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nothing to lose title

act.78

<side-CHIHARU>

 隣で書類を捲るような音を聞く傍ら、僕はずっと窓の外の風景を眺めていた。
 いや、正確には眺めいていた訳ではない。
 そんな僕の心境を、近頃の岡崎さんは意図も簡単に見抜く。
「心、ここにあらずってところ?」
「ん?」
 僕が岡崎さんの方に目をやると、岡崎さんは最後のページを読み終えて、僕の小説を出力した紙の束をまとめていた。
 データでは既に岡崎さんのパソコンにメールで送っていたのだが、彼女は今でもきちんと紙に印字された状態でしか原稿チェックを行わない。作業的にはひと手間かかるのだが、その方がきちんと読めて判断ができるとのこと。いつも僕が小説を書き上げ時は、仕事場でこの作業を行うのが儀式となっている。
「折角小説は面白く書き上げられているのに、本人はあまり興味がないみたいね」
 岡崎さんは、赤ペンの入った出力紙を僕の方に差し出した。
 僕はそれを受け取りながら、「よくわかりますね」と素直に答えた。
 どうせここで変に取り繕っても、益々詮索されるだけだ。
「どうしたの? 何か気になることでも? 例えば・・・初めての連載小説がうまく書けてるかどうか不安でしょうがないとか・・・・って、それはまったくなさそうね」
「はい」
 僕が即座にそう答えると、岡崎さんは天井を仰いで苦笑いを浮かべた。
「少しは小説家として可愛げのあるところを見せてよ」
「そんなこといったって岡崎さん。現に今、面白いって言ってたじゃないですか」
 僕が両肩を竦めると、岡崎さんは僕を指差して、「そう、そうなのよね」と呟いた。
「普通に面白いのよ、これが。今までのと違って結末がわからないから、以前の作品みたいにいきなりキリキリと面白い!って訳じゃないんだけど・・・なんかこう・・・じわりとくる面白さなのよね」
「自分でも、意外に思ってますよ」
 僕がそう答えると、岡崎さんは興味をそそられたかのように、少しだけ目を輝かせた。
「どういう意味?」
「意外に気負わずに書けた上に、じわりと面白いものが書けて、自分の新たな才能に驚いたってとこです」
 案の定、岡崎さんが笑い出す。
「相変わらずのビッグマウスぶりだけど、あなたの場合は実際にそうなんだから、段々と腹も立たなくなってきたわ」
  ── ということは、少しは腹が立ってたのか、昔は。
「まぁ、少し気になったところは赤ペン入れておいたわ。検討してみて。もし明日中に直せるようだったら、明後日の編集会議には直した後のものを提出できる。大丈夫そう?」
 僕は、目の前の原稿をパラパラと捲って赤ペンが入った箇所と内容を簡単にチェックした。どれも、修正には困らない範囲のものばかりだ。
「ええ」
 僕がそう答えると、岡崎さんは嬉しそうに目を輝かせて、手を揉んだ。
「私の予感じゃ、きっと満場一致で掲載決定になるわよ。どんどん続き、書いておきなさいね。 ── あ、そうだ。これ、コピー取らなきゃ」
 岡崎さんは、僕の目の前に置かれてあった出力紙を手に取ると、それをコピー機にかけた。
 リズミカルなコピーの音を聞きながら、ふと思い出したように僕の方を振り返る。
「あ、そうそう。で、さっきは何を考えていたの?」
「さっき?」
「ほら、私が原稿を読んでる間よ。ずっと外を見てたけど、本当は風景なんか全然目に入ってなかったんでしょ?」
 まさか蒸し返されるとは思っていなかった。
 僕はバツが悪くなって、少し頭を振りながら苦笑を浮かべた。
「別に大したことじゃないですよ。今頃シノさん、どこら辺を走ってるのかなぁ・・・とか、そんな他愛のないことです」
 岡崎さんは、コピーされたものをざっと確認した後、原稿を再び僕の方に差し出しながら、「あら、また篠田さん、出張? 今週はもう出張ないんじゃなかった?」と驚いた顔つきをした。
 岡崎さんは、僕のスケジュールに多大な影響を与えるシノさんの予定の確認も常に怠らない敏腕編集者だ。
 ま、正確には『僕のスケジュール』というよりは『僕のメンタル』に大きな影響を与えるわけで、澤清順の編集者としてそこは外せない大事な案件なのだろう。
「今度はどこに行ってるの?」
 さっき原稿を確認していた時より更に熱心に、前のめりになって聞いてくる。
「長野だって」
「長野? 今まであまり行ったことないわよね」
「あまりどころか、全然ですね。長野県は、別の人の担当だから」
「これまたどうして? 担当エリアが代わったの?」
 僕は首を横に振った。
「そういうことではないです。行方不明になっていた酒が、別の銘柄のラベルを貼られて、長野の酒蔵から販売されているらしいとのことで、それを確認しに」
「ええ~!」
 岡崎さんは目を丸くした。
「それって大事件じゃない!」
 薫風関連で起こった出来事については、岡崎さんもよく知っていた。
 確かに、岡崎さんのいうように一大事件だよな。もし本当にそうなら。
「なるほど~、それが気になって、気もそぞろってことなのね」
 岡崎さんはやや興奮気味にそう言ったが、本当のところをいうと、僕の気にしている点は、薫風が見つかったかもということよりも、シノさんが川島さんと対面するかもしれない可能性だった。
 夕べはシノさんに「絶対に千春は俺の味方でいてくれるから大丈夫」と言われて、その場で感じていた不安は消えたのだが、ひょっとするとまたシノさんが川島さんに傷つけられて帰ってくるのではないかと、その点の不安は払拭できなかった。
 どんなにシノさんが傷つけられてもそれを支え切る覚悟はあるが、そう腹を括ったとて、やはりシノさんが傷つけられるのは面白くない。シノさんが心穏やかで過ごしていけるのなら、それにこしたことはない訳で。
  ── 川島さんは、シノさんを偽善者呼ばわりした人だ。
 シノさんは、若い頃から苦労を共にした同僚であり友人だった川島さんのことを悪く言わないが、シノさんや田中さんから伝え聞く川島さんのエピソードを聞くにつけ、僕はいい印象を持ってはいない。
 僕の中の『川島像』は、ステータスが好きなくせに、ステータスを得るために彼が心を砕く努力はもっぱら表面的なことでしかなく、思考パターンが酷く薄っぺらな男。それでもプライドだけは高いから、同期の同僚だけが周囲から高い評価を得るのが我慢ならない。だけど薄っぺらな努力しかしてこなかったせいで、自分の力ではどうにもできないから、益々自分の中で悶々とする感情の悪循環を常に抱えている。
 こんなの、全然『いい人』なんかじゃないよね(笑)。
 僕がそんなことを思ってるだなんて知ったら、シノさんはきっと悲しむと思って口には出してないけれど、僕が感じている川島さんは、どちらかと言うと『悪い人』だと思う。 ── いや、『悪い』というよりは『弱い』が正しいのかな。まぁ、少し前まで僕もそちら側の人間だったので、川島さんには親近感すら感じている。
 だって世の中、シノさんみたいに真っ直ぐ生きるのは、とても難しい。
 シノさんは傷つきやすいけど、でも『強い』し、『いい』人だ。
 なんたって、悪人だった僕をここまで更生させてしまったんだから、いい人さ具合からいえば、相当なものでしょ。
 僕は完全無欠の『いい人』であるシノさんに救われたけれど、きっと川島さんは逆に耐えられなかったんだよね。眩し過ぎて。
  ── 何かを手放すか、それができなければ何かを受け入れることができていれば、彼はあんな騒動を起こさなかっただろう。
「そりゃ、今頃その川島と征夫とやらは、オークションで酒を捌いてウハウハなんじゃないの?」
 岡崎さんは面白おかしそうに・・・彼女も、こう見るとゴシップ好きのただのおばさんなのかなって思う・・・そう言って腕組みしたが、僕はこう思っていた。
 案外、今一番苦しんでいるのは、川島さんなのかもしれない、と。

<side-SHINO>

 長野県に入った途端、やはり雪が降ってきた。
 しかし幸いなことに、速度規制がされただけで高速道が止まる訳でもなく、車の列はスムーズに流れていた。
 今回の社用車は、寒冷地対応のスタッドレスタイヤだったので、チェーンをかける必要はない。
 行きに関しては問題がなさそうだったが、このまま雪が降り続いて道路が凍結するようだったら、やはり泊まりになるかもしれないと思った。
 ラジオからは、アップテンポなラップ調の音楽が流れていたが、俺の気分は外でしんしんと降る雪のように静かだった。
 栃木行きの出張でも1月2月は山間で雪に降られることも多い。だが、雪が降る様を見るのは嫌いじゃなかった。
 思えば、川島がいなくなってから、一人きりで出張することばかりとなっていた。
 俺達は課の中でも半人前同士で、二人で一人前と扱われることが多かったから、二人でよく出張に行っていた。
 長い道のりでも、二人なら退屈せずいろんなことを話しながら主張先に向かったものだが、今思えば俺は、一人きりの静かな車内に随分と慣れたものだと、内心少し驚いていた。
 それぐらい、長い間経ったってことだ。川島がいなくなってから。
 実質、時間的なことはほんの数ヶ月前のことなのだが、俺の中・・・いや俺を取りまく皆の中でも、あの一件は、随分昔の話のことのように思える。
 柿谷では、もう征夫さんの名前を聞かなくなった。
 きっと皆、意識的に話題にしないようにしているのかもしれないが、それ以上に今やらなければならないことがたくさんある、ということだ。
 実は、今回の長野出張の件は、柿谷にはまだ知らせていない。
 まだ間違いの可能性も残されているので、確認が持てないまま知らせて、万が一違っていたら、柿谷を掻き回すだけだと思ったからだ。
 今回の件は、間違っていてほしいと思う反面、そうであってほしいと思う二人の俺がいる。
 柿谷から黙って運び出した薫風に他のラベルを貼って売るというのは、そこそこ悪質な転売ケースだ。
 川島にはそんなことに加担してほしくないと思っている自分と、普通に考えて、あれだけ多量の在庫を持って行ったのだから、そりゃ売るのが当たり前だろう、と考える自分とが数分置きに入れ替わった。
 会社を出る時は、手島さんから両肩を掴まれ、「くれぐれもお前、深く考えるなよ。あれこれ思い詰めるなよ」と釘を刺された。
「俺みたいに、ちょちょちょ~いと軽めに行け」
 手島さんらしいアドバイスだったけど、あいにく俺の辞書に『ちょちょちょ~い』という文字はない。
  ── 俺って、やっぱり不器用なのかな。
 あまり自分ではそう思っていなかったり・・・むしろ仕事は段取りよくやってきたつもりだったんだが。
 でも昔から、皆に不器用者扱いを受けることが多いから、きっとやっぱり俺は不器用なんだろう。
 どうしたら器用になれるんだろうと考えもしたのだが、どこら辺が不器用なのかがわかってないから、器用になる方法もわかる訳はなく。
 田中さんにそんな質問を投げかけてみても、「篠田さんは、そのまま変わらなくてもいいんですよ」と言われる始末で、逆に俺は不安になった。
  ── 不器用な同僚って、普通、嫌だろ、それ。
 俺って、こんな風にして川島に負担をかけていたのかな。きっとそうなんだろうな。
 川島に会えたとして、アイツは俺にどんな言葉をかけてくるのだろう。
 ちょっと心臓がギュッとなった。

 

here comes the sun act.78 end.

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編集後記

突然ですが、最近、歩いてます。

・・・。

そんなの、都会暮らしの方は「当たり前やろ」と思う方もいるかと思いますが、地方在住で基本車社会の中で暮らしている国沢に取っては、意識的に歩かないと歩くチャンスはありません。
「首が痛いのを回避するためには、身体を動かすこと、姿勢をよくすること」といろんな方面の専門家から言われ続け、国沢できるところから始めることにしました。
お陰で、昼休みに歩いてちょっと遠くのお店まで昼ご飯を買いに行くようにするだけで、夕方頭痛に見舞われる確率が減って参りました。
よっぽどパソコンしてる時、姿勢が悪いんだな・・・と。
ということで、休みの日にもなるだけ一回は歩きに出るようにしています。
まだまだ『ちぃ散歩』の境地までは至りませんが、少しずつ身体のメンテにも気を砕くようになりました。
さすがにね・・・台湾の占い師に、「あなた50歳越えたら、途端に身体が弱るから、今のうちに備えないとだめよ」と言われたしな・・・(遠い目)。
年ですなぁ~~~~。

[国沢]

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