act.82
<side-CHIHARU>
シノさんが長野の出張から帰ってきたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
本当なら、会社に直接戻るべきところだったんだろうけど、僕の携帯に連絡が入って、「千春の作った昼ご飯が食べたい」と言ったので、僕は冷蔵庫の中にあるもので手早く昼ご飯の準備をした。僕の方は既に食べていたので、シノさんの分だけ作る。
はっきりいって作る手間も片付けの手間も二倍になる訳だけど、シノさんがわざわざ僕の手料理を食べたいと言ってくれるのは何より嬉しかった。
甘えることの苦手なシノさんが唯一素直に、無理することなく僕に甘えられることだから。
世の中の奥様方の中には、「面倒くさいから外で食べてきてよ」と返答する人もいるらしいけど、自分の手料理をパートナーが食べたいって言ってくれるのは、とても素敵なことなんだって思うけど。
僕は、冷凍室に入れていたご飯を電子レンジで解凍する間に野菜を手早く切って、揚げ衣とざくっと併せた。
揚げ物は後始末が大変だけど、シノさんは天ぷらが好きだからね。これくらいの手間はなんてことはない。
僕は時計を見やり、シノさんが帰ってきそうな時間を見計らって、かき揚げのタネを油の中に泳がせた。
ある程度形が固まるの見届けてから、丼つゆを小鍋で仕立てた。こういう時は、冷凍庫で冷やし固めてある出汁キューブがとても役に立つ。作り置きしておいてよかった。
温め終わったご飯を丼に盛りつけた頃、シノさんが帰ってきた。
思ってた時間より少し早かったけど、問題はない。
キャリーバッグを手に持ったまま部屋の中に入ってきたシノさんは、丼つゆの甘く香ばしい香りを嗅ぐ仕草をして、幸せそうな笑顔を浮かべた。
「天ぷら?」
「かき揚げ丼ですよ」
「やった」
ああ、シノさんのその笑顔を見るだけで、かき揚げ丼にして心底よかったって思う。
それに、シノさんが意外にもさほど落ち込んでないことに僕は内心ホッとしていた。確かにシノさんは疲れた顔色をしていたものの、でも表情は清々しかった。はっきりいって、それは僕の予想と違っていた。あの川島さんと会うんだから、僕が吹越さんと再会した時のようなことになるんじゃないかって思っていたから。
長野で一体何があったのかすぐにでも聞きたかったけど、まずはそれを我慢して、僕はかき揚げ丼を仕上げた。
洗面所で手を洗ってきたシノさんは、キッチンに入ってきて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注いで一気に飲み干した。ホーと溜め息をつく。
「シノさん先に座ってて。もうすぐできるから」
「うん」
ダイニングチェアーに座るシノさんの前に、かき揚げ丼と漬け物が入ったガラス容器を置く。
「お茶は今から淹れるから、少し待って」
「あれ? 俺の分だけ?」
「ああ。僕はもう先に食べちゃったんですよ」
僕がそう答えると、シノさんは心底申し訳なさそうな顔つきをした。
「そうだったんだ・・・。なんか悪いな、余計な手間かけちゃって・・・」
「何を言ってるんですか。手間だなんて思っちゃいませんよ。冷蔵庫の余り野菜が片付いて、返ってよかったです」
僕がそう答えると、シノさんはホッとした表情を浮かべ、「いただきます」と両手を併せてから食べ始めた。
「うまい」
シノさんのそのひと言と満足そうな笑顔が僕をたまらなく幸せな気分にさせてくれる。
僕は、お茶を準備して二人分の湯のみ共にダイニングまで戻った。
湯のみにお茶を注ぎながら、僕はシノさんが食べ終わるまで待った。
シノさんの食べている様子を見ると、食欲も普段通りのようだ。よかった。
シノさんは僕が差し出したお茶を口に含むと、再びホーッと溜め息をついた。
「落ち着いた?」
僕がそう訊くと、シノさんは「うん。ありがとう」と答えた。
「それで? 長野はどうだった? 川島さんには会えたの?」
「ああ、会えた。夕べは川島達が寝泊まりしてる酒蔵に俺も泊まらせてもらったんだ」
「ふ~ん・・・。酒蔵って、あの倒産したっていう酒蔵のこと?」
「そう。川島と征夫さんが共にお金を出し合って購入したんだ。今はそこでまた酒を造れるようにするために、酒蔵の修理をしているところだった」
僕はシノさんから、長野であったことを全て聞いた。
あの川島さんが身を粉にして酒蔵の再建に力を注いでることは、はっきり言って意外だった。
あの人は自分が汗を掻くことに関しては無縁の人だと思っていたから。
シノさんには悪いけど、僕が素直にそう感想を返すと、やはりシノさんは苦笑いした。
「まぁ、俺と千春が知り合った頃の川島はそうだったかもな。でも、二人同期で会社に入った頃は二人で競い合うように一生懸命仕事してたんだ。そういうヤツだった。でもそれが時が経つにつれ、いつしか流れが滞ってしまってたんだよな。俺も川島も。でも俺が千春と付き合い始めて、千春のお陰でどんどん変わっていく俺を見て、焦っちゃったんだってさ。自分だけ取り残されたような気がしたんだって」
「それでシノさんの情報を売ったり、シノさんを偽善者呼ばわりしたと?」
シノさんは複雑な表情を浮かべ、小さく頷いた。
「つまらない男の嫉妬だった・・・って言ってたよ」
僕はシノさんの発言に目を見張った。
── つまらない男の嫉妬。
川島さん、それを自ら認めたんだ。
それを聞いて、僕は確かに川島さんは姿をくらます前の彼とは少し変わったとこを感じた。
だって、男が嫉妬していることを認める・・・つまり敗北を認めるということは、凄く難しいことだから。
「土下座し謝ってくれたよ」とシノさんが言ったことも、なんとなく予想がついた。
「今こうしてボロボロの酒蔵をなんとかしようと奮起しているのも、俺に対する嫉妬心や対抗心が根底にあるかもしれない。でもそれが始まりでも、今のあくせく小さなことから一つずつ積み重ねてやれていること自分が意外だったし、好きになれそうなんだって川島、言ってたよ」
シノさんがスマホで撮影してきた酒蔵の再建の様子は、確かに根気が必要なことが一目でわかるような様子だった。
「なるほど・・・。彼はそこで人生の再スタートを始めたんですね。征夫さんも」
「ああ、そうだ。今は酒の醸造免許を取るために頑張ってる」
「それはわかりました。でも、薫風のことはどうするんですか? その様子じゃ、薫風はもうなかったんでしょ? 売り抜いた資金は、酒蔵の再建に使われたんですか?」
シノさんは頷いた。
「ああ、そうだ。もう薫風はなかった」
「やっぱり・・・」
いくら今の川島さんや征夫さんが真面目に苦労してるからって、薫風を盗んだ罪が消える訳ではない。
彼らのした行為が、どれほど柿谷を傷つけたのか、彼らが本当に理解しているとは思えなかった。
シノさんの話を聞いても素直に飲み込めないのは、僕も既に”柿谷側の人間”になった証拠なのかもしれない。
それだけの時間を、ここ最近僕は柿谷で過ごしてきた。
この1ヶ月に関して言えば、僕はシノさんより柿谷に行っている。
「それについては、柿谷のみんなに判断を任せようと思う」
シノさんはピシャリと言った。
とにかく、今回のことは柿谷に報告するし、もちろん会社にも報告するけれど、シノさんの考えは、もう少し川島さんと征夫さんに時間を与えてあげてほしいというものだった。
柿谷の親父さんに今の状態を説明した上で、それをお願いしてみるつもりだが、柿谷の皆がすぐにでも何らかの結果を求めたいというなら、それに従うとのことだった。
でもきっと、柿谷なら・・・柿谷の皆なら、シノさんがそうお願いすれば皆「うん」と頷くだろう。
── シノさんは、甘い。川島さんに優し過ぎる。
僕はそう思ったが、そういうシノさんだからこそ、僕は彼を好きになれたんだと思う。
<side-SHINO>
千春に作ってもらった昼食を食べた後、俺は社に戻って、課長や手島さんに報告をした。そして今後の対応についての俺の考えも話した。
二人とも顔を見合わせて、少し困ったような顔つきをしていた。
多分、千春も似たような表情をしていたから、皆、俺が「ヌルい」と思っているんだろう。
川島達がやったことは、警察沙汰になったっておかしくないことだ。その後の柿谷に与えたダメージを考えても、彼らは罪を償わなければならない。そのことは俺にだって充分わかっていたが、彼らのあかぎれしてひび割れた手を見たら、「もう一度チャンスを与えてあげてほしい」と思ってしまったんだ。
課長は呆れ顔で最後には「お前の好きにしろ」と言った。
「ただし、柿谷さんを説得できなかったら、その時は黙るんだぞ」
そう言う課長の横で、手島さんがオーバーに両手を上げて「シノがそう言うんだったら、柿谷の親父は絶対「うん」って頷きますよ! 賭けたっていい!」と笑った。
── う~ん、なんかそんなこと、千春も言ってたなぁ。俺って、そこまで親父さんに対して発言権はないと思うんだけど・・・。
でももし、親父さん達が納得してくれるなら、素直に嬉しい。
俺も、川島達がどこまで彼らだけの力でやれるのか、見てみたいんだ。
だから、川島達の酒蔵が独り立ちできる日が来るまで、俺は一切手を出さない。
本当はすぐにでもどうにかして手助けしたいけど、俺はそれを我慢する。
それが川島達に対する礼儀だし、俺に課せられた宿題のように感じた。
思えば、俺が手を出すことによって川島をダメにしたし、俺もダメになっていったんだ。
川島がまた胸を張って、自分達の作った酒を飲んでほしいという日が来るまで、俺もまた彼らに負けないように頑張る。
それが、俺とアイツの見えない約束なんだ。
here comes the sun act.82 end.
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編集後記
今週、なんだかほっこりしたかったんで、千春とシノさんの・・・ってかシノさんのお食事シーンを入れてしまいました。
なんか千春がシノさんのために料理を作るシーンって好きなんですよねぇ・・・。ユルイけど(笑)。
愛する人のためなら、揚げ物もいとわず!!っていう姿勢がね。
千春ってつくづくシノさんのこと好きでいてくれてるんだなぁと思います。
だって揚げ物、面倒くさいですよね、作るの(笑)。
で、シノさんは相変わらず「仏のシノさん」なわけで、千春が心配そうにしてますが、これはもう彼の性分なんで仕方ないです。
最近の世の中は、真面目で努力家な人ほど損をするよう世界になりつつあるけど、人生の価値は頑張った人にこそ深いものであってほしい。国沢は常にそう思っています。
だからシノさんは皆に好かれているし、困ったときは誰かが助けてくれて、傍には彼を心底愛してくれるパートナーがいる。
現実の世界でも、そうであってほしい。
年を今月また一つ重ねて、だんだんBBAに磨きがかかる国沢は、近頃そう思います。
そんな国沢がお勧めする映画。
決して「レリゴー」ではなく(笑)。
「チョコレートドーナツ」という映画。
ゲイカップルとダウン症のハンディキャップを持った少年の物語なんですが、国沢、初めて映画館で号泣してしまった(大汗)。
いろんな意味で、「いい」映画でした。
まぁ、そう言ってしまうと映画の性質上誤解を生みそうですが、俳優さんも監督さんも、美術や衣装さんも、みんなで大事に作った映画なんじゃないかなぁと思う。
いやぁ、いい映画でした。
邦題の「チョコレートドーナツ」もいいよね。
本当のタイトルは別なんだけど、この邦題つけた人も褒められていいと思う。
まだご覧になってない方は、ぜひぜひ。
必ず、手ぬぐいかタオルを持って。
ハンカチじゃ、足りません(笑)。
ではまた!
[国沢]
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