act.19
<side-CHIHARU>
パーティー会場から出て、タクシーを捕まえると、僕はシノさんのマンションの住所を運転手に告げた。
「シノさん、大丈夫?」
僕がシノさんにそう声をかけると、シノさんは僕を見て「何でそんなことを訊くんだろう」というような表情をした。その後シノさんは少し笑顔を浮かべて、「あぁ、大丈夫だよ。そんなにお酒、効いてない」と答えてくる。
── そういう意味で訊いた訳じゃないんだけどな・・・。
僕は喉元まで出かかったその思いをグッと飲み込んだ。
だって、シノさんを不安にさせたのは僕だし。
僕が悪いんだし。
葵さんの言う通り、儀市との会話に気を取られて、シノさんを放ったらかしにしてしまった僕の落ち度。
誰かに僕がそのうち浮気するって言われて、きっとシノさん、そんな風に思っているんじゃないだろうか。
いつもなら表情を見るだけでシノさんの考えていることなんかすぐにわかるのに、今日に限っては、まったくわからず。
通り過ぎて行く街の明かりに照らされるシノさんの横顔は、いつもと違って淡々としていて、凄く大人びた静けさがあった。
でもシノさん。
そういうの、逆にこっちが不安だよ。
タクシーを捕まえる前に、「シノさん、誰に何を言われたかわかりませんけど、僕は浮気しませんから」と言ってみたけど、シノさんは「わかってるよ」というだけで、今の横顔と同じような表情を浮かべて通りを見つめていた。
── ねぇ、シノさん・・・、なに考えてるの?
そんな簡単な質問が、僕は今、できずにいる。
シノさんが考えていることを知ることが怖いと思ってしまうなんて、僕はなんて臆病者か。
もしかしたらシノさん、僕の奔放な過去のいろんな話を聞かされたのかもしれない。
それで、僕のこと、ほとほと呆れ返っているのかもしれない。
いや、呆れてるどころか、僕のこと軽蔑してしまっているのかも。
だって、過去に二股、三股なんてお手のモノだった僕の「浮気しません」宣言なんて、まったく信憑性ない。
自分の過去をこんなに激しく後悔したのなんて、ひょっとしたら初めてかもしれない。
こんなに恥ずかしいと思ったことも・・・・。
視線をおろせば、すぐ隣にシノさんの手があるのに。
その手が途轍もなく遠い・・・。
<side-SHINO>
「運転手さん、そこの標識のところでいいです」
俺がそう告げると、隣に座っていた千春が怪訝そうに俺を見た。
俺が指示した場所は、俺のマンションまで少し距離があったからだ。
タクシーの中では、千春に一言「大丈夫?」と訊かれてからは、互いに無言だった。
千春は心配そうに俺のことを見ていたが、幸い、堺さんと呼ばれていたあの人から言われたことをずっと思い返していたら不思議と酔いがすっかり醒めてしまって、飲んだ酒の量の割にタクシーの中で気分が悪くなって吐く・・・だなんてことにはならなくて済みそうだった。
あの人には、千春の浮気に気をつけろ、だなんて言われたけど。
もちろん、千春が浮気をしないってことは充分わかっていた。
葵さんも千春も、なんだか随分深刻そうに何度もそう言ってくれたが、そもそも千春が浮気するだなんてこと、考えてもいなかったことだし、今も考えてない。
ただ、儀市くんが千春と前に付き合っていたことは少なからず衝撃的だったし、千春がずっと「抱く側」の付き合いを恋人としてきたことを知って、俺は漠然とした不安に狩られていた。
だって、俺から見ても儀市くんと千春はとてもお似合いで、あの仲が良さそうな様子を見ていたら、なんであの二人が別れたのか、俺だって首を傾げてしまう。
話によると、儀市くんは抱かれる側で満足していた訳で、それは千春に取って願ってもない状況な訳で。それで仲がいいのだったら、別れる理由なんてないじゃないか。
それでも千春は今、儀市くんじゃなくて、俺と付き合ってる。
千春の願いに応じられない俺なんか、と。
なんで二人は別れたんだろう。どうして別れることになったんだろう。
そんなの一言、「なんで儀市くんと別れたの?」って千春に訊けば、きっと千春ははぐらかさずに答えてくれるはずなのに、なんかそれを訊くのが怖くて視線が宙に泳いでしまった。
自分の好きな人に、こんな質問すらできないなんて・・・。
自分の臆病さ加減が、ほとほと嫌になる。
俺の漠然とした不安はきっと、千春が「浮気」することなんかじゃなく、千春の要求に答えられない俺が、千春の「本気」を得られる存在でなくなってしまうかもしれないことに対する不安。
つまらない男のプライドとか、経験したことのない世界への恐怖とか、そんなちっぽけなことにこだわり続ける俺に、いつまでも千春が付き合ってくれるとは思えない。
だって千春にとっては、「抱かれる側」が負担なのに、俺に合わせて無理をしてくれてる訳だから。
どちらか一方が無理しなきゃいけない関係なんて、そんなのダメだと思う。
俺は千春と違って恋愛経験がからっきしないけど、世間一般的に考えても対等じゃない恋愛関係って間違ってるだろ?
だから俺、千春に言わなきゃと思って、早めにタクシーを降りたんだ。
運転手さんにこんな会話聞かせる訳にはいかなかったし、部屋に帰るまで待てなかったし。今、言わなきゃと思って。
不安げに俺のことを見る千春を横目に、俺はタクシーの支払いをさっさと済ませると、二人してタクシーを降りた。
辺りは当然のようにシンと静まり返っていて、道を照らすのは街頭と薄ぼんやりとした月明かりだけだった。
俺がマンションに向かって歩き出すと、千春もついてくる。
俺は千春が横に並んだのを見計らって、言った。
「千春。今夜・・・して、くれないかな」
千春が足を止める。
二・三歩進んで俺も足を止めた。
振り返えると、八の字眉の千春がいた。
「シノさん、それって、僕がシノさんを抱いていいってこと?」
千春にはっきりそう言われて、俺は急に恥ずかしくなった。
やたら頬が熱かったけど、俺はこくりとしっかり頷いた。
てっきり千春は喜んでくれると思ったんだけど。
でも千春は、溜め息をついて、苦笑いした。
「シノさん、パーティー会場で言われたことなんて、気にしないで」
「・・・千春・・・」
「大体なんて言われたか、察しがついたよ。僕が恋人と付き合う時は大抵抱く側だったってこと、言われたんでしょ。ひょっとしたら、僕が抱かれる側でいるのがわかって、随分驚かれたりしたとか?」
あまりに図星だったんで、俺は口ごもるしかなかった。
千春は「やっぱりね」と呟いて溜め息をつく。
「シノさんは僕がいやいやシノさんに抱かれてるとでも思ってる?」
「え・・・、えぇと・・・・その・・・でも、抱く方がいいんだろ?」
「確かに前はそうでしたけど。でも僕は一度たりともシノさんに抱かれて『嫌だ』なんて思ったことはありませんよ。でなきゃ、あんなに何度もイッたりしない。男の身体が嘘をつけないこと、シノさんだってわかるでしょ」
俺は、千春との夜をいくつも思い出して、益々顔がカーッと熱くなった。
確かに千春の言ってることは本当だってわかる。
実際、男の身体は嘘つけないし。
でも、千春は「したい」と思った訳で、だからこそ「していい?」って俺に訊いてきた訳で。
俺はそう思ったから、やたら恥ずかしくはあったけど、こう言った。
「でも、千春は俺のこと抱きたいって思ったんだろ? 思ったから、あの時そう言ったんだろ?」
千春はバツが悪そうに苦笑いして、一回地面を見ると緩く首を横に振った。
「確かにそれは事実ですけど」
「だろ? だから俺は、千春に我慢してほしくないんだ。無理してほしくないんだ。対等な関係じゃないなんて、フェアじゃない」
「そうですよ!」
千春が一瞬語気を荒くした。
でもすぐに千春は、自分が乱暴に声を荒げたことを凄く後悔したような表情を浮かべ、「すみません」と言った。
俺が「いいよ」という意味で首を横に振ると、千春が近づいて来た。
「無理する関係なんてフェアじゃない。僕だってそう思ってます。だから。だからこそ僕だってシノさんに無理なんてしてほしくない。無理矢理シノさんを抱きたくない。前にもそう言ったじゃないですか」
千春の手が俺の頬に触れようしたけど、触れる寸前で拳を握った。
「僕がシノさんを抱きたいって言ったことなんて、もう忘れて。抱くとか抱かれるとかそういう表面的なことが、対等な関係に繋がるってことではないんです。気持ちが大切なんだってこと、シノさんだってそう思いますよね」
俺は再度こくりと頷いた。
「念のためにもう一度言いますけど、僕はシノさんとの関係で無理なんてしてません。あなたに抱かれることは素晴らしい経験だし、シノさんが傍にいてくれることが何よりも幸せなんです。僕が願うとすれば、シノさんもそう思っていてくれてたらいいなということ。僕が傍にいて幸せだと感じてくれることだけです」
俺は唇を噛み締めた。
鼻の奥がツンとして。
「俺も、千春が傍にいてくれて幸せだよ。本当に。心の底からそう思うよ」
俺がそう言うと、千春がほっとした表情を浮かべた。
千春が、おずおずと手を差し出す。
でもその手が俺の手を取ることはなく。
怪訝に思って俺が顔を上げると、千春も泣きそうな顔をしていた。
「シノさんから・・・繋いで」
千春、不安にさせてごめん。ごめんな・・・。
俺はしっかりと千春と手を繋いだ。そしてそのままグイグイ千春の手を引いて、マンションまで帰った。
明日は仕事の日だったけど。
でもどうしても身体で愛を確かめたくて。
その日は互いに「一回だけ」と約束して、深く抱き合って眠った。
here comes the sun act.19 end.
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編集後記
本日、少々テキスト量が短い更新となりました。
じ。実は・・・。
先週でストックがなくなったから(青)。
今後はちまちまと自転車操業ならぬ、自転車更新となる予定でございます。
おほほほほほほ~~~~~~!!!
(↑沸き上がる不安感)
が、頑張ります。
[国沢]
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