act.36
<side-SHINO>
「社長!」
俺が猛然とドアを開けると、窓際に立っていた社長は顰め面で振り返った。
「こら! 騒がしい。ノックぐらいせんか」
俺は社長に言われてハッとして、「すみません」と謝って、開いた状態のドアをノックした。社長は苦笑いすると「今更遅い」と言った。俺は再び「すみません」と謝って、部屋の中に入るとドアを閉めた。
「でも、あの、例の件は・・・」
俺が言い淀むのを気にする素振りも見せず、社長は再び窓の外に目をやると、こう言った。
「お前、広田弘毅を知ってるか」
「は? え、えぇと・・・」
突然あまり聞き馴染みのない名前を言われた俺は、宙を見上げ、誰だったか思い出そうとした。
だが社長は俺から答えが出ないものと最初から思っていたのか、すぐに言葉をつなげた。
「文官で唯一A級戦犯になった政治家だ」
「あっ、あぁ・・・」
社長にそう言われ、確かにそうだと思い出した俺だったが、なんで突然社長がそんな話を始めたのか、その理由が俺にはさっぱりわからなかった。
社長は、ぽかんと立ち尽くしている俺を完全にほっぽり出したままで・・・というより昔のことを思い出しているかのような様子で、こう言った。
「まぁもっとも俺が言いたいのは、主人の広田弘毅ことでなく、その妻の廣田静子のことだがな」
「は、はぁ・・・」
俺はもう、相づちをうつしかない。
社長は一体、何を言わんとしているのか・・・。
社長はふと我に返ったかのように振り返ると、ソファーに座り、タバコに火をつけた。
目線で、「お前も座れ」と指し示されたので、俺も向かいに座る。
なんかこの奇妙な感じ、やっぱりダメだったのかな・・・。
俺が思っている以上に、男同士の恋愛って世間に受け入れられがたいものなのか。
千春は前からずっとその不安を口にも態度にも示してきたけど、やっぱ俺が呑気なんだろうか。
不思議と俺は、そこら辺にハードルを感じることはなくて、気づけば自然に千春のことを好きになってた。
いつぞや葵さんから、「シノくんは、凄くニュートラルな人よね」と言われたことがあるが、今思えば、葵さんはそういうことを言っていたのだろうか。
社長は、なんだか呑気に二回、三回とタバコをふかすと、やがて俺の方に身を乗り出して言った。
「最初はな、”なんだ、これっぽっちのものか”と思ったんだ」
「これっぽっちのもの?」
「さっき来ていた成澤君だ」
社長にそう言われ、俺はムッとして口を尖らせた。
「それ、どういう意味ですか。曲がりなりにも俺の恋人ですけどね」
「ああ、不機嫌になるな。話は最後まで聞くものだ」
社長は頭の回転が恐ろしく早い人だから、いつも肝心のところをはしょって、話の最後だけ言ったりするから、社員達はよく混乱する。今も丁度そんな感じで。
「つまり、どういうことですか? わかるように説明してください」
「彼が大したことがない、って言ってるわけじゃない。むしろ、男でも”美しい”という形容詞が似合いの人間なぞ、初めて見たと思ったぐらいだ」
「はぁ」
「俺が言ってるのはだな、彼の気持ちの話をしているんだ」
「気持ち・・・ですか?」
社長は、再びソファーに背を凭れさせて、タバコを吸った。
「成澤君は、『別れてもいい』と言ったんだ。もし自分の存在がお前の足を引っ張ることになるんならな」
社長にそう言われ、俺は頭にカッと血液が上ってくるのを感じた。
「そ、そんな!」
「まぁ、だから落ち着けって」
社長が声を荒げたので、俺は思わず口を噤んだ。社長は、俺に呆れたかのようにフゥと溜め息をつく。
「彼みたいな人が、よくもまぁお前みたいな男を好いてくれたものだ」
「そりゃ・・・まぁ、俺も時々そう思うところではありますけど」
社長は俺の言い草にニヘラと笑う。
業界で評判の『ロマンスグレーな雰囲気』とやらも台無しだ。
「まぁつまりだな、俺は思ったんだ。他人から批判されてあっさり『別れます』と言えるなんざ、こりゃ大して好きでもないのかなぁと。たったこれっぽっちの気持ちなのかと思った訳だ」
社長にそう言われ、俺は思わず立ち上がって反論しようとしたが、社長に下から目で「最後まで話を聞け」と言われ・・・多分そう言っていたんだと思う・・・、俺は握りしめた拳を緩めてソファーに座り直した。
「成澤君にそう言われて、最初はそういう風に思っていたんだが、そういう彼の目を真正面から見たら、急に心の臓が
きゅぅっとなった訳よ。それで思い出したのが広田弘毅の嫁さんだ」
「はぁ」
「終戦後、GHQの統治下に置かれた日本で、旦那の広田弘毅は文官ながら唯一A級戦犯の容疑をかけられ、逮捕された。その直後、広田弘毅の妻・静子は自ら命を絶ったんだ。何でだと思う?」
「え? 旦那さんの死刑が決定したための後追い・・・ですかね・・・」
「いいや。静子が自決したのは、裁判が結審する前だ」
「え?! じゃぁ・・・なんででしょう・・・?」
「説はいろいろあると言われているがな。俺が信じている説は、静子の父親が国粋団体の幹部で、自分の存在が夫の裁判に悪影響を与えるからと静子が考えたからだというものだ」
そこまで社長にそう言われ、俺は「あ!」と声を上げた。
社長は、やっとわかったかというような表情を浮かべた。
「広田弘毅と静子は、生前、それはそれは仲睦まじい夫婦だったそうだ。自分の命を差し出せるほど、彼女は旦那を愛していたということだ。 ── 成澤君の目を見ていたらな、ふと思い出したんだ」
「社長・・・」
社長は、最後に深く深くタバコの煙を吸い込んでゆっくりと吐き出すと、タバコを灰皿に押し付けた。
「きっと彼は広田静子と同類の考え方をする人間だ。 ── 精々、お前がしゃんとして、彼を守ってやらねばならんぞ。いいな」
社長の最後の言葉は、先ほどまでとは打って変わって、とても真摯な響きがあった。
俺は胸がぐっと熱くなり、「はい」とひと言答え、深く頭を下げた。
俺が社長室から日本酒課のフロアに帰ると、営業から戻ってきていた先輩の手島さんから大きな声をかけられた。
「おぉ! シノの嫁さんが会社に来てたんだって!」
「え? あ、よ、嫁さんっていうか・・・」
「正確には嫁さんじゃないですが、ほぼそれに間違いないです」
横から田中さんが顔を挟んでくる。
「課長に聞いたぜぇ~。えれぇ美人だったそうじゃねぇか」
手島さんがそう言いながら、俺の肩を激しく叩いてくる。
「い、いてて・・・」
俺は思わず呻きながら思った。
手島さん、俺の相手が男の人だって、わかってるのかなぁ?
「そうなですよ、手島さん。美人でしかも料理上手なんですって!」
俺の反応を余所に、なぜか手島さんと田中さんで盛り上がっている。
「うぉ~~~!! 美人な上に料理上手なの?! なんだよそれぇ! お前、いい加減にしろよ!」
イテっ!
ま、また叩かれた・・・。
「で、その噂の写真週刊誌とやらはいずこに」
手島さんがそう言うと、田中さんが頬をプッと膨らませて「記事の扱いにあんまり腹が立って、捨てちゃいました!」と言った。
「えぇ~~~~!!! じゃ、俺だけ知らないってことかよぉ~~~~」
「 ── いや、手島さんだけじゃないと思いますけどね・・・」
俺が隣で呟いても、手島さんは「俺だけ仲間はずれじゃぁ~ん」とごねている。
「おいシノ、似顔絵でも描いてやったどうだ」
扇子を閉じたり開いたりしながら、課長がその扇子で俺を指す。
「え?! 似顔絵!!?」
「あ、そうそう。似顔絵、描いてあげたらいいんじゃないですか?」
田中さんもそう言って、俺を見上げる。
ううう。
自慢じゃないが、俺、絵描くの、苦手なんだよね・・・。
「いや、俺、絵、下手で」
「描けよ~、篠田ぁ~」
ううう、手島さん、酒飲んでないよね?
「はい、紙とペン」
田中さんが、余計なアシストを・・・。
俺は結局、三人に囲まれて逃げ場を失い、千春の似顔絵を描く羽目になってしまった。
「ええと・・・、こ、こんな感じで・・・」
できた絵を見た瞬間。
三人が三人、俺を見て言った。
「へったくそだなぁ~・・・・」
だからそう言ったじゃん!!!
here comes the sun act.36 end.
NEXT | NOVEL MENU | webclap |
編集後記
今回、初めて小説の本文中に画像を貼付けたような気がします。
これまでの更新の歴史を振り返ってみても、おそらく初めてのような。
それが、この画像。
記念すべき、画像が、これ。
ち、千春に殺されそう・・・(大汗)。
ところで、話題は変わって、ついに国沢、iphone持ちになりました。
これで晴れて、千春&シノさんとおそろになりました。
公私ともに、生粋のmac使いの国沢。
LC475時代からmacを使い続けてる国沢だけに、もっと早く持っていてもよかったんですがね。
ついに手持ちのガラゲーが壊れ、仕事との兼ね合いもあり、iphoneに機種変更と相成りました。
で、その感想はというと。
これって、携帯のゲーム機でしょ。
・・・。
初日から、ゲームやりまくりです(汗)。
かれこれ、掛け持ちで9ゲームやってる・・・(大汗)。
壷を釜で焼きながらカードを集めて合成し、ウマを育て、村を大きくしつつ倒幕に励み、ひよこを籠に落としながらモンスターを手に入れ、ロンと叫ぶ・・・。
あかんですわ・・・、こりゃ・・・・。
[国沢]
小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!