act.43
<side-SHINO>
社に戻ると、俺は早速課長に報告をした。
実のところ、他の課でも同系列の支店から取引終了を告げられて、ちょっとした騒ぎになっていた。
営業会議は、月・水・金と朝10時から一時間行ってるが、今日は終業時間間際の緊急会議が招集された。
社長や専務、常務の幹部職員達は、酒造組合の会合に参加しているとのことでまだ帰社しておらず、社長達抜きで営業会議を行うことになった。
一の瀬営業部長と各営業課の課長、そして今回問題になったスーパーチェーンの担当の営業(過去に担当していたメンバーも含めて)、更に元・営業部長で今は配送部の部長になっている上谷さんが出席していた。元々は、上谷部長が開拓した顧客だったからだ。
会議の冒頭、他の営業課の課長より、理由も聞かされずに一方的に取引の中止が告げられたことが報告された。
全部で七店舗あるうちの今日営業に回った四店舗で全て同じ申し出がなされていた。
おそらく・・・いや間違いなく、俺の一件でチェーン店全てが足並みを揃えて取引中止を決定しているのは間違いなかった。
ろくに理由を聞かされず、取引の中止を告げられた営業達は、不安げな表情を隠さなかった。
もし俺がその立場だとしても、そうなるだろう。
俺は再び、心臓がギュゥとしぼられるような感覚を覚えた。
本当に、申し訳なく思った。
「それで? 日本酒課では取引中止の理由を把握しているんだろう。荻原?」
「はい」
うちの課の課長が、苦々しい声で俺が報告した内容を答えた。
週刊誌の報道で俺の学歴が判明し、それが取引停止の理由であるとの報告がされると、会議室の中がどよめいた。
日本酒課のメンバー以外の者達が、驚きの表情で互いに顔を見合わせた。
俺は正直、皆の反応が怖かった。
いくら間違った生き方はしていないと偉ぶっても、こうして皆に迷惑をかけてしまってるのは明らかな事実で、俺の学歴が元で皆の努力が水の泡になってしまう事態に、立つ瀬がなかった。
スーパーの店長の前では、千春との関係についても決して汚れたものではないと・・・いやそれは今でも思っているが、それも含めて皆にどう思われることになるのかと思うと、喉が詰まる思いだった。
きっと千春が心配していたのは、こういうことなんだ。
俺、千春にはカッコつけて「そんなの気にしない」と言ってきたけど、現実を突きつけられて、自分の考えが甘かった。
現にこうして今俺は、「皆から嫌われたらどうしよう」「仕事から外されたらどうしよう」なんていう低いレベルの不安感で身体中がいっぱいになっている。
俺は、己の弱さと恥ずかしさを思いしらされた。
これまで仲の良かった・・・それは同僚ばかりか部長達でさえだ・・・人達が自分を見る視線がとてつもなく怖く感じて、俺は怯えたリスのように、皆の言葉を待った。
この問題に対して初めて口を開いたのは、同い年で蒸留酒課の寺田だった。
「はぁ? 本当にそれが理由なんですか?」
寺田は、呆れたような声を上げた。
「本当に、シノの学歴が中卒なのがダメだと?」
寺田は確かめるように俺と萩原課長を繰り返し見た。萩原課長は、うんうんと二回頷いた。
「実は、この会議に入る前、俺自身電話で確認をした。内容は、シノが報告してきた内容と同じものだった」
寺田はハッと息を吐き、苦笑を浮かべ、首を横に振った。
それを皮切りに、ワイン課の滝沢やビール課の伊関さんが「別に世の中には、中卒で働いている人達なんてごまんといるでしょう」「学者でもあるまいし、学歴なんて今時関係あるんですか?」と口々に言った。
俺は、皆の言葉に内心、ほっとしてしまった。
自分のことを擁護してくれる空気になったからだ。
── 俺って、つくづく浅ましい・・・。
内心安堵する自分自身に、俺は少し嫌悪感を覚えたし、同時にそんな同僚達を持って嬉しいとも思った。
気持ちは凄く複雑だった。
だが一の瀬部長は、腕組みをしてウ~ンと唸った。
部長は、世代で言えばあのスーパーの店長さんに近い。
それに、一の瀬部長は営業成績の統括をしているので、全ての取引金額を併せるとそれなりの金額になることが痛いほどわかっているのだろう。
「まさか、学歴のことを言われるとはな・・・。それに・・・、まぁ言いにくいが、シノの妹さんは一度も籍を入れなかったのか、相手とは」
一の瀬部長のその発言に、再び会議室中がどよめいた。
「部長! そんなの、仕事と何の関係があるんですか?!」
寺田が椅子から立ち上がった。
続けて、伊関さんも立ち上がる。
「部長だって、シノが苦労してここまできたことを知ってるでしょう!! ここにいる皆はシノの仕事の姿勢に不満や不安を持っている人間は皆無ですよ。そうですよね?!」
伊関さんは、営業職の中でも古参で配送課の頃からの俺を知っていた。
俺が十代の頃は伊関さんと組んで配送することも多く、営業の厳しさを見せてくれたのも伊関さんだった。
「配送部の頃から、仕事はきっちりしていた。だからこそ、営業職に引き上げたのは、他でもない部長でしょ?! シノの妹さんだっていい加減な人間じゃないって、俺達だって知ってますよ」
寺田や伊関さんの言ってくれたことに、俺は涙が出そうになった。
特に美優のことまで庇ってもらえるなんて、本当に頭が下がる思いだった。
確かに子どもを身ごもった頃の美優は生活も荒れてはいたが、今では頼もしい伴侶を得て、しっかり母業をこなしている。そして今、また新たな子の母となろうとしている。
妹は、俺以上に苦労や辛い思いをしてきた。
そこを責められるのは、本当に心が痛む。
俺は必死の思いで、涙をこらえた。
この場で涙を見せる訳にはいかなかった。
一の瀬部長が口を開く。
「お前達の意見はもっともだ。俺もシノが中卒だからって、中途半端な仕事をしているとは思わん。妹さんが結婚して立派な家庭を築いていることも知ってる。だがな、世間様はそう見てはくれんということだ。世の中はそれほど、甘くはない。上辺だけのことを見て判断する人もいる。週刊誌の書いたバカバカしい記事を鵜呑みにする人間だって、たくさんいるんだ。お前らは、その連中の一人一人に、シノはそういう人間じゃないって誤解を解いて回るつもりか?」
会議室中がシンと静まった。
「話によると、訂正記事を載せるように流潮社が掛け合っているとのことだが、ああいったものは一度世の中に出ると決して消せない。今後こういうことが繰り返されるとも限らん。イメージとはこちらがコントロールしない限りは、他人が勝手にどんどん作っていってしまう。それはとても怖いことだ」
「じゃなんですか? 部長はシノを営業職から外すってことを言ってるんですか?」
寺田が部長に噛み付いた。
部長は、苦々しい表情を浮かべながらも「リスクを回避するために、時にはそういう判断も必要になる」と呟くように答えた。
一同、またどよめいて互いに顔を見合わせた。
伊関さんが口を開く。
「今まで、一緒に苦労して頑張ってきた同志を切ると言うんですか?」
伊関さんの言葉に、若いメンバーがうんうんと頷く。
「俺達はそんな卑屈な思いまでして営業をしなければならないんですか? これまでの取引実績ではなく、単なる週刊誌の作り上げた評価を鵜呑みするような、濁った目をした取引先にへつらいながらも仕事を貰わねばならんのですか? 我が社の価値観は、そんなものですか? 我が社の尊厳は、どこにあるんですか?」
伊関さんの言った言葉が、一の瀬部長のスイッチを押した。
「俺だって、悔しい思いをしてるんだ!! お前が言った通り、俺が営業部長になって初めてした仕事がシノを配送部から営業部に引き抜くことだったんだぞ! 俺だってシノが営業をすることに、思い入れがある! だが、今回の取引先は、上谷部長が苦労して開拓した取引先だ。それを引き継いだ者として、感情に流されていい加減な判断はできんのだ!」
皆、驚いた。
一の瀬部長は普段からよく怒鳴る人だから、部長が怒鳴ることは不思議でもなんでもなかった。
だが今は、部長の怒鳴り声が少し湿っていたことに、皆一様に驚いていた。
部下の前では決して涙を見せない人だったからだ。部長の奥さんが亡くなった時でさえ、そうだった。
静まり返った会議室の中の視線が、自然と上谷配送部部長に集まる。
上谷部長は一の瀬部長の先輩に当たり、部長級では一番の年長者に当たる。
上谷部長は、意外にも穏やかな顔つきで座っていた。
その上谷部長が口を開く。
「確かに、取引を始めたのは私だけどね。取引を今まで繋いでくれたのは一の瀬君を筆頭とした今の営業部体制だし、取引量を増やしてくれたのは他ならぬ日本酒課の手島君だ。だから、今回の件は日本酒課に一番発言権があるのではないかと、私は思うがね」
上谷部長がそう言ったので、皆の視線が今度は日本酒課の俺達三人に集まった。
萩原課長は少しフゥと息を吐いて、俺を挟んで右側に座る手島さんを見た。
「実際に苦労してきたのは手島ですから。おい、手島、お前が答えろ」
俺は手島さんを見た。
手島さんも俺を見返した。
俺は思わず、「すみません」と小さく謝った。
手島さんは、いつもの陽気な表情は鳴りを潜め、凄く真面目な顔をして皆に向き直った。
「俺としては、正直がっかりしました」
そのざっくばらんな物言いに、その場の空気が少し柔らかくなった。
「がっかりとはなんだ?」
部長が拍子抜けしたような表情を浮かべ、手島さんに声をかけた。
手島さんは答えた。
「俺だって、さほど立派な人間じゃありませんけどね。まさか、心血注いで尽くしてきた相手に、そんなちっぽけな理由でフラれるなんて、了見が狭いなぁ・・・と。道理で俺、ダメな女ばかり掴むわけだと自分にがっかりしました。ようは見る目がないなってことで」
手島さんの言い草に、上谷部長が真っ先に笑い声を上げた。
それにつられて、他のメンバーも笑い始めた。
手島さん・・・。神妙な顔して、そんなこと考えてたんだ・・・(汗)。
「まぁ、今回の原因を作った課の俺が言うことじゃないかもしれませんがね。でも、表面的なことでしか評価してくれないとこと取引しても、この先いいことないんじゃないかなぁって思うんですよね。今回はたまたまシノのことが原因になりましたけど、俺達のこれまでの頑張りをちゃんと見てくれてないってことでしょう? そんなんなら、別にシノのことじゃなくても、そのうち何かの拍子に消えてなくなる顧客じゃないか、と。俺はそう思うんですよねぇ。だからまぁ、いっかって感じです」
手島さんは呑気にそう言う。
やっぱり、こんな深刻な局面でも、手島さんは手島さんだった(汗)。
「手島・・・お前ってヤツは・・・」
一の瀬部長が口をあんぐり開けている。
上谷部長は更に笑いのツボに入ったらしく、笑い過ぎて目に浮かんだ涙を拭っている。
伊関さんは、「この状況でそんなこと言えるお前に、逆に畏敬の念を覚える」だなんて呟いた。
我が課の萩原課長は、閉じた扇子で額を叩いた上に頭を何度も下げて、「部下の教育が行き届いてなくて、申し訳ありません」と謝った。
でも俺は、その場にいるメンバーとは違う気持ちでいた。
だって俺は、身近で手島さんの苦労を見てきたからだ。
休日や夜でも突然の呼び出しに答えたり、時には他の会社の納入作業を手伝うこともあった。
手島さんができたから、俺も頑張ることができたんだ。
その場の雰囲気は、今回問題となったスーパーとは手を切るという方向に流れて行っていた。
でも、それはダメなんじゃないかって、俺の中で違和感を感じた。
俺は立ち上がった。
「ダメです」
反射的にそう口をついて出ていた。
皆が一斉に俺を見た。
「そんなの、ダメです」
「何がダメなんだ?」
一の瀬部長が手島さんに声をかけた時と同じような表情を浮かべた。
「これで取引がなくなることがダメだってことです」
一の瀬部長が、困ったように眉を八の字にした。
「お前、せっかく手島が場をまとめた・・・かどうかわからんが、まぁなんとか話がまとまろうってとこに、またなんで・・・」
ほとほと疲れたといったような一の瀬部長の様子に、萩原課長が再び「部下の教育が行き届いてなくて、本当に申し訳ありません」と謝った。
「俺は手島さんの苦労を知ってます。そして、皆の苦労も知ってます。一の瀬部長や上谷部長の苦労もきっと大変だったろうと思う。それをわかってて、諦める訳にはいきません。もし俺が外れることで会社がいい方向に進むのであれば、俺は外れます」
俺がそう言ったら、隣の手島さんにゲンコツで腰の部分を押された。
「お前さぁ、例えお前が外れたってダメだって言われたんだろう? 営業から帰ってきたなりに浅川に捕まって、散々聞かされたぞ」
上谷部長が頷く。
「ああ、確かに浅川がそう吠えていたな。篠田が担当を替わってすむ問題じゃないって言われたと」
「それは・・・」
「だからシノ、気にするなって」
寺田がそう言ってくれる。
「そうだよ。シノは、これまで通り、他の仕事で頑張ればいいんだよ。幸い、他の取引先は通常通りな訳だからさ」
伊関さんの台詞に、そうだそうだと声が上がった。
一の瀬部長もここが切りどころと判断したのか、
「とにかく、皆の意見はほぼ固まった。皆に悪いと思うシノの気持ちもわかるが、手島が今言った通りだ。お前が営業職を辞して戻ってくる取引先でもない。社長や専務には、俺から報告しておく」
と言って、会議をお開きにしてしまった。
皆が会議室を出て行く時、俺の肩を叩いて行く。
でも俺は、しばらくその場から動けなかった。
こんなのダメだっていう思いばかりが浮かぶ。
頭の中に浮かんだモヤモヤの霧は、消えることはなかった。
here comes the sun act.43 end.
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編集後記
先週は、お休みしましてすみませんでした(大汗)。
こういう苦しいシーンは、実は書く方も結構苦しくて、なかなか筆が進まず・・・。
二週も時間をかけて書いてしまいました(汗)。そんなに長いシーンでもないのに(ざぼ~ん)。
結局のところ、シノさんはよき同僚に恵まれているものの、本人は今ひとつ納得せず。
いや~、頑固ですな。
ここまで頑固な人だとは、思わなかった。
まぁ、我がサイトの子達は、頑固系の人多いですけどね。
真一さんしかり、櫻井くんしかり、ショーンしかり・・・。
あれ?どれも受けキャラだな(脂汗)。
やっぱ、アタシの中でシノくんは受けキャラの位置なのか・・・。
身体は攻めなのに、心は受け。
その点で言えば、これまでにいなかったキャラかも???
さて、次週シノくん、どうするつもりなんでしょ?!
ではでは~。
[国沢]
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