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nothing to lose title

act.48

<side-CHIHARU>

 シノさんからメールが届いたのは、仕事場で雑誌コラムの第一稿目を書いている最中のことだった。
『今晩、外で食事しないか?』
 僕はそのメールにドキリとした。
 久しぶりのデートの誘いに自分が思っている以上に舞い上がってしまっている僕がいるのと同時に、葵さんとの食事を週刊誌であんな風に取り上げられたことへの恐怖心が沸き上がって来た。
 まさか、そこまでトラウマになっているとは思っていなかった。
 僕が写真に撮られるのは構わないのだが、またシノさんに迷惑をかけることになるんじゃないかと思うと、簡単に二つ返事できない自分がいる。
「どうしよう・・・」
 スマホの画面をじっと見つめていると、またシノさんからメールが届いた。
『忙しい?』
「シノさん・・・、全然忙しくないよ・・・」
 思わず呟いてしまう。
 でも何てメールを返していいのだか・・・。
 文章を書くことを生業にしているのに、肝心な時に何にも書けなくなるなんて、作家として失格だ。
 でも返事を待たせているのも悪いので、僕はひと言、『シノさん、大丈夫?』と返した。
 しばらくの間。
 僕は、シノさんの返事が気になって仕事どころではなくなり、席を立って窓際に移動した。
 大きな窓の外では、人や車がせわしなく行き来している。
 この気が遠くなる程たくさんの人がいる中で、僕が唯一耳を傾けるのは、シノさんの言葉だけ。
 世界でたった一人の人・・・。
「・・・僕って、重いよな」
 自分の思ったことに、僕は苦笑いした。
 以前の僕しか知らない人間は、僕がこんなにウエットな恋愛をしてるなんて知ったら、きっと卒倒するだろう。
 でも、きっとシノさん相手なら、どんな人間だってそうなってしまうんだって思う。
 世界の人が、それを知らないだけ。
 なぜなら、シノさんが付き合った人間はこの世の中でまだ僕一人だけだから。
 甘い優越感と漠然とした不安。
 メールの返事が来た。
『何も心配することはない。千春と一緒なら、どんなことがあっても大丈夫』
 僕は、シノさんにひれ伏すしかないんだ。

 
 <side-SHINO>

 課長から「今日は残業なしで帰れ」と言ってもらって、俺は休憩時間に千春にメールをした。
 夕食を外で食べようと誘ったんだ。
 千春が忙しかったら諦めようかと思っていたけれど、千春から返って来たのは『大丈夫?』との返事だった。
 千春、まだ気にしてるんだなぁと思った。
 週刊誌に撮られたことを気にしているんだ。
 でももう一度出てしまったものだし、隠れる必要はないんじゃないかと思うんだけどな。
 俺の中では、疚しいことをしている訳じゃないんだし、堂々としてりゃいいという気持ちは今も変わっていない。
 千春からすると懲りない性格なのかもしれないけど・・・。
 それに、俺に取っては千春が傍にいてくれないことの方が断然困る。
 どうしてだと訊かれたらはっきりとこれだと答えられることはないんだけれど、困るということだけは断言できる。「なんですか、それ」と千春にツッコミ入れられそうだけど。
 ああ、もう何だか回りからいろいろ言われるのが面倒くさい。
 本当に男同士でも結婚できりゃいいのに。
 言い方は悪いかもしれないけど、結婚さえできれば千春を縛ることができるのにって思う。
 結婚っていうのは法的に絆を作るってことだから、一度してしまえば容易に解消はできにくい訳で。
 めちゃくちゃ硬い訳で。
 今みたいに目に見えないものだけで結ばれてるのって、酷く不安なんだ・・・。
 だって、千春が俺に飽きちゃったら、そのままポイッてこともあり得るわけで。
 ・・・・。
 今、自分の年齢について、ちょっと考えちまったよ。
 

 千春とは、七時に千春の仕事場近くで落ち合った。
 今夜は千春にごちそうすると決めていた。
 俺が苦しい時期に、おにぎり作って支えれくれたから。
 あのおにぎりがなかったら、きっと俺はダメになってた。
 駅から出て、六本木ヒルズを横目に見ながら待ち合わせ場所に向かって行くと、一足先に待ち合わせ場所についていた千春がいた。
 白いシャツに濃いグレイの光沢あるカジュアルスーツ。胸のポケットには、渋い赤色のチーフ。
 千春、男前度合い、隙がなさ過ぎる(汗)。
 久々の二人揃っての外出をやはり気にしてか、カモフラージュのための太い黒淵の伊達眼鏡をかけていたが、上質の眼鏡男子の立ち姿に、通行人の女性達が色めき立っているのがありありとわかった。
 千春・・・、それ全然カモフラージュになってないぞ・・・。
 そんな風に思いつつ何となくそこに立ち尽くしていると、千春に見つかった。
 千春が軽く手を挙げる。
 千春を遠巻きに見ていた人々の視線が一気に俺に集まって、俺は思わずカバンを顔の前に持ち上げてしまった。
「シノさん、何してるの?」
 カバンの横から覗き込まれて、俺はゴホンと咳払いした。
「千春、今日行く店決めた?」
「ええ。シノさんが決めておいてって言うから、この近くのお店に予約入れましたけど」
「今日、俺がごちそうするから」
 俺がそう言うと、千春は「え?!」と予想外なほど大きな声で驚いた声を上げた。
「そうなの?」
「うん。そのつもり」
 千春の顔が渋くなっていく。
「僕、そんなつもりとは知らずに店を選んでしまった」
 みるみる千春の雲行きが怪しくなって行く。
「そうならそうと先に言ってくれれば、考えたのに。なんで言ってくれなかったんですか?」
「純粋に行きたい店を選んでもらいたかったから」
「それは・・・。まぁ、そうなんですけど。シノさんの負担になるのは嫌です。せめて折半にしては?」
 今度は俺が口を尖らせる番だ。
「それじゃ意味がない」
「意味ってなんですか、それ。また何か意固地になってるの?」
「意固地になんかなってないよ。でも今日は俺がごちそうすることに意味があるんだって」
 俺らのちょっとした言い争いが周囲の注目を集めているのを感じて、俺は「は、早く店に行こう」と千春を促した。
「ねぇ、意味ってなに? また僕、シノさんに気を使わせた?」
 歩き出しはしたものの、千春は大きな声でそう訊いてくる。
「気なんて使ってないって」
「じゃなに? 意味って何ですか?」
「ここじゃ言えないよ。後で言うって」
「後って・・・。気になりますよ、そんないい方されたら」
「ええと・・・だから・・・おむすびのお礼だよ!」
 俺も思わず、大きな声で答えてしまった。
「千春のおむすびで俺は頑張ることができた。それのお礼がしたかっただけ!」
 思わずその場に立ち止まった千春の頬が、パッと赤らんだ。今更ながら、周囲の野次馬達がどこかニヤニヤしながら俺達の様子を見ているのがわかったからだ。
 う~、だからこんなところで理由を言いたくなかったんだ。
 こんなの猛烈に照れくさいじゃないか。
「・・・そんなの・・・。メールで最初に言ってくれればよかったじゃないですか」
 急に声をトーンダウンさせて、千春がブツブツと呟く。
「直接、顔を見て言いたかったんだよ・・・」
 俺もボソボソと答えた。
「とにかく、ここじゃ目立ち過ぎる。早く店に行こう」
 俺がそう言うと、今度こそ千春は素直にウンと頷いたのだった。


 千春の予約した店は、創作フレンチ料理店だった。
 ミルク色の壁に落ち着いた間接照明が反射する如何にも『大人なお店』だ。
 俺達が通されたのは個室で、個室がある店だから千春が選んだんだと思った。
 う~む、確かに高そう・・・。
 千春は何度も「大丈夫?」って訊いてきたけど、断固「大丈夫」と答え続けた。
 内心、かなりビビってたけど、今日は絶対にごちそうすると決めていたから、努めて顔に動揺は出さないようにする。
 って、これ、フォークってどの順番に使うんだ?
 店に来る前にはあんなに言い争いしていたのに、店での千春は何だかちょっと大人しいというか、しおらしい感じだった。
 ワインを一本しか空けなかったのに、妙に珍しく酔っているような顔色で。
 追加でワインを頼むかって訊いたら、「もういい」と信じられない返事が返って来た。
「お金、気にしてるの?」
 また言い争いになるかなぁと思ったが、千春には遠慮してほしくなかったから、そう訊いた。
 でも今度の千春は少し微笑みを浮かべて、首を小さく横に振った。
「そういうんじゃないから。なんか本当に充分に酔えたって気分だから、もういい」
「え? もう酔ったの?」
 ワイングラスの半分も飲み残している俺が言う台詞じゃないけどさ。
 でも千春の言っていることは本当みたいで、千春は火照ったような顔つきでほーっと長い吐息をついた。
「きっと僕・・・シノさんに酔ったんだね。シノさんが、おむすびのお礼だなんて可愛らしいこと言うからさ」
 赤くなるのは、今度は俺の番だった。

 

here comes the sun act.48 end.

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編集後記

なんか今週も山なしオチなしの展開で、なんらストーリー的に進まず、すみません(汗)。なんとなくバカップルぶりを書きたかったんです・・・・。
春先なのに仕事が忙しくて(例年はそうでもないのに)、ストレスがたまっているのかも・・・。ああ、管理職は大変だ。

今日は、書きながらもテレビをつけっぱなしにしていたら、体操の全日本選手権大会が放映されていました。
体操選手って本当に凄いですね~~~~。
完璧なまでのノット体育会系な私から見れば、平均台の上でバク宙なんて同じ人間のやることとは思えない・・・!!
ってか、一度彼らの見ている世界を見てみたいって思います。
いいなぁ~。一度、ぶんぶん回ってみたいなぁ~。
そんなことを思う、四十路女です(大汗)。

[国沢]

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