記も今ひとつ良いネタが浮かばないので、普通に国沢お気に入りの心の栄養になりそうなストテン画像を貼っつけてやろうと思います。


デビューして間もない頃と思しきの貴重な写真。
この頃は若くてピチピチだったから、エ◯ックの顔もホッペがパンパンwww
エ◯ックは若い頃より年取った時の方が美しさに磨きがかかってくる・・・。
一方、ス◯ットは、若い時の方がやんちゃでカワイイ。
しかもこの頃の写真は、大抵悪そうな顔つきで写真に写ってる事の方が多いから、こういう穏やかな顔つきで写真に写ってるのは珍しい。
デ◯ーン兄ちゃんは、若いころの方が痩せててカワイイ。
反面、弟のロ◯ートは、年取ってからの方が、断然いろいろ面白いwww


あ、あかん・・・。本筋からそれてきている・・・。
美しい写真だけを貼るつもりだったのに・・・。

あと、この写真も好きです。


これはおそらくス◯ットの晩年に近い頃の写真じゃないかと思います。
彼のお母さんと写った写真。
まるで絵画のようで、とても美しい。
こんな写真見てると、つくづく「どうして死んじゃったんだよぉ、ス◯ット」と愚痴りたくなる。
そういや、次週はくしくも新の母親が登場する回ですね。
新はおそらく母親とは絶対にこのような写真は撮れない間柄です。
その訳は次週をお待ちいただくとして・・・。

最後は、一番お気に入りの写真でフィニッシュ。


禁断の男子同志のキスシーンなんですけど、何度見てもエ◯ックがカワイイやら美しいやらで、見とれてしまう。
まるでラプンツェルかなにかのよう・・・。
これ、マジチューですよね(笑)。
冗談でこんなチューする???
お察しの通り、このチュー写真があったから、「この手を離さない」が産み出されたみたいなものです。

ではまた〜。

2016.7.10.

[国沢]

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