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act.84

<side-CHIHARU>

 シノさんを会社の前まで迎えに行くと、まだ就業時間中だというのに、なぜか会社のエントランスに無関係・・・と思われる社員さん ── ほとんど女子社員 ── がたくさんいた。
 僕は車から降りて、手にいっぱい荷物を持っているシノさんのために車のドアを開ける。後部座席に荷物を入れるシノさんを横目で見ながら、エントランスの方に僕が顔を向けた瞬間、遠くでキャーと黄色い声が上がった。
「シノさん、あれ、なに?」
「ん?」
 シノさんが同じ方向を見ると、またもキャーと声が上がった。
 シノさんは苦笑いする。
「さっきのは冷やかしの声。最初のはアイドルに向けての歓声」
「アイドル?!」
 僕が怪訝そうに顔を顰めると、シノさんは僕を指差して「アイドル」と繰り返した。
 僕はハァと溜め息をつく。
  ── 僕はシノさんの会社でまでアイドル扱いされてるのか・・・。  
 最近マスコミへの露出を意識的に増やしているので、そういう弊害が出てくるということか。
「おい、みんな働けって! 社長に怒られるぞ!」
 シノさんがエントランスに向かって怒鳴ると、笑い声が沸き起こって、女性社員の視線が受付カウンターに向かった。
 よく見ると加寿宮社長が女子社員に紛れてそこにいた。バツが悪そうに苦笑いする社長を女子社員全員が爆笑しながら指差している。 
「ダメだこりゃ。我が社は本当に大丈夫なんだろうか」
 シノさんが呆れ顔で首を左右に振る。
 意外に加寿宮社長もミーハーなんだな(汗)。
 ということで、多くの社員に見送られながら、僕らは柿谷に向けて出発した。


 通いなれた道を通って柿谷に到着すると、駐車場に見慣れない車が停まっていた。
 それを見てシノさんが「おっ!」と声を上げる。
「もうついたんだ」
 シノさんがそう言ったので、僕はピンときた。
「あ、妹さん?」
「そうそう」
 妹さんからシノさんに連絡があったのは、一ヶ月前のことだ。
 去年の五月に産まれた茜ちゃんの顔見せに家族で上京したいとの話を受けて、シノさんは「家族旅行もかねて来るんなら、奥塩原までくればいい」と今回の出版記念パーティーに誘ったのだ。
 駐車場から事務所の方に回ると、事務所に併設された直販所に幾人ものお客さんの姿が見えた。そこで忙しく立ち回る百合枝さんを微笑ましく眺めながら、事務所の中に入る。
「あ~、ようやく今日の主役の到着やね」
 おかみさんが朗らかな笑顔を浮かべて出迎えてくれる。
「今日もお客さんがひっきりなしですね」
 僕がカウンター越しに見える直販所を見やりながら言うと、おかみさんは「なんもかんも千春君のお陰よね」と答えた。
 幸いなことに、僕の書いた小説が予想以上に好評を得たお陰か、一時倒産寸前まで落ち込んだ売り上げはV字回復を見せ、小さな直販所を増設するまでになった。
 以前は直販なんて思いもよらなかったそうだが、小説の連載が始まって、あの小説のモデルが柿谷酒造であることを僕が至る所で公言しまわった頃から、柿谷を直接尋ねてくる観光客がぽつぽつ出始め、今では平日でも数人お客が来るようになったのだという。
 今日は金曜日なのでまだ余裕があるが、休日ともなると小さな直販所の中は観光客でごった返すらしい。酒蔵見学の申し込みもかなり入るようで、案内担当の新しい社員を雇うまでになっていた。
 考えてみれば、主役以外はすべて柿谷酒造の実在の人物をモデルにしているので、読者からすれば「ああ、これがあのキャラクターのモデルの人か」とちょっと得した気分になるらしい。
 僕もまさかそこまですぐに効果が現れるとは思わなかったが、柿谷酒造の皆の頑張りもあって、ここまで来たという感じだ。実際、リピート客も来ているとのことだから、それはひとえに柿谷の皆の努力の成果だといえる。僕はただ、きっかけを作ったに過ぎない訳だから。
 事務所の奥の茶の間に入ると、「お兄ちゃん、遅かったじゃな~い!」と妹の美優さんの声がした。
「俊ちゃ~ん」
 甥っ子のハルくんの声もして、早速シノさんにくっついている。
 美優さんによると、寂しがり屋体質でくっつき魔なのは、篠田家男子の遺伝子らしい。シノさんにももちろん、その気がある。
「はじめまして」
 今回初めて顔をあわせる美優さんのご主人と挨拶を交わす。
 しかしご主人は、僕の顔を見た瞬間に鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきをして、固まってしまった。
「ど、どうした、枝重君」
 さすがのシノさんも、怪訝そうにご主人を見る。
  ── ひょっとしたら、本物のゲイを見て、恐れをなしているのだろうか。
 美優さんの家族には、僕がシノさんの伴侶として一緒に暮らしていることはもう知っている。
 でも一般の人は、頭でわかっていても生理的に受け付けられない人の方が多いはずだ。
 そういう人の反応には慣れているつもりだが、シノさんの親族にあたる人にそういう反応をされると、やはり申し訳なく思う。
 しかし、実際は僕が思っていたこととは違うらしい。
 その様子を美優さんが呆れ顔で眺めた後、自分の旦那さんの背中をバチンと叩いて、「この人、千春さんがあんまり美人だから、ビックリしちゃってるんですよ。そういう免疫全くないから、この人」と口を尖らせた。
 背中を勢いよく叩かれた枝重さんは、ゴホゴホと派手に咳き込んだ。
「あらあら。まぁ、千春君に最初に会う人は、まずそうなるわね。私達もそうじゃったもの」
 おかみさんがコロコロと笑った。
「す、すみません・・」
 枝重さんはか弱い声でそう言った後、頭を下げた。やはりなんだかこちらが申し訳なく思えてくる。
「いや、こちらこそ、何かすみません」
 シノさんといることで素直に謝れる技を習得した僕は、枝重さんと同じように頭を下げた。
 益々口を尖らせた美優さんが「千春さんは謝らなくていいの」と言った。
「お前、少しは旦那様を大切にしろよ」
 呆れ顔のシノさんに、「大切にしてるわよ~」とやり返す美優さんを見ていたらおかしくなって、思わず笑ってしまう。
 シノさんの周囲の女性は、美優さんにしても加寿宮の田中さんにしても、しっかり者というか、多少気が強くて物怖じしないタイプの女性が多いらしい。
「あれ? それより茜は?」
「あ、茜? あそこあそこ」
 美優さんが笑いながら茶の間の奥を指差す。
 茶の間の奥の廊下を覗き込むと、なんと柿谷の親父さんが茜ちゃんを抱き上げてあやしていた。
 日頃まったくといっていい程見せたことのない、柔和な・・・というよりは”でれり”とした顔つきで、「お~、可愛い子やのぉ。おお、そうかそうか、ご機嫌でちゅか~」と言いながら、茜ちゃんを揺すっている。
「な、なんか見たらいけないものを見てしまったような気がする」
 シノさんが隣で呟く。
「僕も同感です」
  ── 知らなかった。柿谷の親父さんがあんなに子煩悩な人だとは。
「赤ん坊見るのが久しぶりやからねぇ」
 百合枝さんと和人さん夫婦には子どもがまだいないので、ひょっとしたら征夫さんをあやした時以来なのかもしれない。
「お兄ちゃん、私達、宿に荷物を置きに行ってくるから、ハルと茜を見ていてもらってもいい?」
「ああ、いいぞ。ついでに夫婦水入らずで温泉入ってこいよ。宴会は柿谷の仕事が終わった七時頃からだから」
「えぇ! いいの? じゃ、お言葉に甘えようかな。じゃ、すみません、お願いします~」
 おかみさんに挨拶をした後、枝重夫婦は楽しそうに腕を組んで事務所を出て行った。
 なんだかんだ言って、夫婦仲は良好ということか。


 その後、僕はおかみさんの台所仕事を手伝った。
 おかみさんには「今日の主賓なんだから、座っていて」と言われたが、今夜は柿谷で働いている皆もほぼ全員参加となっているので、人数分のごちそうを構えるのは大変だ。いくら女性社員総出で手伝っても一苦労だろう。
 町の食堂で働くとこんな感じなのかなっていうくらい多量の唐揚げを揚げ続け、肉を焼き、野菜を切りまくった。
 大体の料理が整ってきたところで、僕は早々に台所から追い出されてしまう。
 なんだかどうも、秘密の何かがあるみたい。
 僕はクスクスと笑いながら、母屋の二階に上がった。
 二階の和室は襖が取り払われ、大きな一続きの広間と変わっていた。
 壁には晒の横断幕に墨文字で『千春君、”だいじ”出版おめでとうございます!』と書いてあった。
 僕はそれを見て顔がカッカと熱くなるのを感じた。
「なに?! この恥ずかしい横断幕!!」
 横断幕を晴れ晴れとした様子で眺めていた杜氏の斉藤さんと新人の伊藤君が、同時に振り返る。
「おー、チハさん、来たか来たか」
 斉藤さんが男臭い顔をくしゃくしゃにしながら笑顔を浮かべた。
  ── ちなみに、『チハさん』と奇妙なあだ名で僕を呼ぶのは斉藤さんだけだ。
「これ何?! 誰の発案? ・・・って、斉藤さんの顔つき見てたら丸わかりだけど」
「上等だべ? 伊藤は習字が三段の腕前だから、よく書けとろうが」
「やめてくださいよ、こんなの。恥ずかしい」
「なんも恥ずかしいことあるかぁ。立派なことしたんやけぇ、これぐらいのことせにゃ」
 なぁと伊藤君を見る斉藤さんに、う、うん・・・と頷く伊藤君。
 伊藤君は半年前に就職したばかりの若者で、基本斉藤さんの忠実な子分という位置づけだ。彼が斉藤さんに逆らえるはずがない。
「この後これも飾り付けするから。もうちょっと見場はよくなるはずだべ」
 斉藤さんの手にしている大きな紙袋の中には折り紙で作ったと思われるカラフルな飾りがたくさん入っていた。
「まぁ安心して俺らに任せときゃええから。さぁ、あっち行った行った」
 斉藤さんに力一杯肩を叩かれて、思わず僕は気を失いそうになる。
 はっきりいって、僕の人生にこれまでお目にかかることが一切なかったアイテム達だ。
 結局僕は大広間も追い出され、更に酒蔵には相変わらずお客さんがいっぱいで、そこに僕が姿を現すわけにも行かず、巡り巡って最初の茶の間に帰ってきた。
「あはは。いろんなところで追い出されてきたか」
 シノさんは、僕の表情を見てそう言った。
 いつもは鈍感なシノさんだけど、僕の表情についてはシノさん鋭いことがある。
「なんか皆、ソワソワしてるんだもの。パーティーっていったって、いつものメンツが集まっての飲み会でしょ? どうしてこうなるんだか」
 溜め息をつきながらシノさんの隣に座ると、シノさんは「いつもと一緒じゃないよ。今日は柿谷にとっても特別な日なんだ」と嬉しそうに呟いた。
「そんなものですかね」
 僕はそう呟きながら、胡座をかいて座るシノさんの膝元を覗き込んだ。
 そこには茜ちゃんがさっきまで泣いていたような顔つきで盛んに手足を動かしている。
「あれ? 茜ちゃん、どうしたの?」
「ん? ああ、オムツ替えてたんだよ。さすがに親父さんにオムツ替えまでは無理だった」
 シノさんはそう言いながら、慣れた手つきで茜ちゃんの衣服を整え、抱き上げてあやした。
 そうか。よく考えると、ハルくんの面倒もシノさんがよくみていたって美優さんが言ってたっけ。
 シノさんの安定の抱き方に、僕は思わず心臓がギュッとなってしまった。
 赤ちゃんを抱いているシノさんの姿にときめいたり、優しく赤ちゃんをあやすシノさんに僕は彼の子どもを抱かせてあげることができないんだと思ったり。
 ポジティブな思いとネガティブな思いが一気に溢れ出てきて、僕はなんとも言えない気持ちになった。
  ── でも、やっぱり最後には、ネガティブが勝って。
 僕はこの人から、子どもを得る喜びを奪ってしまったんだなぁと実感した。
「ん? 千春、どうした?」
 何とも言えない顔つきで僕はシノさんと茜ちゃんを見ていたらしい。
 シノさんは怪訝そうに僕の顔を覗き込んだ。
 僕は溜め息をつく。
  ── 僕らの間で隠し事はしないというルールを作ったのは僕の方。
 内心とても言い辛かったけど、僕は白状した。
「シノさんの子ども、産めなくてごめんね」
 シノさんはきょとんとした顔をして、そして直ぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「そんなこと気にしてたのか?」
「そんなことって・・・。結構大切なことでしょ?」
「俺にとっては、”そんなこと”、だよ。篠田の血はこうして美優がどんどん繋いでくれてるんだから、途切れるわけじゃないし。俺はそんなこと気にしたこともない」
 シノさんったら、本当になんてことないように言う。
 何だか深刻なのは僕一人って感じで、僕の方がおかしいのかって思えてきてしまう。
「それよりほら、抱いてみたら? 赤ちゃん」
「え?! ちょっ、ま、無理、無理無理!」
「大丈夫だって。こうやって持てば」
「え?! ええ?!!!」
 焦る僕を余所に、シノさんはあっという間に僕の手に茜ちゃんを持たせた。
「こ、怖い・・・・」
 茜ちゃんは余りにも小さくて柔らかくて・・・。
「大丈夫だよ。そうやって持てば、落とすことはないから。茜もちゃんと収まってて、機嫌良さそうだし」
 シノさんにそう言われ、両手の中の茜ちゃんに目を落とすと、確かに茜ちゃんは機嫌良さそうに「う~あ~、だぁーだぁー」と声を上げた。
  ── か、かわいい・・・。というか、温かいし、何だか甘い香りがする・・・。今まで嗅いだことのない匂い。
「やっぱコイツも女の子なんだなぁ~・・・。さっきまであんなに泣いてたのに、もう千春に愛想ふりまいてるよ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。だって笑ってるじゃん」
 確かに時折笑顔を浮かべて、盛んに声を上げる。
  ── あ、小さい歯がもう生えてる・・・。
 何だか感動。というか、母性や父性などと一切縁のなかった僕が、赤ちゃんを抱いて、こんなに温かい感情を覚えることになろうとは。にわかに信じられない。
「かわいいー・・・かわいいー・・・」
 知らぬ間に僕は『かわいい』を連発していたらしい。
 シノさんはさもおかしそうに笑った。
「案外千春、赤ん坊抱くの似合ってる」
「この子、このまま連れて帰ったら美優さん怒るかな?」
「 ── うん、千春、それは立派な犯罪になるな」
「ですよね」
 その時、外で遊んでいたハルくんが茶の間に帰ってきた。
「俊ちゃぁ~ん、見てぇ~。カエル捕まえた~」
 丁度茶の間にいた百合枝さんが「ギャー」と悲鳴を上げたのだった。


 夜に開催された宴会は、盛大なものとなった。
 その場にいる人達皆が笑顔で、笑い声が絶えない。
 最初は、今日午前中にあった出版記念のトークショーの映像を見ながら、あれやこれや話していたのだが、そのうち次第に柿谷酒造の中で誰が一番僕にこっぴどく怒られたことがあるのかを互いに自慢し合う話に変わっていって、結局一番凄いのはシノさんだってことになり、大爆笑の渦になった。
「そんなに僕って鬼ですか?」
 思わず僕がそう悲鳴を上げるほどだ。
「最近じゃぁ、親父さんですら、チハさんに怒られてないと落ち着かないって言ってるぐらいだもんなぁ!」
 まぁ、確かに僕の毒舌は今に始まったことじゃないですけどね。
 そして女性陣が秘密にしていたものは、手作りのケーキだった。
 田舎のしかも年配の女性達が、ああでもないこうでもないと頭を付き合わせて作ったんだろう。
 もったりとした生クリームに包まれたそのケーキには、なぜか火の点いたロウソクまで立てられていて、僕は思わず吹き出した。
「僕、誕生日じゃないですよ」
 また笑いが起きる。
 隣に座っていたシノさんが、「いいじゃん。誕生日みたいなものだよ。お祝いお祝い」とまたあの純粋無垢な柴犬のような瞳で僕を見る。
「はい! 早くふ~ってして! ロウソクが溶けちゃう!」
 百合枝さんが声を上げる。
 皆が一様に僕の顔を、期待を込めて見ている。
 その場にいる全員が豆芝のように見えてきた。
 仕方なく僕がロウソクの火を吹き消すと、ワァッと歓声が上がり、拍手が沸き起こった。
 僕は思わず吹き出してしまう。
  ── まぁ、確かに僕は、今日生まれ変わったみたいなものかもしれないな。
 しっかり甘い素朴なケーキをみんなで楽しんで、ケーキと日本酒の取り合わせはキツいと笑い合っていた時、不意にシノさんが中座して、しばらくしてから戻ってきた。
 トイレかな?と思っていたら。
 出入り口の襖を開けて、シノさんは「今度は俺からサプライズ」と言った。
 皆がその声にシノさんの方を振り返ると、襖を大きく開けた後ろから現れたのは、征夫さんだった。
「征夫!」
 百合枝さんが驚きの声でそう叫んだ後、その場が思わずシンとした。
 征夫さんはあの一件以来、柿谷に姿を見せたことはなかった。
 二年と数ヶ月ぶりの再会だった。
 僕は正直、あまり征夫さんを見る機会が少なかったので確かなことは言えないのだが、そんな僕でも思わず息を飲む程、征夫さんは日に焼けて引き締まり、以前の彼とは別人のような風貌に変わっていた。
 そしてよく見ると、征夫さんの後ろに女性が。
 僕はピンと来る。
 おそらく、シノさんが話していた綾子さんという女性だろう。
 そして彼女は、誰が見てもそれとわかるように、お腹が少し膨らんでいた。
「俺が招待したんです。さ、征夫さん、綾子さん、入って入って」
 シノさんはそう言って征夫さんを促したが、彼は躊躇った表情を浮かべた。
 無理もない。
 あんな風にしてここを出て行ったのだから、ここまで来ただけでも相当の勇気が必要だっただろう。
 現にさっきまで大騒ぎだった大広間は、シンと静まり返っていた。
 その空気を感じ取った征夫さんは一歩だけ部屋の中に入り、「今日は謝りにだけ来ただけだから、直ぐに帰ります」と言った。
「親父・・・」
 征夫さんが謝罪を口にし始めたと同時に、親父さんが「綾子さんと言ったかね」と遮るように声を上げた。
「え?」
 征夫さんとシノさんが綾子さんの方に視線をやる。
 綾子さんも慌てた様子で部屋に姿を見せると、「は、はい。綾子と申します」と頭を下げた。
「お腹が大きいが、子どもがお腹におるのかね」
 さすが親父さん、直球で訊く。
「お父さん・・・!」
 親父さんを咎める百合枝さんの声もなんのそので、「征夫の子かね」と言う。
「は、はい。申し訳ありません・・・。本当なら、ご挨拶してから・・・」
「何が申し訳ないかね。妊婦さんやのに遠くから車で来たのやろ。五月いうても栃木はまだ冷えますから、早うこっちへ入ってこんかね」
「は・・・」
 親父さんの言葉で、おかみさんが動いた。
「そうよ。早う早う。こっちへ入ってきて。ここが一番温かいところやけ」
「はい・・・」
 綾子さんは皆に導かれ、大広間の奥に案内される。
 その様子をポカンと見ていた征夫さんは、早速親父さんにどやされた。
「征夫、お前そこで何をしとる。お前も綾子さんの隣に来んか。お前が身重の女房の面倒をみんでどうするか」
「は、はぁ・・・」
 あれよあれよという間に、征夫さんと綾子さんは親父さんの隣に座らされた。
 親父さんは、おかみさんに「おい、魚雅に行って、上等な魚買うてこい」と言った。
 その台詞に、一同ドッと声を上げて笑った。
「親父さん、なんぼ言うても魚雅はもう閉まっとるべな」
「そうやそうや。開いとる訳がない」
「そう言うたって、征夫が嫁を連れてきとるのに、刺身の一盛りもないなんて恥ずかしい。皆、さっき食べた刺身、口から出して戻さんか」
「そんなの無理に決まっとる!!」
 またドッと大広間が湧いた。
 皆、征夫さんを受け入れていた。
 征夫さんに反感を抱いていた斉藤さんでさえ、心の底から笑っていた。
 征夫さんの逞しく日焼した風貌が、柿谷を出てから彼が今までなし得てきた道をよく示していて、きっと斉藤さんにもそれが伝わったんだろう。だって、以前の彼はちょっと小太りで色白のいかにもどら息子といった風情だったし、今の彼は完全に別人だったから。
「伊藤君、すまんけど翡翠荘まで行ってくれんかね。あそこになら、お刺身にできる魚が余っとるかもしれん。私がちょっと電話をかけてみるけぇ」
 おかみさんがそう言ったので、親父さんの機嫌がよくなった。
 そして宴会は益々盛り上がる。
 斉藤さん達若い衆の奇妙な”祝いの舞”に場が爆笑している最中、征夫さんは親父さんに一升瓶を渡しながら盛んに何かを話して、頭を下げていた。
「あれ、征夫さんが初めて仕込んだ酒」
 僕の耳元でシノさんが呟く。
「そうなんですか?」
「ああ。やっと醸造許可書が取れたんだってさ」
 シノさんはそう言って、幸せそうに微笑んだ。
 シノさんの話によると、川島さんに状況を逐一報告してもらっていたらしい。
「俺も次の休みの日に、川島に会いに行こうと思ってるんだ。 ── 千春も来る?」
「え?  ── いいの?」
 シノさんは僕にしっかり視線を合わせると、「むしろ、一緒についてきてほしい」と力強く言った。
 まるで、「一生、俺についてこい」って言われたような気がして。
 僕の頬はカッと熱くなった。
「あ~~~! あのチハさんの顔が赤くなっとる!! ついにチハさんが酔うたところを見たぞ~~~~~!!!」
 完全に酒に飲まれた状態の斉藤さんが奇声を上げた。
 その声に今まで寝ていた茜ちゃんがびっくりして、泣き声を上げる。
「ほら~~~! 斉藤君もええ加減にせんと、赤ちゃんがびっくりしとるやろうが」
 周りの人達に次々と小突かれる斉藤さんに、また笑い声が上がった。
  ── よかった。話題が僕からずれて。あのまま追求されてたら、またとんでもない窮地に追いやられることになっていた。
 隣のシノさんも、斉藤さんの様子に大笑いしている。
 シノさんの向こうにも、笑顔、笑顔、笑顔。
 反対側もみんな笑顔。
 この僕が。
 人の縁は愚か、親の縁からもほど遠かったこの僕が、こうして大勢の温かな笑顔に囲まれている。
 こんな懐が大きくて温かい場所、僕は今まで知らなかった。
 まるで、小春日和の日にひなたぼっこをしているみたいに。
 寂しさの向こうからシノさんが連れてきてくれたのは、大きな”お日様”だった。
 ちょっとムズ痒いけど、僕は今、このあり得ない程温かいホームドラマの渦中にいる。
 柿谷のこの人達と、そして隣でバカがつくほど幸せそうな笑顔を浮かべている篠田俊介、この人と。
 僕は一緒に生きていく。

<END>

 

here comes the sun end.

泣きの1回 NOVEL MENU webclap

編集後記

終わりました~~~~。
シノさんと千春の長い旅路は続きますが、私の彼らを追う旅は一応、終わり。
とはいえ、あとおまけで1話、ステルス更新するかもしれません。次週ではないかもしれませんが。

オルラブが終わった時は、次にヒヤカムを書くつもりでいたのでさほど感慨深いものはありませんでしたが、流石に今回はジーンとしています。
オルラブとヒヤカム併せて125話(おまけを入れたら、もうちょっと多い)ですから、やっぱ長いよね(笑)。
最後までお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました!
考えてみれば、ひとつのカップルでこれほどエロを書きまくったことはありませんwwwww
おばさん、妄想膨らみ過ぎですよね(脂汗)。
でもまぁ、幸せのお裾分けと思って、多いにお裾分けされました。この二人には。
むろん、モデルになってくれた(というか一歩的に国沢がモデルにしたんだけど)あの方々にも感謝感謝でございます。

ということで、一旦定期更新はお休みに入ります。
次は、放りっぱなしの『接続』をなんとかしたい・・・。
テーマがでか過ぎて、首が回らなくなったアイツと向き合えるかどうかが、国沢の新たなる課題です(汗)。
てか、あっちはこっちと違って、悲しい程エロがないんだよなぁ・・・。
ま、別に大人シーンを書きたくってしかたがない訳じゃありませんが(笑)。

次回復帰がいつになるかはわかりませんが、少し長い間、お休みを頂くつもりです。

これまで長い間読んでいただき、ありがとうございました!

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

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