irregular a.o.ロゴ

nothing to lose title

act.81

<side-SHINO>

 思えば、今日俺が加寿宮から乗ってきた車は、まだ会社のロゴを車体に貼っていない新車で、川島達が車を見てもすぐには持ち主がわからなかったんだろう。
 なんの警戒心もなく事務所に入ってきた二人は、俺の顔を見るなり、心底驚いた顔をした。
「なっ、なんで・・・」
 川島はそう声を発したが、その先を繋げることができなかった。
 おそらく、「なんでお前がここにいるのか」か「なんでここがわかったのか」か。
 川島も征夫さんもかなり動揺していたが、俺は逆に変なもので、妙に落ち着いていた。
 俺が椅子から立ち上がると、征夫さんに身体を向けて、「ご無沙汰しています」と頭を下げた。
「あ、ああ・・・」
 征夫さんは途端に気が抜けたような表情になって、同じように頭を下げた。
 行方がわからなくなっていた間、何があったのかわからないが、征夫さんは少し痩せていた。
 以前は奥さんに体型が似てて少し堅太りだったが、目の前の征夫さんは顎のラインが見えるくらい一回り細くなっていた。
 だがそれは、不健康そうにやつれたというよりも、以前以上に肉体労働をこなした結果痩せたというような雰囲気だった。
 それは、なぜか川島もそうだった。
 贅肉でぽちゃついていた川島のお腹も、上着から垣間見える感じではぺったんこになってた。
 そして二人とも引き締まって見えるのは、二人してよく日焼しているせいだろうか。この冬の厳しい時期だというのに。
「川島・・・」
 俺が声をかけると、川島はみるみる顔をしわくちゃにして、「わかってる!」と俺の声を遮った。
「お前の言いたいことは、わかってる。 ── よく・・・わかってる・・・」
 バツが悪そうに肩を落とす川島と征夫さんを、小岩さんは戸惑った表情で見ていた。
 ひょっとしたら、小岩さんはこの二人がどこからどんな風にして酒をここに持ち込んだのか、正しい情報を知らされていないのかもしれない、と思った。だからこそ、俺に対しても後ろめたいような態度はとっていなかった。
  ── それに征夫さんが彼女を名前で親しげに呼んでいたのは・・・。
「川島、ここの酒蔵の案内、してもらえるか?」
 コートを手に持った俺を見て、川島は「へ?」と拍子抜けした表情を浮かべた。
「この酒蔵、自分達で今整備してるんだろ?」
 征夫さんと川島の身体が引き締まっているのは、きっとそういうことだと、俺は確信していた。
 俺が真っ直ぐ川島を見ると、川島は薄らと苦笑いを浮かべ、「ああ・・・。まだあちこち直してる最中だけど・・・。それでよければ案内するよ」と答えて、事務室のドアを開けた。
 俺は川島の後をついて、ひんやりとする酒蔵の中に入った。
 酒蔵は、小規模でとても古いものだった。
 近代的な酒のタンクはたった一つしかなく、後は痛みの激しい木の樽が四つ点在していた。
 そのうちの一つは現在修復中らしく、壊れたところに当てられた真新しい木の肌がぼんやりと浮かび上がっている。
 その他にも麹部屋や原材料の米を置いておく倉庫など、痛みの激しい箇所を手で一つひとつ修繕している跡が窺えた。
 酒蔵の土間床も長いこと放置されたとは思えない程磨き上げられていて、壁面にはクモの巣の全くなかった。
 一目見て、たった二人で(もしくは三人で)よくここまで手入れをしたなと感心するような様子だった。
「凄いな・・・。原型はわからないけど、ここまで直すの、結構大変だったんじゃないか?」
 俺が川島を振り返って言うと、川島はテレくさそうに微笑んだ。
「いや・・・、ここを手に入れたのは、小岩が廃業してから比較的早い時期だったから、そこまで荒れ果ててはなかったんだよ」
 そういう川島は、若い頃よく冗談を言い合ったアイツとは全然別で、凄く落ち着いた物言いだったけれど、何だか憑き物が落ちたかのように穏やかな表情だった。
 川島は、少し唇を噛み締めると、
「さっきは、サンキュー」
 と呟くように言った。
「さっき?」
 俺が聞き返すと、川島は肩を竦め、「気を利かせてくれたんだろ? 綾子さんがいるところであの件の話をしなくてもいいように」と言った。
「小岩の娘さんは、薫風のことは知らないんだな」
 俺がそう問うと、川島はウンウンと頷いた。
 そして突如、冷たい土間床に額を擦り付けて土下座した。
「すまなかった!!」
「お、おい! 川島!」
「薫風を持って行く案は俺が征夫さんに言ったんだ。ここを買うために、俺達の貯金していた金じゃとても足りなくて・・・!」
「わかった! わかったから・・・、とにかく顔を上げろよ」
 思わず俺は、川島の前に膝まづいた。
 床は氷のように冷たくて、アッという間に体温を奪われる。
「本当に、本当にすまなかった! でも・・・でも薫風を返すことはもうできないんだ!」
「いいから、もうわかったから。起きろって。身体冷えるだろ?」
 そう言っても川島は頭を上げない。
 俺は川島の肩に手を起き、「俺の方が寒くて凍えるよ。どこか座れるところないか?」と訊いた。
 川島はやっと顔を上げると、「あっちに小さなベンチがある」と酒樽の向こう側を指差した。


 「ということは、薫風は売り切ったんだな」
 俺がそう訊くと、ベンチの隣に腰をかけた川島はこくりと頷いた。
 酒蔵の西面の壁際に置かれた青い色のベンチは、以前からそこにあったものらしく、ちょっと煤けて黄ばんでいて、ところどころヒビが入っている。
 だがそのベンチから静かに佇む大きな酒樽を見上げると、威厳すら感じさせる美しい光景で、ここにベンチが置かれた理由がなんとなくわかる気がした。
 川島は、その酒樽を見上げたつつ、硬い表情で答えた。
「初回に売った分はここの購入資金に補填して、残った分はここの修繕に金が必要になる度にちょこちょこと売ってた。でももう、全部売ってしまった」
「じゃ、今かかってる修繕費や生活費はどうしてるんだ?」
「三人でバイトして何とか食いつないでるよ」
 川島はそう言って苦笑いした。
「バイト?」
「ああ。俺と征夫さんは土木工事や工事現場の警備員とかいろいろ。綾子さんはスーパーのパート」
 ああ、そうか。それで征夫さんも川島も日焼してたんだと合点がいった。
 ということは、随分苦労しているってことか。
「綾子さんって・・・、前の酒蔵の持ち主だよな」
「ん? ああ・・・。正確には持ち主の娘さんだな」
「征夫さんと随分親しげな感じだったけど・・・」
 俺がそう訊くと、川島は「そういうことに鈍感な篠田が気づくとはな」と少し笑った。
  ── むむ。俺だってずっと鈍感KYキャラってことじゃないんだぞ。
「元々、ここのことを征夫さんに紹介したのは俺なんだ。小岩酒造が柿谷とよく似ていて、既に経営は傾きかけてた。柿谷はここ数年で目覚ましく経営が好転してきていたから、綾子さんもそれをよく知っていた。それで柿谷の人を紹介してほしいと綾子さんから紹介され、征夫さんを紹介したんだ」
「なるほどな・・・」
 確かに、征夫さんは柿谷の中では酒造りのことも理解があるし、売り上げ管理の事務処理的なこともわかっていたから、柿谷の全ての仕事を見通せるのは思えば征夫さんただ一人だった。
 今はその役割を和夫さんがしている訳だが、征夫さんならいろいろアドバイスができただろう。
「それでアドバイスをしているうちに親しくなったってことか?」
 川島は頷いた。
「男と女の仲なんて、そんなものさ」
「ふ~ん・・・。それで?」
 俺が再度訊くと、川島は片眉を上げて、俺を見た。
「それで?」
「続き。征夫さんと綾子さんが付き合い始めて、それで?」
「まぁ、それでももう小岩を立て直すことはできなかった。膨らんだ借金は自己破産するしか逃れるすべがなかった。征夫さんからしてみれば、自分の力不足に対しても自責の念が生まれたんだろう。売りに出されても買い手がつかない小岩酒造を、自分が購入したいと俺に相談してきたんだ。その頃は、征夫さんも柿谷の中で行き詰まっていたし、俺も加寿宮の中で行き詰まっていた」
「川島・・・」
 川島のその台詞に、少なくとも俺の心はチクリと痛んだ。
 俺がなんとも言えない顔つきで川島を見つめていると、川島は口をヘの字にして「別にお前を責めてる訳じゃないぜ」と肩を竦めた。
「俺がひとり空回りしてたんだと思う。今思うとな。なんであんなにカリカリしてたんだろうなって思う。男の嫉妬って、醜いものだな」
 川島はそう言いながら、苦笑いした。
「男の嫉妬?」
「そうさ。俺はお前に嫉妬してたんだ。仕事も私生活も上手く回り始めたお前に。彼女ができたのは俺の方が先なのに、お前の方が幸せそうにしてる。しかも相手は男だっていうじゃないか。やっぱり戸惑ったよ。今まで一緒に風呂にも入ったじゃん、俺達・・・って焦ったりもしてさ。何と言うか・・・俺としてもどうしてそう思ったのかよくわかんねぇけど、お前が男恋愛OKなヤツなら、なんで選んだ相手は俺じゃねぇんだろうとかってバカみたいなことを思ったりもして。 ── いや、断っておくけど、俺、お前と付き合いたかった訳じゃねぇぞ」
「う、うん・・・」
 何となく二人で冷や汗を拭った。
「お前の相手が有名な作家だって聞いて、俺は益々頭に血が昇った。自分がお前の相手より劣っているのをまざまざと突きつけられたような気がして、バカにされたような気がした。なんていうかその・・・嫌なヤツだよな、俺ってばさ」
「川島・・・」
「その後、彼女にもお前と比べれて俺は劣るなんてことを言われて、カッとなって。で、お前の情報を週刊誌に売ったって訳」
 川島は子どものように俯いて口を尖らせながら、悲しげな口ぶりでそう言った。
 俺はなんて声をかけていいかわからず、目の前の酒樽を見上げた。
 変な話、静かな佇まいが奈良の大仏と同じように見えてくる。
 川島から聞かされた話は少なからずショックなことだったが、厳粛な雰囲気の酒蔵が寒い最中でも優しく俺達を見守ってくれているように感じられるのが救いだった。
 長い長い沈黙の後。
 俯いたままの川島が、ぽつりと呟いた。
「本当に・・・本当に、ごめんな」

 

here comes the sun act.81 end.

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編集後記

先週は、お休みしてすみませんでした(汗)。
ちょっと自宅が避難勧告のエリアに入って、初めてのことに動揺し、避難袋の準備とかしてたら小説書いてる余裕がありませんでした(汗汗)。
ま、結局は近くの川も氾濫することなく、避難もしなかったんですけど。
未だかつてない川の水位でビビリましたw

で、今週は台風。
夕べは豪雨と物凄い風で一睡もできませんでした(どよ~ん)。
だってうるさいったらありゃしない・・・。
まぁ、おっかなくもあるんですけどね・・・。
それなのにネコは窓の外を眺めたいから窓を開けろって鳴くもんだから、ますます眠れない(笑笑)。
これから台風が近づいていく地域の方々は、くれぐれもご注意ください。
雨風ともにパネェです。
うちの倉庫のプラッチック製の屋根の一部がどっかに飛んで行きましたから。

ではまた!

[国沢]

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