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nothing to lose title

act.66

<side-CHIHARU>

 ついにボジョレーヌヌーボーの解禁日を迎えた。
 シノさんの課は日本酒を扱う部署なので本来なら関係ないのだが、この日だけは他の課の営業さんが総動員されるらしい。
 去年は柿谷酒造の『薫風』のお披露目をこの日にぶつけて来た訳だが、今年肝心の薫風はない。
 田中さんから聞くところによると、柿谷の息子さんや川島さんと共に、依然として薫風の行方は知れないらしい。
 だから、今朝出社する時のシノさんはどことなく表情が冴えなかった。僕はそれが気になって、午前中の予定を済ませると、その足でシノさんが店頭販売に駆り出されているデパ地下に足を向けた。
 世間はもうクリスマス商戦の時期に突入していて、街はなんだか浮き足立っていた。デパートも案の定凄い人でごった返している。
 他のコーナーを何となく冷やかしながらお酒の販売コーナーに目をやると、加寿宮がセッティングした特別販売ブーズは、黒山の人だかりだった。
 その中心は言わずもがなシノさんだった。
 今年はスーツのジャケットを脱ぎ、白のシャツに黒のネクタイ、腰から下には黒のロングエプロンを巻いている。その姿は、品のいいソムリエのようだったが、表情は今朝と全く違って、爽やかな笑顔全力投球で接客を行っていた。
  ── ああ、シノさんってやっぱり仕事人なんだなって思う。
 僕だったら、自分の中にある苦しみや悲しみを押し殺して、あんな風に働けるだろうか、と思う。
 売り場には合計三名の加寿宮スタッフがいたが、女性客のほとんどがシノさんの前に並んでいるので、シノさんの忙しさと言ったら尋常じゃない様子だった。
 そりゃ、同じワイン買うのでも、爽やかハンサムさんから買った方がお得感あるよなぁ・・・と妙に納得してしまう。
 僕にしても初めてシノさんのコスプレらしき格好を見たので、ちょっと良からぬ妄想をしてしまった。 ── ロングエプロン、真剣に購入しようかなって思ったぐらいに。 ── ああ。男ってつくづく3分に一回はエロを考える生物だよね。・・・いや、1分に一回か。
 加寿宮の販売ブースでは、巷でよく見るボジョレーヌーボーの他に、他の産地のヌーボー(新酒)も取り扱っており、ラベルも様々変化があって面白い。
 僕も微力ながら加寿宮の売り上げに貢献しようと、列に並んだ。
 当然、シノさんの列じゃない方に。
 だっていつまでも長いこと並ぶのは嫌だし、シノさんの列に並ぶのなんてあからさま過ぎるし。
 案の定、女性スタッフの列はスムーズに流れて行き、僕の番はすぐにやって来た。
「大変お待たせ致しました。何にいたしましょうか?」
「オススメのヌーボーを一本選んで頂けますか?」
 僕が女性スタッフにそう答えると、女性スタッフは僕のことを知っているのかハッとした顔をして、シノさんの方を見た。
 シノさんも彼女の視線に気付き、そして僕にも気づく。
 二人ともが、「え? なんでそっち(こっち)に並んでるの?」って顔つきで僕を見た。
  ── いや・・・だから・・・。そっちに並ぶと、余計騒ぎになるでしょうが。ほら、ぼちぼちシノさんに列に並んでる熟女達がこちらをギョロギョロ見ながらヒソヒソやり始めている。
 やっぱり並んで買うなんて、冒険し過ぎたかなぁ・・・。
 僕が軽く溜め息を吐きながら天を仰ぐと、女性スタッフはやっと状況を察してくれたらしい。
「オススメのヌーボーでございますね。畏まりました」
 彼女は素早くとあるボトルを僕の前に差し出すと、淀みなくワインの紹介をしてくれた。
「では、それを1本ください」
「ありがとうございます」
 僕がボトルを手にする頃には、シノさんの列で急に同じ銘柄のヌーボーが出始めた。
 まぁ、ボジョレーヌーボーを並んでまで買う人達なんてお祭り好きみたいな人達なんだろうから、ミーハーな人が多いんだろう。
「じゃ、後でね」
 僕がシノさんにやっと届く程度の声をかけると、シノさんはチラリと僕を見て笑顔を浮かべながら、ウンと小さく頷いた。
 よし今日の晩ご飯は、旬の白身魚を適当に選んでベーコン巻きにするのと、秋野菜をバルサミコでマリネにするか。デザートはシノさん家の近所の洋菓子屋さんで売ってるカボチャプリンにしよう。気分的には天然酵母のバゲットを買って帰りたい気分なんだけど・・・。
 僕は、数十離れたところから販売ブースを返り見た。
 シノさんは相変わらず忙しなく接客をしている。
  ── シノさん、米、いるっていうかなぁ・・・。言うだろうなぁ・・・。
 僕はバゲットを買って帰ることを心に決めたが、あわせて米を炊くことも心に決めた。
 シノさん、どんな洋風なメニューにも米を合わせてくるのを忘れないし。炊きたてのご飯が、何より好きだし。さすが日本酒をこよなく愛する男。 ── って、そんなに飲めないけど。
 デパ地下のパン屋に向かって歩き始めた僕は、ふと日本酒が並べられた陳列棚に目をやった。
 ふと気になって足を止める。
 しばらくマジマジと見たが、そこにあるはずの柿谷酒造の商品がなくなっていた。
 薫風のことではない。
 薫風以外の商品のことだ。
「えぇ・・・」
 僕は溜め息と共に、思わずそう声を出していた。
 足を日本酒コーナーに向け、探す。
 薫風が評判になってからというもの、このデパ地下でも『薫雫』を始め、数種類の柿谷の商品が並んでいたのを僕は知っている。
「まさか・・・」
 薫風の在庫切れ騒動があってから数ヶ月。
 もうこんなに顕著な影響が売り場に出て来ているとは、正直僕は知らなかった。

 

 「ただいま~・・・」
 ドアが開いて聞こえて来たシノさんの声は、案の定疲れ切っていた。
「お帰り。お疲れさま」
 キッチンから顔を出して僕が声をかけると、シノさんは疲れているながらも笑顔を見せてくれた。
「ご飯、準備できてますよ」
「そう。ありがたい・・・」
「お米も炊きたてです」
 シノさん、目が輝いた。 ── よかった、やっぱり米も炊いといて。
「あれ? シノさん、それ・・・」
 僕はシノさんが鞄から出したものに目をとめた。
「ん? ああ、これ? 今日使った備品、間違えて持って帰って来ちゃって。一応洗って返そうかと」
 シノさんが手にしていたのは黒のロングエプロンだった。
 しかしシノさん、うっかり持って帰って来ちゃうなんて・・・・・ ── ラッキー。
 僕はシノさんのところまで早足で近づくと、そのエプロンをそっと掴んだ。
「これ、急いで返さないといけないですか?」
「ん? いやぁ、別にいいと思うけどね。次にお目見えするのは来年になるかもしれないし」
「では、週明けでも大丈夫です?」
「ああ。もちろん大丈夫だと思うけど・・・」
「これは僕が、しっかりと洗います」
「あ? ああ・・・。お願いします・・・」
  ── やった。これで週末の楽しみができた。
 キョトンとしたままのシノさんを置き去りにして、僕はエプロンを胸に大事に抱えて、そそくさとキッチンに帰った。
 女性スタッフがオススメしてくれたヌーボーは、ボジョレーより少し個性的な香りと風味だったがフレッシュで飲みやすい一品だった。これなら、シノさんでも二杯目が楽しめそう。
 しかしシノさんはその日、疲れのせいもあってか、一杯目で顔が真っ赤っかになってしまった。
 それでも食事はおいしく楽しんでもらえたのか、悪酔いする様子はない。
 僕は酔い覚ましの温かいお茶を煎れながら、今日見た日本酒売り場でのことをシノさんに訊いた。
「そう言えば、あそこのデパ地下から柿谷の商品がなくなっていましたけど、まさか他のところでも同じようなことが起こっているんですか?」
 僕がそのことを口に出した途端、シノさんは動きを止めた。
 その表情を見るだけで、僕の感じていたことが正しいことがわかった。
 僕は溜め息をつく。
「そうなんですか・・・。それで・・・、大丈夫なんですか? 柿谷は」
 シノさんはゆっくりとお茶を飲んでから答えた。
「全然大丈夫じゃないな。あの件以来、従業員の活気がなくなって、また以前の柿谷に戻っている感じだ。 ── いや、以前どころか、マイナスかな」
 僕は自然と自分の眉間に皺が寄るのを感じた。
 シノさんと一緒に訪れた時、田舎の大家族のように皆が笑顔で酒を酌み交わしていた様が目に浮かんだ。
 今それが失われようとしているのかと思うと、柄にもなく心が痛んだ。
「そうなっている一番の原因は、親父さんと奥さんの不仲だね」
「え? 仲が悪くなっているんですか?!」
「仲が悪いというか・・・ギクシャクしてるって感じかな・・・。息子さんのことがあって、すっかり元気をなくしている奥さんに全体の雰囲気が引っ張られてしまって、親父さんもどうしたらいいかわからず戸惑っているという感じなんだ。 ── 元々親父さんは不器用な人だからね」
 それは、なんとなくわかる。
 親父さんの不器用さの潤滑油があの大らかなおかみさんの笑顔だったし、彼女から元気がなくなっているということは、まるで酒蔵全体から電気が消えたような有様だろう。それほど、奥さんは酒蔵のムードメーカーのような人だった。そう、『皆のお母さん』みたいな。
「俺も正直、どうやって立て直したらいいか考えあぐねているんだ。起こったことが大き過ぎて、皆が受けたショックはハンパない。もうすぐ仕込みの時期になるから、そこで皆がまた元気を取り戻して、やる気になってくれれば持ち直すことはできると思うんだけど、そのきっかけが掴めないんだ・・・」
 そうか・・・。シノさんを持ってしても底上げができずにいるのか。
 ことは相当深刻なのかもしれない。
 確かに、身内に足下を掬われたのだから、ショックが大きいのは当然だろう。
 何せ『薫風』は、これまでの伝統を覆す大冒険をした末に何年もかけてやっと仕上がった商品だ。評判がよかっただけに、余計に衝撃が強かったように思う。
 僕はいても立ってもいられない気分になった。
 まるで僕の故郷が潰されてなくなっていくような感覚を覚えた。
「シノさん、次に柿谷に出張するのはいつです?」
「ええと・・・確か来週末だな。そうそう、泊まりがけになるから、千春には言っておかなきゃって思ってたんだ」
「ひょっとして僕、その出張について行っちゃダメかな?」
 シノさんが黒目がちの瞳を大きく見開く。
「え? 千春が?」
 僕は頷いた。
「スケジュールはなんとか調整します。僕が行ったってどうにかなる訳でもないけど、この目で見ておきたいと思ったんです。柿谷は、僕にとっても大切な場所ですから」
 僕がそう言うと、シノさんは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべ、頷いた。

 

here comes the sun act.66 end.

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編集後記

腹減った(笑)。

なんでこんなにも白米オシなのかというと・・・。

国沢が炊きたてのご飯が大好きだからです(笑)。


だってほら・・・おばさん、日本人だもの・・・・。
しかたないのよね、こればっかりは。

一方千春は、完全に週末のコスチュームプレイ(笑)に野望がメラメラしているところですが、残念ながら次週、更新はお休みです(大汗)。

なぜかっていうと・・・おばさん、厄落としにお寺に行くのv

ついにヨン様にも恋人ができましたしねぇ、ええ。(←産まれた日が年も含め全く同じなので妙にライバル視している)

後厄ですわww

[国沢]

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