act.26
<side-CHIHARU>
泣きそうな表情を浮かべたシノさんは、俯いてしまって緩く首を横に振った。
その様子を見て、僕は悟ったんだ。
── ああ、ダメなんだって。
案の定、シノさんは俯いたまま、唸るように呟いた。
「ごめん・・・ごめん、千春・・・」
シノさんは一瞬顔を上げて、僕を真っ直ぐ見て、早口で「凄く嬉しいけどでも・・・」と言うと、すぐにまた泣き出しそうなほど顔を歪めて、頭を垂れた。
「ダメなんだ・・・。今の俺じゃ・・・今の俺じゃダメなんだ・・・」
今目の前には、僕の表情を注意深く伺いながら、アイスティーをストローで啜っている儀市がいる。
これまで能面と言っていいほど無表情だった僕は、儀市に視線を向けながらも、その実、どこか別の世界の風景を見つめている心地だった。
「・・・ハル?」
怪訝そうな声で儀市に声を掛けられ、僕の中の何かが『切れた』。
「ウガーーーーーー!!!」
突如僕は、自分でもびっくりするような声を出して、狼男のように両手で空を掴む仕草をすると、そのままカフェテーブルの上に突っ伏した。
儀市が、僕がテーブルに突っ伏す前に、僕の前に置いてあったコーヒーカップを「おっと」と寄せてくれたので、なんとかそこら辺にコーヒーをまき散らすことは避けられた。
「何、その反応。いきなり呼び出しておいて、随分面白いものを見せてくれるね。ハル、見ない間に変わったな。君、そういうキャラだったっけ」
「 ── うるさい」
僕はテーブルに伏したまま、言い返した。
静かにざわめくカフェの中の視線が僕らに集まっていることは十分わかってはいたが、そんな視線には構っていられなかった。
夕べのシノさんの言葉が僕の頭でリフレインする。
── ごめん、千春・・・ダメなんだ・・・。
「一体全体どういうこと?」
「・・・言いたくない」
儀市の質問に僕がそう切り返すと、儀市が「はぁ?」と不機嫌そうな声を上げた。
儀市も僕と同じように『俺様』な性格の男だから、不機嫌になるのは当然だろうね。
僕は、机に伏したまま、モゴモゴと言った。
「本当は葵さんを呼び出したかったけど。葵さん、地方公演の真っ最中だから」
僕の頭上で儀市が溜め息を吐く。
「葵さんの代わりに、僕で我慢ってか? 言ってくれるねぇ。僕、さほど暇人でもないんだけどね」
僕は、ゆうるりと身体を起こすと、儀市に負けないくらい深い溜め息をついて、緩く首を横に振った。右手で顔を覆って、言葉を吐き出す。
「・・・ごめん」
儀市が目を見張る。
「凄い。あの澤清順が素直に謝ってる。 ── 更に珍しいものを見てしまった。本当に君、変わったんだなぁ」
「儀市、ホント、うるさいよ」
「だとすると、君の今付き合ってる彼氏は凄いね。篠田さんだったっけ? 彼のせいなんだろ? 君がそんなに変わったのは」
儀市の口からシノさんの名前が出て、僕の心臓はドキリと跳ね上がる。
僕は無意識のうちに苦々しい表情を浮かべていたらしい。
儀市に何もかも見透かされてしまった。
「ハル、君、篠田さんと何かあったか?」
ぐ。
僕は思わず言葉に詰まる。
カフェのあちこちから、若い女の子から熟女までの密やかな黄色い声が聴こえてきて、それがなぜか僕を益々憂鬱にさせる。
ゲイ同士の四方山話を眺めて何が楽しいというのか。
儀市はまたふぅと溜め息を吐いて、僕の前にコーヒーカップをスススと寄せた。
「ま、コーヒーでも飲んで、落ち着いたら」
僕は言われるがまま、コーヒーを啜った。
本格的なドリップコーヒーが僕の息苦しかった胸元の緊張を幾分かは緩めてくれる。
「で? 篠田さんと別れたの?」
僕は、コーヒーを吹き出しそうになった。
「ち、違う」
「違うの? まぁでも、その反応見てたら、いつも捨てる側の君がするような反応じゃないしね。別れたんじゃないのなら、一体なんなの?」
僕は、う~んと言い淀んだ。
それを見て儀市が片眉を上げ席を立とうとしたので、僕は反射的に「言う。今、言うから」と声に出していた。
儀市はニヤリと笑みを浮かべている。
ああ、これって完全にいつもと立場が逆だ。
儀市がフランスに行く前は、どちらかというと恋愛に一喜一憂していた儀市を、僕がからかって遊んでいたのに。
「一緒に住もうって言ったら、断られた」
一瞬、沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、案の定、儀市の方だったのだが。
「えっ、え~~~~~~~~?!」
本気で驚愕の表情。
僕の方こそ、いつもクールな儀市のそんな顔、見た事がない。
「断られたの?! ハルが??! ってか、そもそもそんなこと、本当に言った訳? 君が?!」
凄いリアクション。
僕よりむしろ、儀市の方が動揺してないか?
儀市は、「信じられない」と散々言い散らした後、「あの篠田さんって人、すごぉ~い・・・」と静かに呟いた。
シノさんが凄いのなんて、そんなの当たり前だろ。
僕が心底惚れ込んでる人だぞ。
憮然とした表情でコーヒーを啜る僕とは対照的に、儀市はなぜかキラキラした顔つきで、アイスティーを一気に飲み干すと、大きく肩を動かして深呼吸した。またいつもの儀市が帰ってくる。
「凄い、なんか感動。今日呼び出してもらえて、本当によかった。歴史的一瞬に立ち会った気分」
「大げさだな」
「いや、大げさでもなんでもないよ。あの澤清順が、ついに身を固めようと決心した訳だからね」
「いや、だから断られたんだ」
「その割には、元気じゃん」
── さすが儀市。・・・非常に、鋭い。
そう。
僕は意外にも、シノさんから拒絶された割に、そこのことに関してからはさほどダメージを受けていなかった。
もちろん、まったくショックを受けなかったという訳ではない。
夕べ、シノさんに「ダメなんだ」と言われた後、なんて言っていいかわからなかったし、お互い、しばらくそのまま動けなかった。
でもそのまま洗面所にいたんじゃ、シノさんの身体が冷えてしまうと思って、僕はシノさんの身体を起こすと、シノさんを寝室まで連れて行って、ベッドに寝かしつけた。
シノさんはずっと「ゴメン」って言い続けていたけど、僕は「いいから」って返して、シノさんに早く眠れるようにと寝室の明かりを消して、僕は外に出、戸を静かに閉めた。
シノさん、本当に泣きそうだった。
だから、断られたことがショックというより、シノさんのことの方が純粋に心配で、そちらの方が夕べは気になって仕方なかった。
大丈夫だって、シノさんは言ってたけど。
きっと大丈夫じゃなかったんだ。
シノさん、何でも自分で抱え込んでしまう質だから。
多分、僕を含め、周囲に心配をかけまいと、何でも「大丈夫」って言ってしまうんだ。
だから、断られたことよりもシノさんが僕に辛い胸の内を言ってくれなかったことの方が「効いてる」。
僕って、そんなに頼りないのかな。
まぁ僕は、今まで普通に働いたことがないから、確かに頼りにならないのかもしれないけどでも・・・。
やっぱり、頼ってほしいよ、シノさん。
僕は、シノさんに支えてもらうだけの僕じゃなく、シノさんを支えていける僕になりたいんだ。
昔の無駄なプライドだけやたら高かった僕なら、いわゆる「恥を忍んで」自分からしたお願いを断られた段階で、更に荒れた生活に堕ちるか、「どうせそんなものさ」とまた諦めの境地を極めまくり自分の殻に閉じこもるか、どちらかだっただろう。
けれど今や僕は、自分の受けた傷の心配はさておき、自分を拒絶した相手のことを心配できるような人間に生まれ変わったんだ。
これが、人間的成長っていうんだろうか。
それとも、これまでまともな人間でなかったのだから、ようやくまともな人間になったってことか。
── そんな風に僕を変えてくれたのはシノさん。
シノさんにちょっと拒絶されたからって、今の僕はシノさんを嫌うことなんて、とてもじゃないができない・・・。
「彼は、『今の俺じゃ』って言ったんだね」
儀市に夕べの一幕のことを一通り話すと、儀市はそう繰り返した。
僕が「ああ」と頷くと、儀市は「なるほどね」と呟いた。
「だからまだ元気なのか」
「うん・・・まぁ、そういうこともあるかもね」
儀市が言わんとしていることは、僕も既に思っていたことだ。
── 今の俺じゃダメ。
ってことは、今じゃなければ「いい」可能性もまだあるってことだよね。
きっと、タイミングがあわなかったんだ。
そうだよね、シノさん。
だから今僕がすべきことは、ただ黙ってシノさんを支えること。
そうすれば、いつかシノさんだって、僕を頼ってくれるようになるよね。
僕はシノさんと、肩を並べて歩いて行けるようになりたいんだ・・・。
here comes the sun act.26 end.
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編集後記
自分で書いていてなんなんですけど。
千春がこんなに尽くすキャラになってしまうとは。
もとのドSキャラがすっかりなりを潜めてしまって、千春のキャラとしてこれは魅力半減なのでは・・・?と思ったりもしますが、書いてる感触は自然な感じがするので、なんだか本人が本当にそう思っているようであります(汗)。
う~ん、やっぱ千春をここまで変えちゃったシノさんって、やっぱ凄いよぉ。
現在ちょっと停滞気味ですけど。
果たして、千春のいう「タイミング」が良くなる日が訪れるのか?!
国沢ですら、よくわかりません(だってまだ全然書いてないから(汗))。
みなぎるライブ感満載の更新で引き続きお送りいたします!
さて、いやはや、オリンピックまっただ中ですねぇ。
国沢は基本運動があまり得意ではないので、こういうスポーツの才能があふれている人達の活躍を見るのは本当に憧れるし、楽しいし、感動します。
スポーツって筋書きのないドラマだから、手に汗握るんですよね。
お約束通り、寝不足です・・・。
ごひいきの選手は、やっぱり体操の内村くんかなぁ。
かわいいし、なによりパフォーマンスが美し過ぎる。
個人総合の跳馬の演技、鳥肌が立ちました。あの着地!!
あのちょっと俺様な性格と見せかけて、実は義理人情に熱いチームメイト思いっていうのが、本当にツボです。
人間的にも素晴らしい。
自分よりずっと年下なのに、人生における先輩と思えるほど立派ですね。
彼には、次のオリンピックで彼の目指す「完璧な演技」をパーフェクトにして、完全優勝!ぜひ納得の笑顔をみたいものです。(いや、まだ種目別が残ってるけどね)
ちなみに、体操チームの末っ子・加藤くんも注目度アップしてますよね。
ニュースによるとあの中性的なイケメンぶりに、なぜか中国でかなりモテまくってるとか。
ニュースで紹介されていたツイッターのコメントって、なんだか男目線のコメントが多かったのは気のせいでしょうか(笑)。
なかでもウケたのが、「あれ?俺って、男が好きだったけな?」っていうコメント。あんた、充分ゲイの素質あるよ(笑)。まぁ、肝心の加藤君は男からモテたって仕方ないでしょうけどね(汗)。
彼も内村君に負けず劣らず、団体戦では先輩達のミスを十二分にカバーする凄い演技をして、その度胸のよさに随分感心しました。彼、種目別、何かに出られるんですかね? ちょっと定かではないですが。もし種目別、加藤君出るようでしたら、ぜひ体操チームの末っ子ちゃんにもご注目ください。
[国沢]
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