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nothing to lose title

act.63

<side-SHINO>

 川島が会社から姿を消してしばらく。
 会社は表面上何事もなく過ぎて行った。
 秋口のこのシーズンは冬の商戦にむけての営業が忙しくなり、洋酒チームはボジョレーとクリスマス商戦、日本酒・焼酎チームは年末商戦に向けての営業がスタートする。ようは、その忙しさの影響を受けて、川島の一件を構う暇がなくなったというのが本音のところだった。
 一人人員が減ってしまった日本酒課は、川島の持っていた仕事を営業職の四人で分担することになり、仕事量が増えていた。
 時期が中途半端なだけに新人社員を補充する訳にもいかず、どうやら年度内いっぱいはこのような状況が続くものと思われた。
 そのせいで、俺の出張も増えた。
 雑誌の取材関連の出張と、川島にふっていた分の出張案件が戻ってきたためだ。
 時には一週間まるまる出張しっぱなしというような週もあって、新居のリフォームや引っ越しの準備も千春任せになってしまっている。
「 ── やっぱり・・・、地味に柿谷の受注量が減ってきてるな・・・」
 俺のノートパソコンを覗き込み、手島さんが呟いた。
 群馬のとある蕎麦屋で互いに出張先に出た状態で待ち合わせて、昼食を一緒に取ることにしたのだ。ここぞとばかりに仕事上の情報交換をする。
「そうなんです・・・。どこかで下げ止まらないと、最初の頃のレベルまで落ち込むことになってしまうような勢いなんです」
 手島さんは天ぷら蕎麦を啜りながら、「やっぱり発注を一度でも飛ばすと、信用問題に大きく影響するからなぁ・・・」と溜め息をついた。
 焼酎ブームが到来して以来、日本酒は酒屋さんでは常に売り場が押され気味だ。
 そんな中で例え味がよくても、納期を守れないような酒蔵の商品など、一度そこに別の酒を置かれてしまうと、なかなか注文が戻ってこなくなる。
 薫風のお陰で広がり始めていた柿谷酒造の酒が、薫風がなくなったことで他の酒蔵の製品に取って代わられてしまっている状況だった。
 日本酒だけでも銘柄は五万とある。
 大量生産の大手酒蔵とは違い、小さな造り酒屋の酒は話題に上らないようになれば、すぐに忘れられてしまうものだ。
 つい先日も柿谷に顔を出したが、まだ息子さんからは連絡がないとのことだった。
 親父さんは完全にご立腹で、「あんな息子は勘当だ」と皆に宣言したらしいのだが、警察には届け出を出さなかったようだ。きっと奥さんが必死になって止めたのだろうと思う。
 しかし、息子さんが薫風を根こそぎ持って行ってしまったことに対する影響は、古くから務める営業さんにも出ていた。
 じりじりと落ち込んでくる売り上げもそうだが、複雑な思いが入り交じって従業員全体に覇気がなくなったように感じた。
 また皆、薫風のなかった頃の温泉街から買いにくる客を相手に細々とやっていた活気のない造り酒屋の姿に戻ってしまったようだった。
 とはいえ、今の俺にはそれを打開できる程のアイデアがある訳でもなく・・・。
 他の造り酒屋を周りながらも、頭の片隅には常に柿谷の不振が浮かんだままだった。
 俺は手島さんから課長に渡す資料を預かり、その日は一旦会社に戻ることにした。

 

 久しぶりに社に戻って、残務をひたすらこなしていると、もう終業時間を一時間過ぎていた。
「あ、いけね。千春に連絡しなくちゃ・・・」
 そう呟きながら懐方携帯を取り出すと同時に着信が入った。
「うわ! びっくりした・・・・」
 千春からかな?と思い画面を見ると、なぜか流潮社の岡崎さんからだった。
 彼女の電話番号は、雑誌の取材がらみで連絡する必要があったので交換してあった。
 しかし、現在雑誌の仕事は既に彼女の手からは離れた話になっていたので、岡崎さんが俺に電話をかけてくる理由が思い浮かばなかった。
  ── まさか千春に、何かあったんじゃ・・・
 俺はそう思って、電話に出た。
 日本酒課のフロアには既に俺しかいなくなっていたので、これくらいは許されるだろう。
「はい、もしもし。篠田です」
『お忙しいところ、すみません・・・。今、お電話大丈夫ですか?』
 前の彼女の声より、何だか元気がない。
 やはり千春に何かが・・・
「はい、大丈夫ですが、何かありましたか?』
 俺は、不安げな声そのままで聞き返した。
 岡崎さんは、俺の声色を敏感に察したらしく、『あ、いいえ! 特に事故とか、そういうんじゃないんですよ。澤先生は先ほど無事、篠田さんのお家の方に送り届けましたので』という返事が返ってきた。
「あ、なんだ。そうなんですね」
 俺は思わずほっとして、息をついた。
「では・・・?」
 どうしてかけてきたんだろう?と思い聞き返すと、岡崎さんは言い出しにくそうに、こう切り出した。
『実は・・・今、篠田さんの会社の前に来ているんですけど・・・。ちょっとお時間よろしいですか? 折り入って、ご相談したいことがあって・・・』
「相談?」
 俺に?
 彼女が俺に相談することが何なのか、皆目見当がつかずに、俺は思わず携帯をマジマジと見つめた。

<side-CHIHARU>   

  
 手羽先のスープの仕上がりは完璧だった。
 今日のメインはエビマヨにしようと思っていたから、スープはあっさり目の味付けにしてある。
 副菜だけほうれん草の白和えで和風になっちゃったけど・・・。ま、よしとするか。
 僕はそう思いながら、壁掛け時計を見上げた。
 もう九時だ。
「シノさん・・・今日は帰ってくるって言ってたのに・・・。遅いなぁ・・・」
 夕方には会社に戻るから、そんなに残業にはならないって言っていたけれど、ここしばらくまた出張に出ていたから、きっと書類仕事が溜まっているんだろう。
 シノさんの仕事ぶりを見ていて、つくづく思うことがある。
 お金を稼ぐことって、本当に大変なんだよね。
 確かに、世間から見れば僕の方がシノさんより稼いでいる。
 しかし僕の場合は、対して肉体を酷使する訳でもなく、かといって然程精神的にも追い込まれることなく、のほほんと金が入ってくる。
 人はそれを「人生の勝ち組」とか言うけれど、僕に取ってしてみれば、僕が稼ぐお金の価値より、シノさんが稼いでくるお金の価値の方がよっぽど高いって感じていた。
 額面上では一緒でも、『重さ』が違うというか。
 だからできればシノさんの稼いだ分は大事に取っておきたい気分になるのだが、シノさんはいつも「生活費は折半で」といってきかない。
 それにシノさんは、僕が僕の金を湯水のように簡単に使ってしまうのも、あまりよく思ってないようだ。
 僕としては、僕の金はシノさんのお金より価値が低いモノのように思っているから、ついついそんな使い方をしてしまう。
 先日もシノさんに黙ってリフォーム代を大幅に増額して、ジェットバスに変えた。
 だってその方が、シノさんの疲れが取れるって思ったし。
 でもバレるときっとシノさん、「またそんなことして・・・」って言うよな、多分。
 マンション購入資金とリフォーム代は流石にすぐ折半という訳にはいかないので、僕がすべて支払っている。
 シノさんは、ボーナスが出る度に徐々にお金を返すって言ってくれてるからそれを受け取るつもりではいるけど、それはすべて貯めておくつもりだ。使うつもりは更々ない。
 まぁ、僕が文筆活動を辞めてしまえば印税の入りも徐々に減って行くだろうから、その時に足りなくなったら少し使わせてもらうかと思っている。
 僕が作家を辞めようと考えていることは、今日帰りの車の中で岡崎さんに言った。
 彼女はしばらくポカンとした顔をしていたが、その後は半ばヒステリックになって「なぜ作家を辞めるだなんて言うのか」と散々問いつめられた。
 僕は、坂井菊に言われたこと、シノさんとの生活のこと、小説を書くということに対する情熱がなくなってしまっていることについて彼女に説明をした。
 結局その場は、話がまとまらないうちにシノさんの家に到着してしまったのでうやむやになってしまったが、僕がこうと決めたらその決心はよっぽどのことじゃない限り揺るがないことを彼女は痛い程知ってるはずだ。
 岡崎さんには、作家としての僕の役割がもう見い出せないということを伝えた。
 坂井菊に言われたように、ここ最近はヌルいテイストのコラムばかり書いていて、小説と呼べる物はここ最近書いていないし、今のところ受注しているコラムは僕でなくても書けるものばかりだ。そう、坂井菊だって書ける。いや、まさかすると僕より上手に書けるのではないか、とも思う。
 シノさんのお陰で身体中幸せで温かいものに溢れている僕には、もう世間を斜めに見る必要も拗ねる必要もない。
 ただそこにあるのは、心の安定なんだ。
 そんな満たされている今の僕に、何が書けるというのだろう。
 岡崎さんには、「世の中にはあなたの小説を読んで励まされたり、慰められたり、勇気を貰っている人もいるのよ。そういう人達のために書くことが大切なんじゃない」って言われたけれど、僕はシノさんが幸せならそれでいいんだ。はっきり言って、他の人のことなんてどうでもいい。
  ── 薄情
 岡崎さんは一瞬そんなことを言いたそうな表情を浮かべたけれど、僕が薄情なのは前からだ。
 以前は全てに対して薄情だっただけで、今はたまたまシノさんだけに対して薄情ではないだけだ。
 僕は、シノさんにだけ誠実でいたい。


 シノさんが帰ってきたのは、それから十時近くになってのことだった。
「お帰り、シノさん」
 シノさんが帰ってくるのは久しぶりのことだった。
 僕は、シノさんの手から大きなキャリーケースを取り、廊下の片隅に一先ず置くと、靴を脱いで上がってきたシノさんの背後からガバッと抱きついて、そのまま首筋の香りを思いっきり嗅いだ。
  ── ああ、そうそう。これがシノさんの匂い。
 そのまま抱きついたまま、シノさんを運ぶように部屋の奥まで歩いて行く。まるで二人羽織だ。
 前も長期出張の後にこれをしたら、シノさんは苦笑いを浮かべながら、「千春、時々酷く子どもっぽいことするから戸惑う」と言われた。
 僕はその時、「だって、シノさんが足りないんです。シノさんは、足りなくならないの?」と逆に聞き返した訳だが、シノさんは酷くテレ臭そうな顔をしながらも頷いてくれたっけ。
 今日ははてさて、どんな顔をしているのかな・・・?、とシノさんの顔を覗き込むと。
  ── あれ? シノさん、なんだか怒って、る?
 シノさんの奥二重で黒めがちの瞳に戸惑った表情を浮かべる僕自身の顔が写り込んでいた。

 

here comes the sun act.63 end.

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編集後記

今朝ほどからもずっと探していたのですが、自分で家に帰ってました(脂汗)。
ちくしょ~、心配させやがって!!!!
とにかく、よかったです。

で、ヒヤカムの方はと言えば、こちらも何だか不穏な感じ・・・。

シノさん、怒ってます。

クリスマスなのにねん・・・・。

皆様、メリークリスマース!!!!

[国沢]

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