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act.59

<side-SHINO>

 翌日、皆でかき集めた薫風を無事百貨店2件とハセベに納品した。
 百貨店のうちの一軒は、今回入荷分が売り切れたら次回の発注数を増やしたいと申し出てくれた。
 クリスマス商戦までにはまだ少し時間があったが、シャンパンに負けない口当たりと喉越しを誇る薫風をそれにぶつける気が満々であることが窺えた。
 しかし、もう薫風はない。
 本来なら、クリスマス商戦をカバーするだけの数を見越して、多めに在庫を残していた分が根こそぎ消えたのだ。
 今年度分の在庫は全てなくなってしまったんですと話すと、百貨店バイヤーはとたんに気難しい顔つきをした。
 百貨店にはあらかじめ柿谷酒造の商品の年間納入スケジュールを提出している。
 その条件を満たせない、ということになるわけだ。
「一体なんで在庫切れなんてことになったんですか? 加寿宮さん、販売管理きちんとしていたんですか?」
 薫風が『売れる商品』だったために、バイヤーの意見は厳しかった。
 むろん、柿谷のお家事情を話す訳にも行かず、俺はひたすら謝るしかなかった。
 バイヤーには、自分達との約束数を反古にして薫風を余所に売ったのではないかと問いつめられた。
「決してそういうことではありません」
 俺はそう言ってはみたものの、本当の理由が話せなかったので、あとはひたすら平謝りするしかなかった。
「商品がいいだけに、残念ですねぇ。まぁ、ない物は仕方ない」
 最後バイヤーはそう言って納得したようだったが、正直雰囲気はよくなかった。
 今後の柿谷酒造のと取引、ヤバくなるかもしれない・・・。
 俺は信号待ちをしている間に頭の片隅に浮かんだその思いを何とか払拭すべく、目を瞑って何度も何度を頭を横に振ったのだった。


 その日、会社に帰っても当然の如く川島から連絡はなく、私物が片付いてもいないデスクがそのまま残っているだけだった。
 日中、俺達が外回りに出ている間、田中さんがあれこれと川島のパソコンの中のデータをチェックしてくれたそうだが、今回の『失踪』に関する手がかりらしきものは全く見つからなかったそうだ。
  ── まったく・・・、どこに行っちまったんだよ、川島・・・。
 帰社後、俺は川島の私物を紙袋に詰めた。
 気に入って使っていたペン立て、雑誌、名刺ホルダー、コーヒーカップ。予備のネクタイとワイシャツ。そして引き出しの奥からは、俺の所為で別れたと言ってた美樹ちゃんとの写真・・・。
 やっぱり、俺とあんなことがあったから、こんなことになってしまったのかな。
 俺のせいなのかな。
 夕べ家に帰ると、千春は仕事で忙しいと言っていたのに、俺の部屋に来て待っていてくれて、ご飯を作ってくれた。
 千春は「シノさん、大丈夫?」と何度も聞いてくれて、俺は大丈夫と答えた。
 別に、やせ我慢でそう答えたんじゃない。
 実際、今起こっていることをリカバーするのに必死だったし、川島の退職届を見ても、ピンと来ていなかったからだ。その点で言えば、俺は全く疲れていなかった。
 しかし夕べは、遅い夕食後、風呂に入ってから千春が背中をゆっくりとマッサージしてくれてる間にそのまま眠ってしまった。
 千春に背中を擦られると、凄く心地がいいんだ・・・、本当に。
 その夜は泥のようによく眠って、お陰で翌朝の目覚めはすっきりとしたものになった。今回のトラブル発生後、頭にずっとかかっていた靄みたいなものはなくなっていた。
 そのお陰で今日のハードな薫風の納品に耐えることができたのかもしれない。
 だが、今目の前で川島の私物を紙袋に入れていると、何だか一気に身体が鉛のように重くなってくるのを感じた。
 何てことはない物を掴んで紙袋に入れる動作が、恐ろしくのっそりとした動きでしか動かなかった。
 その様子を見て、課長が「おい、シノはもう今日は残業せずに帰れ」と言った。
「どうせその私物、届けにいくつもりなんだろう?」
 課長にそう言われ、俺は頷いた。
「でも、川島のヤツ、アパートに帰ってないそうじゃないか。どうするつもりなんだ?」
「川島の実家に行って渡してきます。いくらなんでも実家とまでずっと連絡を断つ訳にもいかないでしょうから」
「お前、川島の実家に知ってるのか」
「ええ。二回ほど行ったことはあります。家の前までですが・・・」
 新人の頃、川島はまだ町田にある実家から会社まで通ってきていた。その頃、出張に行く際に川島が忘れ物をしたと言って社用車で寄ったことがあった。
 あいにく、実家の電話番号は川島が一人暮らしを始めた時にアパートの番号を上書きをしていたので、携帯に残っていなかった。
 荷物を渡すだけだし、一先ず帰りに寄ってみることにした。
 小田急線の快速に乗ると、いつもの帰りとは違う雰囲気で何だか妙な気分になった。
 乗っているサラリーマン風情の男達は皆一様に疲れ切った表情をして、ぼんやりと車窓の外を眺めている。
 一瞬建物の影を通った所為で窓ガラスに映った自分の顔も同じような顔つきをしているのに気がついて、「あ、俺も一緒か」と思った。
 一瞬、千春と知り合う前の自分に戻ったような錯覚を覚えた。
 そう、それなりに充実はしていたものの、何かが宙ぶらりんでグレイ色だった代わり映えのない日常を過ごしていた自分に。
 急に喪失感に襲われた俺は、人から顔を見られないように俯きつつ、何とかその波をやり過ごした。
 これまで千春と過ごしてきた時間が実は夢で、この電車を降りたら魔法が解けてしまう・・・なんていうような悪い予感。
 俺は大きく溜め息をついた。
  ── わかってはいるんだ。俺の欠点。マイナス思考に入ると、ずぶずぶとそれに落ち込んでしまう。そのくせ、周囲には虚勢を張って、「何ともないよ」って強がる。
 ある意味、そうしてないと仕事にならないってこともあったから、ずっとそうする癖がついてきたけど、やはりそれは無理がある。そのことを教えてくれたのは千春だったけど、頭でわかっていてもそう簡単にその癖から抜け出せるはずもなく。
 夕べ、俺が「大丈夫」と言った時、千春は「そう? ならいいけど」と笑ってくれたけど、その目は笑っていなかったような気がする。
 列車がカーブをキュウッと曲がり始めて、立っていた乗客が一様に二、三歩足音を立てた。
 俺も同じようにつり革に捕まり咄嗟に自分の身体を支えると、また窓に映った自分の顔を見る羽目になった。
  ── まるでゾンビのような顔つきをしてる。
 俺、案外、この一件が堪えているのかな・・・と思った。


 川島の実家は、町田駅から徒歩で15分程度の住宅街にあった。
 川島の親父さんが川島の生まれた時に買ったという建て売り住宅で、庭木が塀の上まで盛り上がってた。
 家の前に来ると、庭側から見える窓には明りが灯っていたので、誰か人がいることは確かだった。
 俺は、おもむろにチャイムを押した。
 すぐに奥から「はーい」と女性の声がした。
 おそらく川島のお母さんだろう。
「どちらさまですか?」
 ドア越しにそう声をかけられ、「息子さんの同僚の篠田です」と答えた。
 本当は『元同僚』だったが、話がややこしくなるからそう言った。
 するとすぐにドアが開いた。
 初めて会う川島の母親は、川島によく似ていた。
 いや、川島がお母さん似なのか。
 川島の母親は、まず俺の顔を見て、それから俺の全身を見た。
 彼女は背が低かったので、突然玄関先にデカイ男が立っていたので、驚いたのだろう。
 彼女は玄関先の電気をつけて、再度俺の顔を確認すると、にっこりと笑った。
「今晩は。まぁ・・・どういったご用件で・・・・」
 笑ってはいたものの、チンプンカンプンといった表情だった。
 川島から事の次第を聞かされていないのだろうか。
 俺は、川島が会社を昨日付けで退社したことと会社に残った彼の私物を届けにきたことを伝えた。
 すると彼女はみるみる血相を変えた。
「え? 今、なんて? 郁男、会社辞めたんですの?」
 はい、と俺が頷くと彼女は家の奥に顔を向けた。
「ちょっと、お父さん! 郁男が会社辞めたって」
 そうすると奥から父親も出てきて、その場が一気に騒がしくなった。
「それは君、本当なのかね」
 川島の父親は厳格で頭の良さそうな人だった。
 俺が昨日退職届が会社に送られてきたことや、今回の一件、アパートにも帰っていない節があることを告げると、父親は顔を真っ赤にして「何をやっとるんだ、あのバカは」と憤慨し、母親は「それは本当なんですか?」と何度も繰り返し聞いてきた。
 俺は一先ず川島の私物を渡し、俺の名刺も手渡した。
「もしこちらに川島から連絡があったら、この名刺にある携帯番号までご連絡ください。一方的に辞めたと言っても、事情を聞かねばならないこともたくさんありますし、退職上の事務手続きも必要だと人事も申しておりましたので・・・」
 名刺を受け取った母親は不安そうに名刺と俺の顔を見比べた。
「あの・・・クビってことではないんでしょ? もしその薫風とかいうお酒を返したら、また元のように会社で働かせてもらえるでしょうか?」
 細々とした声で母親がそう言う。それを聞いて、父親が劣化の如く怒った。
「お前、そんな恥ずかしいこと、言うもんじゃない!」
「でもお父さん、恥ずかしいなんて言ってられないじゃないの。今は不景気なのよ? 郁男の年で転職なんて、難しいんじゃありませんか?」
「そんなことは知ったことか! そんな世間体に顔向けできないよなことではいかんと言っておるんだ。大体お前が・・・」
 まぁまぁとなだめる俺を一切無視していた父親の視線が、不意に俺を見た。
  ── いや、俺というより俺の背中越しに何かを見た。
 俺もその視線につられるように、後ろを振り返る。
「郁男!」
 父親の鋭い声と共に、その場に立っていた川島が、ダッシュで塀の向こうに消えて行った。
 俺は慌てて川島の後を追いかけた。
 その背中から何度か「郁男、待ちなさい!」という父親の声が響いたが、すぐにそれは途切れた。
 四、五メートル先を走る川島は、スーツではなくボタンダウンのチェックのシャツにチノパンという出で立ちだった。
「川島! 待てよ!」
 そう声をかけても川島は止まる気配がない。
 そして川島は、近くに路上駐車してあったオンボロの軽自動車に乗り込む。
「川島!」
 車がスタートする直前、俺は車に追いついて運転席の窓ガラスを叩いたが、車はそのまま荒っぽい音を立てて走り去った。
 車が走り出すその一瞬。
 川島は俺を見た。
 目をぎょろりとさせた、何とも言えない見たこともないような表情をしていた。 
 そしてなぜか、車のナンバーには『長野』と書いてあった・・・。

 

here comes the sun act.59 end.

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編集後記

やっと足の捻挫が普通に歩けるくらいまで回復したっていうのに。

今度は風邪をひいてしまいました(泣)。

今、オッサンのような声になっとりますわ(汗)。
なんだか最近、いろいろあるなぁ・・・。

実は先日もうちの庭先に捨てられ子猫が出現しまして。子猫といってもちょっと大きめの4ヶ月サイズ。
オスネコちゃんなんですけど、これがまぁ人懐っこい。
近所で徘徊中、うちの父と目が合って以来、どうやら餌をくれそうな臭いを感じたらしく、そのまま庭に定住。
ただ、子猫だし外ネコに適してないくらい人間好きだし、ここの庭、近所で生息している野良ボスネコ来るし・・・で案の定、夜中に庭で大げんか。
鼻先に爪がめり込んだと見られる傷をこさえてしまったので、あわててうちで保護したのでした(大汗)。
しかし、先住ネコ二匹と仲が悪い・・・(大汗)。
てか、一方的に怒られてる・・・。
う~む・・・。

一応飼い主を探しているところですが、正直顔の柄が微妙な不細工さ加減なのともう結構大きいので、難しいのではと考えております(汗)。
どうやったら、先住ネコと仲良くできるんだろう???
気苦労は耐えません。

[国沢]

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