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nothing to lose title

act.21

<side-CHIHARU>

 その週の週末は、いよいよ小出さんの撮影スタジオに行くことになっていた。
 小出さんのスタジオは、三鷹の緑の多い住宅街の一角にあった。
 庭付きの一軒家で、一見すると撮影スタジオのようには見えず、フランス窓のあるオシャレな雑貨屋といった印象だった。
 ただ、離れの土蔵のような建物だけは異質で、そこにどうやら外光をシャットダウンしたスタジオがあるらしい。
 シノさんは随分緊張した顔つきで、『スタジオ・小出』とステンレスプレートがつけられた門扉から建物全体を見上げている。
「シノさん、リラックス、リラックス」
 僕が声をかけると、シノさんは緊張した表情はそのままで僕の顔を見た。
「あ、あぁ・・・。でもプロのカメラマンに撮ってもらうなんて、こんなの普通ないからさ。緊張するなって方が無理だよ」
「気持ちはわかりますけど。でも、今日の写真は、僕とシノさんだけが見る写真集になるんだから、いいでしょ?」
「そう言ってもらえると、幾分気分が楽になるけどさ・・・」
「撮影が始まったら、『なぁんだ、こんなものか』ってなりますよ。さ、行きましょう」
 僕は、シノさんの背中を押して、中に入った。
「やぁ、待ってたよ!」
 小出さん自らが出迎えてくれる。
「篠田くん、覚悟決めてきた?」
 小出さんがそう言って、シノさんの肩を叩いた。
「い、いや・・・覚悟というか・・・」
 ドギマギしているシノさんを見て、小出さんがワハハと笑う。
「いやぁ、新鮮だな。こういう反応。いつもは生意気なモデル達ばかり撮ってるからさ」
 まずはリビングに通された。
 随分広い。
 薄い色のフローリング材に、ヨーロッパ調の素朴なソファーセット。北側には小さな流しとアンティークの大きなダイニングテーブルがある。南側の庭に面したフランス窓は開け放たれていて、風にそよぐ薄手のカーテン越し、窓の向こうの緑を透かしている。
「全然小出さんのイメージじゃありませんね。この部屋」
 僕がそう声をかけると、小出さんはダイニングテーブルの上の雑誌を片付けながら、両肩を竦めた。
「かみさんの趣味なんだ。かみさん、雑貨のコーディネーターしてるからさ。ここでよく雑誌の撮影をしてるよ。最近はスローライフ系の雑誌とかが多いね」   
「なるほど」
「ま、まずコーヒーでも飲んで一息ついてよ。カメラの準備してくるから」
 アシスタントとおぼしき若い女性が、ダイニングテーブルに香り高いドリップコーヒーを出してくれる。  
 まずはそこに座って、二人してコーヒーを啜った。
 僕の目の前でシノさんが文字通りといった具合に一息つく。
「あ~、このコーヒー、美味い」
 コーヒー効果か、シノさんの表情が幾分和らいできた。
 そうこうしていたら、小出さんが帰ってくる。
 手には無骨な一眼レフ。
「小出さん、どうします? シノさん、少し整えた方がいい?」
「ああ。そちらが嫌でなければ」
「整えるって?」
 シノさんが訊いてくる。
 僕は答えた。
「髪型とか、肌とか。僕も撮影前はそうされるんですよ」
「へぇ、そうなんだ・・・」
「まぁ、篠田くんの場合、今のままでもいいけどね。でもこんな機会滅多にないんだし。何事も経験してみたら?」
 小出さんにそう言われ、シノさんは「はい」と頷いた。
 小出さんが隣の部屋に声をかける。
 先ほどコーヒーを出してくれた女性が、道具を持って再び現れた。
「専属のスタイリストで田宮さん」
「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」    
 シノさんがペコリと頭を下げる。それを見て田宮さんがフフフと微笑んだ。
  ── あ、絶対彼女、シノさんのことカワイイって思ったよね、今。
 僕は、ほんのちょっとの事でも嫉妬心を感じてしまう自分に呆れてしまうことが最近増えている。
  ── シノさんは相変わらず自分が女の子にモテることに関して、極めてKYだからいいんだけど。 
 僕は、眉の形を整えてもらっているシノさんを眺めながら、溜め息をつく唇をコーヒーカップで隠した。
 小出さんはその間にも、何気にシャッターを切ってくる。
 しかも僕を撮影した時よりも随分多い回数、シャッターを切っていた。
 シノさんがシャッター音に気がつく。
「え? もう撮り始めてるんですか?」
「ああ、光の加減を見てるんだよ」
 小出さんはそう言いながら、どんどんシャッターを切る。
  ── 多分、シノさんをシャッター音に慣れさせてるんだな・・・
 僕はそう思った。被写体にあわせて撮影の仕方を変えている小出さんは、やはりプロだと。
「小出さん、終わりました」
「ああ。うん、いいんじゃないの?」
 少し伸びていた前髪を僅かにカットされ、眉も自然に整えられたシノさんは、そうして黙っていると本当にプロのモデルのようだ。
 今日は、僕の見立てで白いシャツに白のタンクトップ。真っ黒のジーンズ、素足にサンダルというシンプルな格好をしていたので、それだけで充分シノさんのピュアな美しさが際立っていた。
「窓辺に立ってみようか」
 途端にシノさんの表情が不安げになる。
「あの、俺、ポーズとか無理ですけど・・・」
 と、呟いている。  
「じゃぁ、澤くんと一緒にしてみようか。普段通り、話してくれてればいいから」
 僕が席を立つと、シノさんもつられるように立ち上がった。
 僕も今日は、白いシャツに細身の本藍染めストレートジーンスという姿だった。
 偶然とはいえ、この部屋の雰囲気に丁度あってる。
 よかった、シンプルな服を選んでおいて。
 僕は、どうしていいかわからない様子のシノさんの手を取って、窓辺に誘う。
 そしてそよ風が届く位置まで移動すると、僕らは向き合って立った。
「シノさん、今日は一段と素敵ですよ」
 僕がそう言うと、シノさんが少し顔を顰める。
「何言ってんだよ」
 僕がお世辞を言わないキャラだったことは知ってるくせに、僕がシノさんを褒めると、シノさんは必ず反抗(笑)してくる。まったく、変なところが頑固なんだから。
「素敵を素敵と言って、何が悪いんです? だって今日のコーディネートは僕がしたんだから、素敵でないはずがないです」
 僕がそう言うと、一瞬シノさんはきょとんとした。
「なんだよ~、千春の手柄か~」
 次の瞬間、シノさんがハハハと高笑いする。
  ── バシャ!
 小出さんが今、本気のシャッターを切ったのが僕にはわかった。
「いつだって、僕は完璧ですからね」
 僕が腰に両手を当てて上からシノさんを見降ろすと、シノさんは「その自信満々なところが凄いよ」と笑いながら首を振る。
「シノさん、シャツ脱いじゃったら?」
「え? 脱ぐのはヤダよ」
「じゃ、ボタンもっと外しなよ」
 僕は有無を言わさず、シノさんのシャツのボタンをどんどん外していく。
「おい! 脱がすつもりだろ!」
「アハ、バレたか。いいじゃないですか、今日、天気いいし、温かいし」
「俺は、だまされんぞ」
 抵抗するシノさんとボタンを外そうとする僕は、自然ともめ事のようになって、仕舞いには中学生がふざけて叩き合うような攻防戦にまで発展する。
 さすがの小出さんも、まるで少年のような僕らの様子に声を上げて笑った。
「ガキだな、ガキ。まるで中学生だよ、二人とも」
 スタイリストの田宮さんも、クスクスと笑っている。
「じゃ、篠田くんだけ、真っ直ぐ立って。真っ直ぐ立つのはできるだろ?」
 僕は小出さんの声を聞いて、さり気なくフレームアウトする。
「シノさん、真っ直ぐ立って!」
 乱闘の名残で笑みを互いに残しつつ、僕がそう言い放と、
「いちいち命令されなくてもできる」
 シノさんは真っ直ぐ姿勢を正しながら、反撃してきた。
 僕は目を丸くする。
「お、珍しく言いますねぇ」
「そりゃ、俺もたまには言うよ」
「お前達、仲わっるいなぁ」
 小出さんが思わずといった風にそう言ってきたので、僕らは爆笑した。
 小出さんがシャッターを切る。
「じゃ、立ちっぱなしも疲れるから、そこに座って。そう。外を眺めて。ひなたぼっこする感じ。そうそう」
 僕は小出さんの後ろまで下がってくる。
 小出さんのカメラの画面に映る画像を見て、「素敵な写真が撮れてる」と思わず呟いてしまった。
 小出さんは再びカメラを覗き込みながら、「被写体がいいからね。カメラマンは苦労しないよ」と返してくる。
 被写体がいいって言ってもらえて、僕のことなんじゃないんだけどいやに嬉しく感じる。
  ── ああ、僕、だらしなくニヤけてないかな。
「あ、メモリがいっぱいになった。篠田くん、少し休憩」
「じゃ、俺、ちょっとトイレ・・・」
「あ、そう。田宮、篠田くんを案内してあげて」
「はい、こちらです」 
 田宮さんに連れられて、シノさんが部屋を出て行く。
 一方小出さんは、ソファーの上に置いていたノートパソコンをダイニングテーブルの上に置いて、カメラから写真データをパソコンに移した。
 写真をフォトビュアーで表示する。
 僕は思わず溜め息をついた。
「あぁ・・・、いいですね。凄く自然に撮れてる」
 メイクをされている時の神妙な顔。
 ちょっと緊張気味に唇を噛み締めている顔。
 僕にからかわれて顔を顰めているところ。
 一瞬視線が外れて、宙を見つめている瞳のアップ。
 外の風景を眺めている美しい横顔。
 そして、はち切れんばかりの爽やかな笑顔。
 僕は、自然と画面を撫でるように手を動かした。
 「本当に、キレイ」と呟き、拳を口に付ける。なんだか急に泣きたくなって、それを誤摩化すために口元を隠したんだけど、小出さんにはバレてしまったようだ。
「どうしたんだ、澤くん」
 小出さんにそう訊かれて、僕は苦笑いを浮かべた。
「何だか、あんまり綺麗過ぎて。この人の存在が。単なる惚気に聞こえるでしょうけど」
 と僕は言った。小出さんは首を横に振る。
「惚気なんかにゃ聞こえないよ。彼は、本当に美しい。外見もそうだけど、中身もな。一般人にしておくのが惜しいくらいだよ」
「なんか、小出さんがシノさんの良さを理解してくれて、嬉しいです」
「わからないヤツがいる方がおかしいよ。で、どうするの? この前みたいな写真も撮る?」
 僕はう~んと唸った。
「多分、ヌードは無理でしょうねぇ。シャツだけでも恥ずかしがって脱ぎたがらないですから。僕としては、ほしいんですけどね」
「じゃ、ヌードは無理としても、セクシーバージョンは撮るか」
 丁度この会話が終わった時に、シノさんが帰ってきた。
「篠田くん、次、スタジオで撮るから。上のシャツ脱いでタンクトップできて」
 小出さんが自然にそう指示を出すと、シノさんは意外に素直にシャツを脱いだ。
 小出さんと僕は思わず顔を見合わせる。
 シノさんはその視線の意味がわからず、小首を傾げている。
「ああ、シャツはそのソファーに置いておくといいよ。田宮、スタジオの準備、小池に指示出してきて」
「はい」
 田宮さんが小走りに部屋を出て行く。
「篠田くん、スタジオで写真撮るの初めて?」
「あ、はい。初めてです」
「成人式とか、撮らなかったの?」
「ああ、それどころじゃなかったから・・・。成人式の日も仕事してたし」
「そうか。篠田くんは早いうちから仕事を始めたんだよね」
「ええ。いろいろありまして・・・」
 他愛のない話をしながら、スタジオに移動する。
 母屋と別棟は渡り廊下で繋がっていて、そのまま移動できる。
 土蔵の中に入ると、一気に雰囲気が変わった。
 床から天井まで真っ白な空間に厳ついライトがいくつも天井からぶら下がっていた。
 スタジオの中には田宮と若い男のスタッフがいて、既にやんわりとした色の照明で整えられていた。
 壁面に幾重もの間接照明が当てられ、随分奥行きのある空間に見える。
「じゃ、ヘルプが必要になったらまた呼ぶから。今日はプライベートな写真を撮るから、ちょっと外に出てて」
 田宮さんと小池と呼ばれた男性スタッフがスタジオを出て行く。
「これで篠田くんも恥ずかしくないだろ?」
「あ、は、はい」
「じゃ、そこの椅子に座って、カメラを見てくれるかな」
 小出さんは更にいろいろと指示を出して写真を撮るが、やはりシノさんの表情は若干硬くて、とてもじゃないが狙っているようなセクシー路線にはなりそうにない。
「う~ん、やっぱり彼一人じゃ無理だな」
 小出さんが呟く。
 小出さんの隣に立っていた僕は、「小出さんは、男同士がいちゃつくのを見るのは耐えられますか?」と訊いた。
「いちゃつくとは」
「つまり、いちゃつく、ですよ」
 僕は、意味深な視線を小出さんに向ける。小出さんは「あぁ」と理解したようだ。
「今まで見た事がないからわからんが。でも多分、君達のは全然平気だと思うよ。むしろそこを芸術的に撮影する事にカメラマンとしての腕が試されているようで、燃えるがね」
「わかりました」
 そうと決まれば、躊躇いはない。
 僕はシノさんに近づいて、彼を椅子から立ち上がらせた。
 そのまま椅子を脇によせ、二人で向かい合って床に直接座る。
「シノさん、リラックス、リラックス」
 僕は最初色気とは無縁の口ぶりで、シノさんの肩を揉んだ。シノさんが「ごめんな、なんかまた緊張してきちゃって・・・」と呟く。
「大丈夫ですよ。うまくいってます」
 肩を揉む手を、首筋にずらして行く。
 そしてそのまま、耳の付け根から顎のラインまで右手の人差し指で辿る。
「・・・千春?」
 きょとんとしているシノさんに、そのまま僕は口づけた。
「っ!」
 ビクリとシノさんの身体が震える。
 まさかここでキスをされるとは思わなかったのだろう。
「ち、千春!」
 唇を離すとシノさんは頬を赤らめて、横目で小出さんの方を伺った。
 完全にドギマギしてる。
 僕はシノさんの耳元に呟いた。
「恥ずかしがらないで、シノさん。あなた、去年のクリスマス、もっと大勢の前で僕にキスをしたでしょ?」
「いや、あれは、夢中だったから・・・・」
「じゃ、今も夢中になってください、僕に・・・」
 そう囁いて、僕は再びシノさんに口づける。
 今度はさっきよりも長く口づけを交わして唇を離すと、シノさんが僕のキスに絆されてホウと吐息をついた。
 黒目がちな瞳が、とろんとしている。
 遠くでシャッター音が聞こえたが、僕はそのまま気にせずにシノさんの首筋にキスを落とす。
 ピクリとシノさんの身体が跳ねた。
 僕は体勢を変えて、後ろからシノさんを抱き締めると、首筋に顔を埋め「シノさん、好き・・・。愛してるよ」と囁いた。
 これは芝居でもなく、シノさんをのせるための言葉でもなく、思わず感極まって自然に出てきた言葉だった。
 それはシノさんにも伝わったらしい。
「 ── 千春・・・」
 シノさんの手が前に回した僕の腕を撫でる。
 もうシノさんは完全にカメラの存在を忘れてしまっているようだった。
 僕はシノさんのタンクトップの裾を掴むと、そのまま上に引き上げた。
 シノさんは素直に両腕を上げてくれた。
 僕はタンクトップをシノさんの身体から抜き取る。
 向こうで小出さんの溜め息をつく声が聞こえたような気がした。
 僕も、シャツを脱ぎ捨てる。
「シノさん、キレイだね・・・」
 僕は再びシノさんを後ろから抱きすくめる。
「千春・・・」
 吐息のようなシノさんの声。
「シノさん」
「ん?」
「生まれてきてくれて、ありがと。生きててくれて、ありがとね」
 僕がそう言うと、シノさんが僕の腕から逃れて、僕と正面から向き合った。
 そうしてシノさんは、僕の目から溢れた涙を、親指でそっと拭ってくれた。
 そして今度は、シノさんが僕を胸に抱き寄せたのだった。

 

here comes the sun act.21 end.

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編集後記

この写真集、何は隠そう、オイラが欲しいです(笑)。
素敵な腹筋が写ってそうだ・・・。
いちゃいちゃシーンも適度に写ってるし。いいなぁ、男前二人のラブい写真。
しっかし、腹筋と言えば。
現在陸上の大会を見ながらこれを書いてますが、女子の選手でも見事に腹筋割れてますね(!)。凄いっす。
現在国沢はスポーツクラブに通い始めて。かれこれ二ヶ月ほどになりましたが、多少お腹は引き締まってきましたけど、腹筋の筋が見えるまではほど遠いっす(脂汗)。
六つに割るつもりはさらさらないですが、真ん中に線ぐらいはほしいような気がする・・・。無理か・・・無理かもな・・・。
ま、今は、ミッチロリンパーティーのために脚を細くすることに全力を尽くしています。まだまだだけど・・・。
この一週間は風邪をひいてジムに通えなかったので、多少緩んできたような気もする(大汗)。
今後の二週間が勝負です!

[国沢]

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