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act.61

<side-CHIHARU>

 行かないでくれとシノさんに抱きしめられ、僕は身体の前に回されたシノさんの腕に手を添えた。
「 ── シノさん・・・」
 正直ちょっと驚いてしまった僕は、身体の向きをシノさんの方に向けようとしたが、シノさんは腕の力をギュッと込めて、僕は動けなかった。そんなに力を込めて抱きしめられると、痛いし苦しい。でもその力がシノさんの思いの重さだと思うと、その痛みですら心地よかった。
 シノさんは僕の肩口に顔を埋めたまま、大きく息を吐く。
「今千春に出て行かれちまったら・・・俺・・・俺・・・」
 大きく吐き出した息とは正反対の小さく籠った声。
 僕はシノさんをこの手で抱きしめたくてたまらなくなった。
「ね、シノさん、腕弛めて・・・」
 僕はそう言ったが、シノさんは僕が出ていくためにそう言っていると思ったのか、僕の背中で首を横に振ったのがわかった。
 その仕草がまるで子どもみたいで、身体の奥から愛おしさが込み上げてくる。
「シノさん、もう出て行かないよ。今夜はここにいる。だから腕弛めて。僕だってシノさんをちゃんと抱きしめたい」
 僕がシノさんの腕を柔らかく撫でながらそう返すと、ようやくシノさんは腕の力を弛めてくれた。
 僕が身体の向きを変えると、シノさんは顔を俯けていた。
 その熱い頬に手を添えて、僕の方に向けさせる。
 シノさんは泣いていなかったけれど、その瞳は少し潤んでいた。
 僕はたまらなくなって、シノさんを抱きしめる。
 ああ、自分が身長に見合った長い腕の持ち主でよかったと心底思う。
 僕の長い両手は、広い背中をしているシノさんでもすっぽりと抱きしめることができるのだから。
 僕は僕の気持ちを伝えるために、ギュッと腕に力を込めた。
 シノさんが、僕の首もとに顔を埋める。
 そうして彼も、僕の背中に腕を回してきた。
「シノさん・・・。僕は世間の人達みたいに会社勤めもしたことないし、シノさん達の苦労に共感する能力がないのかもしれないけど、この世の中の誰よりも負けないくらい、シノさんのことを思っています。 ── だから時には、『大丈夫じゃない』って言ってほしいんだ」
 僕がそう言うと、僕の胸元でシノさんがうんと頷いた。
 そうしてしばらく抱きしめ合ってると、ふいにシノさんが顔を上げる。
 凄く至近距離に、シノさんの美しい顔。 
 涙に潤んだ瞳で、彼は照れくさそうに口をヘの字にした後、小さく「大丈夫じゃない」って呟いた。
 見つめ合ったまま、思わず二人同時にプッと少し吹き出す。
 そうして僕は、シノさんの後頭部に右手を添わせて、僕の肩口に彼の頭を引き寄せた。
 シノさんを安心させるように、後頭部を軽くポンポンと叩く。
「なんかさ・・・俺・・・」
 シノさんがこもった声で話し始める。
「きっとさ、俺に起こる全てのことに意味があるって、いつも思ってるんだ。起こること全てが、全部俺に取って必要なことなんだって」
「 ── それって、何だか仏教みたいな話だね」
「いや・・・、そこまで大層なことじゃないんだけど・・・。親が早くに亡くなってしまったのも、妹がグレちゃって早くに子どもができたことも、加寿宮社長にバイト先で拾われたことも、今までいろんな苦しいことや悲しいこと、もちろん嬉しかったこともいろいろあったけどさ。それが全部必要なことだったんだって、いつも思ってるんだ」
 僕はシノさんの後頭部を撫でながら「うん」と相づちを打つ。
「苦しいことは、俺がそれに耐えなければならない壁なんだって思うし、嬉しいことはその壁を越えたご褒美なんだって思ってきた。例えば、妹がグレて子どもができた時、妹を放ったらかしにしていた自分を責めたし、妹からも責められた。凄くショックだった。でも、兄妹でその苦しみを乗り越えてハルが産まれた時、本当に嬉しかったんだ。なんか・・・ハルの顔を見るだけで今まで重苦しかった空気がパァと晴れて、理屈なく幸せに思えた。それに、千春とのことだって・・・」
「ん? 僕?」
 僕が訊き返すと、シノさんは「うん」と頷いた。
「千春との出会いだって、俺がその・・・童貞でなければああいう展開にはならなかった訳だし、元を辿れば、先輩マネージャーに『刺身のツマ』だって言われなければ、千春とこうしてはいなかったんだと思うと、やっぱりあの時傷ついたりはしたけれど、それだけに千春という素晴らしい人と出会うことができたんだって、そう思うんだ」
「シノさん・・・」
 僕は胸が熱くなって、再び鼻の奥がツンとなった。
「だから・・・。だから今回の川島のことも、何か意味があるんじゃないかなぁって、そう思っちゃってさ・・・。これは俺が耐えるべき意味のあることなんだって。だから弱音は吐くもんじゃないんだって、そう思ってた」
 シノさんはそう言って顔を起こす。
 そうして顔をくしゃっとして笑顔を作ると、
「なぁんてな。そうやってカッコつけてるけど、ホントは一度弱音吐き始めたら止まらなくなるんじゃないかって思ってさ。俺、ダメ人間だから」
 と言ってハハハと力なく笑った。
「ダメ人間だなんて。僕はこんなに頑張り過ぎるダメ人間にはお目にかかったことはありません」
 僕は無理して笑顔を浮かべいているシノさんのほっぺをムニッと摘んだ。
「シノさん。悲しい時には泣いて。そして楽しい時には一緒に笑いましょう。苦しい時には・・・そうだなぁ。僕はあなたのために、おむすびを作ります」
 僕がそう言うと。
 みるみるシノさんの目から涙が盛り上がってきて、ぽろぽろと零れ落ちた。
 シノさんは何か言おうとしたけど、口は戦慄くばかりで、何も声にならなかった。
 僕がシノさんを再びギュッと抱きしめる。
 シノさんは、僕の肩に顔を押し付け泣いた。
 僕も思わず涙ぐむ。 
 きっと僕だって。
 僕の人生がこれまで ── 両親も含めて人の縁に遠かったのは、シノさんに出逢うための『乗り越えるべき壁』だったのかもしれない。
 もしその法則が本当なら、これまでの不遇の人生は僕に取ってとても意味深い人生だったんだ。
 何だか、シノさんの言ってくれた言葉が、僕のこれまでの酷い人生を肯定してもらえたようで、心の奥が震えた。
 まだ三十にもならないうちからこんなこと考えるのは大げさかもしれないけれど、シノさんと出逢うまではいつ死んでもおかしくない生活をしていたから、あながち大げさでもないんだ。
 しばらくシノさんの涙を肩で受け止めて。
 泣きじゃっくりに震える背中をあやすように何度も撫でていると、シノさんが顔を起こした。
「ん? 落ち着いた?」
 涙に濡れた頬を僕が手で拭ってあげると、シノさんは少年のように口を尖らせてひと言呟いた。
「なんだかエッチな気分になってきた」
 言った直後にカァッと顔を真っ赤にするシノさんに僕は思わず微笑んで、額にキスをした。


 一頻り抱き合って互いに満足しきると、僕とシノさんは狭いベッドの上に身体を起こして、窓から月を見つめた。
 くしくもそれはそれは綺麗な満月で。
 満月だからシノさんは、僕を求めてきたのかなぁと思った。
  ── 明日仕事があるのに。
 僕がベッドヘッドの部分に凭れ掛かって座り、シノさんは僕を椅子代わりにして座っている。 
 シノさんはぼんやりと僕の脛をゆるゆると撫でた。
「ねぇ、シノさん、明日大丈夫?」
 僕はシノさんに求められるままシノさんを勢いで抱いてしまったけれど、これまで明日が休みじゃないのにそうしたことは一度もなかった。
 でもシノさんはまだ情事の熱が冷めないのか、ぼんやりとしたままで、「まぁ・・・なんとかなるだろ・・・」と呟く。
 本当は疲れているシノさんを休ませてあげないといけない立場なのに・・・と僕は自己嫌悪に陥った。
「シノさん。明日起きた時に腰が痛かったら、申し訳ないけど会社は休んだ方がいいからね。熱出ると困るから」
 僕がそう言ってもシノさんは甘い声で「うーん」と気のない返事するだけだ。
 そんなシノさんが子どもっぽくて、僕は思わず苦笑いした。
 シノさん、カワイ過ぎだよ。
 僕は思わずシノさんの髪の毛にキスを落とす。
 僕は、今ならシノさんに聞けるかもしれないと、今まで聞きたくて聞けなかったことを切り出した。
「シノさん・・・。シノさんは、ご両親が亡くなった時も泣かなかったの?」
「ん? そうだなぁ・・・」
 シノさんは今までダラリと座っていた体勢を少し正して、でも改めて僕の胸にドンと背中を預けた。
 僕はその仕草に微笑みながら、シノさんの裸の肩にキスをする。
「よく考えると、そうかもしれないなぁ・・・。泣く暇なんてなかったし」
「交通事故だっけ?」
「ああ。道路に飛び出してきた自転車乗りのおばぁちゃんを避けようとして対向車線に飛び出したんだ。トレーラーと正面衝突。相手が軽い怪我ですんで、こっちは即死だったのがせめてもの救いって感じだったな」
「そうなんだ・・・」
 僕は、シノさんの身体に腕を回して彼を抱きしめる。
「遺体も目で確認できない有様だったし、今ひとつ両親が死んだ感じがしなくて。でもいつまで経っても二人は帰ってこないし? 取り敢えず遺体の状態が悪いから葬式する前に先に火葬しないとダメだって警察から紹介された葬儀屋さんに言われて、言われるがままに段取りしてもらった。その後事故処理の保険屋さんとか生命保険の人とか入れ替わり立ち替わりで、書類の手続きだのなんだと大忙し。親父の勤め先の人が手伝ってくれてなんとか体裁は整えたけど、本当に泣いてる暇はなかった。妹はずっと泣いてたけどね」
「シノさん・・・・辛かったね」
 僕がそう言うと、シノさんは肩を竦めた。
「あの時は必死だったから、泣くのを忘れてたんだよ。それにその後、ちゃんと泣いたしね」
「そうなんだ」
「うん。高校、辞めた時。クラスの皆に泣いて見送られて。その時は流石に泣いたなぁ」
 僕は何だかたまらなくなって、シノさんの頬に自分の頬を寄せた。
 シノさんの身体の中の悲しみが身体の触れ合ったところから僕にうつってくるといいのに。
「そうだ、千春」
「ん?」
「今度・・・ほら新しい家のリフォームが終わって引っ越しする前にさ」
「うん」
「よければでいんだけど・・・、両親の墓参りに行かないか? 二人で」
 僕は驚いてシノさんから顔を話すと、至近距離からシノさんをマジマジと見た。
 シノさんは僕の視線をどう思ったのか、ポリポリと頬を掻きながら「いやぁ・・・嫌だったら、いいんだ・・・」と呟く。
「嫌だなんて誰が言いました?!」
 僕が耳元にも関わらず大声で否定したので、シノさんは顔を顰めて手で耳を塞いだ。
「もちろん行きます。というか、連れて行ってください」
 そんなつもりはなかったけれど、怒ったように捉えられたのか。
 シノさんは小リスのような顔つきをして、「は、はい」と頷いたのだった。

 

here comes the sun act.61 end.

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編集後記

大人シーン書こうと思ったけど、なんか今日はその気にならず、書けませんでした(汗)。次回更新の時に書けたら書こうかな。
とはいえ、次週は土日とも仕事でお休みです。
年度末に向けて忙しくなってくるんだよなぁ~。

本日はちょっとシノさんの過去が垣間見えた回でした。
苦労人だなぁ・・・。
だから今は幸せいっぱいでいてほしいです。

ではまた!

[国沢]

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